大洋ボート

ハスラー(1961/アメリカ)

ハスラー [DVD]ハスラー [DVD]
(2010/08/04)
ポール・ニューマン、ジャッキー・グリーソン 他

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  ビリヤードの世界を舞台にして青年の挫折と成長を描く映画で、ポール・ニューマンの肉体表現が抜群だ。有名なベテランプレイヤーを相手にして最初からあっけないほどに勝ちまくる。ミネソタ・ファッツと呼ばれるそのベテランはそのうちに気分転換やらあるいは盤外戦術の意味もあるのだろうか、酒をちびちび飲み出す。顔を念入りに洗うこともする。ニューマンもそれにつられて酒をやりだす。だがここからしだいに情勢が逆転に向かう。競技は勿論のこと、酒においてもニューマンは若さがあるので負ける気がしない、つい飲み過ぎてしまうのだ。時間の経過につれておぼつかない足取りになって酒瓶を喇叭飲みするにまでになる。ニューマンにとってははじめての大勝負で、こんなにも楽に勝利が転がり込んでくるとは笑わずにはいられないというところだ。だが視聴者にはその有頂天のつぎには転落が待ちかまえていることが容易にみてとれる。歓びと自堕落が同居するさまが、また体力を急激に磨り減らしていくさまが、このときのニューマンの肉体表現でたいへんあざやかに示される。人間の肉体とはなんと雄弁に語れるものかと感銘を受ける。『ジャイアンツ』のジェームズ・ディーンを連想させるが、ニューマンかロバート・ロッセン監督かがディーンを意識したのかもしれない。だが二番煎じではなく、これはこれで強い映像の力を獲得している。競技は二晩の徹夜をはさむ苛酷さでニューマンはぐったりしてしまいボロ負けとなる。椅子にもたれかかって足を大の字に開いて睡魔にすっかりからめとられたニューマンもまたいい。
  ミネソタ・ファッツとの再戦の機会はやがて訪れるが、このときの描写は平凡だ。何故ならペース配分さえあやまらなければニューマンが勝利することは一回目の戦いでわかってしまうからで、「立ち直った」ニューマンからは当然ながらこれ見よがしのやくざっぽい肉体表現も影を潜める。それよりも最初のたたかいにおけるニューマンの挫折感が長びくことの描写が、この映画の二番目の美点だ。
  ビリヤードからしばらくとおざかりたい思いからだろうか、ニューマンはマネージャー格で「ハスラー」と呼ばれるイカサマプレイーヤーの相棒でもあった初老の男から逃亡する。そして降り立ったバスターミナルに隣接するカフェで、やがて恋人となるパイパー・ローリーに出会う。午前中の他の客のだれひとりもいないだだっぴろいカフェの奥の席にひとりぽつんとローリーがいる。この映像がものすごく吸引力がある。室内なのに広さがあるからまるで遠景で顔もはっきりしないのに、視聴者はニューマンになったかのようにこの女性に引きこまれる。寂しいときには特に「人は人を求める」心情がはたらくことを教えられるからだろうか。ローリーは無職で大学に週に何回か通っている、父の仕送りで生活している、戯れにか、小説を書いている、飲んだくれで、カフェにやってくるのもそれが目的のようだ。ニューマンがつきあううちにそういう彼女の人となりがわかってくる。引きこもりで自堕落で孤独でという人間像だが、勝負に負けて挫折感を抱えこむニューマンにとってはこういう女性のほうがつきあいやすいのかもしれない。ニューマンにとってはローリーという女性は自分の姿を映し出す鏡の役割を果たしてくれるのかもしれない。「同類相哀れむ」ではないが、寂しさをよく知るがゆえに相手のそれにもやさしくなれる、そうすることが自分にもいい影響となって帰ってくる。私の異性とのつきあいなど貧しいものでしかないが、こういうことを書きたい気にさせられるのだ。それほど二人の関係は自然にしかもはやく結びつく。二人の同棲生活の描写も何気ないが故に、つまりどんなカップルでも幸せなときには幸せ以外には見えないという意味で的確だ。
  ニューマンは新しいマネージャーのジョージ・C・スコットをえてビリヤードの世界に復帰し順調に再スタートを切る。だが同時に寂しさをつのらせるのがローリーで、ニューマンがとおくへ行ってしまう気になる。彼女の素行を知るらしいスコットが「お前のような飲んだくれは足手まといで、ニューマンにやがて捨てられるんだ」という意味のことを吐かれる。思い当たることがあるだけにローリーはびくついたであろう。またローリーは父に捨てられたということが前半に語られるが、それがトラウマにもなっているのかもしれない。そして最悪の選択をしてしまう。美点と言って悪ければ三番目の衝撃にあたる部分だ。旅先のホテルが満室で、強引に確保した部屋がローリーとスコットが隣同士で、しかも両室のあいだに鍵のないドアがあるという偶然が惨劇を引き起こした原因にもなるが、この設定が、ストーリーのためにつくられた「偶然」とは言いきれないそら恐ろしさを感じてしまうところだ。
  ニューマンのミネソタ・ファッツとの再戦はスコットや彼等の牛耳るビリヤードの世界(大金を賭ける私的賭博の世界)への完膚無きまでの復讐の意味も持つ。スコットの好条件でのマネジメントの申し出を当然に断ってビリヤード場を去るニューマン。何処へ行くのか、何をするのか、流れ者が主人公の西部劇のような余韻がのこる。
  ★★★★

