大洋ボート

冒険者たち(1967/フランス)

  冒頭の場面、ジョアンナ・シムカスがうず高く積まれた自動車のスクラップの間の道をゆっくりと歩いている。スクラップに興味ありげの様子だ。観客は両者にどういう関係があるのかすぐにはわからないがやはり興味をもたされる。これだけでも引き込まれるというものだ。やがて建物にたどりついてシムカスは「店主」らしいリノ・バンチュラに会い、スクラップを売って欲しいと頼むが、バンチュラは売り物ではないとにべもなく断る。急ぎの用があるらしく、トラックに乗り込んで立ち去ろうとするバンチュラ、そこをなおも売却を依頼するシムカス。バンチュラは受け付けないが、シムカスは美人だ。シムカスに惹かれたのか、以後の作業の手伝いをシムカスに依頼し、シムカスも引き受けてトラックに同情する。やがてトラックは広場に到着すると、二人はポールでゲートらしきものを組み立てる。そこへ複葉飛行機が飛来してきて、組み立てられた狭い面積のゲートをすれすれに潜り抜ける。後にわかるが、飛行機はパリの凱旋門を潜り抜ける練習を繰り返すのだ。バンチュラはその手伝い。
  長く書いてしまったが、バンチュラは廃車になった車の部品を選択してレース用のエンジンを開発している。ジョアンナ・シムカスは同じく廃車の部品を使って溶接でアートをつくる芸術家。また複葉機を操るのはアラン・ドロンで、腕自慢のパイロットだ。こういう3人の立場をセリフで説明するのではなく、映像のつながりで少しずつ観客にわからせる、ここがこの映画のたいへん心憎いところのひとつだと思う。題名は「冒険者たち」だが野心家と言い換えてもいい。アラン・ドロンの曲芸飛行にしても危険で、シムカスのアートもよい値段がつくかわからない。バンチュラのエンジン開発もうまくいく保証はなく、確実性はいずれも少ないと見えるが、これが当人たちがいかにも楽しそうで、やりたいことを夢中でやっているようで、その空気がほんとうによく表現されている。娯楽映画としての面目躍如だ。飛行訓練の後、その余韻を楽しむかのように、走行するトラックすれすれに飛行を繰り返すドロン。観客をひやりとさせるのがまた心憎いのだ。
  詳述は避けるが、三人の目論見はいずれも頓挫する。ルーレット賭博にも手を出すがこれも失敗。さてどうするかというと、アフリカコンゴ沖の海底に財宝が眠るという噂をあてにしての現地へ飛んでの探索がはじまる。金はまだあるのかなどという疑問に対する説明はなく、省略されている。なくてもいい、そこがまた娯楽映画の小気味よさだ。そして、ここでも楽しくて仕方がないという空気は持続する、というよりもさらに拡大する。舟をチャーターしての潜水の日々だが、釣で食糧を確保して宴会さながらである。三人が水をかけあってじゃれる場面など印象に刻まれる。ああ、こういう短い日々が自分の人生にもあったらなあと、羨ましさを喚起させられずにはいられないのではないか。野心家同士の友情。それに美人のジョアンナ・シムカスが間に居るということで、男二人は別天地の気分ではないだろうか。財宝など見つからなくてもいいやとも観客に思わせるに十分だ。
  だが財宝の噂はあまねく知れ渡っているらしく、彼等三人をつけねらい強奪しようとする一味があらわれる。ここから殺し合いがはじまり、人間関係も少し複雑になるが、前半部の面白さの勢いでどんどん押していける。ドロンとバンチュラのそれぞれの情の厚さも頷ける。海底のシーンもふんだんに出てくるが、これまたうつくしいとしか言えない。この映画、レンタル店にも置いてあったが、スクリーンで見たいという思いがあって長く保留していたが、今回それがかなって満足した。
   ★★★★★

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アラン・ドロン、リノ・ヴァンチュラ 他

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『万葉集』巻八・1447、1475,1484,1498,1500

世の常に聞けば苦しき呼子鳥声なつかしき時にはなりぬ(1447)


  以前にもとりあげた大伴坂上郎女の歌であるが、後註に「右の一首、天平四年三月一日佐保の宅(いえ)にして作る」とある。天平四年は732年。佐保は現在の奈良市北部で、坂上郎女の住居の所在地。坂上郎女の生没年は未詳だそうだが、700前後~750以後とされている。仮に生年700年とすると天平四年には満32歳を迎えることになる。私の印象では意外に若い。また家系では前年の天平三年に異母兄の大伴旅人が他界しており(≒66歳)(665(天智天皇4年)~731)、大伴家の後継者と目された大伴家持は天平四年においては(718(養老2)~785)若干14歳である。旅人の妻の大伴郎女も旅人よりも先に亡くなっていたので、坂上郎女は大友家全体を取り仕切り面倒を見る刀自(とじ=主婦)としての役割を担わなければならなかったようだ。とりわけ家持の後見人として家持にたいしては心を砕いたと思われる。また二人の共通する歌作りの分野でも坂上郎女は家持の師匠格であった。二人の間には親密な交流があり、のちに坂上郎女は長女の大嬢(おほおとめ)を家持に嫁がせている。

