大洋ボート

公園の雀

雀の群れが移動する
雨上がりの公園
小草がまばらに生えた土の上を
たっぷりうるおいを含んだ土の上を
雀の群れが移動する
天をおおう樹々から落ちる滴
青い葉にたまった雨水の滴が
こらえきれずにあちこちから落下する
滴の色は空と同じ銀色
恩寵の銀色
チッチッと鳴く声は地面からも樹からも

雀の群れが移動する
歩くでも跳ぶでもない
小枝のような
ふたつ足をそろえての狭い幅跳びの繰り返し
前転を繰りかえすようで
小石が転がるようで
雀の群れがじっとしていて
地面が動くようで

もう少し大きい石は鳩
首をふりながら着実に歩く
片足ずつゆっくりと歩く
大きなお腹をもてあまして

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水は流れる
筧の上をちろちろと水は流れ
大きな甕にとどき
あふれかえり
下水に注ぐ
下水とも呼べないきれいな水のまま

おばさんは川魚をさばく
甕の前の台に置かれた俎板のうえ
川魚を手際よくさばき
腸と血はすすがれる
柄杓で汲んだ水で
川魚は何回もすすがれ
さっぱりする
おばさんの手によって
川魚はさっぱりする

小さな池では
うす黒い鯉が
同じ場所をぐるぐる回っている

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007/ロシアより愛をこめて(1963/イギリス)

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(2007/08/25)
ショーン・コネリーロバート・ショー

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  これはテレビ放映やVHFで何回か見たが、前半部をよく覚えていなかった。今度見てもその部分の印象が薄く、やはりオリエント急行に舞台を移してからが盛りあがる。亡命を希望するソ連大使館勤務の女性ダニエラ・ビアンキを連れてショーン・コネリー(ジェームズ・ボンド)が、ソ連の諜報機関員やスペクターの殺し屋ロバート・ショウの追跡から逃れるためにイスタンブールからその急行列車に乗り込む。盗み出したソ連製の暗号解読機もたずさえて。
  ショーン・コネリーと初対面のときのロバート・ショウの人相の悪さが際立つ。イギリス側の連絡員になりすまして二人に近づくのだが、上目遣いで猫背だ。スペクターの組織員のなかで映るときはそういうことは何も感じなかったが、これは逆に二人の、つまりショーン・コネリーとダニエラ・ビアンキの人相が普通よりもいいからではないか。対比の効果だ。また、スペクターにはロッテ・レーニャという恐い顔の中年女性や、現ロシアのプーチン首相に似た目つきの鋭い男がいるのも作用しているだろう。そこではロバート・ショウの人相の悪さが目立たないのだ。
  三人がいっしょに食堂車で食事をする。魚料理に二人はごく普通に白ワインを注文するが、ロバート・ショウは何故か赤い色のアベリティフを注文してショーン・コネリーに内心で怪しまれることになるが、それ以前に初対面のときにすでにショーン・コネリーはその人相の悪さに警戒の色を隠さなかったのではないか。今回見てそんな印象を持った。勿論、人相の悪さで敵味方を決められるものではないが。ロバート・ショウは他でも見たが、私がこうして人相にこだわるのは今回が初めてだ。芝居が巧みなのだろう。
  冒頭のMI6本部でショーン・コネリーに渡された秘密兵器のアタッシュケースが、ロバート・ショウとの死闘の場面で俄然役立つ。忘れていた頃に。
  ★★★
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M★A★S★H(マッシュ)(1970/アメリカ)

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(2010/06/25)
ドナルド・サザーランドエリオット・グールド

