大洋ボート

創世記(2)

  このように正妻の子を重視する創世記であるが、そのなかにおいてはヤハウェは長男よりも次男に目をかけることが一回だけある。たまたまそうなったに過ぎないのだろうが、私には印象に残る。そのときは、次男のほうが族長によりふさわしい能力を備えていることを見抜いて、最初に予言するかたちをとる。

  イサクの子エサウとヤコブは双子だが前者が長男で後者が次男。エサウは「狩りが巧みで野に親しむ人」で、ヤコブは「内気で天幕にこもりがち」の人であった。イメージとしてはエサウのほうが力自慢で純朴、ヤコブはひ弱ということになろうか。ヤハウェとしては人柄的にはエサウに軍配をあげてもよさそうだが、そうはならない。後の展開はヤコブがエサウをだまして家督の権利と父の祝福を横取りするという結果になる。エサウは愚鈍で、ヤコブは悪くずるがしこいという性格が明確になる。兄弟の対立は決定的になり、エサウの報復をおそれたヤコブは、母リベカの助言によって彼女の故郷ハラン(現在のシリア方面)に逃亡する。母がヤコブ贔屓、父がエサウ贔屓という対立関係も背後にある。ヤコブはリベカの兄ラバンのもとで長年にわたって労働することになる。ほとぼりが冷めたころだろうと思って父の地へ帰ろうとするヤコブだが、ラバンは彼を帰そうとはしない。いい働き手だったからだ。つまり、ヤコブははじめにラバンの次女ラケルを気に入って嫁にもらおうとしたが、土地の習慣では長女が先だとラバンにいわれて長女レアを押しつけられる。それまでに七年、さらにラケルをもらうまでに七年と長期間にわたってラバンの下で働かされる。だがヤコブは挫けずに忍耐強く働いて、自分の持ち分の山羊や羊を増やすことに成功する。姉妹のほか奴隷の女も妻にして子供を多く作り人望も得る、出世するのだ。そしてついに一族郎党をひきつれて念願の帰郷を果たす。

  創世記はこの書独特の霞がかかったような空気が支配しているが、じつはたえず風雲急を告げている。この書は移動するひとにぎりの民を追う。放牧生活を生業とする人たちだから、動物に食べさせる草がなければ定住するわけにはいかない。それが根っこにあるが、地中海東岸地方は当時から人口密度の比較的高い地域だったと思われ、また定住民も多く存在したのだから、移動には人との接触がともなう。そこではやはり図抜けたたくましさや知恵が理想とされたのではないか。純朴さは脆さにつうじる。だから代々にわたって土地を継いでいく農耕社会のように、しきたり的に長男を重視することではすまないのではないか。主人公の面々は移動しながら富を増やさなければ、勝利しなければならない。この書によって絶対的に要請されているのだ。父とエサウのいる故郷にかえるヤコブだが、エサウをおそれて群れごとに分けて自らはしんがりの群れに位置して、先遣隊から報告をもってこさせる。用心深いのだが、また悪くとれば卑屈にみえるが、この書(ヤハウェ)はそうは評価しないように読める。ヤコブの生存時はヤコブがユダヤ人の血統の中心人物だから、どんな手段を使ってでも彼は生き抜かなければならないのだ。血統を継ぐ人物で、若死にした人はこの書にはいない。

  ヤコブの晩年の子ヨセフは妻ラケルとの関係では長男であるが、多くの異母兄がいた。レアや奴隷の女との間の子供たちだが、レアはラケルの姉で、ヤコブは先にレアと結婚したからどちらも正妻とみてよいのではないか。するとヤコブは長男とは言い切れなくなる。こだわりすぎかもしれないが。このヨセフもまたヤコブ以上に途轍もない能力者だ。初めは自分の夢によって、次の段階では他人の夢によって未来を予知する能力を備えることになるのだ。なにかしら訓練によってその能力を鍛えられたのではなく、素質としてあらかじめ有していた人だ。まさに神がかり的な人物で、そうなれば神は「二人」存在する必要はなく、ヤハウェがもっとも陰がうすくなる順の血統である。

  

