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プラトン「ソクラテスの弁明」

ソクラテスの弁明ほか (中公クラシックス (W14))ソクラテスの弁明ほか (中公クラシックス (W14))
(2002/01)
プラトン

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 知的立場とは何か、という問いにたいする答えがここにある。太古に書かれた書であるが、ソクラテスの言はすみずみまで筋がとおっている。堂々としてひるむことがなく、現代においても衝撃力をうしなっていない。

 紀元前399年、ソクラテスは「不敬罪」のよって訴えられた。ソクラテスが70歳のときだ。神にたいする不敬や嘘の言説をふりまく。「異神」(ダイモン)をもちあげて、青年たちをたぶらかして害毒をふりまく、というようなことだ。それだけ彼の支持者が多くいたということであり、逆に、政治的支配者が彼の社会的影響力のひろがりに危惧を抱いたからであろう。裁判は陪審員の多数決によって決せられ、ソクラテスは死刑の決定をくだされた。この書は,裁判が進行するなかでの彼の無罪の訴えであり、また判決がくだされたあとの支持者への別れの言葉である。もっとも裁判の詳細はソクラテスを訴えた側の言葉が省略されているので、たどることができない。ソクラテスの基本的立場が、単に無罪を主張するという次元にとどまらずに,知にたいする愛と実践として強力につらぬかれて記されている。

 ソクラテスは知的探究心を、正しいこと、善いこと、美しいことの人間のなかでの三者一体のありように注いだ人であった。当然、それは人の生き方として実践に深くかかわるもので「魂をみがく」という言い方にもあらわれる。そして「知」のありかた。「知」とはぶれないことだ。どこへ行っても、語る相手がだれであっても、言葉は同じでなければならない。地位、名誉、出世のために言葉を変えてはならない、知をそれらの手段にしてはならない、また知によって多額の報酬を得てはならない。また、裁判において死刑判決がくだされそうなときでも、命乞いをしてはならない、家族を連れてきて涙で訴えさせて陪審員の同情を買うことなどもしてはならない、等々。

 ソクラテスは知識の集積を自慢する人ではなかった。むしろ、それほど多くのことを知っているのではないと言う。そして肝心なことは、知らないことを知っているとは決して言わないことで、多くの弁論家は対話してみてわかったが、知らないことを知っているふりをする、それは無知にほかならない、知らないことを知っていると言うよりも、知らないことを知らないと言うほうが多く知っていることになる、知的立場としては上位にあるという。正直であることは無論、これがソクラテスの知を曇りのないものとして絶えず屹立させる方法論であった。知にたいする愛でもあった。この立場は死を前にしたときに典型的にあらわれる。

 なぜなら、死を恐れるということは、いいですか、諸君、知恵がないのにあると思っていることにほかならないのです。なぜなら、知らないことを知っていると思うことだからです。なぜなら、死を知っている者はだれもいないからです。ひょっとすると、それはまた、人間にとって、いっさいの善いもののうちの最大のものかもしれないのですが、しかし彼らは、それを恐れているのです。つまり、それが害悪の最大のものであることをよく知っているかのようにです。そしてそれこそ、どう見ても、知らないのに知っていると思っているというので、いまさんざんに悪く言われた無知というものにほかならないのではないでしょうか。(p43)


 私はここまではとても言えない。多くの人もそうであろうと思う。死をしこたま体験してきて帰還した人などだれもいないのだから、死がわからないという言い方はそのとおりだろう。だが知にとってはわからないことにたいしては評価しようがない。死を地獄だとか、逆に天国だとか極楽だとかいうのは現生における言説で、たしかなことは何ひとつわからない。わからないことをあえて「恐れる」とは知的立場としてはとても執りようのない態度ではないか。知らないことを知っていると強弁するにひとしいことになり、これはソクラテスの軽蔑の対象となる。また、あからさまには書かれてはいないが、一旦死の運命が決定づけられた場合は、生にたいして未練がましい態度をとるべきではないということだろう。

 私自身は死をおそれる。死が決定づけられて逃れようがなくなっても、たぶんじたばたするだろう、もっと生きていたいと無念の思いを噛みしめるだろう。諦めの境地には達することができるのかもしれないが、時間を要する気がする。知的立場としてではなく、本能として、死にたいしてはそういう反応しか執りようがないと予想するしかない。本能とは、わからないから「恐れない」という態度をとるのではない、わからないから恐れるのだ。人間一人はちっぽけな存在である。天災や獣や戦争やおそいかかってくる人間の集団にたいしては無力で、その無力感は本能に貼りついている。ましてや死はわからないという以上に人間にたいして圧倒的な力と運命を有している。死はだれにたいしても避けられることなく平等におとずれる。ソクラテスとて、こういう本能から死をおそれる「立場」を知らなかったはずもないだろう。