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  朝鮮戦争の時代の野戦病院が舞台だが、むしろこの映画が作られた1970年前後のアメリカの政治的抵抗運動やヒッピーなどの文化現象が色濃く反映しているようにみえる。つまり、ドナルド・サザーランドをはじめとする軍医の連中が縦の堅苦しい軍隊的秩序を否定して、風通しのいい職場環境を自然につくっていくという話なのだが、フリーセックスがそこに不可分なものとしてある。反体制運動すべてではないがフリーセックスがセットになっているのは当時の運動の特徴だった。ただ麻薬におぼれたりドロップアウトしたりすることはまったくない。彼等は次から次へと運ばれてくる戦傷兵の治療に精力的にあたる。彼等は健全そのもので「よく働きよく遊ぶ」のだ。
  野外に設置されたスピーカーが道具として効いている。業務連絡が当然あるが、そこに交じって「ラジオ東京」なる日本人の歌声がある。英語の歌を日本語に変えて歌声を響かせるのだが、野戦病院の殺伐とした空気のなかではなんとものんびりしていて、そのちぐはぐぶりがおもしろい。極めつけは、縦の秩序に口うるさい新任の女性軍医と藪医者とのセックスをドナルド・サザーランドらが盗聴してこのスピーカーで実況中継する場面である。この女性軍医はさらにもういちど彼等によっていじめられる。フリーセックスからは一見縁遠いはずの二人がそれをすることと「実況中継」という意外性が二つ重なることになって爆笑を誘う。
  このあたりが映画の頂点で中盤にあたるのだが、後半はダレる。日本に渡って芸者遊びをしたり子供の難手術にあたったり、ほかにもエピソードがちりばめられるが、この映画の主張せんとするところは「実況中継」の場面で尽きているからで、トーンダウンした繰り返しになるからだ。
  野戦病院を別天地にしてしまうおもしろさはあるが、集団的行動を手放しで礼賛する傾向は今見ると古さを感じさせてしまう気もする。カンヌ映画祭グランプリ受賞作品だそうだ。
  ★★★★
    06:36 | Trackback : 0 | Comment : 0 | Top

現金に体を張れ(1955/アメリカ)

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(2007/01/19)
スターリング・ヘイドンマリー・ウィンザー

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  紙幣の物質感がよくでている。それも札束ではなく、一枚一枚ばらばらになった紙幣だ。重賞レースが行われている真っ最中の競馬場の現金保管庫、そこにスターリング・ヘイドン(役名ジョニー)はまんまと侵入し、警備員にライフルをつきつけて布袋にありったけの紙幣を詰めこめさせる。札束は袋の底にどすんと落下するが、ばらばらの札は大量にある分ふわふわしてかさばる。上から押しこまないと入りきらない。場面が進行して、今度は布袋の札を馬鹿でかいボストンバッグに詰め替える。公園だろうか、木陰での作業だが、ここでもばらばらの札がかさばって全部入りきらない。詰めこみすぎるとバッグの蓋が閉まらない。恋人と待ち合わせている空港に急がなければならないからジョニーは時間がない。あまった紙幣が紙くずのように周囲に散らばっていく。さらにクライマックスになると、内容は伏せておくが、このバッグがとんでもないことになってあと一歩で成功するはずだった犯罪は大破綻する。視覚的効果抜群で、ここでも紙幣がより以上に「働く」のだ。痛切で、寂しくひりひりする感覚がある。犯罪者にたいしてのみならず、人間の野望にたいする神の冷笑を感じさせる。
  犯罪計画は共犯者が多くいて大がかりだ。立ち入り禁止の現金保管庫にどうやって侵入するのか、ジョニーばかりではないライフルはどうやって。さらに強奪した布袋の現金はどうやって外へ出すのか、万事目立ってはいけない。このあたりは映画の進行によってなるほどと納得させるだけのことはある。また、共犯者の何人かの同時間帯における犯行の様子が別々に描かれる。最初は少しずつ前へ進行した時間がここへきて行ったり来たりして唸らせる。冒頭のタイトル表記にかさなって映されたメインレースの様子がここでまた何回か繰りかえされて重なる。これらの技法がたいへん効果的で、ハマッている。
  もう一つの見所は、この犯罪は最初の計画段階から情報漏れがあることを視聴者は知らされることだ。共犯者の競馬場職員の妻がそれを知って愛人にタレこみ、愛人は仲間とともに横取りを企む。ジョニーもその女が情報を得たことを知ることになるが、愛人の存在までは知らない。女にたいしておとなしくして分け前を受け取れと釘を刺す以上のことはしない。せっかくの計画を中止したくないという欲望が防御を甘くする。だからこの犯行は何処かで破綻することが目に見えているのだが、そのことがまた犯行の進行に注目させる効果を生んでいる。知らず知らずに視聴者は犯行を応援するのだ。
  人間の野望はどこかで破綻するという冷たいメッセージがこの映画にはある。スタンリー・キューブリック監督の初期作品だが、後年の傑作群に通じるテーマ性がある。
  ★★★★★
    08:46 | Trackback : 0 | Comment : 0 | Top

