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加藤陽子『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』

それでも、日本人は「戦争」を選んだそれでも、日本人は「戦争」を選んだ
(2009/07/29)
加藤陽子

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  第二次世界大戦における日本人の戦死者数は軍人と民間人をあわせて約三百万人、アジアにおける戦死者は一千万とも二千万ともいわれている。戦争に関連する本に眼をとおすたびに、いつもこの厖大な死者の数に圧倒される。憤りを抱くよりも無力感に支配されかかり、さらにそこからも逃げだしたくなる。そうしてうんざりする感覚が決まって残る。巨大な歴史の爪痕をまともに引き受けたくない、逆に言えば引き受けようとする気持ちが微かにではあれ自分の何処かにあって、その自覚にぶちあたった瞬間にあわてて逃げだしてしまう。私自身をふりかえるとそんなところだろうか。
  私は戦後生まれなので兵としてそこに参加したこともなければ、たとえば空襲の光景が記憶に残っているのでもないが、もう懲り懲りだという感覚は程度の差こそあれ、つまりそこに直接参加した者やそこで深い傷を負った者と「歴史」として戦争を読む者の差こそあれ、なにかしら共通するものがあるのではないか。職場において戦場において当時の人々はひとしく奮闘したのであろうが、あるいはそこで自己形成の核心をえた人もいたであろうが、あの時代を繰りかえしたくはないという人が大部分のように思える。すくなくとも私はそう思いたい。何故なら反復になるが厖大な死者を生み出した時代であったからで、戦後になってその事実の詳細を知らされた上ではなおさら戻りたくないという感覚は強くなる、それが人間の持つ自然性ではないか。
  戻りたくないという感覚は、私の場合、たとえタイムマシンが与えられたとしても同じだ。本の読者として客観的な資料にもとづいて戦争を俯瞰し、興味によって気ままに局部を拡大して味わうというのではない。現在の知識がないままにその時代にタイムスリップしたならどうなるのだろうか。参加者として、主義主張をはっきりさせた上でさらにそのとおりに行動しなければならない。その時代に青少年期であったならば、ろくろく情報を集められないときだから私は無邪気で威勢のいい軍国少年だった可能性は大いにある。戦地に赴く兵士に喜んで日の丸を振っただろう。兵として最前線に配置されたならばどうだろう。食料や物資の欠乏を目の当たりにして自軍の弱さを思い知り、昨日の威勢のよさは吹っ飛んで厭戦気分に支配されただろうか。何処かから知識を得て、アメリカとの戦にはとうてい勝ち目がないことを冷静に知っていたならばどうだろう。果たして私は抵抗できるか。国家や軍部という巨大装置に向かって個人として何ができるのだろうか。「アカ」のレッテルを貼られて長期間獄に閉じこめられるのか、それも気が進まない。国土や同胞を微力ながらでも守るために死を決意して、あるいは勘定に入れて内地なり戦場なりに過ごすのだろうか。その時代にあってはそういう覚悟の姿勢が一番据わりがよくて落ち着ける気がする。同僚と呼べる人々がいれば、彼等との仲もその姿勢があればすっきりしたものになれそうだ。しかし厖大な死者数とあまりにも無残な敗戦という現在の知識を前提にすると、死の覚悟を受け入れることによるある種の解放感も減殺されるのではないか、とも思えてくる。突っこんで考えたことはないが。

