大洋ボート

ターミネーター(1986/アメリカ)

ターミネーター [DVD]ターミネーター [DVD]
(2008/10/16)
アーノルド・シュワルツェネッガーマイケル・ビーン

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  アーノルド・シュワルツェネッガーが最強のロボットを演じる。人間とまったく同じ外観をしているが、頑丈で精巧なコンピューターシステムによって制御されている。彼の役目は過去の世界にタイムスリップして、人間のリーダーとなっている男の母リンダ・ハミルトンを殺害すること。未来では、コンピューターシステムが暴走して核戦争が勃発してのち、生き残った人間とシステムとの間でなお戦争がつづいていた。それならば過去にさかのぼって、リーダーが生まれる前の母にあたる人間を殺害してしまえば、リーダーも自動的に消滅するというわけだ。また時を同じくして、人間の側からも母に当たる女性を救出すべくマイケル・ビーンがタイムスリップしてきた。かくして「現在」において、警察をも巻きこんだシュワルツェネッガーとマイケル・ビーン、リンダ・ハミルトンのアクション満載の闘争が繰り広げられる。

  ロボットは人間ではないから感情を持たない。ひるむことも恐怖心を持つこともない。殺人という目的に向かって、ひたすら突き進んでいく。それを人間が演じることがおもしろい。感情を持たない、こわがらない、また逆に冷酷に見えても冷酷ということでもない。人間から見れば途方もなく強いが、相手が弱いという認識も多分ないのだ。そういう人間でない人間を人間が演じるのだが、シュワルツェネッガーはときには「人間的表情」を垣間見せてユーモアもあり、なかなか堂に入ったものだ。

  腕が負傷すれば血にまみれる。その下には金属製のパイプがうごめく。目を負傷して眼球が壊れればそのままで、サングラスをして隠すだけ。なんともとぼけた味わいがある。乗ったトラックが炎上してどうなることかと思ったら、人間の外観はすっかり消失してしまって、剥き出しのロボットシステムとなってなおリンダ・ハミルトンにおそいかかる。いやあ、満喫。

  シュワルツネッガーは悪役だが憎めない。最後は、映画として勧善懲悪を実現させるため彼も滅ぼされるが、これがまた見ものだ。人間ではなく(操作はするが)機械よりも強い機械、大型のプレスにはさまれて最後を遂げる。私が見たジェームズ・キャメロン監督作品のなかでは一番の秀作。
★★★★

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母なる証明

 ラストの映像が強烈だ。見てから数日たつが、脳にねばりついて離れない。

 殺人犯が警察の追及からどうやら逃れることができて、乗り合いバスに乗る。そこには団体の観光客にみえるグループが先に乗っていて上機嫌で、踊りなのか、手をやたらふりあげることを繰り返す。最初はためらっていた殺人犯だがついに同調して、同じような仕草をする。そのときカメラは夕日をバックにして逆光でこの光景を映す。バスの外側から、バスに随行しての映像だ。乗客は座っているから下半身は映らず、上半身だけのやたら手を動かす映像である。人々の顔がぼんやりとしかも黒々と映る。これがなんとも薄気味悪いのだ。まるで影絵である。

