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アリステア・マクラウド「夏の終わり」

灰色の輝ける贈り物 (新潮クレスト・ブックス)灰色の輝ける贈り物 (新潮クレスト・ブックス)
(2002/11)
アリステア マクラウド

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  歌はどこから聞こえてくるのだろう。労働につけ会合につけ歌われてきた、先祖代々にわたって受け継がれてきたゲール語の歌。それが人生の峠を越えたと実感した男の耳になんとも自然に、やさしげにふたたび聞こえてくる。以前にも増して自分の境遇にもっとも似つかわしいものとして親しげに聞こえる。彼は困難だった自身の人生について親しい人に語りかけたいとの思いを抱いているが、自己表現することが苦手である。その歌は自己表現そのものではないが、つまりは自分個人について語りかける歌ではないが、歌と自分との関係においてだけ見れば巧くいったときの自己表現にも似た満足感をあたえてくれる。自分の身体の中心に錘がすっと沈みこむような充足感であり、揺るがない状態をうることができる。困難で不幸続きだった人生のなかにも幸福感がある。これでよかったのだという確信である。そして彼は彼にとってのゲール語の歌に相当する歌が、やはり疎遠になりがちな彼の家族にも存在することを想像し、かつ望むのだ。この短編が私に語りかけてくれた全体像を、まずは記してみた。
  マクラウドの諸短編は、ほとんどが青年や子供の眼をとおして見た親やさらに先行する世代のケープ・ブレトン島における貧しい生活ぶりであり、親愛と敬意が率直にはらわれている。その気持ちよさはこの「夏の終わり」でも変わらないが、ここでは主人公はおそらくは五十代以上で、つまりは親の世代である。彼は穴掘り人(抗夫)で、もうすぐアフリカの鉱山開発の仕事に旅立とうとしているところで、夏の休暇を故郷のケープ・ブレトン島で仕事仲間とともに過ごしている。観光客の訪れない小さなうつくしい入り江を贅沢に占領して、波とたわむれたり滝に打たれたり、寝そべって日光浴をしながら酒を飲んだりする。夏が終わろうとする最後の一日だ。鋭気を養うというところか。だが彼等のほとんどが身体に傷を負っている。穴掘り人についてまわる事故のせいで、指が何本かなかったり、片耳がそげていたり片目がつぶれていたりする。裸体をさらすことで衣服によって隠されていた傷があらわになって、リゾート気分に小さな影を落とす。そこから主人公の回想に入るのだが、この導入部が島の風景のうつくしさと重なりあって巧みだ。
  主人公は親に強制されたのではなく、穴掘りの仕事が好きで若いときから従事した。大学でスポーツをやったこともあるが、坑道の狭い空間にかえって肉体の解放を実感したという変わり者だ。だが同じ穴で弟を喪った。また祖父も同じ仕事で死んだ。弟のそれは勿論、事故に遭遇した人の救援にも行き、すでに死体となりはてた人体を収容したことも少なくなかった。棺に収めた遺体を家族のもとに届け埋葬の穴も掘った。悲しみはそこにどうしようもなくついてくるが、それだけではない。やるべきことをやってきたという誇りがある。まして荒々しさだけではない穴掘り人特有の職人的勘を鍛えてきた。エンジニアの机上の計算よりも現場におけるや嗅覚のほうが、たとえば爆薬の分量をどれくらいにするとか決めるときにははるかに役立つ。また、滅多に帰宅することのできないスケジュールであり、若いときに熱烈に愛し合った妻とも疎遠さが増した。手紙での言葉も最小限度で、これは表現力のなさかもしれないし照れかもしれない。子供たちも成人して都会に移って暮らしている。だが主人公にはやはり家族のために仕事をやってきたという自負があるのだろう。一人称形式だからであろうか、自慢をそこまであからさまにはしないが、すくなくとも半分以上はやりとげた、峠を越えたという感覚は自然ににじみでいる。そしてゲール語の歌である。
  子供のときから聴かされ、穴掘り人になってからも自然に口についてきた。文化保存の催しにも駆り出されて披露した。その歌が今、先に書いたように自己表現ではないもののそれに似た感覚であらたに立ちのぼってきて腑に落ちる。職業や故郷や家族を大事にし、慈しんできた人として、そうした人の理想像として主人公は作者によって描かれている。だが主人公はその理想どおりにいたって冷静でもある。彼に死が見えないはずはない、もしかすると事故死してしまうかもしれないという恐怖が決してないことはないと読んだ。ゲール語の歌に添うようにもうひとつの詩が主人公の目にとまる。アフリカへ旅立つための荷造りのときにそれは発見される。大学時代に学んだという。ゲール語ではなく十五世紀の「古い英語」(訳者あとがき)で書かれた詩であるが、八行の詩の後半の四行は次のとおり。

私は死へと旅立つ、真に王である私は。
名誉やこの世の喜びが何の役にたとう。
死は人にとって当然進むべき道。
私は死んで土塊を身に纏うことになる。
 (p233)

