大洋ボート

カフカ「小さな女」

変身ほか (カフカ小説全集)変身ほか (カフカ小説全集)
(2001/06)
カフカ

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  出来事にもなりそうにない出来事がある。ただ個人の心に棘のように刺さって奇妙に忘れがたい記憶を刻み込むが、それが日常や外面にいささかの変化をもたらすのではない。苦痛といえば苦痛にちがいないが、耐えられないほどのものではない。しかしながら粘着力をもってつきまとってきて決して愉快ではなく、意識の外に放り出すこともできずに気になってできればとっぱらってしまいたくなる、そんな出来事ともいえない些細な出来事。カフカがここで取り上げているのは、日常にふって湧いたそんなひとコマだ。

  この小さな女には、わたしが我慢ならない。不満の種だらけ。いつも不正な仕打ちを受けているとかで、何であれカンにさわるらしい。この世のいとなみを最小単位に分割して、その一つをとりだしてながめたとしたら彼女にはシャクの種になる。どうして彼女のカンにさわるのか、とつおいつ考えてみた。わたしのすべてが彼女の美意識、正義感、習慣、習わし、望むところと反しているらしい。こんなふうにしっくりいかない二つの本性があるものだが、しかし、どうして彼女にばかり、そんなふうになるのだろうか? わたしのせいで彼女が苦しまなくてはならないようなかかわりなど一切ない。

  この短編の主に登場するのは語り手である「わたし」と語り手によって「小さな女」と呼ばれるおそらく若い女性二人のみである。引用した箇所でも明らかなようにこの女性は「わたし」に尋常ではない憤懣を抱くらしいのだが、それが何か、「わたし」の何がそれほど気に入らないのか、どんな意味内容なのかは最後まで明らかにされない。女のほうも憤懣の鋭い視線を浴びせるばかりで、それ以上に具体的に言葉を持って指摘してくるのでもなく、また行動をあらたにするのでもない。「わたし」は一度、女性に声をかけて打ち解けるきっかけを作ろうとするのだが、かえって女性の反発をくらってやめてしまう。あるいはカフカの別の小説ならば、女の「わたし」にたいする憤懣の内容が明らかにされて、カフカのテーマである人同士の相互の無理解や人生の不条理に行き着くのかもしれない。だがカフカはここではそれは採らない。創作性を用いなくても、日常生活の情報の不完全性のもとでも人の相互の無理解が厳然として存在する。「わたし」からすると「わたし」が非難にさらされるのは誤解で不当なのだが、それが耐えうるに足るのであれば、あえて誤解を解くような働きかけをして、ことをあらだてたりしないほうがよいのではないか、「わたし」はそう言いたげだ。無理解は依然として残るのだが。
  それにしても説明が極端なまでに省略されている。毎朝二人は顔をあわせると書かれているが、はたして会社の同僚なのか、それともたがいに近所に居住するのか、ふたつとも当てはまるのか、判然としない。また女の「わたし」にたいするしつこい敵意を二人の周辺の人は知っているらしく、興味を抱かないでもない。これは「わたし」にとっては気がかりの種で、ともすると「世間」は男女であるからそこに恋愛沙汰を勘ぐる向きもないとはいえない。だが「わたし」は女がそういう感情やそのこじれを向けているのではないと自信をもって観察している。たとえば「わたし」が恋心を女に向けたり、それを豹変させたりしたことなどまったくありもしなかったことだと。だからそういう誤解はふりはらえる。また「わたし」は世間にたいしてなんら後ろめたい思いはなく、むしろ信頼されている類いの人間だという自負もあるので、たとえ女が世間の風向きが一時女に有利にはたらいて「わたし」への非難の風となって女を喜ばせたのだとしても、やがてはそれも氷解するであろうと確信をもってみずからを慰める。
  このあと別に小説らしいと呼ぶべき?展開があるのでもない。それほど長い月日の「出来事」でもなく、まさに人生の断片を切り取った短編らしい短編といえるだろう。現在進行形で書かれているから、小説が終わったあとで「わたし」と「小さな女」との均衡が崩れたとして、あらたな展開を想定することは読者のまったくの自由にちがいない。だがそれはカフカにとっては重要ではない。「わたし」が一人の他人によっておそろしいまでに憎まれ誤解され無理解にさらされることを、そういう局面が人生にかならず存在することをカフカは書きたかったのだ。それも個別の事情や背景を間引きすることによって普遍性あるものとして書きたかった。逆に言うと「小さな女」は異常だが、その異常性を書きたかったのではない。
  「おまえは何者だ?」という人の鋭い視線に私たちはしばしば出会う。わたしとは個人だ。どこかの職場や組織に属していたとしても、そういう境界を容易に乗り越えてきて個人としての私に向かって「おまえは何者だ?」と問いかけてくる。とくに私は青年期においてこういう視線に慣れていなかった。詳しい説明は省くが、私が考え自己評価する私と、視線を浴びせる他者のなかに写った私が直観的にずいぶんと隔たっているようにみえて、空恐ろしい気になったものだ。他者が私をどう評価したか想像する余裕すらなかった。今なら多少は自分自身をわかっているつもりだ。この短編の「わたし」ほどには世間から信頼されなくとも、異常と劣悪を少しはふくみつつも何とかそれらを統御できていて「世間」にぶらさがっていられる。日々の精進は怠れない。自己評価はあまり高くはないが、非難されるほどには低くはないつもりだ。しかしまた、青年期の私の書いたような他者との隔絶感はながく記憶に残るもので、この短編はそれをまた思い起こさせてくれた。本編の「わたし」は青少年ではなく、すでに立派な大人なのだが。

