大洋ボート

居酒屋ゆうれい(1994/日本)

居酒屋ゆうれい [DVD]居酒屋ゆうれい [DVD]
(2003/08/20)
萩原健一、山口智子 他

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  人間には少しいい加減なところがある。しかし大部分は善意で形成されていて、善意でそのいい加減さをうしろめたく思ったり申し訳ない気持ちになったりもする。この映画が描く人間像で好感がもてた。怪談仕込みのコメディといったところだが、あまりドタバタ調に陥らずに、どちらかというと落ち着いた空気で進行するのもいい。
  萩原健一は小さな居酒屋を経営しているが、妻の室井滋に病気で先立たれる。死に際に、再婚はしないという約束を二人で交わすが、室井の死後まもなく、萩原は身内の紹介で山口智子と再婚を果たしてしまう。そこへ室井の幽霊が出現して約束を破った萩原と山口をなじり、気持ち悪がらせるという展開になる。二人はこわがって室井の成仏を頼みに寺を訪ねると、住職は幽霊を封じ込めるご利益があるという掛け軸を貸してくれる。掛け軸には滝を背にした女性の幽霊が描かれている……。
  幽霊とは現世に生きる人間が堪らないようにして生み出さざるをえなかった幻だろう。死者は現世に未練をもっている、もう少し生きていたい、生者に伝えたいことが山ほどある、まして生者の側には死者にたいする何らかの後ろめたさがある、こういう生者の死者にたいする思いやりが生み出した幻だ。また生というもののはかなさ、寂しさの感情も勿論はたらいている。死というものがなかったならば、という果たせない願いがそこには込められている。そしてこの映画の場合、室井滋の幽霊にははげしい恨みは見出せないので、表立った深刻さはない。死に際の約束を萩原が破ったというその一点だけが残念で、それ以外は愛し合い仲良く暮らすことができたというよい思い出で満たされているから、少し嫌がらせをしてやろう、困らせてやろうというという以上にはふるまわない。あまり怖がらせないどころか、幽霊の超能力を行使して窮状を救ってやることもするのだ。
  萩原は約束を破って再婚したことはどうだろう。どれくらいの割合になるのかはわからないが、再婚をしてしまう人と、かたくなに約束を守って孤独を守り通す人と二通りに別れるのだろう。私を例にとっても、山口智子のような若くてピチピチした女性が目の前に現れた場合、目の前の幸福がみえて約束を破りたくなる気になるのは想像できる。つまりは私も恥ずかしいことだが、約束にたいして心の隅々まで忠実ではないということだ、いい加減だ。実際にどうするかはその状況になってみないとわからないが。そしてそういう萩原のいい加減さにたいして室井滋は心の底では許してくれていると読み取れる。助け合いの精神がはたらいている、といえば説教調になってしまうが、ちょっと不可思議な、いい気分にはなれる。
  居酒屋の客の三宅裕司や橋爪功、そして山口智子もそれぞれ過去を引きずっている。これらが萩原夫妻の過去の伴奏になっていて効果的だ。人間誰でも屈折した体験を秘めているということだろう。俳優陣はこの映画の趣旨を理解して楽しそうに演じていて、盛りあげている。とりわけ室井滋と山口智子がよく、そのあいだで萩原健一はヤジロベエのように巧まずしてバランスをとっている。
   ★★★★
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よしもとばなな『スウィート・ヒアアフター』