  冷静な主人公は、その認識において正確でなければならないとも思い返したのだろうか。勿論、職務上死ぬとはかぎらないが、そうかといって死なないともかぎらないのだ。その運命を逃れることはできないから認識においてふり落とすことはできない。また認識であるよりも眠っていた記憶にふれたといったほうが正確かもしれない。そして、ゲール語の歌にも歌詞は当然あるのだろうが、そちらを紹介しないことがこの詩を最後になって効果的に際立たせる。この詩が主人公を萎えさせたのではない。幸福感に影を落としたようだが、それによって彼の自負や幸福がついえたのではない。可能性としての死を見すえることをも幸福につけくわえようとするのだろう。人として立派で理想的である。私自身の凡庸さを知らされる気がする。一行はアフリカへ旅立つために島を離れてトロントをめざして車で移動する。車中で主人公はこの詩とゲール語の歌との不可分性に気づかされる。それはゲール語の歌を知る人全体のものではなく、彼固有のものである。最後にきてのこの転換を見逃してはならない。

猛スピードで走る車のなかでゲール語の合唱に包まれながら、突然、この詩が頭に浮かんでくる。とくにそれを歓迎しているわけでも思い出そうとしているわけでもなく、実際、ほとんど忘れかけていた詩なのだが、別に会いたいとも思っていなかった古い知人が目の隅に入ってくるように、こちらの意志とは関係なく頭に入ってくる。求められても期待されてもいない、ろくに記憶されてもいないのに、ふたたびやってくる。それは、高くうねる大波の上に点在する白い泡のように、高まり波打つゲール語の声に持ちあげられ運ばれてくる。違うけれども似ており、似ているけれども違う。そして、その時が来れば拒むことはできない。(p232)


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アリステア・マクラウド「灰色の輝ける贈り物」

灰色の輝ける贈り物 (新潮クレスト・ブックス)灰色の輝ける贈り物 (新潮クレスト・ブックス)
(2002/11)
アリステア マクラウド

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  短編集全体の題名にもなった「灰色の輝ける贈り物」は集中もっとも緊迫感ある文体でつづられている。子だくさんで貧しいらしい一家の長男の少年がふとしたはずみで大人の世界に一歩足を踏み入れる。慣れてしまえば何でもない世界なのだろうが、少年にとってはその時期に実感するであろう特有の興奮と不安が巧みに切りとられている。親との関係も変化する。それまで「いい子」であった少年が突然そうではなくなったから親をはじめとして大人は少年に心配と好奇の目を向ける。少年のほうでも、大人の反応にたいして考えを新たにせざるをえなくなる。
  ジェシーは学校の帰りに酒場の表に立ち寄ることが習慣になった。そこは二十一歳以下は立ち入り禁止の店であるが、外から覗くことができるビリヤードに興味をもってしまったのだ。やがて意を決して店内に入ることになるが、だれも咎めない。そこで客が来ないときには小銭を入れてビリヤードの練習をすることをくりかえして、腕をめきめき上達させる。客同士が競技するときには見物というスケジュールである。そうした日々のなかで彼は相手のいなくなった客に呼び止められて参加することになる。ポケットマネーでできるようだが賭博である。ジェシーは勝ちつづける。門限の十二時になっても止めることができない。自分でも体験したことのない興奮と不安と堕落に見舞われていることを実感するが、坂を転げるように競技から身を抜け出すことができない。父の友人コーデルとも偶然対面し競技するが勝つ。たぶん告げ口はしないだろうとたかをくくるからだ。それにその酒場は規模がやや大きく、少人数の歌と演奏のライヴがある。また長いカウンターがあってその上ではゴーゴーダンサーが踊る。夜の更けると酔いのまわった男たちはだらけてきて、子供には見せない顔をさらす。そういう少年にとっての大人の狂態や音響がつまり酒場という場所が、ビリヤードにくわえて、少年ジェシーを異様な感覚でつつみこむ。誘惑と嫌悪が混じり合うのだ。少年時をふりかえればさもありなんとだれでもが頷けるところだろう。それにマクラウドが巧いとわたしが思ったのは、それらにくわえて匂いについて描きだしたところだ。異様さは臭覚をもさいなむ。

  この酒場のすべてのもの、すべての人間の上に匂いがたちこめ、その匂いは、出口のない巨大なテントの天井のように圧迫していた。汗をたっぷり吸いこんだまま乾いた、めったに洗わない作業着の匂い、こぼれたビールの匂い、それを拭いたモップのすえたような匂い、湿って腐りかけた床下の木の匂い、そして男子トイレの自在ドアからたえまなく漂ってくる強い臭気。それは、排泄された尿や強力な消毒剤や、便器のなかに捨てられたタバコの葉っぱや紙の発する悪臭だった。便器の上の壁には、ぞんさいな字で書かれた表示が出ていた。「この便器は灰皿ではありません。当店のトイレにタバコの吸い殻を捨てないでください。われわれはお宅の灰皿に小便はしません。ここにタバコを捨てるな」
  そうしたものすべてが彼の五感に襲いかかるにつれて、なにもかも俺の人生を狂わせている、まだ十八歳なのに、人生のすべてが台無しになったと思った。そして家に帰りたいと思った。(p73)