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旅行の写真

 23日、24日と黒部・立山方面に旅行してきた。乗り物のなかにいる時間が多く、宿につく時間、帰宅時間も遅いという過密スケジュールだったが、風景だけは忘れがたいものを見させてくれた。とくに標高2450メートルの室堂からの眺めは圧巻。360度いずこを眺めても素晴らしく、別天地の趣があった。雲がもくもくと湧いて、短時間で青空をかき消していくさまも間近で見ることができた。
 下の写真はミクリガ池で、手前の白い部分は万年雪。2番目は何処で撮ったものやら、もう忘れてしまった。水は黒部川にちがいない。3番目は蛇足ながら私。
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 「ファイルのアップロード」で苦労して時間を空費してしまったが、それはともかく、写真はおすましでおとなしく独立的だ。つまりは私の旅における興奮やら疲労やら解放感やらをまったく汲み取ってはくれず、自分の仕事だけをつつがなく済ましてしまう、そんなものなのかと感じた次第だ。
Genre : 日記 日記
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ブラック・スワン

  ナタリー・ポートマンはバレリーナで、所属するバレエ団の演目「白鳥の湖」の主役に抜擢される。ポートマンにとっては初めての大役で、彼女がはたして無事演じきることができるかということが物語の唯一の興味になっている。
  それとともにポートマンは繊弱な気質であり、自傷癖がある。眠っているあいだに爪で自らの肉体を傷つけるのだ。主役が決まったことからくるプレッシャーでこの傷が少しずつ拡大していく。つまり血が彼女を襲いしだいに広がっていく。またポートマンは被害妄想の持ち主でもある。ライバルのバレリーナが主役を虎視眈々と狙っていて、ポートマンにすれば、ポートマンの転落を願うようにもみえるからだ。演出家ヴァンサン・カッセルも地位を利用してポートマンの肉体を奪おうとするかに見える。個室に呼んで強引にキスを迫る場面がある。また演出家はポートマンの力量に不満で、これは彼女自身も自覚するところである。私はバレエ劇のことはなんにも知らないが、「白鳥の湖」では主役は可憐でうつくしい白鳥とともに、悪魔的で色気があって男を誘惑する「ブラック・スワン」も演じなければならない。二役ということだが、後者の役どころは彼女の繊弱さと対極的な位置にある。なんとか自分を変えようと、弱さを克服しようとするポートマンは、演出家のオナニーをしてみろという当てずっぽうみたいなアドバイスも鵜呑みにして、実践してしまう。
  ナタリー・ポートマンがどうなるか、主役を演じられるか、また被害妄想も進行することによって血が彼女の肉体をしだいにむしばんでいく過程が、サスペンスとして緻密に描かれる。逆に言うと、ポートマンの運命以外には、映画はまったく興味をふり向けないので視野の狭さも感じられるところである。ポートマンの動きにたえず寄り添うようにカメラがついて回る。
  被害妄想を克服する場面がなかなか面白い。具体的には書かないが、妄想が実際の病理としてこういう克服の仕方が当事者ポートマンにとって可能かどうか、私には知識がないが、被害妄想を加害妄想に、血への恐怖を血の海への悪魔的な嗜好に変えてしまうのだ。つまり「ブラック・スワン」の悪魔性を本番の舞台の直前にポートマンは自分に乗り移らせることに成功する。なんだか破れかぶれの心がいい結果をもたらすのだ。
  その直後だったか、足指がくっついてはなれずにポートマンがさらに困惑に落ち込む場面があった。ぎゅっと力を入れて指をはなそうとするポートマン。カメラはポートマンの顔の位置から足指をじっくりと撮る。また血が出るんじゃないかと私ははらはらした。皮膚の接着のりを強引に引き剥がすような痛さの感覚があらわになった。出血はなくほっとさせるのだが、ここが私とってはもっとも印象に残った場面である。
★★★