 ソクラテスも私たちと同じ人間だから、本能や欲望は彼のなかに実在しただろう。だが彼はそれらを直接的に社会や物質に向けなかった。知的立場を確立すること、魂をみがくことに向けられた。そして知的立場をもって社会や物質を見る。欲望がこちらにあるとすると、あちらにあるのは社会や物質ではなくて知である。そうして知的立場に立ったときは欲望はその下にかくれている。欲望によってではなしに、知によって外側を眺める。このソクラテスの欲望のある部分を愛と読んでもさしつかえないのだ。欲望は実在してもその使い方、向けられ方が変換されるのだ。私がソクラテスのように死を恐れないと断言することができないとしても、この欲望の変換の構造はわかる気がする。

 ソクラテスはまた、政治の世界に生きることを嫌った。何度か重要な政治的立場に立ったことがあるらしく、その経験から語るのだが、政治の世界はあまりにも汚穢に満ちていて、正しさを求めるには命がいくつあっても足りない世界だとして,下りるのが懸命だとした。人々と語り合って「正しさ」を探求すること自分にもっともふさわしい道だと悟った。そしてソクラテスの根本にあるもうひとつのものは神(ゼウス)である。ここだけは非論理的で繊細だ。裁判の終了後、「裁判官諸君」と彼は彼の無罪を主張してくれた人々に向かって言う。

 

わたしに妙なことが起こったのです。というのは、わたしにいつも起こる例の神のお告げというものは、これまでの全生涯を通じていつもたいへん数しげくあらわれて、ごく些細なことについても、わたしのおこなおうとしていることが当を得ていないばあいには、反対したものなのです。(中略)ところが、そのわたしに対して、朝、家を出てくるときにも、神の例の合図は、反対しなかったのです。(P79)



 死刑判決がくだされることが十分に予想される裁判について、ソクラテスは言っている。神の御加護があるから、死を従容として受け入れる自分はまちがっていない、それどころか十二分に心強いと。

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パリの灯は遠く(1976/フランス)

パリの灯は遠く [DVD]パリの灯は遠く [DVD]
(2009/12/02)
アラン・ドロン/ジャンヌ・モロー/シュザンヌ・フロン

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 見た直後は凡作ではないかという印象だった。とくにラストでアラン・ドロンのとった行動は、唐突過ぎてありえないのではないかと思わざるをえなかった。ところがそうでもない、これがボデイ・ブローのようにあとから効いてくる。その行動は非現実的ではあるが、映画のなかでは流れに沿っている。つまり、映画として説得力をもっているということだ。それが芯として残って、さらに現実のなかに逆流してくる。そういうある種、鮮やかさの獲得に成功した作品ではないだろうか。

 ナチ占領下のフランスで、アラン・ドロンは美術商をしている。愛人をベッドにはべらせているところへ、切羽詰った表情をした男が絵を売りにくる。ドロンは室内用のガウンを着たまま応対して、安値で買い叩く。優雅なものだ。ところがそこへ、ユダヤ人の互助団体から手紙が送られてくる。宛名はロベール・クラインで、同姓同名だが彼はユダヤ人ではない。ユダヤ人狩りが激しさをますなかで、迷惑どころか危険でもある。ここからドロンの同姓同名のユダヤ人にたいする探索行がはじまる。同じ時期に、警察がドロンにたいして疑惑の目を向けはじめる。

 昔の作品だからテンポがのろく、退屈さは否定できないが、よく言えば、映画の時間の中にじっくりひたることができる。また、アラン・ドロンは動き回るが、あくせくするなかで、まだ見ぬ人物ロベール・クラインを凝視する表情を一定に保持したままで、視聴者はそれに引っぱられる。そこが映画の芯になっている。また周辺の人物も、腫れ物にさわるといえばオーバーになるが、誰もが彼に注視の視線を注ぐ。ユダヤ人のアパートを見つけたが、そこは既に引きはらったあと。故意か偶然か、ユダヤ人のクライン宛の手紙がドロンに届き,その指示にのって彼は動くと、ユダヤ人ブルジョアの広大な屋敷に着く。十人ほどの人がいて、小楽団の演奏の元、食事の最中で、主だった人は彼を歓待してくれる。ユダヤ人クラインの愛人らしいジャンヌ・モローもいる。

 ユダヤ人クラインに何回もたどり着きそうになりながらも果せず、ついにドロンはドイツに移送されるユダヤ人の群れの中に連れて行かれるが、ユダヤ人クラインもまた同じ群れのなかにいる。非ユダヤ人であることの証明書が友人によって届けられ呼びかけられるが、まったく耳に入らないドロン。ドロンは、そのときまさにクラインを発見したのだ。ここではじめて視聴者は、ドロンが同姓同名のユダヤ人にたいして大きい同情を、また愛情を、いいようのない思いを向けていたことがわかる。一連の行動のなかで、それは形成されていたのだ。