 殺人犯は肉親を守るため、露見しそうになった肉親の犯罪を隠蔽するため、ためらいなく目撃者を殺した。そして犯行現場を放火して逃げた。殺人犯はたいていは逃げることを望むが、この映画の場合、そのことに対する道徳的な憤りは生まれない。むしろ、どうなるか固唾を呑んで見守る。視聴者は、結果として殺人をやってしまった人の肉親に対する情の絶対性をそれまで十分に見せ付けられるて共感させられるので、できれば逃げおおせてほしいとまで願うのだ。そこで視聴者と殺人犯とのあいだに主観が共有されるのだ。わたしたちは他人の心のうちを直接覗くことはできない。つまりそのひとの肉体の動きや発せられる言葉をとおしてしか把握できないのだ。だから最終的に殺人犯になってしまう人の顔や肉体を舐めるように長い時間見たうえで主観を共有する。だがふたたび元へもどって、そういう主観を抜きにしてその人を眺めると、その肉体の動きがなんとも無気味なのだ。主観というものと、それとは無関係に主体の肉体を眺めたときの驚くほどのギャップが、このラストシーンでは、たいへん巧みに、無気味に描かれていて秀逸に思えた。逃げるとは他人の群れのなかに紛れこむこと、他人と同じように見せかけることで、殺人者はまさにそれをバスのなかで実践するのだが、「正しさ」は掻き消えてしまって、悲しくもみすぼらしくもあり、不気味なのだ。殺人のシーンも凄惨だが、絶対的な目的を成し遂げる際の渾身の力がふり絞られるさまは、視聴者が肩入れする分、おかしな言い方だが「不気味」さから少しは隔たりがあるように思えた。

 物語は、障害者の青年ウォンビンが「冤罪事件」に巻き込まれて、それを母ひとりで守り育てるキム・ヘジャがほとんど独力で犯人探しをするというもの。息子は深夜の帰宅途中で偶然女子高生と出会ったが、翌日少女は死体で発見され、ウォンビンが疑われて警察に逮捕される・・・。ポン・ジュノ監督は『殺人の追憶』でも感じたところだが、力強さという点で黒沢明監督と作風が似ているのかもしれない。だが『天国と地獄』と一番ちがうところは、周囲のだれひとりキム・ヘジャに協力的ではないということだ。三船敏郎が自分の子供ではないにもかかわらずに、誘拐された子供の身代金を犯人の要求どおりに出す。また誘拐ののちに釈放された子供の運転手は、子供をつれて犯人グループのアジトを探す。こんな風な「みんなで一緒に」犯人探しをするという関係はこの映画ではまったくない。甥にあたる男が刑事で捜査を担当するが、キム・ヘジャに胡散臭い視線を浴びせるし、どうも熱心ではない。ウォンビンの友人はキム・ヘジャに疑われたことをタネに慰謝料を要求する始末だ。また韓国における格差社会のありようも描かれる。キム・ヘジャが動き回るなかでいろんなことが見えてくる。キム・ヘジャの「母性愛」と対極的な母(祖母かもしれない)もいて、これには顔を顰めざるをえない。またキム・ヘジャは昔子供と心中をしかけてやめたたことがあったが、ウォンビンはこれをしっかりと覚えている。この青年、障害者であっても狡猾さを隠し持っている。だからこそキム・ヘジャはいっそう「母性愛」を強固に固めようとするのだが。

 最後近くになって、監督が視聴者にあたえた前提をみずから崩してしまうか所があるが、重要な場面であるだけにいただけなかった。混乱した。それに甥の刑事が「真犯人」を捕まえてくるのも不可解である。犯人の逃亡をより容易にするための物語づくりなのか。また前半部はやや弱いのだが、後半からラストへの流れはさすがに緊迫感がみなぎっている。★★★★

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万城目学『鴨川ホルモー』

鴨川ホルモー鴨川ホルモー
(2006/04)
万城目 学

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  読むべき人が読めばおもしろいのかもしれないが、私には合わなかった。学園青春ものというジャンルに括れそうだが、そこにSF的、落語的要素が多く加味されている。恋愛や友情、団結を描いた部分はテレビドラマなどで昔何回も見せられたようで、格別の変化はないが、受け入れやすかった。つまりこの部分はオーソドックスで好感がもてたのだが、サークル活動の部分が私が古い人間からなのか、どうもついていけない。ここだけがSF的・・・な作りになっている。一般の人には影姿がまったく見えない「オニ」を大学対抗の形式で「鬼語」を発して戦わせるという話だ。自分たちにだけわかる世界、そう信じてしまえる世界というものが、学生のすべてとは言わないが学生時代にはあって、狂喜乱舞するのはわかる。それが社会的に役立つようには還元されることがなく、また勉学の向上にもつながらない。それでもそういうサークル活動が学生生活の思い出となり、精一杯活動することが個人を成長させ、未来への見えない糧となる、ということもわかるつもりだ。だがサークル活動の内容そのものが、読んでいてそれほど興味を引かれるものではなかった。