トロッコ

  台湾の山村の緑がたいへんうつくしい。別に観光名所になりそうな絶景や奇観ではなく、緑の多い山のありふれた風景であるが、その地に何日か暮らしたような実感が得られた気がする。これがこの映画の一番の美質だ。撮影監督はリー・ピンビンという人で、是枝裕和監督の『空気人形』でも担当していたが、私はたちまちファンになった。女優のヌードや東京の高層ビル、しなびた公園など、うつくしく画面に定着されていた。別に奇をてらった撮り方ではなくきわめてオーソドックスなのだが、それでも後々印象に残るうつくしさと落ち着きがある、どっしりとしている。しかも個性的でもある。私が撮影用カメラの専門知識があればもっと詳しく語れるのだが無いので、これ以上に表現できないのが残念である。勿論、本作でも同様の美質を見いだすことができた。
  食事の場面がある。日本から台湾人の亡き夫の遺骨を携え、子供二人を連れてきた尾野真千子と祖父、それに義理の弟夫妻が食卓を囲むのだが、少し経ってから気づくが、画面の左右と下辺にわずかに窓にあたる空間の縁が映る。つまりカメラは窓を取り払った空間を利用して部屋の外から食事の風景を撮っているんだなと気づかされる。それも映画の撮影のために故意に窓を外したのではなくて、山村でも亜熱帯の夏の台湾ではこういう過ごし方をするのではないかと、ごく自然に納得させられるのだ。その家屋は瓦屋根で、外壁は板を重ねた造りで水色のペンキが塗られている。この家屋と周囲の緑とのコントラストがまた、ありふれていてかつうつくしい。これらの何気ない映像のつらなりに緻密さが感じ取れる。
  クライマックスは二人の子供がその地に慣れた気になって、母の留守の間に冒険に出かける場面で、二人は顔見知りの青年が仕事で利用するトロッコについて行く。台湾が日本領であった頃に日本人が敷設したものがいまだに残っているのだ。トロッコは天が緑におおわれた薄暗い山奥に入っていく。やがて心細くなって弟が泣き出す。その心細さをもよおさせる山の風景がうならせる。一番推奨すべき場面かも知れない。逆光の木々の緑が乳白色の霧におおわれる映像がある、さらに大木の切り株が草をまとってそびえ立つ。大人なら何でもない眺めだが都会育ちの子供には無気味かも知れない。そういう見慣れない光景が心細さに火を付けたのだろう。いたたまれなくなって二人の子供は青年が心配するのにもかかわらず元来た道を引き返す……。子供は大部分が依頼心でできているのかも知れないが、普段は自分ではそれを知らない。それを発露する主な対象の母がいなくなると急に泣き出す。泣くことで依頼心を無意識に爆発させる。幼年期には依頼の対象が母のみであったものがしだいにそこから範囲を広げていく。だが同時に泣いても何も解決しないことを知るようになる。自分が今、泣いているということを白けた気で自覚するようになって、しだいに泣かなくなる。私自身をふりかえって、そんなことも考えた。
  大人同士の思いのやりとりにはあまり感興を覚えなかった。とくに義理の父(子供にとっては祖父)が、日本国家にたいして「見捨てられた」と不満を漏らすところは、何も映画のなかで政治的メッセージでもないだろうという気がした。敗戦による日本の台湾からの撤退や日中国交回復による台湾との政府レベルでの断絶やらが背景にあると思われる。それが意見として間違っているというのではなく、日本とアジア諸国との映画合作となると、日本側が映画の内部にある主題以外のところでなにかしら政治的に気を遣わなければならないのではないのか、いつまでそんなことをしなければならないのかと、推察も交えてうんざりさせられる気がしたからである。政治的意見やお国柄や習慣やらはおのずからちがうのだろうが、わずかな滞在期間でそういう壁にぶつかるとも思えない。だがそういう不満をやわらかくつつみこむくらいのリー・ピンビンの見事な撮影ぶりであったことは、繰りかえして記しておきたい。
  ★★★★
    01:05 | Trackback : 0 | Comment : 0 | Top