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トゥルー・グリット

  時間が経つにつれて最初は平凡にしか見えなかった顔がどんどん凛々しく頼もしく、またハンサムに見えてくることがある。私がこの映画で体験したことはまさにそれだった。若い頃に映画のなかではなく現実の友人関係においてそういうことを実感したことがあるのでなつかしい思いがした。その話を少しすれば、その友人は当時の私にはたいへん頭脳明晰に見えて一歩も二歩も私よりも先に行っている気がして、こいつについていけば心強そうだと自然に思えた。顔をまじまじと見ると打ち出の小槌のように何かが出てきそうにも見えた。大げさだが、私は彼に「見とれた」のである。
  この映画ではその顔の持ち主は隻眼の老保安官ジェフ・ブリッジスである。ブリッジスはあらくれ男で、人をむやみに殺してしまうことを裁判で責められる。歳とともに銃の腕も鈍ってきて、飲んだくれではないかと思わせるような頼りなげな空気を発散する。朦朧としたところも見える。だが彼は映画の後半において保安官としての仕事を着実に実行する。前半と後半のこの落差によって、また隻眼で右目に眼帯をしているという見てくれの悪さも逆に作用して、視聴者はブリッジスを見直す。見直すどころか見とれてしまう。ジェフ・ブリッジスの役作りの巧さによることはいうまでもない。
  そんなブリッジスを頼りにするのが父を殺された14歳の少女ヘイリー・スタインフェルドで、犯人への復讐のために彼の力を借りる。14歳とは思えないほどの早熟ぶりで頭脳明晰で向こう意気も強い。父の愛馬を犯人から買い取ったらしい故買屋を探りだして訴訟をちらつかせながら愛馬を買い戻す。また子供だからと相手にしないブリッジスに一歩も退かず犯人追跡を依頼しつづける。スタインフェルドは一貫して無表情で、後日談で成人した彼女(一人二役)の姿が見られるがやはり同じ表情をしている。これは父を殺されたから一念発起した、ファイトをにわかに燃やし始めたということではない。こうと決めたら梃子でも動かない、交渉相手にたいしても絶対に妥協しない、そういう気質の女性であることを物語るようだ。父を殺されたという非常事態によって態度を一変させたのではなく、そのために緊張を維持するのでもなく、頑固で確信的なのが彼女の「普通」の気質だ。「普通」の質が普通ではないのだ。これもブリッジスや二人に同行するテキサス警備隊のマット・デイモンの「柔らかさ」と比較して際立つところだ。
  西部劇だから銃撃戦が当然出てくるが最小限度である。それでもって見せようとはしない。むしろスタインフェルドにしだいに共感を覚え惹かれていくジェフ・ブリッジスと脇役で二人の関係を「解説」してくれるマット・デイモンなどの人間性を描くことに重点がおかれている。少女におだてられていいところを見せようとしている、そんなことをデイモンがブリッジスに(また視聴者に)言ってからかうのだ。おもしろいが、そのぶん犯人グループとの戦闘や探索のスリルは弱まっている気がした。この点では同じコーエン兄弟製作・監督による「ノー・カントリー」にはひけをとるか。他には馬が印象的だった。スタインフェルドを置いてきぼりにしようとして(子供を巻き込むまいとして)ブリッジスとデイモンの二人は先に川を渡るが、それでもスタインフェルドは馬にまたがって急流を渡河しようとする。やがてスタインフェルドは単独で泳ぎ、馬は首だけかろうじて水面から出して渡りきる。ラスト近くでは疲労困憊して汗みずくになって黒光りする馬を見ることができる。この馬も立派な「登場人物」である。
  スタインフェルドは成人してからは独身のままだったとある。ブリッジスほどの男性に出会わなかったことを、またそれほどに彼の思い出が彼女のなかで深いことを暗示するかのようだ。
  ★★★★

ノーカントリー スペシャル・コレクターズ・エディション [DVD]ノーカントリー スペシャル・コレクターズ・エディション [DVD]
(2010/05/14)
トミー・リー・ジョーンズ、ハビエル・バルデム 他