スウィート・ヒアアフタースウィート・ヒアアフター
(2011/11/23)
よしもと ばなな

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   簡明な言葉で綴られていて、ちょっと手を伸ばせば届きそうな世界にも思えるが、実際にはそうではないのかもしれず、かなり高貴な世界に足を踏み入れた感覚をえた。作者の品格のなせるところであろうか。はじめは眩いばかりの「臨死体験」を主人公が見据え、それから外の世界に主人公がなじんでいくにつれてうっすらとした浮揚感に変わり、心地いい緊張感が全体として持続する。
   小夜子は恋人の洋一と同乗していた車で事故に遭い、洋一は帰らぬ人となった。小夜子も下腹部に鉄棒が刺さるという重傷を負い生死のあいだをさまよったが、一命をとりとめ二年間のリハビリ生活ののち一般人として復帰できるまでに回復する。洋一は鉄棒と木で組み合わせたオブジェを製作する芸術家であったので、その残務整理があり、小夜子は生活する東京とアトリエのある京都をしばしば往復することがしばらくつづく。また古びたアパートに住む西方あたるという人と知り合いになり、そのアパートの空いた部屋に一人住まいをすることになる。きっかけはあたるの母の幽霊を小夜子が目撃したことだった。そのほか、以前からの知り合いである酒場経営の新垣という人がいる。新垣の酒場でも小夜子はしばしば幽霊を見る。
   小夜子は洋一の死後「変わった」ようだ。外見や服装のことも最小限書かれていて知人にも変わったと思われるが、それはせまいつきあいの世界に身丈を合わせようとすることを放棄して、素直さを優先したからだという。知人らは「臨死体験」によって小夜子は変わったとわかった気でいるが、小夜子はその言葉で一般化されることを嫌う。いまにも死んで行くかという意識のなかで彼女はできれば洋一の代わりに自分が死んであげたい、自分だけが助かりたいとは露ほども思わなかった。そういう揺るぎない思いを抱きながら死の世界に引き込まれていった。「臨死体験」でよくいわれるきらきらした、それでいてぼんやりしたえもいわれない心地よさはここでも記されるが、そこには小夜子固有の洋一への思いがどっしりと付加されている。くどくどしい説明はなく、小夜子がまた作者が私はそういう人間なんだと、自然なことだとごくあっさりと表明していて、私でなくても少しはたじろぐのではないか。その思いはまた復帰後の小夜子の土台とも自信ともなる。誇らかで上品だ。
   死者との交流の世界がつづく。小夜子と洋一はほんとうに仲がよかった。将来の結婚も視野に入っていた。しかしその詳細は書かれない。亡くなった悲しみも直接性としては「泣きに泣いた」というように簡潔に記されてながくは立ち止まらない。それでいいと思う。洋一の死後、また自分が生き返ったのち小夜子の人生は「白紙」にもどった感があり、そこには不思議にも快感さえある、なにか新たなものがはじまりそうな予感が腰を下ろしている、そういう世界が待っている。死者洋一の残したかずかずの作品は、洋一その人ではないが洋一の命が投影されている。それにあらためて触れること、またアトリエを借主に明け渡すために別の倉庫に運んだり、すでに展示されている会場と連絡したりすること、これは洋一が小夜子とともにするはずであったことを小夜子が一人ですることに代わる。洋一の代行をすること、洋一の代わりに生きるということに他ならない。そこにどんな感慨が流れ出すのか、切羽詰った感情ではなく、そういう仕事をさせてもらっていることへのごく自然に沸きあがってくる感謝の念だ。自分が生きていることはもしかしたら洋一の魂がそこに乗り移っているのかもしれないなら、そうして身丈に合った幸福に少しずつ近づくことが洋一の歓びになるのだとしたら、この世界に感謝せずにはいられない。しかしこれは前向きさ一辺倒ではなく、やはり死者は死者であるから寂しいに違いなく、寂しさを芯の部分で受け止めてもいる。
   身近な死者であるからこそ死者との交流は持続する。小夜子は洋一の作品を管理するのは洋一の両親に委嘱されるからで、そのため洋一の両親との交流もつづく。小夜子は両親に接するたびに洋一の面影を見出すが、両親もまた小夜子に洋一の面影を見出す、そしてそれを小夜子が真正面から照れずに自覚することがうつくしい。涙ぐんでくる。小夜子が結婚し子供を生んだら孫のように可愛がりたいと洋一の母は言うが、お世辞ではなく正直な気持ちだろう。小夜子は洋一にもその両親にも愛されているという自覚から逃げず、ここでも厳粛に感謝の念をもつのだろう。
  死者は寂しい。冥土へ行ったきりになりたくはなく、現世への未練を断ちがたい。その気持ちを身近な生者が汲みあげ、あたかも死者が現在も生きているようにふるまう。そして単独ではなく、そういう生者同士がつながりをもって互いの死者を思いやる。死者への追悼はそんな順で広がるのだろうか。またそういう生者はこの小説ではあくせくしない。現世的欲望にふりまわされることなく、そこから身を引くように見える。実際はそうでもないのかもしれないが作者によって捨象されている。小夜子が西方あたるの住むアパートの前に来たとき、あたるよりも先にあたるの母の幽霊に遭遇する場面はわさびが効いている。その世界にすっと入って行けるというものだ。
   よしもとばななの世界は繊細かつピアノ線の丈夫さをもつ。私の粗雑な筆であまり書くと、その世界からかえってとおざかってしまいそうだ。
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ユリシーズの瞳(1996/フランス他)