夜の散歩

  最近のことであるが、家族二人が旅行に出かけて四日間家を留守にした。私としては別段変わった気分にもならなかった。普段どおりに仕事をし、スーパーで弁当を買ったり自炊したりして夕食を済ませた。だがその後は退屈だ。テレビやパソコンを相手にするのも少しうんざりしてくる。その日は日曜日だったので、運動不足解消の意味も込めて近所を散歩することにした。
  幹線道路から少し奥へ入った道を歩いた。夜の八時ともなると、日曜日なので歩く人の姿はほとんどなく静かだ。あまり散策に利用したことのない道だったので物珍しさはあった。住宅がびっしり軒を連ねていて、たいていは三階建てで一階部分は車庫を兼ねた玄関、夜目にはつぶさに見えないがタイルか小石をあしらったらしい瀟洒な外装で、二階と三階にはテラスがある。今流行のスタイルのそんな住宅がほんの少しずつ大きさを変えてびっしり並んでいる。都会ならありふれた眺めだろう。そんななかにお好み焼き屋か何かの赤提灯が煌々と点るのに出会うとなんだかほっとする気分になる。別にその店に入りたくなったのではないが。同じ気分になれるのが、築年数がおそらくは三十年以上はあると思われる貧相な家が、小ぎれいな住宅の列のなかに取り残されたように姿を見せるときである。いわゆる木造モルタル塗りの二階建てで、玄関は木の引き戸で上半分はガラスがはめ込まれている。私の子供時代の定番であった住宅のスタイルである。私がほっとするというのは、都会は貧富や新旧が外観の上でも混在しているのが自然な姿だと思うからで、それを眼にしたからだ。別に大げさに感動するのではないけれど。逆に言うと、清潔感あふれる住宅ばかり並んでいると息苦しく面白くない気がするのだ。赤提灯にかぎらず、店の一軒くらいもあったほうがいい。
  暫くゆっくり歩いて幹線道路に出ると食品スーパーがあって、こちらは明かりが点って人が集まっている。店の真ん前にバス停があり、バスを利用して帰宅するつもりで乗った。バス停二つ分引き返したことになったが、急にもの足りない気分になって、バスを降りてからまた近辺をぶらぶら。もう十年以上も前に覗いたことのあるスナックビルをこわごわ訪れた。エレベーターのあるホールには各階ごとの店の名のプレートが華やかな色で貼られてある。ここでも店に入るつもりはなく、何回か上のホールに行ってみたかっただけだった。だがボタンを押していくら待ってもエレベーターは二階に止まったまま降りてこない。それならと、しつこい私は階段を利用しようとした。防災上からエレベーターの隣に階段も併設されている。だが、階段に通じるドアを開けてみたところこれが異様で、椅子やら大きな道具のようなものが乱雑に置かれて昇れなくなっている。ああそうか、二階から上はとっくに店じまいしているのだと気づかされた。一階にはたった一軒ドアの上の店の明かりが点っていた。幽霊屋敷みたいだった。私が以前行ったときには六階までだったか、すべての部屋がテナントで埋まっていたのだが。
  スナックも人口減の影響やらカラオケボックスに押されたりしてすっかり流行らなくなったようだ。私の地域では八十年代前半当たりからスナック専門のビルが何件かできたのだったが。それまでは深夜に及ぶ水商売はほんの小さな規模でしかなかったから元の状態に戻ったことになるのか。年月を実感させられた。 夜の散歩もときどきはいいものだ。
    01:07 | Trackback : 0 | Comment : 0 | Top