  一九三一年の満州事変を起点として一九四五年八月一五日の終戦までの戦争の期間がいわゆる十五年戦争であるが、この期間の大部分において戦争を中心的に指導し推進した人物をさがしても見あたらない。満州事変を推進した一人である石原莞爾という人はその後表舞台には出てこない。国際連盟脱退時の全権松岡洋右も同様で、つまりはヒトラーやムッソリーニにあたる人が日本にはいない。東条英機や山本五十六という人も入れ替わり立ち替わりのなかの一人にすぎず、突出した固有名詞の存在は日本にはいない。昭和天皇は意見を述べたことはあったようだが、軍の作戦遂行や内閣の決定に積極的にかかわることはなかった。まわりがそうさせなかった。非戦的意見の人だったが無力化された存在であった。二・二六事件を引き起こした青年将校にたいする烈火の怒りは例外中の例外だ。(このときの天皇の発言が、青年将校を罪人として処遇することに決定的に影響を与えたという)それでは十五年戦争を積極的に推進した存在は何か。軍隊を全体的に支配していた軍事優先主義だろう。国難にあたっては外交交渉もするが、いつまでもそこに踏みとどまることはせずに軍事力の行使によって相手国の言い分をはねのける、自国の支配下に置く、いざというときには戦争を持って解決する。こういう姿勢と方針が軍の大部分をおおいつくしていた。軍のマジョリティとしてそうだった。国民の大部分もまたそうした軍の姿勢に喝采を送ったらしく、日本国=軍で、外交による国際協調は軽視された。日本全体の時代的空気が戦争を推進することの後押しをしたようだ。満州事変の翌年にあたる満州国建国にも反対する声はなかった。
  加藤陽子さんによれば今は「その筋」といえばヤクザをさすが、当時は陸軍と警察をそう呼んだという。政治家や軍のひとにぎりの上層部は二・二六事件などの記憶が覚めやらず、軍中枢のテロや反逆を怖れた。天皇やその側近も例外ではなかった。政治を担当する上層部の人々は日々匕首を突きつけられながら職務についていたといっても過言ではなかった。
  だが、天皇や政治家は中国大陸における軍の独断専行を恐れ、すでに起こしてしまったことにはにがにがしい思いをしたのだろうが、軍の大陸での駐留や満州国の建設と継続には真正面から反対することはなかった。軍を恐れたばかりではなく、政治方針としてそうだった。あまり激しいことはやるな、もっと穏便にというくらいもので、蒋介石の国民政府との外交交渉を積極化する動きはなかった。できうれば蒋介石を打倒して降伏に追い込みたい、そうでなくても大陸での領土と権益は確保しつづけたいとの願いは軍とも国民世論とも共通していたと見るべきだろう。蒋介石軍は頑強に抵抗しつづけ中国戦線は長い間膠着状態に陥ったが、それでも日本軍はいくさを継続することができた。それだけ中国軍が弱体であったからで、相手の息の根をとめることが容易にできなくても逆に日本軍が短期間に敗北を蒙る事態もありえなかったからだ。この間、日本国家と国民は戦争慣れしてしまったのかもしれない。そこへアメリカの足音が近づいてくる。中国が屈しなかったのは劣勢の軍事力を国際世論を味方に付けてカバーしようとの戦略があったからで、これがしだいに効果を発揮しだして日本を孤立に追い込んでいく。国際連盟に提訴してリットン調査団を派遣させたのも国民政府の外交努力の賜物だし、廬溝橋事件によって日中戦争が本格化するとアメリカへの武器援助要請を懸命に繰りかえすようになる。アメリカはついにその要請に応じ、太平洋戦争のはじまる四一年(三月)には中国とイギリスに武器の無償援助ができる法律をつくって、それを実現させる。
