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ケビン・メア『決断できない日本』

決断できない日本 (文春新書)決断できない日本 (文春新書)
(2011/08/18)
ケビン・メア

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  私は抑止力という名の軍事力の存在を肯定する者である。とくに昨年の尖閣列島付近での中国漁船の海上保安庁の巡視船にたいする体当たり事件の報に接したときにはあらためてそう思った。尖閣列島の領有権は日本に帰属することは明らかであるが、中国は後出しジャンケンのようにその領有権を主張しだした。中国漁船の船長もそのことに意を強くしての暴力的な行動であっただろう。尖閣列島のみならず、中国は南シナ海の島嶼の領有権も主張してベトナムやフィリピンとの争いをこじらせている。尖閣の件は海保が中国人船長を逮捕したことでケリがついたが、もしアメリカ軍が沖縄に存在しなければもっと中国は強硬な態度に出るのかもしれないとも思った。(その後、船長は「那覇地検の判断」によって釈放されたが、釈放自体は私は賛成であったが、中央の政治判断を回避する形で責任を一地検に押し付けたことはおおいに疑問であった)
  著者のケビン・メアが言うように非武装では国の平和と領土は守れない。アメリカ軍は戦後以来ずっと日本に居座りつづけたという言い方もできるが、日本に憲法9条があるかぎり、日本独自で十分な攻撃能力をもった武装はできない。そこで日本はアメリカと安保条約を結び、アメリカ駐留軍を抑止力とした。だがアメリカ軍は日本を守るためにのみ日本に存在(プレゼンス)するのではない。アメリカは日本に嘴をはさませないところで独自の世界戦略を構築するので、それに基づいてのアメリカ軍の存在なのだ。アメリカ軍は十分な攻撃能力を有していて「有事」の際にはそれが中国や北朝鮮に向けられることは可能性大だ。(みずからも明言している)またアメリカ本国からアジア・中東方面に軍が移動する際の中継基地としても機能する。つまりアメリカはその軍事行動を事前に日本に了解をとりつけようとしたり情報提供することがあったとしても、最終的にはアメリカが決定権をもっているので、それを「抑止力」として日本独自では動かせない。またアメリカの軍事行動が100%妥当であるともかぎらない。「有事」においては、日本はアメリカにふりまわされることになる。にもかかわらず、アメリカ軍の存在は必要だと私は考えざるをえないのだ。日本がかつて共産主義よりも資本主義を選んだからであり、現在「共産主義」の思想的衰えは顕著だが、いまもって中国やロシアは国家のありかたや社会ルールが日本とはあまりにもちがいすぎる、人権軽視の国であることが眼に見えるからだ。軍事同盟のような深い関係を結ぶなら、まだアメリカのほうがましだと誰もが判断するのではないか。勿論アメリカという国のありようが全部いいとは言わない。
  ケビン・メアは在日歴19年の長きにわたるアメリカ外交官である。また日本人女性を妻とする親日家でもある。最近の主な経歴でも2006年から沖縄総領事、2009年から国務省日本部長という要職にあった人だが、「沖縄はゆすりとごまかしの名人」という共同通信の捏造記事によって気の毒にも解任された。本書でもその発言の率直さが発揮されているが、沖縄の基地反対派や左翼的思考の持ち主からは攻撃のターゲットにされたようだ。だが彼は外交官だけあってアメリカの立場をわきまえていて確信的でぶれることはない。だから遠慮して日本人に奇妙な誤解を与えることもないのだ。たとえば鳩山元首相が首相当時、普天間基地を「最低でも県外に移設する」と公言したが、言下にこれを否定する。普天間の海兵隊と嘉手納の空軍と司令部は一体の運営でなければ機能を果たせないという。ここはメアは非軍人だから詳しい説明はないが確信的で、たぶん地理的に近接することが必要なのだろう。普天間の移設先がかりに見つかったとしてもアメリカ側は単独移設にはNOと応えたであろうことが容易に想像できる。鳩山内閣当時の岡田外相は普天間の嘉手納への合体を模索したことがあったが、これにもNOである。嘉手納は空軍で満杯状態で、海兵隊を受け入れる余地はないとのことだ。私も不勉強で、当時の鳩山首相に秘策があるのではと淡い期待を抱いたものだったが……。それ以前の自民党政府とのあいだで決定された辺野古沖移設案が最良だとのメアの見解はアメリカ政府と軍の主張でもあるだろう。鳩山の放言が沖縄県民の感情をこじらせたことは明らかだ。
  メアはまた日本に核をもてとか、憲法を改正しろとはいわない。現実に即した視線であるだろう。また安保条約を「片務的」とは言わずに「非対称的」と呼ぶ。これは日本が何もしないという安保に対する見方「安保ただのり論」を否定するものである。日本には基地を提供し、有事には民間施設まで提供し、後方支援も義務付けられているからで。何もしないのではない。日本が直接の軍事行動にたずさわらないから、アメリカ本土に日本の基地がないから「非対称」なのだ。
  ただメアの意見に感心するだけではいけない。沖縄や本土の一部地域にアメリカ軍基地があることは、その周辺住民に土地収奪や騒音やアメリカ兵の犯罪などで苦痛を強いることは重い事実で、アメリカ軍を礼賛する気にもたやすくはなれないものだ。基地周辺住民の犠牲のうえに立って私は安穏としているのかもしれない。まさに心理的には「安保ただ乗り」である。国際政治のこういう冷厳な現実をときどきは直視しなければならない。
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榊原英資『世界同時不況がすでに始まっている!』