 眠気をさます場面があった。警察によってドロンの美術品は没収されるのだが、その現場に立ち会ったとき、古い楽譜がでてくる。確かめるために知り合いの女性にピアノで弾いてもらうと「インターナショナル」のメロディで、男の友人があわてて制止する。左翼の歌もまた、この時代は御法度だったのだろう。★★★

 (今回から、映画にかぎって採点簿をつけます。5点満点で★ひとつが1点。皆さんと同じ方式です)
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九月に降る風

 台湾の高校生の青春群像。大暴れというほどではないが、酒に煙草に無免許でのバイク運転と、7,8人のグループがこの年代特有の享楽的、反抗的行動をとる。女生徒への興味とナンパに挑戦する男もいる。それに彼等共通のあこがれが某プロ野球選手で、一緒に観戦して熱狂的な声援を送る。

 卒業してまもなく、主人公チャン・チェ(トウ)が高校生だった時間をふりかえるという出だしがいい。台湾は亜熱帯だから、制服はブレザーではなく半袖の開襟シャツだ。水色のその制服が壁にかかっている。胸には卒業記念にあたるのか、赤いリボンが飾られてある。わきには段ボール箱が置いてある。その中身はわからないが、後半明らかになって、最後にはこの出だしの場面にもどって、トウにとっての箱の中身の意味が理解できる仕組みになっている。

 高校や大学は特異な場所と時間だ。許容範囲はあるが、欲望が多分に解放される。それまでは一人でうしろめたさとともにあこがれていた遊びが造作もなく実現してしまう。当然、仲間意識、団結の気持ちが生れる。同じプロ野球選手を応援するのは、その象徴だ。だが映画はそれを信じすぎて躓く少年たちを描く。ひとりひとりの思いや欲望はやはり微妙にちがうのだ。また当然、仲間の行動の逐一をほかのメンバーが知ることもできない。

 トウが見ず知らずの男のグループに暴行を受ける場面がある。トウの友人でグループのリーダー格のイェンがある女性をナンパしたのだが、その女性のボーイフレンドが怒って、トウが仲間と遊んでいるところに乗りこんできたのだ。トウ自身の問題ではないが、トウがイェンの友人であることを男は知っていたのかもしれない。怒りは収まらず、顔面に強いパンチを浴びせて去る。だが事件はこれだけでは終わらない。イェンはトウを気の毒がったのか、後日仲間をつれて、教室にいるトウのところへいく。顔の傷の生々しいトウだが、イェンらは笑みを浮かべながら、彼の机に飲み干した飲料水の瓶を置くのだ。これはトウにとってはいじめとまったく同じだ。だがイェンらにとってはいじめではない。この年代特有の照れで、そういう誤解をあたえかねない形でしか同情を表現できないのだ。私はそう受けとった。(トウが喧嘩に負けたと彼等が解釈したうえでの軽蔑の意味もあるだろう)ここは鮮やかな場面だ。

 トウとイェンには共通のガールフレンドがいる。その女性はハンサムでやんちゃなイェンも、勉強ができるトウも好きだが、最後にはトウに惹かれていき、イェンとの別れを決意する……。

 メンバーの一年生は三年生のバイク無免許運転の身代わりになって警察に捕まる。その三年生はもっけの幸いと知らん顔。これを知った別の三年生が、その三年生をバットをもって義憤にふるえる形相で追いかける場面があるが、たじろいでしまう。校舎内の行き止まりに追い詰めて、いまにもバットで滅多打ちしようとするとき、仲間も制止しようとして追いかけてくる。このときカメラは天から見下ろす角度で撮る。このカメラワークも納得がいく。高校時代というほんのわずかだが過去になってしまった時間を、冷静さを持ってとらえようとする制作者の意図を読み取れる気がした。バットは人間には向いていかない。そのかわり、トイレのドアを何回も猛烈に打ちつけて破壊してしまう。ここもわかる。個人の持つ圧倒的な暴力は人間にはよほどではないと向けられないが、義憤と一体化した暴力志向は、身近なものに当たりちらさずにはいられないのだ。

 高校は特異な時間と場所だ。そしてたちまち過ぎ去ってしまうものでもある。だから、そこにいる間はいたずらに興奮して何が何だかわからない。問題がなにひとつ解決しないままに過ぎ去ってしまう。ならば、ふりかえって考えることで解決に近づくしかない。そんな感慨をえた。また、少し触れたが、校舎を意識して撮っている。生徒の集団にとってはせまい階段も、ひとりで通行すると、だだっぴろく頑丈に見える。それも先と同じく天から撮る。屋上もうまく取り入れられている。外の町並みと学校との隔絶性が語られている。校舎という分厚い隔離装置から出て行って、自分の家と実社会とを往復する時間帯にならないと、学校での出来事は見えてこない。