あるとき、ヨセフは夢を見て、それを兄たちに告げた。そこで彼らはますますヨセフを憎んだ。
  ヨセフが言った。
「ぼくはこんな夢を見ました。どうか聞いてください。ぼくたちが畑の中で束をゆわえていると、ぼくの束がむくりと起きて、突っ立ちました。そして、なんと兄さんたちの束がまわりに寄ってきて、ぼくの束におじぎをするのです」
  これを聞いた兄たちは、
「いったい、おまえはおれたちの王になり、おれたちを支配しようとでもいうのか」
と言って、この夢物語のためにますますヨセフを憎むようになった。(第38章6)



  ヨセフは父の晩年に生まれたこともあって父ヤコブにいちばん可愛がられた人である。それが上の兄弟にとっては当然おもしろくない。また、この予言は夢を見たことの感動を素直に吐露しているので、自分がやがて族長になるという未来にたいしてはまったく無自覚であろう。だが後の展開をみれば、ヨセフが未来を言い当てたことになる。ヨセフは族長になりたいという欲望を持っているのではないが、そう誤解した兄弟たちはヨセフを行商人に売り飛ばしてしまう。父にはヨセフの上着に獣の血をつけて見せて、さも獣に食い殺されたように嘘の報告をするのだ。

  ヨセフは行商人によってさらにエジプト人に売られるという運命をたどるが、ここからが長い。いったんは牢獄につながれたりもするが、王に目をかけられて行政府の長官にまで登りつめる。王につぐナンバー2の位である。そこで王の見た夢で未来を言い当てて行政手腕を最大に発揮し、エジプトの飢饉を救い、さらには故郷カナンの飢饉をも救って、父や兄弟たちと再会を果たし和解するという大団円となる。苛酷な運命に投げ入れられながらも堪えて移住先で栄達を果たすという物語であるが、父ヤコブのたどった運命をその度合いをさらに増幅しながらなぞる趣きがある。ユダヤ人はこういう物語が好きなようだ。

  「創世記」や「出エジプト記」において、のちにユダヤ人と呼ばれる人々の中心的な部分、自らをより意識した部分はその存立基盤を「移動」においた。そして当然移動しながら勝利しなければならない。生活の安定と支配権の拡大を目指さなければならない。また移動先においてはたえず故郷のカナン地方、ヨルダン川西岸地域を忘れない。カナンやその周辺の定住民もユダヤ人であってかまわないが、そのもっとも屈強な部分の、移動をくりかえしてやがてカナンに錦を飾るリーダーの一族を仰ぐことを要請される。ユダヤ人は、ユダヤ人であることを意識した瞬間に「創世記」に書かれた移動と勝利を肯定しなければならない仕組みになっている。戦いを強制されることが中心主題で「神話」としては重苦しい。ギリシャ神話やわが国の「古事記」には、欲望にとりつかれて国家や運命によって滅んでいく人たちを哀れみをこめて記すことを怠らないが、「創世記」「出エジプト記」にはそれはない。複数の作者が排除したのか、もともとそんなところに行き届く視線を持たなかったのかはわからないが。

  ヨセフは百十歳まで生きてエジプトに骨を埋める。同地にのこされた兄弟や一族への遺言は、故郷カナンをあらためて聖化し、後にユダヤ人と呼ばれる人々の存立基盤を護持することが歌いあげられる。
  
  

「いよいよ神の顧みの時が来たならば、わが骨をここからたずさえて上るように」 。(第50章-25)



  これはエジプトにとどまったユダヤ人全員のカナン帰還をユダヤ人に命令するものだ。その意志はのちにモーセによって実現される。
       (了)
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創世記(1)