  アメリカをはじめソ連もふくめた連合国側は、日本に中国大陸を独占されたくはないという思いが強かった。日本のアメリカとの開戦に先立つ南部仏印進駐(四一年六月、北部仏印には四〇年九月、仏印とはフランス領インドシナで、現ベトナムに相当する)に対抗して、アメリカは石油の対日全面禁輸に踏み切った。その他、在米日本資産の凍結など、アメリカは日本にたいして国交断絶にひとしいきびしい措置をとった。日本の仏印進駐の狙いは「援蒋ルート」といってアメリカの中国への武器搬送の道筋を攻撃することにあった。中国のいくさがそれほど大事だったのだ。また仏印はフランス領で、そのときは親ナチスのヴィシー政権だから日本軍の進駐は認められた。つまりアメリカの領土ではないのだからアメリカはきびしい対抗措置はとらないだろうとの甘い読みが軍にはあったと加藤はいう。
  この本では省略されているが、四一年十二月八日の日米開戦にいたるまでにはアメリカとのあいだで息詰まる外交交渉があったのだろう。兵器の生産力において雲泥の差があるアメリカとはいくさはしたくなかった、避けたかったというのが政府と軍首脳の本音だったろう。だが始めてしまった、何故か。   
    どうも合理的な判断がなされたとは見えない。日本の兵站能力からして「長期持久戦 」は不可能(日中戦争では可能だった)であるから「短期決戦」の緒戦に大勝利して外交交渉に臨むという構想だったようだが、具体的なプランはなく、虫のいい願いだった。緒戦の大勝利というなら、真珠湾攻撃やらフィリピン、インドネシア占領くらいなら足りず、アメリカ本土に手が届くくらいの戦果でなくてはならず、そんなことは夢のまた夢でしかない。加藤陽子さんはナチスの快進撃に欲が出たのではないかというが、そういうこともあったかもしれない。なにかしら巨大な幻惑に国全体が絡めとられた、時代が生み出した熱狂に国民全体が背中を押されたという印象が残る。私にはその当時を心のなかで再現させることは困難だが。結局、日本は敗戦によってしか自己の進路を変更することができなかった。
  私のような無学な者が知性的な本を紹介するのは似合わない。日清戦争から太平洋戦争に至る日本の歩みを加藤さんの見解とともに他の方のあらたな研究成果も交えて、要領よくまとめられている。知らなかったことが随所に出てきてほほーっと感嘆するが、実はそれが歴史全体の流れにつながっていて、しかもこれまでの歴史観の変更をうながすかもしれない、より深く把握させるかもしれない事実や人がちりばめられている。つまり本の細部が本の全体に深く関連していて、なんでもかんでも細かい出来事を記しているのではない。歴史観をどう変更して高めるのかは、できるかどうかは別にして私たちの課題である。   
   東条英機は首相時、開戦数ヶ月前に戦争終結のための腹案を陸海軍の官僚に作成させたという。天皇に説明するためだそうだが、実際にその説明を天皇が受けたかどうかは不明だ。「他力本願の極地」と加藤さんは言うが、私から見れば冗談も休み休みにしろと言いたくなるほどのひどい内容で、時の首相がこんなことではと呆れかえるばかりだった。加藤さんの要約を引用して終わりにする。