  ジェシーが匂いの逐一について理解するのだろうか、わからないが、マクラウドが彼自身のそういう記憶を分析しているのかもしれない。「混合臭」や出所の複数ある匂いがジェシーのなかで一緒くたになって圧迫するのだ。よくわかる気がする。だがジェシーはここに書き出されたようには「家に帰りたい」とは思わない逆の気持ちも強くはたらくにちがいない、屈服しまいとするように私には読める。夢魔が作用したとしてもだ。そしてついに彼は十二時よりもかなり遅く店を出た後、コーヒーショップで夜の明けるのを待って帰宅する。ときには暴力的になる父からどんな叱責を受けるかこわかったが、彼はビリヤードで勝った金三十一ドルを家族に渡して許してもらおうと考える。家族が貧しいことを彼は知っているので、資することは悪くはないと思うからだ。切羽詰まってもいる。だが思いどおりには行かない。ここから第二、第三の物語がはじまる。彼はビリヤードを酒場でやっていたことを正直に告げて金をさしだすが、父母はつとめて冷静にジェシーに接して、朝ご飯を食べる前に金を返してこいと、厳格さをこめて命じる。十八歳で賭博に手を染めたことへの親としての当然の反応だろう。ジェシーにとってはにわかには納得しがたく抗議するが親の壁は厚い。彼は「怒りと無念さと絶望感」で泣くのだが、親の言いつけどおり行動する以外にない。だが競技の相手は複数であり、知らない人もいる。そこで相手の一人であったコーデル氏に金を返却しようとする。これが第三の物語だ。
  コーデルは金を受け取らない。ジェシーの金を返そうとした意志を十分尊重したうえで、また父に事実どおりに話すことをすすめたうえで。このコーデルの態度は大人としてごく当然だろう。後日コーデルとジェシーの両親とが話し合うことをにおわせて短編は終わる。金やビリヤードをめぐってはジェシーと両親との間でさらに話し合われることだろう。金の行方はどうなるかわからない。だがここでとりあえずは結着がついてジェシーはようやく安心する。
  少年にとっての金にまつわる虫のいい考えは両親によって拒絶され、その両親の言いつけどおりにとった行動はさらにその当人のコーデルによって否定された。ここで少年はとうてい考えの及ばない大人の言動にふれて途方に暮れている。うろうろさせられる。酒場に行ったこともふくめて、考えをどうまとめればよいのかにわかにわからない。だがそれだけではなく、父と友人コーデル氏とのあたたかいつながりにもふれてそのなかに包まれる思いももつのだ。そしてマクラウドは後者にどうやら重点を置いている。少年の目をつうじて大人の連帯のやさしいさまを描くことを忘れない。素晴らしい短編でありながらも、またその判断を動かす気もさらさらないが、ここは私としては個人的見方ながら、不満がなくはない。つまり子と親、とりわけ父との対立をもう少し拡大してもらえればさらによかったのではないかと思うからだ。少年のもつ嗜好や夢はしばしば父と対立し、尖鋭化することも少なくないので、少年ジェシーは自分の思いにもっと依怙地になっても不思議ではなかった。金のことはともかくもビリヤードの賭への参加を出来心以上のものにする書き方もあった。すると大人の壁はもっと厚く頑固になるので、親子の対立のさまも、少年の絶望のさまもちがった形相を見せたにちがいない。もっともマクラウドという作家は、反抗よりも、親やさらにそのうえの世代の苛酷な生活ぶりに尊敬をはらうことを主眼とする人だから、ないものねだりではあるが。
  とは言え、少年の目に映った酒場の光景はよく描きこまれて記憶に残る。

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アリステア・マクラウド「船」「広大な闇」

灰色の輝ける贈り物 (新潮クレスト・ブックス)灰色の輝ける贈り物 (新潮クレスト・ブックス)
(2002/11)
アリステア マクラウド

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  アリステア・マクラウド(1936~)の短編集『灰色の輝ける贈り物』からいくつか撰んで感想を書いてみたい。「訳者あとがき」によるとマクラウドは生まれは別の地だが、子供の頃カナダ東部のケープ・ブレトン島で過ごしたそうだ。同島は東は大西洋、西はセント・ローレンス湾に面する自然豊かな島で、漁業を生業とする人が多い。また現在はどうか不明だが、マクラウドの子供時代には炭鉱業も盛んだったようだ。後年彼は教師となって島を離れるが、その地での生活は彼に忘れがたい思い出を刻んだと思われる。漁師や炭坑夫はときには死をもともなう危険で苛酷な肉体労働だが、マクラウドは父祖代々受け継がれてきたそういう島の人々の暮らしぶりを誇りにしている。いうにいわれぬ愛着が読むにつれてにじみだしてくる。直接的には親や祖父母にたいする愛惜の念であるが、遙か昔にイギリスから移民してきた人々へもそれは向けられる。島の人々はゲール語という古語による歌を代々にわたって大事にし伝承してきたが、マクラウドもまたそれを大事にする。民族というと大げさになるが、現在の自分とそういう先祖とをつなぐ人々の歴史が意識されるのだ。マクラウドにも「都会人の孤独」はあるのかもしれないが、そういうものを彼は直接には描かず、混迷をただす拠り所として書いたようなケープ・ブレトン島の人々や自分の体験したことを描く。哀感や感傷はあるが、そこに流されずに島の人々への思いをつうじて人生への力強い肯定符が打たれるのを読者は体感できる。