世界同時不況がすでに始っている! (2時間で未来がわかる!)世界同時不況がすでに始っている! (2時間で未来がわかる!)
(2010/12/13)
榊原英資

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  経済のことはわからないことが多いが、題名の主張は巷間においてほぼ一致するところだろう。本書の概説においてもとくに異論をさしはさむ余地は、私にはみうけられなかった。そこで、本書ではじめて接したり印象にのこった部分を中心にとりあげたい。
  まずは現在のデフレと円高の状況について。榊原は、これは当分の間はつづくとみる。中央銀行の金利は、日本銀行をはじめとして世界中でほぼゼロ金利で、これ以上下げる余地はない。また金融緩和は十分に実行されていて、市中の通貨供給量は十分過ぎる状態だ。デフレの主たる原因は経済のグローバル化にある。つまり日本と中国ならば同じ製品の価格が同じ価格帯に収斂していく。またコンビニ店員のような同一の労働でも同じ賃金の領域に収斂していく。その結果、日本の物価や賃金は下がり、逆に中国の物価と賃金は上昇する。だから通貨供給をより増やしてデフレを脱却しようとする「インフレターゲット論」は的外れで有効ではないというのだ。現在、テレビの討論番組などをみると、よりいっそうの金融緩和を主張する識者がいるが(たとえば「政府紙幣」の発行を喧伝する高橋洋一氏)榊原はどう反論するのだろうか。過剰な通貨発行は弊害をもたらすとたぶん言いたいのだろうが、その辺を突っ込んで論じてもらいたい気がした。ただし、榊原はよりいっそうの国債増発はOKで、消費税増税も今ただちにやる必要はないと説く。
  円高ドル安については、以前のアメリカは「強いドル」を望んだが、今は逆で、投資銀行をはじめとする世界を相手にした金融による大儲けの時代は終わった。そこで金融機関の救済のためにドル(国債)の大量発行の必要がある。またそれと並行して輸出振興のためにドル安の容認でもある。アメリカのドルの大量発行は自国救済のために必然ということだろう。ヨーロッパにしてもギリシャ危機をはじめとしてユーロの信用はがた落ちしていて、円高ユーロ安となっている。この状況も当分の間は変えようがないと榊原は説く。ここでも円のよりいっそうの大量発行という処方箋があることを私は思い出すが。
  本書は2010年12月に発行された。したがって今年の「歴史的な円高」の局面以前であるが、さすがに「ミスター円」とかつて呼ばれたこともあって、今年における円の最高値突破を予言している。瞬間値として70円そこそこ、60円台という予想はさすがに外れたが。また榊原は95年4月に記録した1ドル79円75銭というかつての史上最高値のほうが、現在の円高水準よりもはるかにきびしいものであったとも記す。物価上昇などを加味した「実質実効為替レート」なるものがあって、それに基づいて換算すると95年の円高は現在値に置き換えると60円程度であった。だから現在の円高水準はそれほど危機的な水準ではないというのだ。それよりも榊原が説くのは円高メリットだ。マスコミはデメリットの側面を強調するきらいがある。円高によって原材料の輸入価格が下がって得をしている大企業もあるだろうが、それはあまりにとりあげられない。また海外の企業を安く買収できるチャンスでもある。また技術面に自信のある中小企業には海外進出のチャンスでもある。いつまでも大手企業の下請けに甘んじていれば利益が先細りするばかりである。
  マクロ経済に関する部分をとりあげすぎたが、私が一番興味を持った個所は福祉政策の部分だ。榊原はアメリカ型の小さな政府でもなく、スウェーデン型の大きな政府でもなく、フランス型の大きな政府を大いに参考にせよと説く。日本では福祉というとすぐ思い浮かべるのは高齢者であるが、ここでは若年層への子育て支援についてとりあげられている。日本でも民主党政権になってから「子供手当て」が実施されたが、フランスではもう少し規模の大きいものとして既に実施されているという。ここは噛みくだくのが煩瑣であるが、日本よりも手厚い金額であり、手当てだけではなく、子供のいる(2人以上?)家族は、子供の数が多いほど所得税が安くなる制度もある。その結果として、出生率が向上したという。(1995年 1,65 2008年 2,02)少子化対策として効果を挙げたのだ。また日本は出産、育児、教育に対する公的支援が先進国中最低レベルにあるという。消費税増税は後回しにし、国債を増発してでも、この方面での福祉政策を充実させよとの榊原の提言である。勿論、生活や文化土壌のちがいがあって、フランスと同じことをやったからといってフランスと同じ結果がもたらされるとはかぎらないことも断ったうえでの提言である。
  日本もこれから低所得の人が増えていくのだから、子供をつくることがしんどくなる。思い切った対策が必要なことは私も賛成である。そのための何年か先の増税なら仕方ないなと思う。しかしそのさいは消費税10%では足りず、20%は必要であるという。