 このときすでに戦争をしていたドイツとソ連の間を日本が仲介して独ソ和平を実現させ、ソ連との戦争を中止したドイツの戦力を対イギリス戦に集中させることで、まずはイギリスを屈服させることができる、イギリスが屈服すれば、アメリカの継戦への意欲が薄れるだろうから、戦争は終わると。すべてがドイツ頼みなのです。また、イギリスが屈服すれば、アメリカも戦争を続けたいと思わないはずということで、希望的観測をいくえにも積み重ねた論理でした。(p342)

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小松義夫『世界の不思議な家を訪ねて』

世界の不思議な家を訪ねて―土の家、石の家、草木の家、水の家 (角川oneテーマ21)世界の不思議な家を訪ねて―土の家、石の家、草木の家、水の家 (角川oneテーマ21)
(2006/02)
小松 義夫

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  副題が「――土の家、石の家、草木の家、水の家」となっているように、珍しい素材でつくられた住居を世界中に訪ね歩いてカメラに収めた本だ。後尾の「水の家」とは珊瑚礁に囲まれた浅瀬や湖のなかに高床式で建てられた家のことで、水が建築素材という意味では無論ない。なかなか面白い。普段は私たちは戸建てとマンションやらのちがいはあっても、どれもこれも同じような家ばかり見慣れているので、ちょっとした文明的ショックを受ける。それもオーストラリアの宝石発掘のためにつくられた立派な地下住居のような超現代的な家よりも、何百年かそれ以上繰りかえして今だ建てられつづける古さをもった家の方に惹かれる。もっとも、その地下住居も灼熱の地上にある砂漠の家よりもずっと涼しく快適だそうで魅力的ではあるが。
  アフリカはイエメンのハジャラというところには切石を高く積み上げたビルディングのような建築が肩を寄せるように郡立している。それも平地ではなく峻険な山を覆いつくすように。何故だろうかと疑問が湧いてくる。平地の方が地盤が軟弱だからか。それにしても石を積み上げただけなので鉄筋で補強することなどできないはずで、地震が少ない地域だからこういう方式が可能なのだろうか。紀行文なのでそういう学問的な説明はないが、そこがかえって想像をかきたてる。建設機械などないから、重い石をどうやって積み上げるのか、人力や原始的な大がかりな道具を使うのか。大きな切石を使うのは、それが地域の特産だからだろう。樹木の生い茂る地域ならば、それを家の建築素材に使うだろうし、粒子が細かくて粘りけのある土が豊富にあれば、それを固めて乾燥させて使う。地域によって異なるそういう合理性を地元の人々は、先人から知恵として受け継いでいる。
  それに家造りは合理性のみでかたづけられるものでもないようで、なにかしらそこに遊び心を見るようにも思える。ポルトガルのモンサントという村の家も驚く。家の真ん中から巨岩がつきでた格好になっている。天から岩が降ってきて家に突き刺さったような錯覚を覚えるが、これは巨岩を取り除くことをせずにそれを中心にして家を建て瓦屋根をしつらえたからだ。日本人なら通常はこういう作り方はしない。どんな狭い空間でも急峻な斜面でも、まずは家の敷地は岩なら岩を取りのぞいて、広さが必要なら石垣をつくって確保したうえで、真っ平らなものにしてしまうだろう。そこから家を建てはじめるだろう。日本人は杓子定規なのかもしれない。遊び心と書いたが、ポルトガルの地方の人のそのやりかたにも合理性はある。岩をどける労力は省けるから。
  珍しい家の紹介とともにこの本の魅力は旅の苦労話である。生半可ではこういう旅はできないことがよくわかる。対象とした地域は交通の不便なところが大半なのでたどり着くまでがたいへんだ。日数がかかって不経済だ。しかもアフリカを目指す場合は、あらかじめパリへ寄ってマラリアの予防接種を受けなければならないそうだ。(この本の初版は2006年で、現在は日本でそれが可能かどうかはわからない)現地へ行っても治安の問題がある。さらには写真撮影には丁寧に断りを入れなければならない。地元の人の警戒心を解くのに有効なのは家人(妻)を同伴することだそうだ。それに気候。今年の日本の夏は異常に暑く辟易させられるが、アフリカのチャドはなんと60度。働きすぎると熱射病で死んでしまうという。中クラスのホテルにチェックインしたが、停電でエアコンは効かない、水道は出ないで最悪の目に小松さんは会った。水分を欠かさないように用心してベッドにぐったりしているとやがてベッドが体温で「冷えてくる」というから「へえー」と声に出したくなる。そこは泥で固めた家が取材対象だったが、重労働らしくその家の中に入れてもらうと「天国」の涼しさだったという。鍾乳洞の内部の感じか。 
  セネガルのエルバリン村には天井に穴の空いた草葺きの家が群れをなしている。雨水を家のなかに貯めるためで、井戸を掘っても塩分の多い水しか出ないから、これなどは合理性の範囲内か。しかし私はどうしても遊び心をいろんな家に空想してみたい気になる。必要に迫られてのことが大半かもしれないが、また人類であるかぎりは何処に住もうと最低限の文明としての家が必要で、地域性に合った素材なり造りなりになるのだろうが、なにかしら人とはちがった家を作ってみたい、そこに住んでみたいという遊び心を人は抱くのではないか。創造欲や自己顕示欲といってもいい。そしてそれが繰り返し作ることの可能性と結びついたときに珍しい家として定着する。何の根拠もなくそう思いたいのだ。カンボジア・コンレサップ湖畔の「水の家」は雨期には家のまわりは水浸しになって船が交通手段となり、乾期にはからからに干上がって魚の干し場や子供の遊び場となる。歩行や乗り物が交通手段となるのだろう。四季による自然の変化がもろに味わえそうだ。それにペルーのチチカカ湖の浮島の家。テレビでも何回か見たことがあり、観光名所にもなっている。実際は湖底とは草の茎でつながっていて漂流することはないそうだ。両者とも、自然環境と直に触れあっているというか、その懐深く食い込んでいる印象がある。あこがれが生じてきて、せめて一泊でもしてみたい気になる。
  浮島の住民にも現代文明が入り込んで、太陽パネルが普及して電気には事欠かなくなったそうで、これはこれで浮島を永続きさせる手段になるにちがいない。新書サイズながら写真が豊富で、文章も平易だ。