グリーン・ゾーン

  この映画は音楽が主役かも知れない。なぜなら私がこの映画のなかで一番楽しめたのが音楽だからだ。ヘリコプターの爆音や銃撃音もまた強烈で、シネコンのすぐれた再生装置だから結構騒々しいものの不快ではない。またそれら音響は映画にとってはなくてはならないもの、あって映画がはじめて成立するものだ。それにたいして音楽はなくてはならないものではない、騒々しさが増すだけに不快と紙一重のところにあるのだが、そこを見事にクリアして快感にまで持っていってしまうのだ。戦争だからマット・デイモンはじめ、ほとんどの人物が動く。へりが車両が動き回る。ときには爆破がある。こういう全体の動きを音楽が煽る、もっともっととせき立てるのだ。静かな対話の場面も当然あってそこでは音楽はさすがに鳴り止むが、私は早く次の場面へ行けと思ったものだ。逆に言うと、静かな場面でも私の鼓膜では音楽が、打楽器中心の単調なリズムを勢いよく刻み込む音楽が心地よく鳴り響いていたのだ。
  イラク戦争終結後のバグダッドを中心とした同国が舞台で、マット・デイモン率いる部隊は大量破壊兵器を発見する任務を命じられている。だが国防総省の情報に基づいてそれらしい施設を奇襲しても何も出てこない。やがてマット・デイモンは情報そのものに疑念を抱く。在イラクのCIAの知人も同じ思いを共有する。そこで彼は情報源の人物であるコード名「マゼラン」の探索をさらに少人数となった部隊(有力な部下が反対したから)とともに敢行する。逆にこの動きを阻止しようとするのが某政府高官で、場合によっては「マゼラン」を消すことも辞さない腹づもりだ。
  話には何一つ新味はない。「大量破壊兵器」うんぬんの情報が捏造であったことは知れ渡っているし、映画ヒーローがアメリカ国家のある部分を敵に回して暴れ回るという構図も使い古されている。だがそれにもかかわらず面白いのだ。マット・デイモンが動き回る。(パソコンのニュース記事に当たっているときでさえ「動く」印象がある)クライマックスでの逃げ回る「マゼラン」と追うマット・デイモン、さらに両者を上空から追跡するヘリ部隊という二重の追跡=逃亡劇。それぞれの対象をカメラが交互に、的確かつスピーディーに映し出す。さらにその「的確」さに反するような手持ちカメラのぶれや、大部分が暗闇に溶け込みかねない人物像(赤外線カメラも用いられる)の動き、この映像処理が臨場感を高めてくれる。人間が動くときには周りの映像もぐらぐら動く、動かないのは観念のなかにある目的だけだ。こういうことに気づかされることが心地よい、そしてまた対象の人物がぐらぐら動くからこそ逆に何一つ見逃さずに見抜いてやろうという肩入れの気持ちが、視聴者に湧いてくる。ぞくぞくさせられるのだ。
  それらマット・デイモンを中心にした人の動きを応援し、煽るのが音楽というわけだが、ときには音響の世界に席をゆずったり、協奏したり控えめだったりとハマリ方が見事なので、音楽が映画全体の司令塔のようにも感じられるのだ。お話的には何も収穫を得られないのは確かだが、娯楽=消費としての映画の面白さを満喫できる。
  ★★★★
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