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カフカ「田舎医者」

変身ほか (カフカ小説全集)変身ほか (カフカ小説全集)
(2001/06)
カフカ

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  短編集『田舎医者』のなかでもっとも印象的な一編。体裁は短編であるが詩的雰囲気が濃密にたちこめる。吹雪や馬、女中、負傷した子供やその傷口、子供の家族やまわりの住人などが矢継ぎ早に登場するが、それらの連結の仕方が現実性がとぼしく夢のようである。こうしたからこうなったという、目的にもとづいた行為と結果の関係があまり見えてこない。むしろ映像や出来事が向こう側でつぎつぎに生起して陶然とさせられながらも了解せざるをえない、なにもしないままに変転する事態の連鎖のなかにいつづけるしかない、こういう主人公の医者の心象風景が大部分として書かれている。そしてまた夢の中にいさせられるような書き方は、思うようにならない、自由にふるまえないということでもあり、人は重要時がふたつかさなった場合ひとつのことにしか身を置けない、あとの重要時にはまったく無力であるという本編の主題ともふかく関係づけられている。
  吹雪のなか、医者に往診の要請があったが、遠隔地であるために馬車が必要だが、馬はすでに死んでしまっていない。女中に馬を探しにやらせたが、誰も貸してくれない。だがそんなとき不思議なことに生きのいい馬が二頭なんと自宅の豚小屋から馬丁にともなわれて出現する。馬丁は見知らぬ人で、医者の目の前で露骨にも女中に襲いかかる仕草を見せる。女中の顔には馬丁の歯形がくっきりとついている。「手篭め」にさせてはならないと医者は制止しようとするが、馬丁はすでに馬車に乗り込んでいる医者を去らせるために馬を操って一気に走らせる。馬丁から逃れるために家に逃げ込む女中と体当たりをして鍵を壊して家に侵入する馬丁の映像が医者の視野の端にある。後ろ髪をひかれながら患者宅へと急ぐ医者。出だしの部分だが、豚小屋から馬と馬丁があらわれるのがまさしく非現実的で悪夢のようだ。
  往診先ではベッドに伏した少年がいるが、医者は女中ローザが心配でならず、心ここにあらずという状態だ。「先生、僕を死なせてください」と開口一番、突拍子もない懇願をする少年であるが、医者はろくろく少年を診察しようともせずに少年は健康で五体満足にちがいない、さあ早く帰ろうと自分に言い聞かす。夢のなかの自分勝手な了解と同じではないか。さらに夢幻的なことの連続がある。馬が「自分で窓を開けて」部屋を覗き込む。たぶんこのとき馬は医者の分身的地位にあり、医者の帰宅をせかすのだろう。少年や家族の心配のなかようやくのように医者は少年の脇腹の大きい傷にぶちあたる。

薔薇(ローザ)色の大きな傷だ。その色が微妙に変化して中心部が黒ずんでおり、まわりにいくほど明るい。いろんな形の血の塊がこびりついている。露天掘りの炭鉱といった具合だ。一見してそうである。仔細にみると、もっとひどい。思わずヒューと口笛の一つも鳴らしたくなるくらいのものだ。太さ、長さが小指ほどもあるうじ虫がむらがっている。

哀れな少年だ。どうしようもない。おまえの大きな傷を見つけた。脇腹に咲いた薔薇色の花がおまえのいのち取り。

「ぼくをたすけてくれますね」

  訳者池内紀によると薔薇(ローザ)色の傷口をカフカは「ローザ」と単刀直入に書いたそうで、女中ローザとぴったりかさなる。今しも「手篭め」にされているにちがいないローザにまつわる性的イメージが濃密に託されているという。この指摘がないとローザのルビの意味を見過ごしてしまいそうであるが、私にはローザとの繋がりが浮かばなくとも傷の描写から女性性器の陵辱されるイメージが浮かんできて嫌で、かえって無視したい気にも駆られるのであるが……。医者はここでは少年が重症であることを知っているが、ずいぶんと冷淡で投げやりではないか。治療行為のさなかにあってもはやくも救命を諦めてしまっているかのようで、これは当然ローザの運命への悲観とつながっているのだろう。治療行為の描写がほとんど省略されるのも面白い。つぎつぎと生起する夢幻的な出来事がいそがしいのだ。
  医者はどうやら傷のひどさから救命を諦めたらしいのだが、家族や村の住人は承知せずにせっつく。奇妙にことにその連中は医者を裸にしてその身体を少年の傷口にぴったりとくっつけさせる。小学生の合唱隊までいつのまにか勢ぞろいしてはやし立てる歌を歌うのだ。夢幻的だからなんでも登場するのだが無気味だ。民間信仰に関係するのかもしれないがわからない。まして医者はまったく無抵抗でされるがままだ。治療への不熱心さもあり、おおぜいの住人に取り囲まれての不承不承もありといったところか。そして少年は助かったのか、死に際の小康状態を保つに過ぎないのか、助かったとすれば治療によるのか、裸同士の身体をかさねるという変な行為によるのか、それら委細は記述上はまったくはっきりしない。やはり夢幻的世界だ。とにかくも医者はローザのことだけが気がかりであわてて帰宅していく。
  医者にとっては往診と治療は職業的義務であるが、そのさなかに親しい女中がレイプされるという事件が起こる。職業に忠実であることはおおいに褒められるべきことであり、周りの人もそう思いがちであるが、ここではもうひとつの「救命」が置き去りにされるという大きな陥穽が描かれる。職業というよりも生きるということが、何かそういうことを強いられる運命にある気がする。人は何もかもを引き受けられないし、たった二つのことでも時間的にかさなった場合は同時には現場に身を置けない。つらさがあり、悲しみと諦めを背負わされる。主題を汲み取ろうとするならばそんなところか。だが主題という以上に、吹雪や傷口の描写がもたらすイメージはひりひりする痛みの感覚をよりつよく読者に訴えかけてくる。何回も読んだが、あらためてその生々しさに接した気になった。