旧約聖書 (中公クラシックス)旧約聖書 (中公クラシックス)
(2004/11)
中沢 洽樹

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  神話だから、はじめに天地創造がありつづいて生物や人間の創造がある。ヤハウェという神以外に登場人物がいないのだからそうならざるをえない。人間が登場し、その行動が詳しく記述されるにしたがって神はしだいに後景にしりぞく。放牧や農耕の生活様式が現在と変わりない段階に達すれば、神がいたずらに活躍する場面は少なくなる。人間が歴史をつくるのだから、神が神の痕跡をあからさまに残したならば人間の歴史ではなくなる。神は人々の主観の内部にとどまって、人は行動の成果を「神様のおかげ」というようにふりかえる。行動の過程においては、人は自己内対話のなかに神を登場させ、神は作戦参謀のような役割を果たす。神はまた部族ややがてはユダヤ民族を束ねる一大権威となって物語は終わる。人々に支持され人々を引っぱっていくリーダーがおり、その背後にはヤハウェがいる。人々もリーダーとヤハウェをともに見上げるのだろう。

  「ノアの洪水」という話がはじめのほうにある。人間が暴力的になって堕落したから地をまるごと滅ぼしてしまおうとヤハウェは決意する。そしてその時代の登場人物であるノアの家族だけを救う。つまりノアに命じて大型の船をつくらせて
、その家族と生き物をひと番いずつ乗せて避難させる。「ひと番いずつ」とはのちに子孫を増やすための用意だ。やがて山が隠れるほどの大洪水が起こり、ほとんどの人や生き物は死に絶えるが、「箱船」に避難していたノアの家族と生き物だけが、無事に命を長らえるという話だ。ヤハウェ神こそずいぶんと乱暴者だが、なにかしら洪水の引いたのちに新しい世界がはじまるという、すがすがしさがないではない。洪水だから、人や生き物の死体や家屋の痕跡が水面に浮かんでいる光景が目に浮かんできそうだが、そういう描写がないことも作用している。洪水は自然災害だがそこに「神による」という冠がかぶせられると印象がちがってくる。生きた災害というよりもお話だからでもある。

  神は人間の暴力や堕落、傲慢をはげしく否定し、ときには「ノアの洪水」やソドムとゴモラの滅亡のように大量の人を殺戮してしまう。また天にも届く「バベルの塔」をつくった人間の所行を傲慢だとして、それまで統一された言語であったものをばらばらにしてしまう。言語が世界中でひとつであれば便利だとは思うが、そんな希望をくだいてしまう。だがこの神がいうところの暴力や堕落、傲慢というものにはわかりやすい線引きはない。善人と悪人という区別においても同じだ。思えることは、信仰心の希薄さや神の権威をないがしろにすることに神は敏感ではないかということだ。人間の側からみれば、とにもかくにも神は怖ろしい、おそれ多い、理由以前に。人間をそう思わせて人間をひれ伏させることに神の目的の大きな部分があるようで、それはヤハウェという神を信奉するしないにかかわらなく見える。

そのころヤハウェの名を呼ぶことが始まった。(第4章27)



  どんな原始的な段階にあっても神であるかぎりは、それを信奉する者は複数であると思われるが、また人々は各々において神へ教えを請うたにちがいないが、創世記の神が耳元でささやくように言葉を告げるのは、ほとんどの場合たった一人であり、それは族長といわれる部族のなかのリーダー格の男性である。アブラハム、イサク、ヤコブ(イスラエル)、ヨセフという直系の族長にあたる人々だ。神との対話を試みその記録を残した人は少なからずいたことは疑えないが、この書をまとめた人は、神は同時期においてはたった一人の人に言葉を与え、その人と部族を先導するという形式に変えた。さまざまな物語を系図の順番に当てはめたのだ。それはリーダーに神が語りかけることによってリーダーを動かし、神が時代を前へ前へ推し進めるためである。神の自己実現の長い過程としての構成になっている。神が神への絶対的服従を要請するかわりにイスラエル地方の一部族を庇護するという一体的な「契約」関係だ。エジプト人やメソポタニア人とはヤハウェ神は縁がない。天地をつくり人間をつくった神がひとにぎりの部族としか深い関係がないというのも首をかしげたくなるが、神話とはそういうものらしい。もっとも、ユダヤ人にとってはそうでなければ不都合なのだろう。

