大洋ボート

『万葉集』巻三・390,396、408,414

軽の池の浦廻(み)行き廻(み)る鴨すらに玉藻の上にひとり寝なくに(390)


  作者は紀皇女(きのひめみこ)。天武天皇の皇女であるが伝承は不明らしい。池を泳ぎまわる鴨にたとえて、鴨でさえ一人では寝ずに伴侶といっしょに寝るのに、私は一人で寝なければならないことだ、という寂しさが歌われている。歌の感触からするとこの「ひとり寝」は固定的でかなり長期にわたって持続するのではないかと作者によってとらえられ、慨嘆されている。伴侶と死別したのか、生き別れなのかは不明だが、大きな恋愛が充分に遂げられないままに終わってしまったという事態をまっすぐに見据えている。人生の大きな転換点を迎えて現在があり、静止的だ。

陸奥(みちのく)の真野の草原(かやはら)遠けども面影にして見ゆというものを(396)


  作者は笠女郎(かさのいらつめ)で「大伴宿禰(すくね)家持に贈る歌三首」のうちの一首。「陸奥の真野の草原」は現在の福島県南相馬市にあたるそうだ。そんな遠い地でさえ心に思えば姿が見えるというけれども、あなたの姿はうまく思い描けない、寂しい、早く会いたいということだろうか。終わったのではなく、現在進行形の恋愛の心情で、やはり浮き浮きしたところが感じられるし若さもある。      
  その大伴家持が大伴坂上大嬢(さかのうえのおほおとめ)に贈った歌が次に引くもの。ちなみに「大嬢」は長女をさし、大嬢の母は大伴坂上郎女(さかのうえのいらつめ)で家持の父旅人の異母妹であり、父は大伴宿奈麻呂(すくなまろ)で、旅人の弟にあたる。後に大嬢は家持と結婚するそうだが、大嬢の父母と同様たいへん血の濃密なつながりである。家持と大嬢はいとこ同士になる。

なでしこがその花にもが朝な朝な手に取り持ちて恋ひぬ日なけむ(408)


  あなたがなでしこの花であったらよいのに。そうしたら毎朝手に取り持って恋しない日はないだろう、離れている今よりももっともっと恋することができて、私は幸福の極みだろうという意か。青春の日のラブレターにあたるのだろう。笠女郎の歌もラブレターだが、寂しさ、一途さが感じられるのにたいして家持のこの歌にはそれよりも恋する感情を相手に伝えることそのものの楽しさがありそうだ。おそらくは大嬢を十中八九手にいれることができるだろうという楽観があるのだ。大友家は名家で、家持という人も裕福であったにちがいなく、異性へのあこがれに目覚め始めたころにはこうしたラブレターを多くの女性に贈ったのではないか。

あしひきの岩根こごしみ菅の根を引かば難(かた)みと標(しめ)のみぞ結ふ(414)


  同じく大伴家持の歌だが、誰(女性)を意識して歌ったのかは不明。「岩根こごしみ」は岩がごつごつして険しいので、の意。女性=菅の周囲の監視のきびしさを指し、第5句の「標のみぞ結ふ」にかかる。「標結ふ」とは印をつける意で、ここでは女性と将来を約束することにあたる。みだりに手を出せないのでひそかに約束だけをしておこうということだ。そうすれば必ず将来女性をものにすることができる。菅という植物はもともと根を深く張って引き抜きにくいものだそうだが、それを女性にたとえ、さらに女性自身ではなくその家族の監視を岩のごつごつしたさまになぞらえた。私はこの歌でも家持の女性にたいする楽観性を受け取る。家持の身分の高さや裕福さ、さらに家持自身の女性に持てるという自信があったのではないかと推測するからである。この歌にはそれらからくる余裕が感じられる。もしもその女性が手に入らなかったとしてもスペアはいくらでもあるというような。逆にいえば、私の伴侶はどうしてもあなたでなければならないという切羽詰った感はうかがえないのだが、どうであろうか。
  当時は一夫一婦制ではなく、とくに男性においてはそれにもとづいた道徳観もなかったであろう。笠女郎の家持に贈った歌三首のなかに「奥山の岩本菅を寝深めて結びし心忘れかねつも」(397)があり、414と言葉がかさなる。そこから414は家持が笠女郎に贈り返した歌ではないかと推測したくもなるのだが、さすがに大伴坂上大嬢に贈った歌と近接して並べるのをはばかって、家持自身か編者がぼかしたのだろうか。
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『万葉集』巻三・375、430