    02:08 | Trackback : 0 | Comment : 0 | Top

アウトレイジ

  やることが上から、あるいは所属する固有の集団の掟によって決められていて、個人としては逃れようがない、だからやるしかない、突進するしかない。またそれにくわえて、その集団が立て前のうえで崇める面子や復讐心にもかき立てられる。そういう人間の群像をヤクザ社会に舞台を借りて、ねちっこく描いてみせている。ヤクザ社会だからとはいわないが、暴力がだましが裏切りが蔓延する。昨日やれば今日は自分がやられるという応報の循環がある。ヤクザ個人はそこから逃れられないので「不自由」といえる。自由がわずかにあるとすれば「敵」をやり過ぎるくらいに痛めつけるか、手加減するかという狭い範囲での裁量にしかない。
  冒頭のシーンが胡散臭さが出ていておもしろい。総本山の北村総一の大邸宅に黒塗りの車がところせましと集結する。親分衆や幹部連中の車だが、カメラがゆっくりと横に動いてその台数の多さを見せつける。この時間の長さが凝っていて、やっとこさ停止すると俳優同士の会話になる。後の場面になると窓から馬鹿でかい盆栽が見える。これもニヤリとさせる。だが会が流れる直前に早くも北村が罠を仕掛ける。そこには居ない石橋蓮司の組の運営について石橋の兄弟分の國村隼に苦言を吐くのだ。それが血で血を洗う内ゲバ的抗争のはじまりとなる。実は子分衆を争わせてその稼ぎを「直轄」にしてしまおうという北村の陰謀である。國村隼は兄弟分に直接はたらきかけるよりも、別の組織のビートたけしに相談を持ちかけ、ビートたけしと石橋蓮司の抗争がしだいに本格化する。
  どちらの組が勝つのか、北村親分の陰謀は成功するのかという興味から入っていったが、どうもちがう。殺されたり負傷させられたりして退場する人物群に力点が置かれて描かれるのだ。しかもその暴力が残酷かつ精細に。ある男は敵対しかかった組に詫びを入れるため若い組員の指を持っていくと、お前の指も切れと言われる。よしそれならやってやろうじゃないかと啖呵を切ってみせるが、持ってこられたのが文房具のカッターナイフ。侮辱された気になってさて男はその後どうするか。こういう細部へのこだわりがこの映画の狙いのひとつで、後にもつぎつぎと出てくる。残酷であるとともにギャグをみるように苦笑させられる。へえ、よく思いつくもんだと感心しないでもない。セリフが最小限に抑えられて静けさと無気味さのリズムを作っているのもいいか。そこから醸し出されるのは先に記したような個人の無力、派手に動いているようでその実、うめきながらもどうにもならなくて動けない、決められたことしかできないという諦めの感情ではないだろうか。これだけしか私には残らなかったので寂しい思いがした。
  全員が悪人で善人らしき人物が見あたらないことは決して悪くない。俳優陣も充実しているし、構成もすぐれていて最後まで緊張感が途切れない。こういう美点があるだけに残念だ。
  ★★★
    02:09 | Trackback : 0 | Comment : 0 | Top

ビッグ・ウェンズデイ(1978/アメリカ)