  冒頭の「船」(1968)は処女作かもしれないが、はやくもマクラウドのそうした特長が出ている。都会で学校教師をしている主人公が故郷の島ケープ・ブレトンに休暇で帰ってきて、亡き父を偲ぶ。ものごころついたときからはじまって、やがて青年期になると父の近海漁業用の小さな船にいっしょに乗って仕事を手伝うようになるが、この父の人物像が私には好もしい。彼は読書家であり都会文化にあこがれをもっていて、彼の部屋には本やら雑誌やらが乱雑に積まれてあるというものだ。漁師という職業にうちこむだけでは飽き足らないのだ。そんな父に子供たちはなつき決まって影響を受ける。主人公は末っ子で何人かの姉がいるが、全員が島に生涯を埋めることに抵抗感をもち、都会にあこがれる。結局は姉たちはすべて都会の男と結婚して島を後にし、主人公も島の外に職を得るのだが、そういう過程において子供にとって父は理解者でありかつちょっとした情報源でもあるようだ。母が逆に保守的で島の生活に誇りをもっていて、子供たちにきびしくあたるので避難所の役割も父は果たす。母は生来的に生活に直結しない趣味や遊びには嫌悪感をもつ人で、父の読書が子供に「悪影響」をあたえたと見て父や読書に憎しみさえ抱く。漁の仕掛けの準備や家畜の世話、縫い物などに全ての時間をついやして暮らす母。楽ではないようだが、そういう生活を彼女は自負するのだ。
  主人公はなつかしがる。父母の対立が深刻になった一瞬を目撃してしまうこともあるが、生活の流れのなかでは大事であっても書き方としては控えめだ。主人公は父を中心とした島の生活全体をふりかえることに心地よさを感じているので、そこで深入りはしない。僻地の子供が都会にあこがれるのはありふれているのかもしれないが、逆に都会の人は僻地に好奇の目を注ぐ。つまり島にも観光地化の波が訪れるのだが、マクラウドはこの部分を主人公の目をつうじて好ましく、少しユーモラスに描く。父にとってはその時代の推移はやはり好ましくかつ照れくささもともなうようであった。父は観光客と交流する。漁船に搭乗させたり、彼等の「キャビン」に招待されてゲール語の歌を披露したりで、いくらかの収入にはなったのかもしれないが、満足感はそれ以上だったのだろう。父は観光客に「ヘミングウェイ」と愛称をつけられる。以下は彼等が撮った父のスナップ写真を主人公が見た描写。

父は堂々として見えたが、同時に写真の背景にそぐわないようにも見えた。かさばった漁師の衣服は、緑と白の芝生用の椅子には大きすぎたし、ゴム長靴は、きれいに刈りこまれた芝生をはがしてしまいそうに見え、日焼けした顔にビーチパラソルは似合わなかった。長い時間歌っていたので、春には風にさらされ夏には海の照り返しを受けてカサカサに荒れていた唇は、ところどころに切れ目ができ、口の端や白い歯に点々と血がついていた。手首を保護するためにはめている真鍮の鎖の腕輪が異常に大きく見え、幅広の革のベルトはゆるめられていた。厚ぼったいシャツと下着は襟元で開かれ、あごから首にかけて生えた無精ひげの延長に、茂るにまかせた荒れ野のような白い胸毛がのぞいていた。青い目はまっすぐカメラを見すえ、髪の色は左の肩越しに浮かぶ二つの小さな雲より白かった。後ろには海があり、限りなく青い水面がはるか彼方まで広がり、青い空のアーチに接していた。(p19~20)