 イェンを演じるリディアン・ヴォーンという若い俳優、トム・クルーズとそっくりな顔つきをしている。イギリス人と台湾人のハーフだそうだ。

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半藤一利『昭和史 戦後篇』(3)

 マッカーサーの日本に対して意図するところは、軍事力の徹底的な解体とその再編の芽をつぶすことであった。また宗教的にいちじるしい権威をもつ天皇を国家権力の中枢から引き離すことであった。占領政策を早く終わらせるためにも、それを完遂させなければならなかった。彼のこの意図は、改正された新憲法において十二分に結実した。陸海軍を保持しない、交戦権を放棄するという理想主義的な憲法九条と、天皇を国家主権者から「象徴」に引きずりおろすことであった。旧憲法第一条は「大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス」とあるが、マッカーサーはこれを看過しなかった。形式的であったとしても、天皇が政治上の最高権力のままであることは、天皇の処分を強くもとめる連合国に対しても納得させられないという思いだったろう。勿論、天皇の宗教的権威の否定のメッセージは誰よりも日本国民に向けられていた。

 その目的でもあろう、憲法改正に先立って天皇の「人間宣言」なる詔勅が発表された。GHQがときの幣原首相以下の政治担当者に要請してできあがったもので、英文が先にあって日本語訳(このときは難解な文語)が日本人に発表されるという逆の順番は日本国憲法とまったく同じ形式になっている。ここで、天皇は天皇家の根拠と源泉として位置づけられていた神話と伝説とのつながりを否定した。また自分は「現御神」(あきつみかみ)ではない、日本民族が他民族に比べて優秀だなどいうことは嘘で、したがって他民族を支配してもよいという観念もまちがいである、こういう趣旨である。新聞発表は昭和21年1月1日。

 「朕とナンジ等国民との間の紐帯は、終始相互の信頼と敬愛とに依りて結ばれ、単なる神話と伝説とに依りて生ぜるものに非ず。天皇を以って現御神とし、且日本国民を以って他の民族に優越せる民族にして、延いて世界を支配すべき運命を有すとの架空なる観念に基くものにもあらず」(p141,2)


 半藤一利はこのときのことを記憶しているが、意味はさっぱりわからなかった。それよりも同時に発表されたGHQの指令の修身、歴史、地理の学校授業の廃止のほうにむしろたいへん驚いたという。これまた、GHQから見た日本の好戦性を根拠づける「後進性」(日本は神の国というような)の一挙的な否定になろうか。「人間宣言」と同じ意味合いであり、強制であっただろう。

 日本側はGHQの要請を受けて、幣原喜重郎内閣(昭和20年10月~21年5月)の元で「憲法問題調査委員会」いわゆる松本委員会を設置した。日本の政治担当者のあいだには、日本は国体護持を条件としてポツダム宣言を受け入れたという了解があって、天皇の地位の変更には手をつけられなかったようだ。この間の経過をたどることは煩わしいが、要は憲法草案なるものは明治憲法の骨子をそのままにして文章をいじくる体のものであったらしい。GHQは松本委員会の草案を新聞の特ダネによって知ることになり、草案作成を日本人には任せておけないと決意したようだ。日本の政治家は、日本の政治体制の大改革をめざすGHQの強い意思をよく見抜けなかったのか。それとも旧権力たる天皇(旧憲法が生きているあいだは現権力ともいえる)をより重視し、忠誠心を発揮したのか。そこはわからない。結局は、日本人の草案は新憲法には生かされず、GHQ民生局という部署のスタップ25名がわずか1週間(昭和21年2月5日~12日)で、新憲法にあたる草案(英文)を完成させてしまった。そのことを日本の政治家がはじめて知るのは、同年の2月13日、つまりアメリカが憲法草案を作成し終えた翌日である。日本側は、日本の作成した草案を持っていって協議にのぞもうとしていたのである。

 GHQは、アメリカ作成の憲法を受け入れたなら、天皇の身分は保障される、裁判にかけられることもない。また日本国はすみやかに独立を達成できる。日本国民も自由を与えられる。こういうことを噛んで含めるように言った。またにわかには信じられないが、ある書物(マーク・ゲイン著『ニッポン日記』)によると、そのときに協議の場所であった外務大臣官邸の上空をB25が低空飛行して轟音とともにガラス戸を響かせたという。アメリカ人が去って日本人(吉田、松本、白州ら)が英文のコピーを読んでいるときのことで、威嚇の意味を持たせたのだろう。アメリカも本気だったようだ。吉田茂らは「驚天動地」だったが、問題は天皇ならびに国会等で他の政治家を納得させられるかどうかという重い課題をつきつけられたことだった。だが天皇はまたもや、というか、鶴の一声でいともあっさりと「象徴」を認めてしまい、政治日程をスムーズに運ばせる役目を担った。幣原が天皇に会って、新憲法のことを相談したのは2月22日。皇居内の御文庫というところだった。天皇は「象徴天皇」「主権在民」「戦争放棄」の新憲法の骨子をこのとき初めて知ったことになっている。また旧憲法の規定には天皇の承諾(勅命)がなければ改正できないことになっているので、これは必須の手続きだった。天皇は決断を留保せずにその場で承諾した。幣原平和財団編『幣原喜重郎』という本によれば、天皇はこう言った。