  京都大学の新入生安部は「京大青竜会」なる正体不明のサークルから勧誘を受ける。いぶかしい思いを抱きつつも入会してしまったのは、きれいな鼻をした女子学生がそこにはいっていたからだ。飲み会やドライブなどで行動をともにして、それは楽しい気分もあるが、サークルのリーダーはなかなか「青竜会」の正体を明かさない。安部は落ち着かないが、七月になってようやくその一端を知らされる。祇園祭宵山の七月十六日、四条烏丸交差点に先輩のサークルメンバーらしき京大生が十人ほど並んで入ってくる。そろいの青色の浴衣姿で。ほかにもちがう方角から白、黒、赤も浴衣を着た学生が進んできて合流する。喧嘩ではなく、そういう形式の会合だ。京大以外の大学は立命館大、京都産業大、竜谷大。やがて冬がくると「青竜会」の一回生はリーダーに引率されて吉田神社に参る。リーダーがメンバーから集めた一円玉を賽銭箱に投げ入れて、なにやら「伝統」にしたがって丁重な口上を奉げる。それからが学生らしいはちゃめちゃぶりが発揮される。六十年代の古くさいCMソングを合唱しながら裸踊りを全員が繰りひろげる。すると、身長二十センチほどの「オニ」が、彼らの前に大挙出現する。他の大学もゆかりの社寺で同じようなことをして「オニ」を呼び出す・題名の「ホルモー」とはこのオニどうしの戦いのことで「ホルモオオオォォォーッッ」と長く伸ばして大声で叫ぶのは敗北宣言に当たる。若い人が読めばくすぐられるような面白さを実感するのだろうか。

  若い人にとっては、はじめて接するものはすべて新しい。たとえ社会的に古くささが認知されたものであってもだ。恋愛もまた大学生ともなればいよいよ本格化するのだろう。我慢をかさねて思いをうち明けずにいたり、逆にすべて正直に告白してしまったりと、これもまた当人にとっては新しい。マニュアルなんてない。子供時代からそれまでに形成された「性格」そのままに通過するか、それとも殻を打ち破るか、当人が決めるしかない。あらためて思った次第だ。

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招く部屋

あなたがたはすでに居て三人並んで佇んでいた 雑談でもしていたのかぼくが入っていったとき少し驚いたようにふりむいたが もっと驚いたのはぼくのほうだ そこはぼくの部屋だったはずである そこであなたがたと会う約束をしたのだったか ぼくはすっかり忘れてしまっていたが 少なくとも出入り自由をだれかれにたいしても喧伝していたので 約束がなくても ドアを開けることはあなたがた三人の自由であると ぼくは認めないわけにはいかなかった

ぼくはわざわざ好き好んで潜泳をして岸辺にたどりつくように部屋に着いた 買い物の用事でもあったのか 時間に追われながらメモを片手に矢継ぎ早にそれを済ませてきたのか それとも愚鈍の海にやすやすとたぶらかされてあちこちで油を売っていたのか 得意満面になって多くの人々と 太陽や月や刀に関して話しこんでいたのか それはそれで楽しくもあったのか ともかくも 息を切らしながら浜辺をのぼっていくと黒々とした三本のまだ幼い松の木があり その曇った色彩に団欒や睡眠をごくあたりまえに求めるように誘われて近づいていくと いきなり松の木が肉の幕を風にふくらませた それがあなたがただった 少し驚いたようにふりむいたが もっと驚いたのはぼくのほうだった