  漁師服姿は芝生やビーチパラソルにいかにも似合わない。だがちぐはぐなだけではない。何も書かれてはいないが、たぶん父は観光客との交流のひとコマで満足して微笑を浮かべているのではないかとわたしは思う。それになによりも主人公が父をなつかしみ同情する気持ちがこめられている。「唇の血」について指摘したところだ。別のところでは「塩水やけ」について書かれていて、皮膚の弱い父は唇が切れたり皮膚が水ぶくれしたりで年中悩まされていたという。こういうことは身内や長いあいだ寄り添った人でないとわからない。また丹念さを心がけても島の生活を知らないと書けない。それに髪や胸毛の「白さ」の描写。老いよりも風雪に耐えてきた頼もしさが感じられるではないか。勿論それは主人公の父への畏敬の念である。それに作者マクラウドが愛惜してやまない海と空。ケープ・ブレトン島とそこでの人々の生活と時代の推移とが、十何行かに全体像としてちりばめられた見事な文章ではないかと思う。
  主人公はやがて成長するにつれて、父は本来は別の仕事に就きたかったのではないかとの推察にいたる。他の漁師と比べてそれほど漁が好きではないとみえるからで、また読書好きの面は彼の文化的な仕事へのあこがれを連想させた。父が大学進学をあきらめたことや、四十歳を過ぎてから結婚したことなどをうちあけられる機会があったからでもある。父における心の葛藤を主人公はしのぶ。むしろそのことを知ってからのほうが、主人公の父への愛情はよりつのっていく。「自分本位の夢や好きなことを一生追いつづける人生よりも、ほんとうはしたくないことをして過ごす人生のほうが、はるかに勇敢だと思った。」と。そんな父もロブスター漁を終えて時化の海を帰港する際に遭難死してしまう。主人公もいっしょに乗った漁船から転落して。このように亡き父に対する思いでつらぬかれた短編「船」だが、母へのいたわりも忘れない。伴侶を亡くし子供にも去られて一人暮らしの身になってしまったから。

 「広大な闇」の主人公は十八歳の少年で、それまで父の炭坑夫の仕事をケープ・ブレトン島で手伝っていた彼が自由の身になりたくて島を出ていくという話。炭坑での仕事ぶりが、こまごまと書かれてこれが後半になって効いてくる。主人公が父母をはじめとする島の人々の生活を自分の子供時代をもあわせて回想し、さらにそれを自分の現在に濃密につなげていくという形式は「船」と共通する。もっともこちらは十八歳だから直前の過去もふくむ。
  父は長年の炭坑での仕事の間事故によって右手の中指と人差し指が欠けている。炭塵を吸ったせいなのか咳き込むこともある。また仕事によるストレスのためか、酔っぱらって家族に暴力をふるうこともある。そんな父だが主人公は忌み嫌っているのではなく、酔ったときの父を介抱してベッドまで運ぶこともする。炭坑の仕事に凛々しさを感じるからである。「一度始めたら、つかまるぞ。一度地下の水を飲んだら、もっと飲みたくなって始終戻ってくるようになる。その水がおまえの血のなかに入るんだ。わしら、みんなの血に入っている。」(p43)祖父のセリフで彼もまた炭坑夫だったからで、仕事にたいする言い慣れた愛着の言葉で孫の主人公に穴掘りをしきりに勧める。それを理解しえない主人公ではないが、やはり若い人の例に漏れず僻地の島から脱出して都会へ出て行きたいのだ。そんな彼を父母は引き止めたがるが、強制はできない。彼の希望にまかせるしかない。別れの挨拶を祖父母にそそくさと告げてヒッチハイクでつないで島からとおざかる主人公。その車中で思い出すのは島以外の鉱山で落盤事故があったときの子供時代の記憶だ。義援金に供するために小さな姉妹は小遣いの小銭をとりあげられた。また父は救出作業のため慌ただしく家を後にした。何代目かの車に同乗させてもって休憩で停車した町の名が「スプリングヒル」まさに落盤事故があったところで、父が帰宅してから遺体の惨状について母にひそひそと語っていた記憶とぴったり符合する。
  回心といえば大げさだが、それにちかいことがそのとき主人公のなかで起きる。彼は「赤い大型車」の運転手ににわかに違和感を覚える。自由で孤独な運転手の身分にほのかに共感を抱いていたらしいことが一転する。運転手が娼婦を買うために立ち寄ったからだ。それだけでなく自分がこれから「自由」になるという見通しにも、あまりにも「単純化」して考えてしまった結果ではないかと自省するのだ。「自由」とは羽のように軽いものなのか。男が娼婦を買うように、だれもが人々と束の間交わり合いながら自分の目的に向かって旅立っていき、その行方を人々は知らない。自分もまた人々の行方を知らない。一方においてはそれでよいのだし、人生はそういうことで過ぎる。だが他方人々にはそれぞれ固有の「複雑」な思いがある。その思いは決して他人にはわかるまい、そういう眼差しで人々は他人を見る。主人公もまたそんな眼差しで他人から見られる。主人公にとって「複雑」な思いを抱くであろう存在とまず思われるのは父であり母で、その思いは家族である主人公がいちばん具体的に想像することができる。そして想像することを今まであまりにもおろそかにしていたのではないか、呑気だったのではないか、という自省である。島にいたころに自分の将来にわたっての「自由」に執着しすぎたことの迂闊さだ。読者はここで主人公とともに穴掘りのつらい仕事にたちかえらされる。
  気づくということであり、ふとした偶然によって人は遅れて気づく。これが本短編「広大な闇」の主張と思われる。親孝行をすべきだという訓戒ではなく、それに背いて主人公が羞恥にまみれるのでもない。島に急に引き返すのでもない。人と人とのつながりについてとりわけ家族について思いを注入すべきで、そこから共に生きるという実感にまでたどりつけたらいいのではないか。とりわけ父はお手本にもなりうる。「自由」で目的地へ向かってまっしぐらに進んでいくだけが人生ではない。マクラウドはそういいたいのだ。スプリングヒルに停車するあたりの文章は要領がいいとはいえず、わたしの解釈はやや恣意的かもしれないが。