吉野なる夏実の川の川淀に鴨そ鳴くなる山影にして(375)


  注釈なしでは読みまちがえそうだ。「鳴くなる」の「なる」は聴覚を示す助動詞で、したがって鴨の姿は直接は作者・湯原王(ゆはらのおほきみ)には見えず、その泣き声で鴨が川淀にいることがわかるということだ。何故か、山が「影」になって川淀と作者とを隔てているから。「影」は日の当たらない場所をさすのではない。水鳥の鳴き声が聴こえるのだから、大きな山が間にあるのではないだろう。小山か、大きい山であってもその裾野に作者はいるのであろう。だから川は部分的に作者の目にあってもおかしくはないが、その見える部分には鴨の姿は無いということになる。
  しんみりとさせるいい歌だと思う。吉野、夏実、川淀と歌の関心の対象がしだいに狭まっていって「鴨そ鳴くなる」で少し元に戻る。そして最終句「山影にして」で、どっしりと動きをとめて歌が安定する。映画のカメラの動きにたとえればしだいにアップになって少し戻り、最後には動きを止めるということになるか。何回も口ずさんでみる。すると私は鴨の鳴き声がどんなものか知らないが、なにかしら哀愁を帯びた響きを連想する。

やくもさす出雲の児らが黒髪は吉野の川の沖になづさふ(430)


  「溺れ死にし出雲娘子(をとめ)を吉野に火葬(やきはぶ)る時に、柿本朝臣人麻呂の作る歌二首」と題があり、その二番目の歌である。一番目は「山のまゆ出雲の児らは霧なれや吉野の山の峯にたなびく」(429)である。当時は火葬は一般的ではなく、たいへんめずらかったそうだが、それだけ丁重に葬ったということだろうか。注解では出雲娘子(固有名詞ではなさそうにも思えるが、そう呼ぶしかないとしてもやはり特定の女性を指すのだろう)という女性が入水自殺を遂げた可能性を記している。溺死=事故死とも解釈できないことはないが、どちらにしても痛々しく同情を誘わずにはいられない歌ではないだろうか。人麻呂は火葬に立ち会ったのだろうか。429は火葬の煙を霧に喩えて、どちらかというと写実的だ。無論「霧」に出雲娘子の悲痛な霊を透視しているのであろうが。430はそれにたいして、もしかしたら人麻呂の想像力が読ませたかもしれないとの推察に誘われる。実際に溺死の現場を見た可能性は捨てきれないのだが。溺死体を「黒髪」と表現することがまさに詩的に抽象化されたすぐれた句で、目を見張らずにはいられない。死んだ女性の長髪が川面に広がるさまを映像として浮かべるべきだろうか。いや、歌それ自体としては、黒髪だけが独立して川面にとどまる奇妙といえば奇妙な映像が読者に迫ってくるのだ。とにかくも「黒髪」という言葉がこの歌の中心で、鑿で木肌をえぐるような鋭さがある。なお「児ら」の「ら」は複数ではなくて助詞。万葉集にときどきみられる表現。「なづさふ」は水面に浮かび漂う意だそうだ。「沖」は吉野川のような比較的狭い川幅の川には言葉として使用しにくいのではとも思うが、私としては何ともいえない。吉野川は見たことはあるが、湯原王の歌にある「川淀」と呼びうる広がりのある場所はあり、そこで遺体が流されずにとどまることはあってもおかしくはない。しかしそんな疑問など雲散するほど「黒髪」という言葉の強さに引かれる。
  [後註]中西進は430について、川の藻をみて黒髪を連想した可能性を記している。
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雪に願うこと(2005/日本)