  ヤハウェがアブラムに言った。
「おまえの故郷の地、おまえの父の家を出て、私の示す地に行け。そうすれば、おまえを偉大なる国民とし、おまえを祝福し、おまえの名を高めよう。[それは祝福となる。] わたしはおまえを祝福する者を祝福し、おまえを呪う者を呪う。おまえによって、地のすべての種族が祝福を交わすであろう」(第13章 12-1 )


  アブラハムが以前の名のアブラムのときの神の言だが、こういう命令と引き替えの繁栄の約束は繰り返される。アブラハムにかぎらず、以後の族長にも頻繁に そそがれる。国民というからには広い範囲の領土が視野に入っているが、そのとき以後、アブラハムの一家はメソポタニアからシリア、イスラエル、エジプトと転々と流浪する弱小の身分であるから夢のような約束である。

  ヤハウェの暴虐といえる所行はソドムとゴモラの町に「硫黄の火」をふりそそいで 滅亡させたあたりで終わる。あとはアブラハムの忠誠心を試すために、彼の子イサクを燔祭(動物や鳥を殺して神に捧げる儀式)に供するよういったん命令する箇所が目立つのみで、殺害の直前になって神はアブラハムを制止するから、これは精神面での虐待にあたろうか。以後は族長の、つまりは人間中心の物語となる。老齢で出産不能とおもわれたアブラハムの妻のサライにイサクという子を産ませる。それ以前にアブラハムは奴隷の女に子を産ませていたのだが。洪水や火に比べるとその奇跡は個人的な次元にとどまっているが、正妻の子供の誕生を血統的に最重視するという現代の世界にもある思想が、この書ができた時代にも強固にあるようだ。アブラハムの孫にあたるヤコブの妻ラバンにも、神の助けによって老齢になってから子供が生まれる。そのうちの長男が、のちにエジプトで活躍することになるヨセフである。ヤコブはラバンの姉レアも妻でどちらも正妻であるようだが、ヤコブが気に入っていたのはラバンである。姉や奴隷の女との間に早くからたくさんの子を設けた ヤコブであったが、最愛の妻の子を晩年に授かることになる。

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嵐の気仙沼

  NHK総合午後8時からの「嵐の気仙沼}という番組を見た。ドキュメントで、全国から三陸沖に出漁していた漁船が、嵐を回避していっせいに漁業基地の町気仙沼に寄港した1日を追っていた。同じ船のメンバーがそろって銭湯に向かい、垢と汗をながす。また雑貨屋に寄る。船上生活での日用品や、漁業に必要な道具を仕入れるのだろうか。二つの店をきりもりするのは女性で、ともに60歳を過ぎている。また漁師の面々も大半が50,60代に見える顔つきである。二つの店はともに漁師連中とながいつきあいのようで、そこには仕事という限定を超えた情が通っているようにみえた。銭湯の女性は若い漁師の見合いの世話をするそうで、北海道の青年と地元気仙沼の娘さんを合わせて、おかげで二人は婚約にこぎつけた。また雑貨屋には品物の陳列のスペース以外に漁師たちやときにはおかみさんが混じって談笑するスペースもしつらえてある。
 
  昼間はめいめい好きなことをするのだろう。久しぶりに陸(おか)にあがったからには、かねてからの楽しみにひたれる時間。くだんの北海道の青年は勿論婚約者に会いに行った。パチンコの興じる青年もいた。研修名目で漁業に従事するインドネシアの青年たちはネットカフェに行って、祖国の人との交信に耽る。夜は居酒屋かスナックでご馳走を腹に入れながらの痛飲。これは夜明けまで飲み明かす習慣の人もいるようだ。

  「青畳が恋しい」「畳の匂いが好き」。居酒屋でベテランの漁師が言い、同意するように聴き入る同僚。海の上の時間が長い漁師だからこその感慨だろう。変わり映えしないなどといってはいけない。同じ感情、同じ言葉を受け継いでいくのもいいものだ。また同じ言葉でも微妙に思い入れがちがっていても、やはり同じ言葉で表現するということもあるだろう。「青畳が恋しい」ーーじつに普通の、しかも正常な日常感覚だ。その痛切さは、私のような陸に常住する人間にはわからないかもしれないが。スナックのママは寄港した船をチェックして馴染みの漁師につぎつぎ電話をかけまくる。突飛かもしれないが、私は森新一の「港町ブルース」を思い出した。