ぼくはぼく自身を忘れかけていた
それでいいと思って
またはなかば投げやりに
「大いなる幻影」を生かすためにという理由で
ぼくはぼく自身を忘れかけていた
そんななかであなたがた三人は
ぼくという存在をはっきりと認めた
まるで飴玉を舌で転がすように余裕たっぷりに
ぼくの姿に集中してから
当のぼくに見られることに気づいて
ぼくの瞳の奥に刻みこまれることをおそれて
尻尾を収納するようにあわてて引っ込めた
それにしても
誘われるようにあなたがた三人は 
ぼくという人間にごく当たり前に興味を持って
ぼくに見入ったのではないか
尻尾をひっこめたときのバツの悪そうな表情を
ぼくは見逃さなかった。

あなたがたにとって
ぼくはどういう人間に映ったのだろうか
ぼくにとってはぼくという人間には
固有の意味などあろうはずもなかった
真新しい材木に鑿を打ちこんで青空に響かせるように
愚直そのものの力瘤で
笑い放つことも可能と驕りたかぶりたかったのだが
あなたがたはいともやすやすと
ぼくという個の人間の意味づけを
瞬時の観察ののちにやってのけたかにみえた
ぼくのぼく自身にたいする意味づけとは
まったく別個の時間のなかでやってのけた
「大いなる幻影」などあなたがたははじめから持たなかったから
「大いなる幻影」を参考にすることもなく
ただ眼の前に生起するぼくという人間を見て
あなたがたの時間のなかでごく当たり前に判断したのだ
あなたがたの時間とそのなかのぼくが
ぼくになんの断りもなく形成されて
鋭くもやさしい山のように見えて
ぼくは無性に腹立たしかった
しかもその腹立たしさと嫉妬は
ぼくのぼく自身にたいする予想を超えるほど
蹂躙するほどはげしいものだった
そのはげしさはたじろぐに値する規模だったが
たじろぐ暇もなく
あなたがた三人への
いわれのない憎悪に連続的・膨張的に転化した
まるであなたがたの瞬時に対抗するかのような瞬時
ぼくのなかに眠っていた動物が露出したのだ
ぼくはそれまで知らないぼくになっていた


あなた方三人のなかで形成されたであろうぼくの像に ぼくは興味をことさらもたないし知ろうとも思わなかったとそのときは思ったのだが 実際知らなかったのだが あなたがたのなかのぼくの像に ぼく自身が生涯出会うことができないことの寂しさと僻み根性がつのったことは否定できはしない 否定し消滅させたつもりだったが 感覚はのこり痕跡のようにひきずっっていた あなたがたのなかのぼくに出会えないということは、ぼくがあなたがた自身にも出会えないということをも意味していた ぼくはそういうぼくのぐらつきやいくつかの意外な反応を認めたくはなかった ただただぼくはぼくという人間を 以前からの連続性にしたがって後生大事にしたかった なかば惰性にしたがって 出たとこ勝負の思い上がりときには武器として 後生大事にしたいという思いを何層倍もつのらせた 選択の余地はなかった 言葉はなかった 「大いなる幻影」から吐き出される言葉とその受容体としてのぼくが ぼくにとっての言葉の領域のすべてであり、それ以外の領域で ぼくは感情と汗をやくざっぽく膨らましていたのだ

憎悪は咽喉から逆流した ぼくはそれまで知らないぼくになっていた そしてそういう変貌した二番目のぼくをまたしてもあなたがた三人は視認した ぼくはぼく自身を隠匿することができないままに  あなたがたへの憎悪に支配された一瞬を体感したので あなたがたを視界の中央に据えて三白眼で憎悪の矢を放出しかかったので まさにあなたがたはそのときのぼくを脳内に刻み込んだ そのときにかぎってはぼくとあなたがたとのぼくにたいする像は見事に一致する ああ そのときの夢! ではない、すこし遅れてからの夢! 憎悪と同量かつ異質のなんらかの感情を抱きながら言葉の矢をあなたがたに向かって昂然として放つぼくがいたなら! 正直に言おう 「大いなる幻影」はそんなどんづまりのさなかに言葉そのものとしてではなく ぼんやりした啓示の類をぼくにかすかに落としたのだ 羽毛の何枚かがひらひら降ってきた ぼくはぼくを破壊しなければならない そんな思いがしきりにぼくのなかを行き来した 「言葉」は言葉という仮象であった 言葉かそれ以外のものによってかはわからないが‥‥。あなたがた三人は今も偉大な山として壁としてぼくの前に立ちはだかる
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パイレーツ・ロック