なにしかもここだく恋ふるほととぎす鳴く声聞けば恋こそ増され(1475)
ほととぎすいたくな鳴きそひとり居て眠(い)の寝らえぬに聞けば苦しも(1484)


  1475は「なにしかもここだく恋ふる」で切れる。どうしてこんなにもひどく恋焦がれるのか、の意。それでもほととぎすの声を聞くと恋心が募ってきて冷静でいられない。鳥の鳴き声を恋心をそそのかしさらに増幅させる生理に直結するものとして象徴させている。鳥の声は恋の相手ではなく、自分のなかにある押さえ切れない恋心だ。1484も鳥の役割は同じだ。坂上郎女は明らかに恋のさなかにあって困惑に見舞われていることを告白している。「恋」という言葉の範囲はひろく、同性同士の親密さが高じたときにも用いられるが、ここではやはりせまい範囲での異性間の恋であり、しかも実現不可能であるがゆえに押しとどめなければならない、隠さねばならない恋だとみなしたい。
  それでは恋の相手は誰か、字面のうえではまったく不明だが家持の可能性も捨てられない。勿論、歌集中にまったく出てこない人物であることも考えられるが。坂上郎女と家持の年齢差は18歳で、また叔母と甥の近親者同士であるが、そんなことはいっこうに恋の妨げにはならない。現に坂上郎女は異母兄の大伴宿奈麻呂(すくなまろ)に嫁いだこともある。また男性であれば30,40歳ほどの年下の女性を娶ることも可能であったようだ。ただ女性においてはあまりに年下の異性を大っぴらに奪うことは文化習慣的に許されなかったのだろう。生理的欲求としては男女間に大きな差はない。また家持の意向も当然汲んで家持との結婚を断念せざるをえなかったのだろう。しかしながら家持をいつも自分の傍に置いておきたいという欲求が、長女を彼に嫁がせるという決定に赴かせたのだと思いたい。坂上郎女の家持への恋心、これは可能性としてあるという以上ではなくて私としては強弁するのではない。家持は紀郎女、笠郎女らの女性と関係したことが歌集にみえるが、坂上郎女はやきもきしたのかもしれない。いっぽう家持のほうは坂上郎女の恋心に気づいたのか、十代の青年だから露ほども頭に浮かばなかったのか、疎かったのか、気づいても気づかないふりをしつづけたのか。

暇(いとま)なみ来まさぬ君にほととぎす我かく恋ふと行きて告げこそ(1498)

 

  恋の相手はときどきは坂上邸を訪れたようだが、しばらく「暇なみ」(相手が忙しいので)その訪問が途絶えた。だから没交渉でありながら、とおくから憧れを持って眺めつづけたという類の相手ではない。この歌のほととぎすは伝令役であるが、それだけでもない。鳥が人の言葉を話すわけもなく、坂上郎女が恋心の象徴として日々聞くのと同じ位置づけで相手に聴いてもらいたい。しかしながら相手にはただたんに小うるさい鳥の声としか受け取られないかもしれない。そういう甲斐なさ、寂しさがふくまれているとみる。

夏の野の繁みに咲ける姫百合の知らえぬ恋は苦しきものそ(1500)


  同じく坂上郎女の歌。いたいたしい。「姫百合」は小ぶりの百合で濃赤色の可憐な花だという。小さいから茂みのなかでは見分けにくいので、「姫百合の」までの三句を「知らえぬ」の序とした。知らないのは恋する相手である。もし相手が知ってしまったならなんらかの発展があるのかもしれないが、ほとんど期待できない。
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『万葉集』巻八・1454,1455,1466,1479

波の上ゆ見ゆる小島の雲隠(がく)りあないきづかし相別れなば(1454)
たまきわる命に向かひ恋ひむゆは君がみ船の梶柄(かぢから)にもが(1455)