 おしなべて漁獲高は年々減っているという。書いたように、この世界も高齢者が多い。また店のおばちゃんたちの仕事を引き継ぐ人もいるのだろうかと、心配になってくる。ありふれてはいるが、きびしい仕事にまつわる人たちの、人情味たっぷりのどっしりした世界を見せてもらった。いい番組だった。

Genre : 日記 日記
    00:23 | Trackback : 0 | Comment : 0 | Top

「創世記」ノート

旧約聖書 (中公クラシックス)旧約聖書 (中公クラシックス)
(2004/11)
中沢 洽樹

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 旧約聖書のなかのあまりにも有名な書である。私はおおよその決まった解釈があるのかどうか知らない。また私はユダヤ・キリスト教の信者でもないし、そこに親近感を持つ者でもないから、感想を吐露することになんら自己規制をくわえる必要はない。他の本と同じように読んで感じたまま、考えたままを自由に記すしかない。あるいは稚拙に。

 読後感は、ああ、やっとこさここまで来たんだなあ、とおい道のりをよくぞここまでたどり着いて天寿を全うしたんだなあ、という、達成感と言えばよいのか、重い荷物を背中から降ろしたときのようなほっとした感覚である。つまり人間の祖先アダムから始まってエジプトで生を終えることになるヨセフに至るまでの同一の血筋を引く一族の物語が、一応のピリオドが打たれる。そこでほっとする。個人にまつわる話も豊富にあるが、この書は個人の物語ではなく、個人から個人へ、親から子、孫、ひ孫へと何十代?も連鎖して延々とつづく血族の物語である。それを「ひとかたまり」として呑みこまされる。個人の死は終わりではなく、その子供によって休むまもなく物語は再開され、つづけられるから、なにかしらまるで単一の個人が全部の一族の歴史を生きているような錯覚が起こってくる。彼らを支配し、ことこまかく指図するヤハウェという神が歴史をとおして単一の人格として頻繁に登場することも、その錯覚を助長する。また「私」という読者が当然単一の人格で、入れ替わり立ち代り登場する複数の主人公に同じような質の感情移入をするからでもある。これが感覚として少し重いから、読了とともに、ほっとさせられるのだ。

 一族の歴史を書いたものなら、いくらでもあるだろう。だがこの書がその類としては最古かそれに近いものだ。のみならず、天地創造の項目が書き出しなので、「世界」の成り立ちまでも包合してしまっている。エバの時代の裸同然で暮らした人類の時代ももらさない。つまりは過去全体を「ひとかたまり」として、この書は著わしたかったのだ。世界は過去の堆積によって成り立っている。現在のなかにも過去と同一のものが無数に存在している。そして過去は変更できない。ヤハウェをもってしても変更できない、つまり限定されたものとしてこの世界はある。世界や現在を引き受けるというなら、同時にこの「ひとかたまり」の過去を、固有で具体的な過去をも引き受けなけらばならない。それを義務とすべきだ。この書は、読者にそう要請するのではないか。

 またその過去はいうまでもなく神ヤハウェが大きい役割をになっている。歴史はヤハウェが単独で作るのではなく、人との二人三脚でつくられるものだが、ノアの時代に洪水を引き起こしたり、ソドムとゴモラという町を火を降らせて滅亡させたりしている。人間の傲慢さや暴力をいましめるためだというが、ヤハウェ単独の大きな力を見せつける。またヤハウェはアダムから始まる血族の繁栄、その生活の安定と支配権の拡大を時代ごとの一族の代表者に約束している。ヤハウェへの忠誠と謙譲、代表者自身の苦闘、それに人間関係や生活上の道徳心を条件として。俺が守ってやるからおまえも頑張れということだ。「契約」と呼ばれる関係だ。このヤハウェの常在がこの書「創世記」が記す過去の固有性の要である。