「最も徹底的な改革をするがよい。たとえ天皇自身から政治的機能のすべてを剥奪するほどのものであっても、全面的に支持する。」(p197)


 幣原首相の説得がうまかったのかもしれないが、私は昭和天皇の嗅覚の鋭さをそこに見たい気がする。天皇主権を手放すことには、政治家の多数による頑強な反対が考えられたが、天皇の承諾はその力を弱めさせる作用がある。またアメリカに対しての抵抗の空しさも、あらかじめ読んだのではないか。また「象徴」を認めることによる「戦争責任」の回避も計算に入っていただろう。さらに政治の世界がわずらわしいと思うなら「象徴」は「元首」よりも一歩ひいたところにあり、穏やかさも増す。天皇は動くときには動く。政治家がぐずぐずしている様子をみて、自分の決断を欲しがっているのではないか、それを考慮してズバッと動いてみせるのだ。つまりは天皇もまた政治家であり、その自覚があると見る。日本国憲法は昭和21年11月3日に公布され、翌年の22年5月3日からの施行が決まった。

 昭和天皇が重大な政治的発言をしたことが、時期がややあとになるが、ある。22年9月のこと、政府内でいわゆる「有事」の際の日本防衛をアメリカに依頼する構想が持ちあがった。のちの安保条約の原型だと半藤は言う。日本とアメリカとの事前の相談が前提になるが、「有事」には本土に大挙アメリカ軍を駐留させる事態を想定しなければならない。そのときは既に新憲法は施行されていて天皇が政治に口出しすることは禁じられているが、あえて天皇は禁を破った。天皇と政治家が政治上の生臭い話を交わすことが、そのときに至るも残存していたようだ。天皇はアメリカ軍の大挙しての本土再上陸に不満だった。そこで沖縄を使ってもらえと、宮内府の通訳を介して連合軍に進言した。

「天皇は、アメリカが沖縄をはじめ琉球ほかの諸島を軍事占領し続けることを希望している。天皇の意見によると、その占領はアメリカの利益になるし日本を守ることにもなる。(中略)天皇がさらに思うに、アメリカによる沖縄(および要請があり次第ほかの諸島嶼)の軍事占領は、日本に主権を残存させたかたちで長期――二十五年から五十年ないしそれ以上――の貸与をするという擬制のうえになされるべきである」(p315)


 またしても随分踏み込んだ発言、というよりも沖縄住民にとっては迷惑このうえない発言であることはまちがいない。はたしてこれは「すぐれた戦略家」であるかもしれない天皇自身の構想による発案なのか、それとも、そういう案はあるものの腹に隠しているかに見える当時の政治家、片山哲首相や芦田均外相の身代わり的な役を果したつもりだったのか。もし後者だとしたら、愚図る政治家と突出発言をする天皇という、この論で何回か見た光景と見事にかさなってしまう。だとすると、新憲法下にもかかわらず、政治家が責任回避とともに天皇を政治利用したことになる。どちらであっても私には厭な思いが残る。知らせを受けたアメリカは「なるほど、名案」(半藤)だとばかりに喜んで受け入れてしまい、戦後の長期間、事実そのとおりにしてしまった。アメリカもまた、政治からの天皇の隔離を憲法に書き込みながら、このときばかりは今だ習癖として残存する天皇の政治的権威を御都合主義的に利用したのだ。返還後の現在でも、日本国内のアメリカ軍基地の75%だったかは、沖縄に集中配備されている。また、書くのが気がすすまないが、東京裁判の進行中の時期でもあった。裁かれているA級戦犯との区別を際立たせるための、あるいは「アメリカの協力者としての天皇」を決定づけるための天皇の言動であったのかもしれない。