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(2006/11/10)
伊勢谷友介、佐藤浩市 他

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  私は犬が苦手だ。特に図体の大きい犬になると噛まれそうな気がして少し恐怖感がわいてきて、身体が緊張する。飼い主がしっかりと紐を握っている様子を視認するとやや安心するが、それでも恐怖感がさっぱりとぬぐい去られるわけでもなく、身体の芯には残っていて緊張から自由ではない。犬のほうでもこんな私に怪しげなものを体感するのだろうか、すれちがいざまもっとも距離が近接するときともなると、飼い主の紐をふりきって私につっかかってきそうなことがときどきある。飼い主は慣れたもので紐を引き寄せて犬を私に近づけまいとして事無きをえるのだが……。こんなことを書くのは、犬にかぎらず動物の側において人間を馴染みやすさの点で識別する能力が本能的に備わっているのではないかと私に思わせるからである。私の恐怖心なり警戒心なりにかぎらずともよい、人間によってひとりひとりちがうであろう身体の動きや匂いのなかから動物は好ましい種を選別する、そして好ましさで選別された人は幸福感をえられるのかもしれない。この映画ではそんな考察を心地よく想起させる場面があって、映画の転換点になっている。
  伊勢谷友介は東京で事業に失敗し、十年以上音信を怠っていた故郷の北海道に逃げるように帰ってきた。兄の佐藤浩市はばんえい競馬用の競走馬を飼育・管理する厩舎の所長である。佐藤はいったんは故郷を捨てた伊勢谷にたいしわだかまりがあり、伊勢谷もそれを知っていて、二人は互いになかなか打ち解けようとはしない。失意を抱きながら兄の厩舎の仕事を手伝う伊勢谷。だがそこで先に書いた「転換点」が伊勢谷に訪れるのだ。馬の世話を職員とともにするのだが、先輩職員が「ウンリュウ」という馬が自分たちよりもはるかに伊勢谷によくなつくことを発見する。戸惑うと同時に伊勢谷はたいへん気をよくする。視聴者もここで人間関係の重苦しさがたちまち氷解するような爽快感を味わうことができる。残念ながら、これは職員のセリフによるもので、つまりは映像によって直接馬が伊勢谷になつく様子は丹念には追われてはいないが、そこはやはり映画作法としては困難なのだろうか。
  かつては東京で華々しい活躍をした伊勢谷だったが、仕事仲間が血相を変えて追いかけてくる惨めさも味わう。気のいい職員たちに囲まれての居心地のいい逃避場所にしか過ぎなかった厩舎が「馬になつかれる」ことを発見してから、伊勢谷に前向きな姿勢を与えるのだ。仕事というと範囲は広いが、なにかしらこういう小さな幸福感をその現場からえられることが、もしかしたらあらゆる仕事にはあるのではないかと思わせる、この映画の美点だと思うのだ。
  職員は懸命になってうまの世話に取りくんでいる。騎手の吹石一恵や「まかない婦」の小泉今日子もふくめて。その懸命さを伊勢谷は「転換点」を通過することによって自分もより積極的に仕事に取り組むことによって理解し、また懸命さを共有しもするようになる。ばんえい競馬の競技の模様もわかりやすい。さらに口といわず全身から湯気を噴出して雪原を走る馬、厩舎の屋根からびっしりと垂れ下がる氷柱、これらの映像もいかにも雪国らしく爽快だ。
  ★★★★


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『万葉集』巻三・357,358,252、360,362

  私たちの人生はいくつかの分岐点を過ぎて現在ある。自分で選んだにせよ、選ばされたにせよ、分岐点においてもし別の道を歩んでいたとしたら、現在の人生は変わっていたはずである。現在の人生にとくに嫌気をささなくても感傷的な気分になって「別の人生」を空想することは誰にでもあるのではないか。あるいはもっと破壊的に、今の人生模様から逃亡して身よりも知り合いもまったくない別の町で一から出発し直したいと空想混じりに思ってみることもあるのかもしれない。大部分の人はその大儀さに辟易して思いとどまるのだろうが。そういえば麻生よう子という人の『逃避行』という歌があった。いずれにしても人生は一つしかないから、別の人生を空想してみるのだ。

縄の浦ゆそがひに見ゆる沖つ島漕ぎ廻(み)る舟は釣りしすらしも(357)


  山部赤人の歌で、「縄の浦」は兵庫県相生市の瀬戸内海に面した相生湾とされる。「沖つ島」は鬘(かつら)島という小さな島といわれる。あるテキストの注釈によると、赤人が船旅で縄の浦に到着した頃、海の方をふりかえると、小さな船がいまだに漁をしているということだ。午後遅く、そろそろ日暮れる時刻が近づくのに御苦労なことだ、という感慨がこめられている、注釈の言葉どおりではないが、そんなニュアンスだ。「そがひ」は背後。だが私が前置きで書いたような別の人生、この場合は漁民であるが、それにたいするぼんやりした憧れがこの歌には籠められているのではないかという気がするのだ。