 人間は何をしでかすかわからないし、神もまた同じである。前半部に出てくるが、カインという男は暴力的で、アベルという実の弟を殺してしまう。二人は同時期にヤハウェに捧げものをしたが、羊を捧げたアベルはヤハウェに気に入られ、カインが捧げた農産物にはヤハウェは「目もくれなかった」。そこで腹をたてたカインがやにわに犯行に及ぶというものだが、その後がすごい。ヤハウェはカインに対して戒めの言葉をかけるが、厳罰をくだすことを何故かせずに、追放処分のみである。しかもカインを殺そうとする者からの防護も約束する。「カインを殺すものには七倍の報復があろう」と。ヤハウェはゆるやかどころか、えこ贔屓ではないか。この場合、人も神も道徳的だとはいいがたい。カインが系図につらなる重要人物だから庇護したのだろう。こういう人と神の奇妙な関係はほかにもたくさんある。アブラハムの子殺し未遂も奇妙といえば奇妙だ。人も神も杓子定規にはその行動を測れない、安心できない。だからこそ怖れなければならない、それが生であり存在であるという意味なのか。

「創世記」は説話や伝承のかずかずを集めてひとつの物語として編んだものであろう。だから編者はともかくも、著者に当たる人は一人ではない。繰り返しになるが、個々ばらばらであっただろう物語を「ひとかたまり」にした意義は大きい。最初期にこれを読んだユダヤの人々は、過去が民族という集団において同一の大きなかたまりとなって創作されたことに、目を見張る思いがしただろう。もはやこの書以外の過去はありえなくなった。またぼんやりしていた過去が固定された。無であった情報が圧倒するいきおいで「有」として建立されたのだ。現在の私たちには推しはかることのできない文化的衝撃であっただろう。そして一時的な衝撃にとどまらず、その後のユダヤ人を針路として規制することになった。過去の出来事のつらなりは現在を形成している。登場人物の個々は、大きくあるいは小さくまちがったかもしれないが、またヤハウェも完全に公正ではなかったのかもしれないが、ひとつの血族を庇護して、二人三脚で現在にまでたどりついた。その現在が「正しい」のならば、個々の事例はともかくも、現在を形成した過去は総体として「正しい」のだ。そうならば現在もまた未来を切り開くためには過去と同じ方法、ヤハウェへの信仰を厚くしながらの刻苦精励を引き継いでいかなければならない。逆に、現在の正しさへの確信が総体としての過去に大きく投影されたという言い方も可能だろう。この書の成立は古代ユダヤ人のそういう共同的な意志が結晶したものと見る。

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ターミネーター2(1991/アメリカ)

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(2008/12/19)
アーノルド・シュワルツェネッガーリンダ・ハミルトン

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 派手なアクションシーンが満載で退屈しないが、見所は悪役ターミネーター役のロバート・パトリックのCGか。第一作でも炎上するトラックのなかからシュワルツェネッガーが剥き出しのロボットの姿で復活してでてきたが、本作品はより洗練されている。剥き出しの姿は半透明の銀色で、それがしだいに本来の人間の外観、つまりロバート・パトリックにスムーズにもどっていく。液体窒素にまみれて凍り付いてばらばらに砕け散っても、常温になれば多くの断片がひとつに合体してもとのロバート・パトリックにもどる、というように。

 だが、新しさがこれだけだとインパクトに欠ける。それに残念なことに、第一作で主役かつ悪役だったアーノルド・シュワルツェネッガーが正義の使者になってしまった。第一作がヒットしてシュワツェネッガーが人気者になったので、こういう経緯をたどることは仕方ないのかもしれないが、私は悪役ロボットをスターが演じるという変り種をもっと見たい気がした。

 物語は、未来社会の人間のリーダーの男を亡き者にするために過去の(つまり現在の)子供時代の彼を抹殺するために悪玉ターミネーターがタイムスリップしてきた。それに対抗して善玉ターミネーターもタイムスリップして両者が激突するというもの。「スカイ・ネット」という、未来社会において人間を苦しめるコンピューターシステムを破壊するエピソードもある。当の子供から「笑って」と言われてぎこちなく笑いの表情を見せるシュワツェネッガー。すっかり子供のあこがれるアイドルになってしまった。
★★★
    23:45 | Trackback : 0 | Comment : 0 | Top

