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菊池寛「蘭学事始」「入れ札」

  組織のなかならば同僚、組織の外にまたがるならば仕事仲間といえる人がいて、毎日のように顔をあわせる存在である。彼等と比較して自分がどれほどの能力を持ち合わせているか、また彼等に自分がどう思われているか、評価されているか、気になるところである。また、自分が彼等の一人一人をどんな風にみているか、も意識するところだろう。意識しようとしまいと組織と仕事の流れには乗っていかなければならない。うまくしないととり残される恐れがあり、つまりは将来の出世にもかかわる問題であるが、そんな広い範囲に思考を広げなくても、もっと手前にも問題がある。他人との日常的な付き合いだ。優秀であるもののなんとなく打ち解けられそうにない人が傍に居ると、居心地の悪さを感じざるをえない。意識からふりはらおうとしても纏わりついてくる。みみっちいことかもしれないが、本人にとってはおろそかにはできず、延いては出世にも関わってくる。
  「蘭学事始」の蘭方医・杉田玄白にとっての蘭学者・前野良沢がそういう存在である。その碩学は評判で、玄白も認めるところであったが、いつも冷然として威圧感がある。加比丹(カピタン=オランダ商館長)の江戸逗留中の旅籠に医者をはじめ、オランダの学問や風物に興味のある者があつまってくるさいにも、良沢だけは一同が冗談でにぎやかになって打ち解けあうときでも、輪に加わろうとはせず、微笑を浮かべるのみである。玄白は良沢に、ライバル意識というよりも引け目を先に感じてしまい、学問上の疑問を通訳に気軽にすることすら、良沢はとっくに知っているのかもしれないと思うと、硬くなって言い出せないということもある。だがそういう自分を一方で、玄白は恥じてもいて、二つの感情の整理ができない状態だ。玄白は妥協的で、権威主義的にみえる。別のとき、通訳にオランダ語の翻訳は可能かと尋ねると、通訳は不可能と答える。通訳は幼少時から五十歳になるまでオランダ語を学んだので、その答えには玄白は納得してしまうが、同席していた良沢は肯んじない。漢語漢籍も先祖の刻苦によって少しずつ翻訳され積み上げられて理解のもとになり、われらは余沢に潤うている。オランダ語もその例外ではなく、長い時間をかければ翻訳は可能だと正論をぶつ。玄白は良沢の「雄渾な志」に感動し、恥ずかしい思いをしたものの、同時に「挨拶旁々(かたがた)」云ったことに「真剣に向ってきた」良沢に不快を感ぜずにはいられなかった。良沢は弛緩の時間をもたない人であろう。
    玄白は蘭書「ターヘルアナトミア」を購入する。人体内部の内臓や骨格を精緻に描いた図説で、たいへん高額なため、藩の家老に懇願して借金してまでのことだった。本を開いて、それまでの漢籍による曖昧な知識や推測では到底およばなかった人体の実相がダイレクトに描かれていることに玄白は感動し、喜ぶ。それは神秘的でさえある。だがそれは玄白の向学心が基盤にあるものの、良沢を出し抜いてやろうとする下心がないのでもなかった。彼がその本を所持していないならばだ。
  まもなく腑分けの知らせがもたらされる。死刑にされた人が玄白はじめ医師たちへの知識に資するため、目の当たりで解剖を施されるのだ。以前からの医師連の要請があったのだろうが、内臓の見取り図をまったくしらない医師というありようも、今日の感覚からすると奇異なのだが。無論、玄白らの喜びと興奮は、永年の壁がとりはらわれるので、尋常ならざるものがあった。ただ、知らせがあった現場には良沢は居あわせなかった。腑分けは明日であり初更(午後7時~9時頃)を過ぎている。知らせの手紙を出すか出すまいか、またその便はあるか。少しの議論ののち手紙は出されるが、ここでも玄白は良沢を出し抜きたい気持ちが湧き上がらなくはなかったのだが、玄白は悪人ではないことがここで明らかになる。彼は良沢を尊敬してもいて、その自身の気持にしたがわざるをえない。手紙はとどき、良沢は腑分けの現場の刑場に駆けつけてくる。「ターヘルアナトミア」を携行しながら。
  腑分けに立ち会っての滅多にない感動は医師連に共通のもので、以後の「ターヘルアナトミア」の共同による翻訳作業でも彼等の一心同体と挫けぬ意欲がつづく。玄白の良沢にたいする複雑な思いも消え去ったかにみえる。だが今度は学問にたいする両者の姿勢のちがいが鮮明になる。翻訳が不完全でも上梓すべきとする玄白と、あくまで完璧を期する良沢との対立だ。ここへきて、玄白は良沢への引け目やときとしてあった憎しみの感情はほとんど拭い去られている。後進に資すべきとする上梓の方針に、玄白なりに自信を抱いたとわたしはみる。
  「入れ札」は侠客国定忠治の逃亡劇の一場面が描かれる。代官を斬殺した忠治は乾児(こぶん)とともにさらに関所を破り、信州の知り合いの侠客のもとに身を寄せようとしていた。五十人ほどいた乾児もそのときは十一人に減っている。追っ手に捕縛されたり逃亡したりの結果だった。だが十一人でも逃亡をつづけるには人目について多すぎる。といって身一つで知り合いに転がり込むのは<沽券にかかわる>ので、二,三人は連れて行きたい。その人選の腹積もりも忠治にはあるが、命がけでついて来てくれた乾児に感謝こそすれ、好悪や優劣をつけて選別することに踏み切れない。残った乾児全員が親分忠治に同行したいと希望している。忠治はやむなく、全員に残り金を分けての解散を提案するが、乾児たちは納得せず、議論が湧き上がる。はじめは籤引きによる同行者三人の人選がもちあがるが、反対意見がつよく、「入れ札」(乾児による互選)によって決めることになる。乾児の一人一人ははたして自分が選ばれるのか、自信と不安に見舞われるのだろう。以後は忠治から乾児の最年輩の九郎助に視点が移される。
  九郎助は近年働きが鈍くなり、後輩に追い越されたことを自覚していた。<阿兄(あにい)!阿兄!>と立てられても表面的なもので人望が落ちたこと、親分にも軽んじられてきたことをひしひしと感じていた。だがどうしても親分に付いていきたい気持ちは抑えられず、禁じ手を使うことになる。自分の名前を書くのだ。もう一人、九郎助の名前を書いてくれれば二票となり、選に潜り込める可能性がひらける。だが開けてみた結果は九郎助には自分の一票しかなく、選ばれた三人は忠治からも乾児連中からも信頼が厚く、順当だった。さらにおまけがある。仲間の弥助という人が事後、九郎助と同行したさい「お前の名を書いた」と慰めるように語るので、九郎助は憤慨することやりきれないが、自分の卑怯さもあらためて責めさせられる……。
  組織の中で自分がどう思われているか、それほどの評価はされていないのかもしれない。だが結果が明らかになるまでは諦めたくはない、何としてでも這い上がりたいという九郎助の野望である。切羽つまれば、こういうことをやってしまいかねないのが人だと菊池寛は言いたげだ。しかし落ち着くところに落ち着くのだ。それでいいではないかと、わたしは思う。九郎助は入れ札の大きな山を越えて寂しさに暫し浸されたようだが、そこに解放感も自然に付いてくるのではないか。前半は複数の人のなかにある単独の人の秘密めいた心理劇、後半は転換点たる出来事をともに通過しての後のその心理の変化と解放感。そうした過程を巧みに描いた二篇である。

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