  放送が大幅に制限されていたロック音楽を流しつづけた海賊ラジオ局の話。一九六〇年代中期のことだ。ロックといえば今日においては珍しくはなくあふれるように流れているが、当時は保守層の反感を随分と買っていた。騒々しく狂熱的であり、ドラッグやセックスと結びつきやすい傾向がある。また男性の長髪ひとつとってみても生理的嫌悪感をもたらすものであったようだ。逆に言うと、ロックは文化革命の名に匹敵した。ロック・ミュージシャンやその愛好家はファンに支持される一方で、窮屈な思いをさせられただろう。だがこの映画、本気になって彼らの苦闘を描こうとしているとは思えない。もはや昔話となってしまった「苦闘」を今日表現することの意味を見出しかねているようにも見えた。

  「海賊局」の名のとおり、フィリップ・シーモア・ホフマンはじめ十人以上のロック愛好家がボロ船に乗り込んで、交代でディスクジョッキーを担当して二十四時間ロック音楽を流しつづける。はしゃいだり、だらけたり、下品になったり、聴き手に挑発的になったりと例の口調だ。だが残念ながら時代の空気が再現できていない。彼らはおおげさではなく国家に反逆するのだから(現に海賊局を葬り去ろうと文化担当の大臣だろうか、部下をつかって執拗に画策する)相当の覚悟を決めたにちがいないのだが、それがさっぱり伝わらないのだ。笑いや下品さであっても反逆の緊張を伴ったものと、今日のように当たり前にそれができてしまうDIとはおのずから異なるはずなのだが、まったく同じに見える。これが視聴者をまさにだらけさせるのだ。好意的にみれば余裕たっぷりだが。

  ドラッグやセックスも彼らの行動や話として出てくる。これもまた今日市民権をえたとはいわないが、そんなものだろうとわたしたちは冷静に眺められる。そういう今日的な視線以外にはこの映画は持たないから、けっこう幸福そうに見えるだけだ。「ロック革命」だけではネタ不足と考えたのか、高校中退の青年の童貞破りや恋の場面もあるが、ありふれていて添え物以上ではない。おまけになんでこうなるんだと思わせるのがクライマックスで、「タイタニック」みたいに船が沈没してしまい、にわかに脱出劇となる。お気楽な映画だ。 ★★

    21:05 | Trackback : 0 | Comment : 0 | Top

絲山秋子『ラジ&ピース』

ラジ&ピースラジ&ピース
(2008/07/31)
絲山 秋子

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 主人公の相馬野枝はフリーのラジオタレントで、仙台で担当していた番組が終了して、いくつかのラジオ局で面接を受けたのちに群馬県の高崎にあるFM局に入社することになる。そこで午後のワイド番組のメイン・キャスターを担当する。題名の「ラジ&ピース」はその番組名。

 野枝は容貌とスタイルにコムプレックスを強く抱いている。そのために地味目の服装しかできない。いつも不機嫌で、やや妄想めくが、いつ他人から攻撃されるか恐れている。つまり自己嫌悪をはげしく抱く女性で、逆にそうだからこそ自己愛も強いのだと、自己分析をしてそれでまた嫌になる、ぞっとする、そういう女性であることが冒頭に記される。これは「内面」にあたるのだろう。それを他人にぶちまけてしまうことはできない。内面を押し隠しつつ、他人を警戒する、適度な距離を保つ。そして「内面」があれば逆に「外面」がある。ラジオ番組のキャスターともなれば、それにふさわしい人柄を装わなければならない。明るく、快活に、というところだろうか。またテキパキと時間にあわせて番組を進行させなければならない。私は、そういう内面と外面の関係がねじれあって、相互に影響しあって、この女性がどういう風に変化するのだろうかと、興味を持って読んだが、どうもはぐらかされた気がする。