 憲法9条について少し触れておく。これはマッカーサー自身の強い意思がはたらいていると半藤はする。幣原喜重郎の「非戦」の外交方針にヒントを与えられたのではないかとの推測には半信半疑である。軍人が一国家の非武装を永遠のものとするという方針は、ちょっと考え出しにくいとも思われるが、彼は日本をそうすることが真に必要だと見做していたようだ。軍事同盟は当時の蒋介石の中華民国と結ぶことで事足りるという戦略だった。のちにこの構想は、蒋が毛沢東の中共に敗れたため破棄せざるをえなくなる。昭和24年から冷戦が激化の様相をみせはじめて、日本も自衛隊の前身となる警察予備隊を創設することになる。「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない」どころではなくなった。だが憲法はすでに施行されていた。しかも衆議院の三分の二以上の賛成がなければ改正できないという「硬質憲法」であった。マッカーサーのみならず、現在のアメリカにとっても、この憲法制定は大きなミスであっただろうか。しかし私は、この憲法ができて、この憲法のもとで育ったことを喜びたい。アメリカの世界戦略とやらに引っぱられて、喪わなくてもいい人命を喪わずに済んだのである。憲法が想定する日本と実際の日本の現実とは乖離しているという人がいるが、それでもいいではないか。理想は理想として眼に見えるかたちで残しておきながら、妥協するほかないところでは妥協すればいいと思う。(了)
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半藤一利『昭和史 戦後篇』(2)

昭和史 戦後篇 1945-1989 (平凡社ライブラリー)昭和史 戦後篇 1945-1989 (平凡社ライブラリー)
(2009/06/11)
半藤 一利

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 当時の日本人が天皇に対してどういう感慨を抱いていたのか。私は生れていない時期なので、また現在とあまりにも世相がちがうので想像をしにくい。言えることは、天皇のため、国のためというスローガンのもと、やたら多くの人が命を粗末にして死んで行った戦争の時代から、まだほとんど隔たりのない時代であるから、天皇に対する崇拝の念は、多くの人の中に固く保持されたままであったことは当然考えられる。また逆に、急速に戦争から戦後へと空気が入れ替わった時代だ。「天ちゃん」という天皇を揶揄する言い方がいつからはじまったのかは不明だが、来る日も来る日も食糧のことを心配しなければならない時代でもあり、戦中の強制力もなくなったのだから、天皇の存在が影の薄いものに変わっていったことも、多くの人のなかでは事実だろう。社会主義思想が普及して、天皇のGHQによる処分に賛成する人もいたという。私は他人事のように書くが、私自身に当てはめると、つまりこの時代に私をタイムスリップさせたらどうなるか、少し考えてみたがよくわからない。若いときのように左翼であれば、ためらいなく天皇の処分に賛成するだろうが。

 左翼であった時代は定式にのっとってそう見做したに過ぎず、左翼のときもそれ以後の長い年月のなかでも、天皇についてそれほど多くの時間を割いて考えたことがない。また、天皇にまつわる政治的な事件も、私にとっては皆無に等しかった。昭和天皇の死と大げさな国葬も、国やマスコミの全体が腫れ物を扱うような感じで、違和感はあったが、日常生活には差し障りはまったくなかった。考える必要に迫られなかった。左翼も右翼も後退し、天皇を神輿に担ごうという政治的動きもほとんど力をもたなかった。だから私にとっての天皇とは「無」に近い存在であった。「無」に等しいのではなく「近い」という言い方をするのは、くどいが、まともに考えたことがないため留保しておきたいからだ。

 歴史のイフであるが、天皇が東京裁判に出廷させられて何らかの処置を下されたなら、日本人はどういう動きをしたのだろう。裁判でなくても、「元首」「象徴」といった憲法の体系から除外されて,国事にいっさい参加を許されない存在に成り果てたとしたら。これもわからない、GHQに対する抗議行動がわきおこることは考えられるが、それがどの程度の規模なのか。また現在に至るまでのその後の日本人の精神形成にどんな影響を与えたのか。明るくは決してなく、暗いにちがいないが、荒廃、殺伐、そんな言葉によって表現されるべきものなのか。これも答えは出せないが、憲法において天皇が元首から象徴に変わったことによる日本人の精神の変化という問いかけには、どうこたえるべきだろうか。これはイフではなく実際に進行したことだ。だがこれも一口で言い表すことは困難な気がする。天皇という特別にあつかわれる人がいて、私たちにはその挙措を十分に把握することができない。政治には普段は口を挟まないが、重大な局面になると法規やこまかい内規にのっとって、国民大衆のまえに姿を見せる。あるいはなんらかの言葉をたれる。こういう天皇の戦中戦前のありようが廃止された、政治的に利用されることのない「象徴」という身分に「格下げ」された。このこと自体には、私は大満足である。頭の上の重石がとりはらわれた解放感があるというものだ。一方において、経済復興一辺倒という言い方には批判や皮肉がこめられているが、あるいは天皇のこの身分の「格下げ」がセットになっているとも考えられる。問題が茫洋としてきた。答えがますます見当たらなくなる。