    14:08 | Trackback : 1 | Comment : 0 | Top

アントキノイノチ

  園子温監督の『恋の罪』を見たあとだからなのか、映像の流れがぎくしゃくしている気がした。カットごとの時間が微妙に短すぎる、次のカットがいきなり始まってしまう、そんな印象を持った。また人物の被写体にカメラが近づきすぎるのではないかと思った。カメラが単に近づけば人物の心のなかに近づけるというのは嘘だろう……。私が神経質なのかもしれないが、こういうことが気になるとなかなか映画のなかに入っていけなくなる。
  舞台は遺品回収業の会社。孤独死した人の遺品を整理・回収するのが業務で、遺体のほうはすでに別の業者によって処理されているらしい。「おくりびと」がその様子を描いていたが、似たようなものだ。遺品は家族をはじめ縁者がいれば引き渡すことが可能だが、断られれば大部分は焼却処分しなければならない。子供を捨てて家出をしたらしい女性の遺品には、子への出しそびれた手紙が大量に残されていたりする。つまりは、その会社の社員は死に様の典型的な例をそのたびごとに目撃することになる。新入社員の岡田将生にとっても考えさせられる日々だ。
  とくに岡田にとっては高校時代の苦い体験がある。いじめ好きの変質者によって自殺に追い込まれた友人がいた。その変質者は岡田にも牙を向けてきて、岡田はいっときはその男に殺意を抱いた。岡田はそういう体験によって何年間か精神疾患に陥ってしまった。社員の榮倉奈々も「いじめ」というのではないが、同じく人命にかかわる苦い体験を経てきている。岡田と榮倉のなかで自分の近い過去における人命と、仕事によって見せつけられる人命のあり方が二重写しになり、二人は自分自身も含めた「生き方」を構築しようと真面目に思い悩む。その共通点によってふたりは惹かれあっていく。映画の狙いはそんなところだろうか。岡田の高校時代は具体的に描かれるが、やや駆け足気味で説明的だ。私たちが新聞記事を読んでわかった気になる以上のものではない。榮倉の事件は科白によって明らかになる。この部分は短いが、榮倉奈々という若い女優の力によって迫真的になった。
  後悔や惨めさや悔しさはだれにでもあるだろう。あのときああすればよかった、何故それができなかったんだろう、というように。罪責感にもさいなまれる。だがあまり潔癖であっても前へ進めないだろうし、勿論いいかげんであってもいけないだろう。時間の経過とともに傷が癒えていくことは、忘れることは悪くはない。良心のひとかけらくらいは持ちつづけたいにしても。また異性の愛をえることで暫しの安定感にひたるという幸福もある。なべて人生はいろいろあって、またもやもやしていて、一刀両断には決して変革できない。後半以降はそんな感慨が見えはじめてきて、喜びかけたのだが。
  しかしながら、締めくくり方がまったくいただけなかった。大きな悲劇が起こるのだが、これでは映画が安っぽい悲恋物に堕してしまう。岡田将生、榮倉奈々、それに原田泰造という俳優陣が充実していただけに残念だ。
  ★★★
    01:08 | Trackback : 0 | Comment : 0 | Top

街の月

だれもいない街を
街の裏側の街を移動する
羞恥に対抗する人為は錆びついて

先導する男の影が
小さくなったり大きくなったり
罵詈雑言はちゃちな花火

先導する男は昨日と今日のわれわれ
そうだったんだ
従順さを断ち切れないままに

底のみえない浅瀬を渡るように
だれもいない街を移動する
足裏の感覚はしだいに消え

先導する男の首が鳴る
落書きするチョークの音の耳障り
われわれの移動は「暗黒」と成り果てるのか

嘔吐くような空白
糊の霧のようなべっとりとした空白
表現したい欲望が恐ろしい

両膝もまた溶けはじめる
偶然のフットボールを挟む
あらためて手で触れることをわれわれは怖れる

うずくまる坊主頭
そのやわらかさその可塑性
触れられることを虎視眈々と待っている

われわれの罪が晒される?
そうならないであろうと願う時間の薄氷がつづく
断ち割れない地球

薄が風になびく
フェンスで囲まれた空き地で
そのすぐ上には昼の月

眼も意志も亡くして
べろーんと出した舌でわれわれを凝視する
われわれは見ないふりをする
    10:31 | Trackback : 0 | Comment : 0 | Top
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