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地震

  東日本大震災と名付けられた巨大地震の発生から一週間が経った。現在も余震に見舞われている状態だし、機能停止してしまった福島第一原発にたいしては放射能を浴びることもいとわずに自衛隊や警察による放水がつづけられている。任務とはいえまことに勇気ある行動である。だが高濃度の放射能漏れという最悪の事態の可能性が完全に消し去られたのではないだろう。たたかいは長期間にわたる。阪神大震災のときのように、さあこれから復興だというばかりの気にはなれないのかもしれない。
  言葉がない。地震についてなにか書こうと日々思いをめぐらしたが、多くの人が口にするのと同じく私にも言葉がないのだ。これだけの大規模災害そのものにたいしても勿論だが、被災者にたいしてもにわかに言葉がでてこない。「絶望するな、頑張れ」という気持ちはこちらにはあるが、被災者はそんなことはとっくにわかっているだろう。頑張る人はすでにそうしているし、いくら励ましても頑張れない人もいるだろう。周りの人ができることは物資を供給し、住環境をととのえること、そのために可能な範囲で働くこと動くことしかない。だがテレビで映し出される被災者の悲惨な現状を目にすると涙がにじむことが多々ある。「がんばれ!」と思わず声をかけたくなることも事実だ。
  私は大阪在住なのでまったく無傷である。阪神のときも激しい揺れに直面したが被災からは免れた。また大きい病気や怪我をしたこともないので体験としてつなげられる材料がない。甚大な被害にたいしてなにも語れるとっかかりがない。かといって自分の身の幸福をいまさらながらありがたがる気持ちにもなれない。「頭がまっ白」という言葉はこういうときのためにあるのか。被災者の方々にたいしても地震の報に接した自分自身にたいしても今は語りたいという気が起きない。もう少し時間が経てば被災者の方々自身が声を発するようになるだろう。そのときにあらためて考えてみたい。
 
〔追記〕薬局で薬ができあがるのを待つ間、週刊誌を目にした。原発事故に関してずいぶん悲観的な見通しが書かれていた。週刊誌は新聞やテレビが伝えないことを狙いすまして書く傾向があるが、素人の私にはにわかには理解できない。重大な何事かが起きるまでは何事もないような顔をして過ごすしかない。何事かが起きたならば、そのときはそのときで考えたり動いたりするしかない。