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白いリボン

  ミヒャエル・ハネケ監督の映画を見るのははじめてであるが、何処かの紹介文にはナチズムを引き起こした青年たちの子供時代の事件というほのめかし方がされていた。第一次世界大戦前夜のドイツの小さな村が舞台であり年代的には符合するが、はたしてそうだろうか。傷害や放火など奇怪な連続事件に子供たちが深く関与していることは映画のなかではついに断定はされないが、おそらくはそうであろうと視聴者は想像することはできる。しかしナチズムのようなとおい出来事が何故現在につながる深刻な問題として掘り返されなければならないのだろうか。私はむしろ宗教的意識の深刻さ、根深さという主題として見た。題名の「白いリボン」は牧師が子供たちの腕に純真無垢であれとの祈り(=命令)を籠めて巻くものだが、それは裏返せば大人にたいして反抗するな、大人社会を知ろうとするな、従順であれという抑圧的意志とも受けとれる。だが子供たちは被害者である。たとえば年長の女の子は医師に性的虐待をこうむることが後半明らかにされるが、一度ではないらしい空気が読み取れる。そこで子供たちは大人への反抗を決意して連帯する。同時にそれは神への反抗でもある。鬱屈した子供なりの宗教意識をつきやぶって「神に懲罰を受けない」存在としてみずからを規定し直すのだ。死を射程に置くかのように橋の細い欄干を歩行しながら子供の一人がそんなことを言っていた。これほどの宗教にたいする意識を子供時代も現在も私は持ったことがないので実感がないが、ドイツやヨーロッパ地域では現在でも「被抑圧意識」としての宗教=キリスト教を引きずっているのだろうか。そしてミヒャエル・ハネケのような知識人は関心を寄せるのだろうか。私は疎いがもしそうならば、現在の問題にちがいなく、ナチズムの病巣をもとおくつらぬいていると思える。つまりナチズムだけが問題ではないのだ。
  マルクスやニーチェは宗教を抑圧装置だと批判したが、べつに学問上の問題ではなく、この映画ではきわめて子供たちにとって即物的、現実的な問題としてあらわれる。階級対立が目の前にあるのだ。医師は書いたとおりの極悪人で、おそらくは子供たちの仕掛けた針金で落馬事故にあう。また地主の男爵は劣悪な職場環境をいっこうに改善せず、そのせいで小作人の妻が事故死する。その妻の子供の青年は怒り狂って、おそらくは自分たちが栽培したであろうキャベツ畑を鍬で破壊してしまう。(これを一連の事件に入れると医師のセクハラとともに「犯人」が明瞭に明かされる一例)男爵の吝嗇と使用人にたいする抑圧ぶりは妻の離反の原因でもあるようだ。また牧師も子供たちの暗い連帯を嗅ぎ取っているようで、その原因が村の大人にあることももしや知っているのかもしれないが「臭いものに蓋」で、無反抗と従順を強制する。そんな大人たちにたいして子供たちの笑顔一つ見せず同じようにやや上目遣いで凝視するさまが印象的で、男爵の金髪の子供だけが無邪気に遊ぶ様子が描かれるので対照的だ。だが残酷な事件の全貌はついに解明されない。大人が一部に加わっていることもほのめかされているようにも思えるが……。狂言回し役の教師が老年期になってからの回想という形式になっているからかもしれない。つまり合理的解釈の限界まで、過去を反芻してやっとたどりつくが、その先にはやはり謎が残るという構成である。物語的な解放感がえられないこともあるが、「病んだ」子供や大人が大部分なので、私にとっては好きになれる映画ではないが。
  モノクロでスタンダードサイズ?(ほんの少し横幅が広いか)の画面はいかにも過去の出来事を表すかのような「ぼかし」を思わせる。それに木造立てで三角屋根の当時の住居。一九五〇年代の日本の校舎に似ているがあれよりもどっしりした風格がある。人や馬車や自転車が通行する広い地道。その風景はまるでそこでいっとき暮らしたことがあるような郷愁をそそられなくもない。この映像は食い込んでくる。カメラワークもなが回しが多用されて堂々としていて風格がある。夜の室内での光と闇の対比。頑丈そうな部屋の造り。これらの画面構成には圧倒される。
  ★★★★

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服部龍二『広田弘毅』(2)