ビッグ・ウェンズデー [DVD]ビッグ・ウェンズデー [DVD]
(2002/08/09)
ジャン=マイケル・ヴィンセントウィリアム・カット

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  サーフィンの場面がふんだんに出てくるから、残暑厳しい今の季節に見るにはぴったりの映画。のみならず、青春というものをこれだけ鮮やかに切りとって見せてくれる映画はそうざらにはない。傑作だ。青春は後の人生にたいして人それぞれに正と負の遺産を付与するが、この作品では正の部分が大部分で、輝いている。人は誰でも年を取って若い時代から否が応にもとおざかってしまうが、とおざかるにつれて若い時代が逆に輝いて見える。その時代に面白く生きたという実感をもつことができて、とおざかっても財産として残る。人生に豊かさをもたらす。だが、そんな青春のまっただ中においても暗さや迷いもあり、その部分もまたきっちり拾われており、立体感がある。
  時代は1960年代の前半から70年代前半の約10年間で、カリフォルニア海岸でサーフィンに興じる若者三人組が主役だ。二十歳前後だろうか。また彼等は何をやって生計を立てているのか、学生なのか無職なのかわからない。だがそんな細部はどうでもいいとばかりに大胆に省略されていて、これが効果的で、ただサーフィンを思いっきり楽しむ夏の日々が描かれる。サーフィンの一番の名手のマットは、ともすれば酒に溺れるが、理由はわからない。事故への恐怖心なのか、このままサーフィンをつづけることへの懐疑なのか、そんなところだろうか。だがその理由が確定できなくても、私たちが若い時代をふりかえると何かしら覚えのある風景として納得できてしまう。ああ、あんなものだったなあ、という風に。この省略もまた成功している。
  サーフィンをするために全米から若者たちがやってくるなかで、彼等三人組はその名手として有名らしく、若い女性との大胆な交流もある。女性をめぐっての敵対するグループとの派手な喧嘩は映画らしくコミカルに描かれる。サーフィンのボートを製作する中年の男や若者で賑わうレストランなども登場し、サーフィンがあくまで中心に据えられている。その時代に流行ったオールウェイズの音楽もふんだんに取り入れられて心憎い。
  そんな彼等三人組を中心としたグループの最後の輝きを見せるのが、ベトナム戦争下の徴兵忌避運動だ。一人はその運動には参加しないが、あとの二人は精神錯乱のふりをしたり故意に怪我をしたりで見事に成功する。ここも喧嘩の場面と同じくコミカルな描き方で、徴兵検査の会場はまるでパーティみたいだ。サーフィンの快楽と反戦の志向がぴったり結びついている。
  それ以降は冬の時代だ。一人は若くして結婚し、一人は書いたように戦場へ、もうひとりは映画のうえでは消息不明だ。さらに何年間が過ぎて一人がベトナムから帰還してくるが、彼は軍服にサングラスという格好で、子供と遊ぶ仲間の妻と再会するが、この場面も時の経過を感じさせて秀逸だ。やがて「ビッグ・ウェンズデイ」という壮大な波が訪れるという情報があって、行方知れずだったメンバーも合流して三人組は集結する。最初の場面から約10年後のことだ。
  海のそして波の撮り方がいい。大きくカールを捲く波の手前をサーファーが突っ込んでいくとさらに波はトンネルのように伸び上がってサーファーの姿を隠す。海面すれすれの位置に据えられたカメラが波をとらえることもある。「ビッグ・ウェンズデイ」はまさに垂直に盛りあがる壁そのもの。これを映画の最後に持ってくるのもセオリーだろう。映画はまた、サーフィンに適さない時化の海を撮ることも忘れない。波が海がこの映画の中心であり、三人組の青春の象徴であり、どの時代になっても絶えず彼等をそそのかし誘う。私たち見る者をも心地よくそそのかす。
   ★★★★★


  
    05:45 | Trackback : 0 | Comment : 0 | Top

あくび

  過日、テレビの某ワイドショウ番組であくびの防止法が医療の専門家らしい人によってレクチャーされていた。私はあくびをよくする人間なので注目した。それによると、あくびが出そうになったら舌を出して上唇を舐めるのがいいという。そのときの顔と口の筋肉の動きがあくびをするときのそれと類似しているから、あくびの代用を果たすのだという。ああ、それならやってみる値打ちはあるなと思って記憶にとどめつつ、映画を見に行った際に試してみた。例によって中盤にさしかかって、やはりあくびが出そうになってその動作をした。効果はたしかにあった。しきりに舌を上唇に当てると、あくびをなんとか防止することができた。しかし何か足りない。あくびの根本原因であるところの眠気を払拭するまでには至らないのだ。うとうとしそうになる。それにあくびによる解放感といったら大げさだが、それがないのでずっと堪えている構えがまとわりつく。そこで思い切ってガアーッと大口を開けてあくびをするとやはり気持ちよかった。眠気も少し遠のいた気もした。
  眠気を払うまではできないが、一定の効果はあった。少なくともあくびの連発は回避できそうだ。くだんの番組では、退屈な話がつづいて眠気に誘われても話をしている最中の人の前で、みだりにその動作をするとその方に失礼に当たると注意をうながしていた。その通りだ。
Genre : 日記 日記
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