ファーゴ(1996/アメリカ)

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(2007/11/21)
フランシス・マクドーマンド

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  完成度の高い作品だ。偽装誘拐にからむ連続殺人事件とそれを捜査する女性刑事フランシス・マクドーマンドの活躍が描かれるが、見終わったあと強く印象に残るのは主役のマクドーマンド。そろそろベテランの領域の入ったかという手馴れようで捜査をするが、とくに映画の刑事にありがちな超人的な働きをするのではない。セオリーどおりに堅実に進めるのだが、その微笑を浮かべた明るさと余裕が、なんともいえないいい空気をふりまく。彼女は妊娠中で体の動きはやや重いが、それを苦にするどころか幸福感に満ちている。血なまぐさい事件捜査に翻弄されるどころか、その対照でかえって幸福感が見る者に浮かび上がってくるのだ。雪深いミネソタ州の景色さえも好ましい鮮やかさに映るほどだ。

  自動車販売会社の幹部が一攫千金を画策する。最初は土地購入の話を義父(男の会社社長)に持ちかけるが断られ、それならばと、共犯者をスカウトして妻の偽装誘拐を企てるのだ。実際に妻を共犯者に誘拐させて身代金を要求させる。男の出せる金額の金ではないから、当然義父は娘のためにその金を出すだろうという魂胆だ。勿論警察には秘密にする。冒頭は、男が共犯者の二人組の要求どおりレッカー車に新車をつないで待ち合わせの場所に運ぶ場面だが、ここではやくも両者のあいだに齟齬が生じる。待ち合わせの時間に遅れたのだが、これは両者の仲介者がいいかげんな連絡をしたからだ。象徴的な場面だ。つまりこの犯罪者のグループはひとりひとりがてんでばらばらで連絡が不徹底で協調性もなく、そのために予想外の事態に出会うことで足がつくのを早めてしまうことになる。その前兆がここで描かれるのだ。新車に登録ナンバープレートが付けられていないのも、男が自分の会社から闇雲に盗んだからだろう。やがてその車に誘拐した妻を乗せての逃走中に検問に引っかかることになる。

  悪とは何だろうか。この映画の場合は、自分の欲望を優先すること以外に何も興味をもたない、何も見えないということだろうか。共犯者ひとりひとりが他のメンバーを利用しようとする。あわよくば分け前を独占しようと狙っている。そして、他のだれもが自分と同じ考えを持っているのではないかと恐怖と疑心に駆られるので、反逆の兆しがあればたちまち亡き者にしようとする。信頼関係など微塵もない。刹那的で、病的な自己過信に支配されている。最初は、他のメンバーが自分の都合のいいように動いてくれると勝手に思い込んでいる。そこに少しでもひび割れが生じれば、そう受け取れば、たちまち粗暴化する。そんなところだろうか。この映画は、それぞれの立場、つまり自動車会社の男、二人組、それに義父からの、ひとつの事件への関わりと経過を丹念に追っていく。義父は悪人とはいえないが、吝嗇家で大金を出し惜しみするという点で、強い焦りがある。マクドーマンドの捜査の手が伸びることもあるが、書いたようなことがあって、彼らはおおむね自滅の過程をたどる。

  こうした悪人の群れに比較して、女性刑事フランシス・マクドーマンドは分不相応な欲望はなく、それで十分満足している。普通の生活に根っこをはって楽しんでいる。やさしい夫が傍にいる。やがて新たな命が生まれつつある。やはり警察勤務らしい夫が趣味でやっている図案が3セント切手に採用された。小額の切手だから使用料も(著作権料?)も大したことはないだろう。それでも満足、めでたい。格別に収入が多くなくても安定した生活がある。それを繰り返すことの満足感がマクドーマンドはよく表現しえている。楽チンではない生活ではあるだろうが、羽のような軽々した、さわやかさが残る。ちなみに同じくコーエン兄弟の近作の『ノーカントリー』も同じような構成の犯罪映画であるが、犯人のハビエル・バルデムがあまりにも怪物的で、少し異質だ。
★★★★★
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