 番組は日々アクシデントなく放送されて順調に軌道に乗る。野枝は番組内の自分は演出された人格だと自己規定しているようで、たとえば、リスナーからの〈私は何々を食べた、相馬さんは夕食は何を召し上がられますか〉というメールを読んで、〈和風パスタ〉と答える。だが舌出しするように、〈そんなものは食べない〉と決めてしまうのだ。つまりは内面と外面の使い分けを意識してやっているように私にはみえた。だが多くのメールが寄せられ、彼女が人気者になってからは、これが少し変わってくる。窮屈さがとれて解放的になる。

 不眠鳥が、恐妻センター前橋が、もとアスパラガスが、鬼石のへっぷばーんが、backto群馬町が、うつぼくんが、それからスラッシュが、トロイの種馬が、大間々のマーキーが、あとは、たっぷりくんが、邑楽(おうら)のみっちゃんが、数百,数千のラジオネームが野枝の目の前にあった。
 停電が終わって突然夜景が目の前に広がったようだった。野枝の胸の中にきらきらと無数の灯りがともった。

 野枝は生れて初めて人気者になった気がした。こういうことだったのだ。(p90)



 奇怪な名前はすべてリスナーのメールにあるニックネームである。おそらくは、放送エリアの全域にわたってリスナーが健在なことに思い当たって、気をよくしたのだ。のみならず、ここで登場する「恐妻センター前橋」という五十代の男とは連絡を取っていっしょに温泉に行くまでの仲になる。特定のリスナーとの番組以外での交流はみずから禁じていたのに反してだ。それもうしろめたさはまったくなく、できた。こういうこともバネになって、ラジオタレントとして安定してきた、こつをつかんだという自信が野枝のなかに自然に湧いてくる。だが、この成功と感動が主人公野枝をどう変えるのかといえば、あまり変わらない。というか、書かれていない。ここが少々物足りなさを感じるところで、もっと野枝を変えてみせてくれるなり、変わらないなら変わらないということを追究してほしいのだが。絲山秋子は野枝を内面に「帰還」させることで、ほっとさせているように思える。これが唐突な印象を受ける。

 野枝は笑わなかった。姪は単なる涎を垂らし奇声を発して徘徊する危なっかしい生き物だった。壊してしまいそうで、抱くことなどできなかった。みんながりらのために愚かしい言葉を使っているのを見て、彼女は激しいストレスを感じていた。あれこれと野枝に話しかけてきたのは妹の夫の清志だったが、気を遣われることを野枝は嫌った。(p125)


 妹の真弓が最初の死産を乗り越えて、二度目にして授かった赤ん坊「りら」を抱いて夫妻で実家に帰ったときの描写で、連絡を受けて野枝も帰って同席した。妹とは子供のときから仲が悪く、その影響で、赤ちゃんといってもさっぱり可愛くない。子供のときの兄弟姉妹の不仲は大人になっても引きずってしまうもので、野枝の暗さの淵源のひとつがここにあると思わされる。「ストレス」を感じつつも、私には野枝の自己確認とそれによる奇妙な安心感を読みとれる気がした。小説のふりだしにもどされた気にもなった。

 三十代前半で独身らしいから、番組スタップはじめ「恐妻センター」やら自然消滅しかかっているボーイフレンドやら、男性関係にはどこか意図的によそよそしくて冷たい、警戒する姿勢が表面とはうらはらに描かれるのは、そんなものかなと、納得させられる。異性に大して期待しないことが自然にそなわってしまったようにもみえる。小さな成功をかさねつつ「内面」も大事にしていく、これが主人公の理想にも思えるし、実人生がそんな風にういまくいくことはだれでもが願うところではあるだろう。しかしそれだけを言われても、小説=文学としては断片的範囲でしかないのではないか。駄作ではないと思うが、残念な印象がのこった。

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