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乱れる(1964/日本)

  俳優や監督の個性、話のおもしろさ、風景のうつくしさなど、映画はさまざまな要素があって私たちを引きつけるが、セット造りの工夫もまたそこに入れるべきだろう。とくに個性的なセット造りが映画作品の固有性にまで結びつくときにはうれしい気になる。
  この映画の舞台は酒の小売店で、戦争未亡人となった高峰秀子がながく切り盛りしているが、表通りからみれば何処にでもありそうな酒屋にすぎない。ところが店の奥まったところから店や表の様子を撮るときに俄然、この家屋の特異な構造があらわになる。つまり店から奥へ人一人くらいが靴のまま通ることができる細い通路が設けられている。奥には倉庫があるのか庭があるのかまったく不明だが、生活上の便宜のためにそういう造りになっているのだろう。そして狭い通路の両側に居住の部屋があって、通路を渡るための板が置かれている。通路を通るときにはその板はどちらかに寄せられるのであろう。私はこういう造りの家を実際に見たことはないが、古い時代にはいかにもありそうだなと思った。店の奥の暗さとひんやりした感覚まで伝わってきそうで現実味を感じさせ、この個性的なセット造りが映画の強い印象のひとつにまでなっていて秀逸だ。
  高峰秀子は亡き夫の弟で末っ子である加山雄三にやがて求愛されることになるが、拒絶する。加山の件も例外ではなく、何故に高峰は再婚しないままに亡夫の実家に10年以上も居つづけたのか、実家の人手が足りなかったためであるが、別の見方をすればもっと自由に振舞ってもよかったのではないかとも思えるが、これは高峰にとってはごく当たり前であるらしい。夫の家にたいする嫁としての義務か、貞操の堅固さは戦争期に嫁いだ女性の大きな部分(すべてではないにせよ)の特徴なのか、高峰は理屈をたてて説明することはないが、じぶんにとってはこうすることが自然だったと言いたげだ。清楚でしっかり者で生活に根を下ろしている、浮ついたところがまったくない、こういう役どころは高峰秀子にうってつけである。この映画のシナリオだけを読んでみてもつまらないだろう。高峰秀子という女優の肉体をえてはじめて役どころの現実味をえられるのだ。
  高峰は加山を嫌いではなく好きなこともはっきりしているが、にもかかわらず結びつくことを拒もうとする。加山の肉体が触れてくることを避けたがる。電話が鳴りつづけているとき二人が同時に受話器を取ろうとするが、そうすると指が触れる。高峰は手を引っ込める。加山も遠慮して同じことをする。するとまた二人とも同時に手を近づけては引っ込めるという仕草を繰り返し、そのうち電話が切れてしまう。苦笑を誘うそんな場面もある。
  スーパーマーケットが進出して個人経営の小売店を窮地に追いやっていくという60年代前半の社会もよく描かれている。これは現在進行形の事態であるだけに切実さを少し感じるところだ。高峰の酒屋も売れ行きが落ちてきて、そこで酒屋をやめてスーパーに改装する計画が持ち上がる。加山は高峰を重役にと主張するが、高峰はこの辺が潮時と東北の実家に帰ることに決める。諦められずに高峰を追いかけていく加山。二人のドラマの盛り上がりはこの後半部にあるが割愛する。

  この映画、何年か前に見たのだが題名を忘れていたので足を運んでしまった。上映開始からまもなくそのことに気づき、帰ろうとも思ったが、せっかく金を払ったので見ることに決めた。退屈さはあったが、忘れていた部分が蘇ってきておもしろくもあった。
    ★★★★

乱れる [DVD]乱れる [DVD]
(2005/07/22)
高峰秀子、加山雄三 他

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