 東京裁判は昭和21年5月3日に開廷し、23年11月12日の判決まで行なわれた。知られているように東條英機以下7名が絞首刑となった。この裁判に対しては、政治家はもとより一般の日本人もそれほど大きな抗議の声をあげたという痕跡はない。天皇の処遇については無視できない数の日本人が関心を持ち、先に触れたようにGHQにたくさんの手紙が寄せられた。この人たちは東京裁判の被告にどういう思いを抱いたのか。半藤のこの本には触れられていないのでわからない。が、想像をたくましくすると、天皇と軍や政府の高官はまったく異次元の区別すべき存在だと見做したのではなかったか。後者は交替可能だが天皇はそうではなく唯一無二の存在であり、神でさえある。明治憲法第三条は「天皇ハ神聖ニシテ侵スベカラズ」とある。これは法律的には追い詰められない(日本人によっては)存在としての天皇が浮かび上がるが、ここでは法律論ではなく、天皇を神とあがめる感性や日常習慣がある人々にとっては骨の髄までしみこんでいたことからくるのだ。天皇以外の人間は一段位が下なのだ。天皇には戦争責任があると私は思う。内心で非戦論者であったとしても、また軍事作戦に直接の指揮をふるわなかったとしても、政府の戦争遂行における重大決定には天皇の裁可が不可欠であったという。また昭和16年の連合国への宣戦布告も天皇の詔勅の体裁をとっている。だが天皇をあがめ信仰する人々にとっては、そんなことは埒外である。せいぜい、部下が下手を打ったせいだと見做す。その部下が裁判にかけられるとなっても、天皇がかけられるのとは風景がちがう。冷淡さが顕れるのだ。うがちすぎの想像かもしれないが。

 以下の半藤一利の語りは東京裁判ではなく、直接には天皇の憲法上の身分の変更に対する日本人の反応を推測したものであるが、東京裁判はもとより当時の日本人の心情の中心を言い当てているように私には思える。個別の思いではなく、全般的な空気としてそうではなかったかという推測であり、また当時中学生だった半藤の回顧でもある。「GHQと寝てしまった日本人」とは、なかなかうまい言い方だと思う。

 当時の日本国民は、戦争の悲惨を痛感していましたし、軍部の横暴にこりごりしていましから、平和や民主主義や自由といった、占領軍が示してきた新しい価値観を貴重なものと感じる人が多かったと思うんです。悲劇をもう一度繰り返したくない、戦争は本当にこりごりというのが現実でした。そこに敗戦の虚脱感が合わさって、なんというか、日本政府よりもアメリカを信じている人のほうが多かったのではないか、と私などは観察するのです。すでに二百日に及ぶ占領下の生活のなかで、下品な言い方をすれば、GHQと″寝てしまった″日本人にとっては、GHQは日本政府よりもよっぽど信頼のおけるいい旦那だったと思わないでもないんです。それ以上に、GHQの政策によって、なんとなしに日本にたいする嫌悪感のようなものが強くなって、むしろアメリカへの親近感をもちはじめていたんですね。(p193)

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半藤一利『昭和史 戦後篇』(1)

昭和史 戦後篇 1945-1989 (平凡社ライブラリー)昭和史 戦後篇 1945-1989 (平凡社ライブラリー)
(2009/06/11)
半藤 一利

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 サブタイトルは「1945-1989」となっているが、戦後10年ほどの記述が大半を占めている。高度成長が軌道に乗った1960年代が戦後という時代の完成とみられ、以後は比較的平坦な時代がつづくので必然的なことかもしれない。日本の土台がしっかりと固まらなかった時代により興味を注ぐのは歴史家として当然だろう。私も戦後の10年間により興味を持つが、ここでは天皇と憲法の問題についてとりあげて、若干の感想を記したい。

 昭和天皇とマッカーサー元帥(日本占領連合軍最高司令官)の第1回会談は昭和20年9月27日に行なわれた。当時外務大臣であった吉田茂などの根回しが事前にあったという。場所はGHQ本部が設置された第一生命相互ビルではなくてアメリカ大使館、また天皇はわずか車2台での移動であった。つまりは「お忍び」であり、国民に知らせたくはなかったのだ。

「私は、国民が戦争遂行にあたって政治・軍事両面で行なったすべての決定と行動にたいする全責任を負うものとして、私自身をあなたの代表する連合国の裁決にゆだねるためにおたずねしました。」(p39



 マッカーサーの回想録からの孫引きである。日本の外務省の公式記録では、この天皇の戦争責任への言及をふくめた発言はなかったことになっているという。しかしマッカーサーはじめ、複数の証言者がいて同じ趣旨の天皇発言を書きつけているので、半藤は発言を事実とする。バイニング夫人(当時皇太子であった現・平成天皇の家庭教師)という人は、マッカーサーからの聞き書きとして、天皇はマッカーサーに対して、こう発言したという。