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アリステア・マクラウド「島」

冬の犬 (新潮クレスト・ブックス)冬の犬 (新潮クレスト・ブックス)
(2004/01/30)
アリステア・マクラウド

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 人は長い期間の孤独にはとうてい耐えられるものではない、自分では認めないつもりでも人恋しさに突き動かされてなんらかの行動をとってしまう、また幻想に見舞われてしまう。そんな人のありようが書かれていて痛切に染みわたる。しかも女性主人公は人の群れのなかにいて孤独を自己認識するのではない。そういう時期もあるがほんのわずかだ。両親と死に別れ子供とも離反させられて、生涯の大半を小さな島で文字通り孤立無援の生活をおくるのだ。
  一年に何回か数キロはなれた本島(ケープ・ブレトン島)にわたって生活必需品を買いこむ以外には人と会うことはない。そしてそういう生活をえらんだのは他ならぬ彼女自身だ。子供を産んだ直後から伯母に預けて育ててもらわなければならなかった。病弱であった子供(女の子)にとっては本島のほうが環境がいい、それに老いた両親の手助けをしなければならないので自分ひとりが本島に残ることもかなわず、島に帰らなければならない。やがてその両親も死んでしまう。子供の父親にあたる青年も子供ができたことも知らないままとっくに他界してしまった。島の仕事といえば灯台の管理で、国からその報酬がはいるので金の心配はしなくてすむ。アンガスという名の女性はこのように周囲の環境や人間関係に翻弄されるのだが、声をあげて悲しむことはない。そうしなければならない、それが最善の選択だとわりきってしまうので読者はそこに凛々しさと潔さを見る。いや、それさえ目立たないほどに彼女の行動は、島と家族の環境によって彼女のなかに育まれた「自然性」に無理なく則しているように読まされる。倫理観として突出しないのだ。
  アリステア・マクラウドのすべての短編と同じようにここでも自然と風景の独特のうつくしさが丹念に描きこまれる。老いてしまった現在の主人公が見る窓を打つ雨の様子からはじまって、やがて若い時代の「短い春」が島の生活環境とともに描かれる。島ではかつては本島よりも立派な埠頭が建設されて、そこにロブスター漁の季節(春から秋の終わりまでだろうか)となると本島からたくさんの漁師がやってきて、埠頭ちかくに宿泊用の簡易な小屋をつくってしばらく滞在することになる。引き取り業者も船でやってきてつぎつぎと売買がおこなわれる。また盛りのついた羊や牛の雄を隔離するために島につれてきて放牧するということも行われた。小島も賑わいをみせた時期があり、この生活の風物詩ともいえる描写も簡潔で見事だ。またそれが単独でもじゅうぶん味わい深く読めるものの、やはりアンガスの「短い春」の楽しさとかさなる、アンガスを代弁するからだと読むべきではないだろうか。たとえば寂しげな自然の風景であってもアンガスを気遣うように寄り添う、そう読めるし彼女もまたなにかにつけて自然を友とする。
  やがてアンガスは漁のために島にきていた「赤い髪」の青年と仲良くなり結ばれるのだが、彼女にとっては初恋であり一目惚れから性交までの時間がたいへん短い、交わす言葉も最小限だ。彼の小屋でだれもが寝静まった夜たった一回セックスをして妊娠する。この過程もマクラウドの魔術にかかったようにたいへん好ましく、かつまったく自然なことのように読まされるのだ。漁が終わると、青年は結婚の約束をして島を後にする。だが青年は書いたようにまもなく死んでしまう。林業の仕事中に事故にあった。やがて出産となるが、相手がだれなのか不思議にもだれも知らない。どういうわけか、彼女もそれを口に出すことを拒む。作者による説明はなく、読み終えてから読者が想像するしかないが、青年の家族に知られて子供を略奪されることをおそれたのか、伯母に預けるほうがまだしもと思ったのか。逆に青年の家族に負担をかけまいとするのか、明らかではないが、このアンガスの頑なさもまた彼女のなかの「自然性」から発せられるように読んでしまえるのだ。
  そしてまた、作者マクラウドによって意図的に省略されたもっと重要なことがある。預けた子供のことだ。子供の身を思って伯母に預けたアンガスだが、伯母は自分の子として育てたいと言い出しアンガスもそれを受け入れた。やがて子供が成長すると出生にまつわる事実を知ることにもなろう、実子や伯母とのあいだに溝ができてくる。子供はアンガスに捨てられたとの思いをもつのか、アンガスもまた子供のそういう思いを想像して自責の念にさいなまれるのか、アンガスは子供を諦めたといえばそうにちがいない。だがアンガスの子供にたいする思いのもろもろはなにも書かれないのだ。その代わりというべきか、飽きることなく思い浮かべるのは例の青年の面影であるが、最後にきてこの両者、つまり死んだ青年と嬰児のとき以来会ったことのない子供が感動的に結びつく。青年とウリふたつの「孫」が島にやってくるのだ。私はうるうるした。よかったなあと声をかけたくなった。子供への抱えきれない思いが省略されているからこそ胸を打つのだ。
  アンガスは島でたったひとり歳をかさねていく。そんななか、アンガスは面影の青年にたいして一度浮気をする。島の付近でサバ漁をしていた男たちをさそって関係を持つのだが、性にたいする飢えと人恋しさがアンガスのなかで同時に頂点にのぼりつめるように、見事にかさなる。そしてアンガスも自身のそこまで達した「自然性」にまったく従順になる。船が島に近づいてくる。アンガスはそれを過剰に意識しながらも抑えようとする。

彼女は家に帰って、乾いた作業着に着替え、濡れた作業着を外に干した。灯台へ登りながら肩越しにふりかえったとき、洗濯綱に吊るされた作業着が立っているように見えて、ぎくりとした。(p216)


  ここは読者も「ぎくり」とするところで、船の男のことが心にあることにアンガスが自分で気づくことを表していると思える。
  マクラウドは島の灯台を守り、やがて老婆になるアンガスにかぎりない同情とやさしさを寄せて、読む者にしずかに訴えかけてくる。そうして老婆の運命をできうるならば変えてやりたいという思いが最後になって見事に結実する。老婆ははたして死んだのか。小説のなかのそれまでの「事実」に則すればそうなのかもしれないが、あまりにも報われない生涯ではないか。羽化登仙という言葉がよりふさわしい。神話的存在として作者は老婆=アンガスを彫琢することに成功した。
 書き出しを引用しておこう。「ビーズのカーテン」も例によってうつくしいが、ここでは「待っていた」がより重要な意味を持ち、全体につながる。迎えにきてくれる死んだ青年(=架空の人物の「孫」)を無論「自然性」に裏打ちされてアンガスは待つのだ。

  島は一日中雨だった。彼女は待っていた。ときどき、雨がピシッという音とともに横殴りに窓を叩いた。もうすぐ霰になるというしるしだ。しばらくすると、それはほんの一瞬、窓ガラスの上に小さな球となってあらわれ、次の瞬間にはガラスの上を静かに転がり、一粒一粒の水滴から流れる繊細な川となって落ちていった。窓にはほとんど触れずにまっすぐ降ることもあったが、それでも、ガラスの向こうに、部屋の出入り口にかける繊細なビーズのカーテンのように降っているのが見えた。(p188)


  冬の入り口に季節がさしかかった夜だが、こういう寂しい風景でさえ、主人公を応援するように読める。
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