広田弘毅―「悲劇の宰相」の実像 (中公新書)広田弘毅―「悲劇の宰相」の実像 (中公新書)
(2008/06)
服部 龍二

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  さらに広田は総理大臣にまで就任する。ときに一九三六年三月五日。二・二六事件で岡田内閣が倒れた直後で、重臣会議では近衛文麿が推戴されたものの近衛が難局を予想して拝辞したからで、広田が担ぎ出された。広田の軍への妥協的態度を危ぶむ声もあったというが、服部氏によれば「人材が払底していた」。また広田自身が首相を引き受けた理由を服部氏は二・二六事件や陸軍への怒りであるとする。たしかに私が読んでも首相期の前半には広田の気力の充実ぶりがうかがえる。広田は「粛軍」にこだわった。悪名高い「陸海軍大臣現役武官制」の復活であるが、陸軍自らの粛軍のためのこの要求(二・二六事件に影響力があったとされる陸軍皇道派を予備役としてその復活を無にするという名目がある)を呑む交換条件として広田は、総理大臣による陸軍大臣の直接選任制を提起して寺内、永野の陸海軍両大臣に同意させた。戦後の政治制度ではまったく当然のことながら、この時期においては首相の権限がこのように弱かった。(「帝国国防方針」の策定にも首相は参加できなかった)だが残念なことにこれは結局うやむやになってしまった。「詰めの甘さが広田らしいところでもあった」と服部氏は記す。なお、それまでは陸軍大臣の場合は陸軍の三長官で決められていた。結果としては実らなかったものの広田はふんばりを見せたのではないか。
  広田はまた陸軍の組閣人事への介入を粘りづよく阻止した。政党出身者の入閣を二人とせよという要求をはねのけて四人にした。ただ親欧米派の吉田茂の外相就任は陸軍の毛嫌いによって実現はならなかった。また広田は天皇を軍批判に「利用」した。国会開院式での天皇の勅語を広田は下書きして天皇に読ませたのである。型どおりの文言のあと「今次東京に起れる事件は朕が恨みとする所なり 我が忠良なる臣民朝野和協文武一致力を国運の進暢(しんちょう)に効さむことを期せよ」と天皇から言葉が発せられると、議場は静まりかえった。「事件」とは二・二六のこと。この勅語は議員、国民、陸軍軍人に大きな影響力をもたらしたという。天皇の政治利用だから批判されなければならないが、むしろ私は広田のなりふりかまわぬ手法に共感するところがないことはない。なんでもやってやれという気概だろうか。だが広田の抵抗もここまでのようで、以後は例によって軍部の圧力にしだいに妥協的になっていく。
  一九三六年十一月二十五日、広田内閣は日独防共協定を締結した。大使時代以来の実績からソ連との宥和を期待された広田だったが、この協定によってソ連を敵対視することになり逆方向に舵を切ることになった。もっとも広田は防共協定への中国の参加を希望していたようだが、日中の反目が増しつつある時期ではかなわぬ夢であった。三六年のそれ以前には支那駐屯軍の増強や「国策の基準」が決定された。海軍の南方進出を謳ったもので、軍事予算の大盤振る舞いの理由付けにされた。戦争を直ちにやるというものではないにせよ、その下準備が広田内閣のもとで着々とすすめられたのである。一九三七年一月二三日広田内閣は総辞職した。寺内陸相が解散を頑強に主張して収拾できなかったからという。
  だが広田は同年の後半にははやくも政治の表舞台に復帰する。林銑十郎内閣が倒れたあと六月四日に近衛内閣が成立し、広田は外相に就任したのである。またしても「人材の払底」なのか。そしてまもなく廬溝橋事件が起きる。これに関しては他の読書感想文でふれたので繰りかえさないが、近衛は対中国への強硬路線を選択してしまった、日中戦争の泥沼化への口火を切ってしまったのである。広田が近衛の方針に反対した形跡はないとのことで、これは現役の外務省官僚や政治家の広田にたいする危惧(軍部にたいする抵抗力の弱さ)が的中してしまったことになる。近衛にたいしても広田は無抵抗だった。私もしだいにこの文をつづける意欲が減退するのを感じるがもう少し書き継がねばならない。広田や日本政府は蒋介石政権にたいして駐華ドイツ大使トラウトマンを介してなどさまざまな和平工作を試みるが、次第にその条件をつりあげていき降伏勧告にもひとしいものとなり、蒋政権をかえって離反・敵対させた。日本軍の快進撃と世論の突き上げが背景にあったものだ。広田は元来は日中提携論者であり蒋介石政府を中国の正当政府として認めたうえで和平交渉を試みる方針であった。蒋も広田のそういう姿勢に当初は期待をかけていたし、政権内部の親日派もまたとくにそうだった。これにたいし陸軍は中国分断論が根幹にあった。つまり蒋政府を弱体化させて別の政権を樹立させようとの意図を抱懐していて、そのことはやがてのちの汪兆銘の南京政府として結果するにいたるのだが、広田は陸軍のそういう方針にしだいに軸足を移していった。
  三七年十二月十三日南京陥落。日本国民は熱狂し、東京では四十万人もの提灯行列ができ「万歳」をくりかえして練り歩いたという。だが南京では「南京事件」とのちに呼ばれる日本軍による虐殺事件が起きていた。外務省はその報告を外交官や外国人から電報で受け取り広田も知るところとなったが、広田は陸軍に抗議したものの閣議には報告しなかった。つまり閣僚の耳にはこの事件は入らなかった。広田のその行動(無作為)の真意は不明だが、このことが東京裁判で重要問題としてとりあげられて広田の絞首刑判決の理由のひとつとなった。