武庫の浦を漕ぎ廻る小(を)舟粟(あわ)島をそがひに見つつともしき小舟(358)


  これも山部赤人作。「武庫の浦」は現在の兵庫県尼崎市から西宮市にかけての海岸域で、開発しつくされた現在の風景とは当然ちがっていただろう。粟島は所在不明だが、作者に視認されていて、おそらく漁労の小さな舟が武庫の浦を漕ぎまわったり、粟島を背後にして漕いだりしている。その何処へでも行けそうな自由に見える姿が羨ましい=「ともし」というのだ。「粟島」は妻に逢うことにかけられているとする説もあるようだが、私はとくにその説にはこだわらない。万葉集には朝廷に普段仕える役人が任務によって旅をしたときの歌が多数あり、海上に見える小さな舟を読んだ歌も多い。小舟が大海原に見える姿は頼りなく、心細さを喚起しもしようが、逆に自由をも連想させる。そこから別の人生を思ってみる感懐へとつながると思える。(特に「別の人生」と断らなくてもよい。小舟との距離、海上にとどまっているように見えて、実はゆっくりゆっくり進んでいく小舟、それほどめずらしくもないその風景をぼんやりと眺めいる作者の時間、そんな時間のなかで何事も心に去来しないでいられることこそ困難ではないか)柿本人麻呂にも「別の人生」を思い耽っているのではないかと思わせる歌がある。山部赤人の引用した歌の効用で思い出したので、特徴がないので見逃してしまいそうな歌である。

荒たへの藤江の浦にすずき釣る海人(あま)とか見らむ旅行く我を(252)


  「荒たへ」は「藤江」の「藤」につく枕詞。藤江は現在の兵庫県明石市西方の地名。人麻呂の身分を知らない人が彼を見て漁師と見るのかもしれないと人麻呂は思う。役人よりも身分の低い漁師に誤認されることは人麻呂にとって、はたして迷惑なことか。いやそれよりも私はやはりここでも「別の人生」への思いをきっかけを与えられて喚起させられた、そう読みたいのだ。旅は心細く、また束の間の自由な感覚をも惹起させる。なにかしら足が地に付かないふわふわした感覚に見舞われるのではないか。素直な心の吐露よりも歌における感情の高ぶりを重要視する人麻呂でさえ、という思いが私にはする。
  357から363までは山部赤人の歌が集中しているので、あと二首とりあげよう。

潮干なば玉藻刈りつめ家の妹が浜づと乞はば何を示さむ(360)
みさご居る磯廻(み)に生(お)ふるなのりその名は告(の)らしてよ親は知るとも(362)


  引き潮になったら藻を刈って集めておけ。「刈りつめ」は万葉集には少しめずらしい命令形だそうだ。「浜づと」は浜からのみやげ。自分も従者もそれをもって家に帰らなければならない。当時は男性の通い婚であったから、とりわけ食糧を持ち帰ることは男性の重要な役目であった。また、いつ帰るとも知れない夫を待ちわびる妻の悲嘆を読んだ歌も多い。362は一転してたぶん若い女性に妻=愛人になってくれと呼びける内容。「みさご」は鷲鷹目の鳥で、水面で海魚を捕らえて食べる。「なのりそ」は海草で別名ほんだわらで、「な告りそ」=言ってはならないという意味の掛詞としても使用されるそうで、三句までが4句の「名」の序詞である。テキストの口語訳は「みさごが住む 磯辺に生える 勿告藻(なのりそ)ではないがその名告ってはいけない名を 教えておくれ 母親は気づいても」となっている。女性が男性に名を教えることは身体を許すことを意味したそうで、それは結婚につながることになり、親(母)の許諾が必要であったという。結婚しよう、親の承諾は後回しでもよいではないか、という意味だろうか。留守を預かる妻のことを思いやる赤人ではあるが、歌の順番が連続する印象からくるのか、もうその思いも醒めやらないうちに別の女性にプロポーズするのだ。一夫一婦制の身分制度やそれに基づく道徳観など無かった時代であるから、赤人にはなんら後ろめたさはなかったのだろうが、現代からみると随分率直である。非難するのでは毛頭なく、山部赤人は心に浮かんだことをずばずば言葉にする人であった。
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