  旧ユーゴスラヴィア内戦が描かれていることで、息苦しい空気が映画を支配している。『旅芸人の記録』(1975)が第二次世界大戦勃発から終結後の何年間かが舞台だったのにたいして,ここでは戦争継続中の旧ユーゴが主な舞台であるからだ。しかも主役のハーヴェイ・カイテルは映画監督で武器を持つ当事者ではなく、その真っ只中へ未発見の映画フィルムを捜しもとめて素手でさまよいこんでいく。砲弾や爆弾の音が間近で炸裂し、そのたびに死者が発生する状況で無力そのものだ。同じ内戦であっても『旅芸人』で描かれた大戦終結後の、左右の政治的主張のちがいはあってもそれぞれがギリシャの自立を目指して行動した意気軒昂さは視野にはなく、また過ぎ去った時代にたいするなつかしさも当然ながらない。
  ハーヴェイ・カイテルは英語を話すからアメリカ人のようだが、故郷はギリシャ、しかも大戦中の子供時代はルーマニアに家族とともに在住したことがあるようだ。何十年ぶりかでギリシャの土を踏んだのだが、彼の映画の上映にさいしてはそれを妨害する勢力が幅を利かせる。しかも進行中のユーゴ、というよりもバルカン半島全体の政治的不安定がギリシャにも波及して物情騒然たる気配が迫る。そうしたなか彼は若い時代にたぶん非情な運命によって離別せざるをえなかった恋人の幻影をはやくも発見する。彼がギリシャを訪れた目的は、バルカン地域の最初の映画制作者の未現像の映画フィルムを探しだすことにあり、それをギリシャの公的映画団体から委嘱されてのことであったが、それはまた一人の映画制作者としての良心であり、同じ職業の先人にたいする敬意でもある。またかつての恋人のこともかさなっての、長い期間放棄していた若い時代を軸とした自分の<原点探し>のようでもある。この旅は最後には激戦地サラエボまでたどりつくが、ずいぶん無謀に見え、疲れきってふらふらして見える。
  幻想と現実が交錯する。かつての恋人マヤ・モルゲンステルンが映画フィルム探しの旅の先々でいくつもの役に変わって出現する。映画関係の機関はどの国にもあってアルバニアではそこの職員である。サラエボでは現像技師の身内であり、その前のベオグラードではサラエボまでいっしょに船旅をする女性でもある。ほかにもあったと思う。かつての恋人であり案内役であり、また旅の孤独を癒す役も担っている。そしてそのうちの何人かとは肉体関係を結ぶ。まるでかつての恋人その人であるかのように切羽詰った表情、今にも泣き出さんばかりの表情でハーヴェイ・カイテルはマヤ・モルゲンステルンをはげしく求める。モルゲンステルンはかつての恋人そのものではないが、カイテルの熱病に伝染するかのように応じる。またカイテルが地元の現在の恋人であるかのように抱擁しあう。カイテルは長い期間抱いてきた悔いを一気に埋め合わせ解き放とうとするのだが、またかつての戦乱が現在の戦乱にかさなるのだが、やはり引きずってきた空白感はひっくり返せないという無力感がじわじわと押し返してくるように感じられた。カイテルは過去から引きずってきたやりきれない個人的運命にたいしてこれ以上はないというくらい精一杯向き合っていてその充実ぶりは、さすがにアンゲロプロスの映画だと思わせるが、過去にたいする悔いは消滅はしない、むしろ悔いそのものの存在がさらに明瞭化される、現在においてどう振舞おうともかえってそれに呼応するように過去の姿が無残に立ち現れてくる(恋人と結ばれることはなかった、結婚できなかったという意味で)、遅くともそれと戦ったということがあらたに記憶に刻み込まれる、ということになるのだろうか。だが自己満足がわずかながらそこにあるとしても最後の場面で木っ端微塵に打ち砕かれる。内戦下という運命から逃れられないのが、そこに暮らす人間だからだ。
  戦乱を個人が阻止することなんてできない。武器を取って相手をいちはやく捻じ伏せてしまえればよいが、そこにおいても個人の力はちっぽけである。戦乱に背を向けつつ個人的な使命が発見できればこつこつそれに埋没するしかないのかもしれない。
  暗鬱な映像がつづくなかで唯一明るさをもたらしてくれるのが、巨大なレーニンの石像が解体されクレーンで吊るされてやがて船で運ばれる場面である。ゆっくりと川を移動する船のレーニン像を岸にいる人々が圧倒されたように眺める。岸沿いを小走りに追いかけたり、十字をきって頭をたれたりする。ソヴィエト社会主義による国家支配が打倒された歴史をその国(東部ヨーロッパ)の人々がわがこととして眺めるのだ。勿論レーニン像が解体されたからといって戦乱が収束するのではなく、かえってその重石がとれたことによって戦乱が勃発することもないとは限らず、現に旧ユーゴではそうなってしまったのだが、人々はそこにわずかながらでも歴史の進化を眺めているのではないか。社会主義支配は現実であったが、その思想を信奉したことはまちがいではなかったか、幻ではなかったか、という想いが胸を去来するのではないか。ここでも<幻想と現実>が現実の場面そのものとして交錯するのだ。じつは私は『グッバイ、レーニン』(2003/ドイツ)でレーニン像の首がヘリコプターで運ばれる場面に出会っていたく感動したのだが、こちらのほうが先であった。
      ★★★★★


テオ・アンゲロプロス全集 DVD-BOX II (ユリシーズの瞳/こうのとり、たちずさんで/シテール島の船出)テオ・アンゲロプロス全集 DVD-BOX II (ユリシーズの瞳/こうのとり、たちずさんで/シテール島の船出)
(2004/06/19)
ハーヴェイ・カイテル、マルチェロ・マストロヤンニ 他

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