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菊池寛「忠直卿行状記」「恩讐の彼方に」

  「忠直卿行状記」は高校生の頃に読んで印象にのこった一篇だった。藩政の頂点に立つ若い殿様がわがままのかぎりを尽くし、部下を殺害するなどひどい目に合わせ、やがて徳川中央の咎めを受けて改易(領地没収)され、武士の地位も剥奪されて遠方の地に配流されるという運命をたどる。とにかく忠直は直情径行で、引き下がったり妥協したりすることを潔しとしない性格で、そこまでしなくてもよいのでは、やがて身を滅ぼすことになるのではと、はらはらしながら読み進めると案の定心配したとおりの結末になってしまう。だが今読むと衝撃はそれほどではない。真剣勝負や切腹の話がやたら多いのだが、それは時代小説(劇)一般の傾向であることを知ってしまっているからだろう。また実際に武士階級の行動様式にみられる特徴でもあっただろうと思う。
  松平忠直は福井藩主で結城秀康の長男。大阪夏の陣で武勲をあげ祖父にあたる徳川家康から褒めちぎられ、優越意識の頂点を迎える。若年時から弓馬槍剣の武術から囲碁将棋などのゲームにいたるまでのあらゆる勝負ごとに秀でた腕前で、家臣に彼にまさる者はいない。大阪冬の陣で後れを取った以外には忠直は生まれて以来このかた敗北を知らなかった。だが彼は部下の雑談を偶然立ち聞きする機会があって衝撃を受ける。槍の稽古試合の忠直の相手が、藩主ゆえに故意に負けたことを同じことをした同僚と話すのだ。忠直は激怒することは勿論、それまでの自分の人生が「偽」(いつわり)の土台の上に成り立っていたことを痛切に思い知らされ、寂しさと虚しさに蔽われる。人間として対等・平等の扱いを受けられない、それなら人間ではないという荒涼とした気分だ。忠直の鬱積はやがて家臣に向い、くだんの槍の相手に真剣勝負を命じる。忠直自身も死を覚悟したうえでだったが、やはり二人の家臣はそれまでのしきたりを重んじて故意の敗北を選び、負傷したのち、「偽」が露見して藩主の逆鱗に触れたことの責任をとって割腹する。一段落するどころか、暗澹たる気分にますます支配される忠直だが、乱暴狼藉は他の家臣や側室にまでもおよび、犠牲者も頻出する。
  菊池寛は忠直の気分を中心に書いている。だから配流先の豊後国津守での彼の解放感を締めくくりとする。「暴君」の面影はすっかり払拭され誰彼となく歓談してくつろぐ様子が描かれる。<末には百姓町人の賤しきをさえお目通に引き給ひ、無礼(なめげ)に飾りなく申し上ぐる事を、いと興がらせ給えり。>家臣を何人も死に追いやった罪責感が語られないのが、首をかしげるところである。
  「恩讐の彼方に」は説得力がある。悪行のかぎりを尽くした男の罪滅ぼしのための想像を絶する長年月にわたる刳貫(こうかん)工事(トンネル掘削)とその男を親の仇討ちとして探し回る男の物語。前者は市九郎、後に入信し了海、後者は実之助。実之助は長年にわたる全国行脚の果てについに市九郎にたどりつくが、二十年以上にわたるトンネル工事は貫通間近である。
  下級武士であるらしい市九郎は実之助の父で主人の三郎兵衛を切り合いの末、殺害してしまう。三郎兵衛の愛人と関係を持ったことが三郎兵衛に露見し成敗されそうになったからで、直後よりその女との逃亡生活がはじまる。逃亡先でも殺人、強盗など女とともに悪事をかさねるが、菊池寛は市九郎が根っからの悪人ではないことを、つまり彼の一連の行いが女に引きずられた「傀儡」であることを描きとめておこうとする。女に辟易した市九郎は女のもとから逃亡し、とある寺に駆け込む。上人は自首を考える市九郎を説得して出家させ、市九郎もよく応えて苛酷であるらしい仏道修行に耐えて<道心が定まる>。つまり、悟りの境地を不動のものにして、贖罪のために<諸人救済の大願を起こし>旅に出る。他者救済をとおして自己救済につなげるという思想と思われるが、わたしは仏教については不案内だ。江戸期の仏教寺が罪人をかくまうことがあったのかも、よくわからない。
  了海(市九郎)は豊前国の山国川の渓谷沿いの村にたどりつく。交通の危険な場所で、急峻な崖にそって作られた「鎖渡し」と呼ばれる「橋の道」が唯一の移動手段で、詳細は不明だが、どうやら数本の丸太を鎖で組んだだけの簡易な造りで、人馬の落下事故が多く、ときには年間十人もの死者がでるという。了海のなかで<大誓願が、勃然として萌した。>絶壁をトンネルで貫通させようと決意するのだ。贖罪にふさわしい、身命を捨てるにふさわしい難行ではないか。了海は鑿と槌による絶壁とのその格闘を、憑かれたように延々とつづける。眼も見えなくなり老衰もすすむが、最初は冷淡だった村人や地元の藩も手を貸して、生き仏として尊敬されるに至る了海である。市九郎を探し当てた実之助も仇討ちに込められた長年の執念をおろそかにしまいと念じつつも、仰ぎ見るような大工事に心を動かされざるをえない。
  菊池寛は編の中ほどでの転換が巧い。「恩讐」では市九郎が寺に駆け込む場面。以後、市九郎は変貌し、さらに実之介の視線から市九郎(了海)の衰弱と執念に支配された人となりが描かれる。市九郎はまったく動ぜず、実之助と出会った瞬間に死を覚悟する。先にとりあげた「忠直卿」では彼が臣下の話を立ち聞きする場面で、以前と以後で話ががらりと変わる。
  菊池寛は武士の身分制度や仇討ち制度に批判的なようだが、議論をすすめてそこにたどり着かせようとするのではなく、個人からみられた真実の発見とそれに起因する心の劇的変化をつうじて、ごく自然である如くにその結論に導こうとする。人は柔軟でなければならず、思想は頑なであってはならない。これは、今日の死刑制度の賛否にもつうじる問題である。殺された被害者の身内が殺人犯たる加害者にどう向き合うか、彼の贖罪意識の深浅をみるべきかどうかという問題にかかわってくる。

初出「忠直卿行状記」『中央公論』大正七年(1918)九月号
「恩讐の彼方に」『中央公論』大正八年(1919)一月号

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