  時代の先行きがみえなくなったとき、ともすると人心はカリスマ的な指導者を待望し、軍事力による国威の発揚を求める。国民に祭り上げられた指導者もまた、脆い政治基盤と責任感のなさから大衆に迎合しがちとなる。だが、強攻策によって政権を維持したとしても、そのつけは、政府だけでなく国民にも重くのしかかっていく。
  この時代でいえば、近衛がまさにそのような指導者であった。国民の人気に頼りがちな近衛は、世論を煽って熱狂的な支持を得た末に、日中戦争を収拾できなくなった。もともと職業外交官であり、経験に富む広田は、一回り以上若い近衛を諫める立場にあった。しかしながら、現地での停戦を否定するかのように近衛内閣が派兵や戦費調達を決定するなかで、副総理格の広田は消極的に賛成を繰り返した。(p196)


  服部氏のこの言葉に何もつけくわえる言葉はない。
  近衛内閣は一九三九年一月総辞職。この後は平沼騏一郎、阿部信行、米内光政が首相に就いたがいずれも短命内閣で、一九四〇年七月近衛文麿が再び首相に就任した(第二次、第三次近衛内閣~一九四一年十月)。おやっと思うのは平沼の次の首相候補に広田の名前が重臣会議でふたたびあがったことである。広田を推薦したのは近衛で、逆に広田はそれを受けて近衛を推薦した。「人材の払底」という言葉をまたしても使わなければならない。この小文で三回目である。この時代に文民政治家がいかにも不足していたことの証左で、近衛と広田は「試験済み」だった。これでは戦争にのめりこんでいく国家体制を立て直すことが人材面で困難だったとみる他ない。広田は米内内閣にあっては参議という閣僚と同等の地位にあり(現在でいう無任所大臣か)それを辞した後も重臣会議に参加しつづけた。ただ広田にしてはめずらしく語気を荒げた場面があった。一九四〇年九月二七日日独伊三国軍事同盟が締結された後、近衛首相は松岡外相、東条陸相をまじえて重臣会議にこれを報告した。広田はこのとき「立役者」である松岡洋右に向かってこういったという。

 「本条約締結は何の必要があるのか、自分には解らぬ。現下日本外交で一番必要な事は支那事変の終結である。然るに本条約の締結は英米を真正面に敵とする事になる。そうすると蒋介石は当然此の事態を利用して英米を支那側に引付けるべく努めるであろう。そうすると支那事変の終了は愈愈(いよいよ)困難になる」(「東京裁判広田弘毅元首相弁護資料」一四四)
 広田の意見に押された松岡が、「意見の相違である」と口をにごすと、広田はさらに問いつめた。
 「英米は今迄支那にも、日本にも公平に物資を供給して居る。然るに英米を敵に廻したら、何処から物資を入れる事ができるか」(p205)


  服部氏に「詰めの甘さ」を指摘される広田だが、この日はめずらしく意見をつづけたという。このあとは省略するが、引用した部分だけでも広田はまったく正しい意見を吐いたのだ。ならば何故に広田自身が三国同盟に先立って日独防共協定を締結したのかという疑問が湧いてくるが、広田自身が同協定の軍事同盟への発展を危惧していたので、こういう罵倒といっていいほどの言葉となったのか?この書を読んで胸のすく思いがする個所であるが、同時に遅い気もする。これだけの気概を外相、首相時代に松岡のような人ではなく陸軍軍人に向けられていたらなあという思いが出てくるが、ないものねだりか。
  広田の政治活動はこのあとも終戦期までつづく。一九四五年六月頃の駐日ソ連大使との非公式の接触などあるが省略する。
  広田弘毅の政治的足跡をたどりながら同時に政治と軍事の全体的推移をも俯瞰できる好著で、私にしては丹念にあるいはぐずぐずと読んだが、未知の分野の知識を素人的に興味を持ってとりいれるという以上のことができたか、疑問である。蛇足だが少し書いてみたい。つまり私自身の現在とどう関わるのか、とおい時代が自分もふくめて現在とはたして切実な関係づけができるのか。あるのかないのかと問われれば少なくとも今の自分のなかには空白が口を開けている気がする。「とおい時代」にたいして力をこめて肉薄できないとでもいうのか、あるいはそれは当たり前なのか。だらだらと書いたのかもしれないが、「とおい時代」との距離のとりかたを意識しなければならないということだろうか。本の感想からはなれて、最後には自分自身のそういうありように逢着した。


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