  作者は笠金村(かさのかなむら)で、遣唐使に任じられた多治比広成(たぢひのひろなり)という人との別れを惜しんだ歌。笠金村は有名歌人で多治比広成は高級役人である。二人の関係の詳細はわからないが、歌を見るかぎりでは、笠金村は多治比広成にひとかたならぬ友情を寄せていたようだ。(身分がいちじるしく異なれば「友情」という言葉は不適切になるが)長歌にたいする反歌二首。ときに天平五年(733)四月、多治比は難波潟(大阪)を船出し、笠が見送った。大勢の人が見送りに集まったのであろう。長歌の大意は「忘れたこともなく私が命がけで思ってきたあなたが、天皇の命令によって難波から大船に乗って舵をいっぱいとおして、白波の立つ荒海を島伝いに遠ざかる。とどまる私は幣を手向けて神に祈り斎戒(物忌み)をしてあなたの無事を願いながら、あなたを見送ろう。はやくお帰りなさい」という。
  1454番では、多治比の乗った舟乃至は多治比その人を雲に隠れて見えなくなる小島に喩えている。そしてそう歌った第三句までが「あないきづかし」の序詞の役をも担うという。「あないきづかし」はため息が出るほどせつないの意で、この歌の中心の言葉。感情の揺れのなかに一気に落ち込むようだ。また港から見送る立ち居地を、反歌では遠ざかる小島を未練たっぷりに眺めつづける船上へと転換させた。この転換もあざやかで新鮮だ。
  1455番は女性的な外観の歌。あなたを命がけで恋するよりは舟の梶の柄になっていつまでも傍にいたい、という。「恋ひむゆは」のユは「~より」の意。「にもが」は「~でありたい」。この歌をとりあげたのは「恋ひむ」(恋ふ)という言葉が男性同士の間で使われていることに気を留めたからだ。迂闊なのか、私は「恋」という言葉にたいして男女間の性的願望や連想をともなう関係としてのみイメージすることが多い。無論「片思い」も含めてだ。しかし友情の深まりからせつなさに達することにも「恋」という言葉が、少なくとも上代においては大いに使われることを、この歌から知らされた。私自身が今後「恋」をそういう対象にまで広げて使用することは無いとは思うが。上代においては「恋」は性的願望の強さや可能性をともなっても使われるが、必ずしもそればかりでもない。性的関係が実現不可能であっても、また禁忌が意識されたとしても、ずっと離れずにいつも傍にいたいという感情の高まりによっても使われる。同性間でも異性間でもだ。

神奈備の磐瀬(いわせ)の杜のほととぎす毛無(けなし)の岡にいつか来鳴かむ(1466)


  作者は志貴皇子。作られた歌は数少ないが、繊細で少し感傷的で悲しみが滲み出してくるところに志貴皇子の歌の独特の味わいがあると思う。例示すれば「葦辺行く鴨の羽がひに霜降りて寒き夕へは大和し思ほゆ」(巻一・64)「石走(いはばし)る垂水の上のさわらびの萌え出づる春になりにけるかも」(巻八・1418)。後者も歓びの表現で、悲しみはないが繊細だ。そういう作者だと意識するとこの歌もまた繊細で、悲しみさえ伝わってきそうだ。「神奈備」「磐瀬」「毛無」と短歌にはめずらしく地名が三つもちりばめられている。(いずれも大和地方近辺ということ以上には所在が確定できないという)そして季節も十分に到来して、やってきてうるさく鳴いてもよさそうなほととぎすがまだ来ないという。ただそれだけの意味内容の歌だ。作者は「毛無」のごく近くに住んでいて、そこで鳥が鳴いたならわかる。また「神奈備の磐瀬の杜」も訪れたことがたぶんあって、そこで季節になるとほととぎすが渡来してきて盛んに鳴くことも承知している。
  悲しみが仄見えるのは、ほととぎすが地元の地へまだ来ないという志貴皇子にとっての自然の小さな異変が、それ以上のものとして意識されているように映るところにある。社会的な中心部から自分だけが除け者にされたような、それを覆すことができずに耐え忍ぶしかないような寂しさを読者に触れさせるのではないか。多くの人が指摘するように志貴は天智天皇の皇子であって、壬申の乱を経過した後には代々の天皇は天武系が独占し、志貴皇子にとっては不遇の時代だったと言え、この歌にもそれが反映しているとみることもあながち否定はできない。

隠(こも)りのみ居(を)ればいぶせみ慰むと出で立ち聞けば来鳴くひぐらし(1479)


  大伴家持の作。家にばかりいても心が晴れ晴れしないので気分転換のために外出をすると、蝉が来て鳴くのを聞いた、の意。それほどいい歌ではないだろう。最近は酷暑がつづくので涼を呼ぶような歌はないかと思ったが、これまでみてきた万葉集のなかにはそれにふさわしい歌は見当たらない。「納涼」はこの時代には歌作りの材にならなかったのか。
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