 

天皇「あなたが私をどのようにしようともかまわない。私はそれを受け入れる。私を絞首刑にしてもかまわない」(p41)


 天皇は突出している。秘密を大前提にした会談とはいえ(マッカーサーはのちにこの禁を破った)踏み込めるかぎりの発言ではないか。以前からこの発言は知っていたが、今あらためて素直に驚くとともに、畏敬の念を当時の天皇に向けずにはいられないのだ。「国体の護持」を条件として日本はポツダム宣言を受け入れて降伏したのであり、天皇自身もそれを知っていた。国体とは天皇の国家主権を指すのだし、それ以前に、天皇の生命も当然保障されるべきものとしてあるのにもかかわらず、それをふりすてんばかりの発言ではないか。戦争における自決、玉砕、神風特攻隊などの死の連鎖の壮絶な空気を、天皇自身もおそらくは引きずっていた時代とはいえ、凄まじさがある。天皇がマッカーサーにどういう発言をすべきか、側近の人や政治家に事前に相談したのだろうか。それはわからない。だが、相談を受けたなら、周囲の人々はやはり制止したのではないか。国体の護持を最重要の政治目標とする日本の政治家からみれば、天皇みずからが戦争責任を認めることは相手国に追求の材料を与えること、裁断を誘発することにひとしいからだ。

 ただ、こうも考える。天皇自身の肉体を持ってする8月15日につづく第二の降伏宣言ではないかと。私は逃げも隠れもしない、また反抗の意思もない、あなたがたに全面的に恭順の意を表明する、というように。開戦の詔勅も天皇の名においてなされたし、終戦の日の玉音放送も天皇みずからの声によるものだ。軍人や政治家は影でこそこそすることはあっても、大舞台に立つのにふさわしい人間は結局は、この国においては天皇という自分しかいない、真に日本を代表して説得力ある言葉を吐く人間は自分しかいない、天皇にはそういう自覚があったのだろう。自惚れではなく、戦中にも戦後にも独裁者は日本には存在せず、結局は自分のところに順番が回ってくるという自覚だ。立派な男が大勢いても頼りにならない。天皇にとっては寂しいことではないだろうか。一方、周囲の政治家をみると、天皇(国体)を守ると言いながらも、マッカーサーに対してこういう発言をする天皇を制止できなかったのだし、天皇の身分保障の見通しをだれも持ち得なかったのである。ちなみにこの会談に先立つ9月11日には、GHQから主要戦犯容疑者39人の逮捕指令が発せられた。天皇もどうなるかわからないと、政治担当者が考えても当然だったであろう。天皇自身も「国体の危機」が視野に入ったであろうから、「絞首刑」発言は、みずからの未来予想の部分でもあった。

 マッカーサー自身も天皇をどう取り扱うか、処分を下すべきかどうかで迷ったらしい。アメリカ本国や他の連合国は死刑かどうかはともかく、なんらかの処罰を天皇に下すことに積極的であった。アメリカの「ギャラップ調査」という少人数を対象にした世論調査によると、実に70%にのぼるアメリカ国民が処罰の必要ありと回答している。(20年6月)

処刑せよ 三三%
裁判にかける 一七%
終身刑とする 一一%
外国へ追放する 九%
そのまま存続 四%
操り人形として利用する 三%
無回答 二三%



 連合国の趨勢的意見をそのまま受け入れたならば、マッカーサーは天皇を裁判つまり極東国際軍事法廷(東京裁判)に列席させたにちがいない。それができる権能を彼はもっていたのである。だがそうはしなかった。天皇に会って(会談は計11回)彼の人柄にたいへんな好印象を抱いたのも大きな要因にちがいないが、天皇に処罰を加えることによっての日本人の反乱、ゲリラ戦を惹起することをおそれたのだ。そうなれば大量の人員の軍隊を長期にわたって駐留させなければならない。せっかく平穏に行きかけた日本統治が水泡に帰すというわけだ。またマッカーサー宛に、天皇の処罰回避を懇願する手紙が一般大衆から膨大な量で寄せられた。引用された手紙をさらに私流にかいつまむと、天皇は日本国の伝統の根幹をなすものであり、天皇の存在なしにはわれわれは生きていけない、天皇にたいする信仰心はもっとも大切だ、もし天皇を裁判にかける事態になったら、われわれはアメリカにたいして「今後永久に一大憎悪を抱く」、こういう激しい調子はもとより、子供のたどたどしい文面まであるが、主張は同じだ。マッカーサーは矢面に立たされた心地だっただろう。東京裁判の条例が公布されたのが昭和21年の1月22日。
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96時間

 格闘、銃撃、カーチェイスなどにおける編集技術が非常に巧みだ。前後の経過が、またその間のリーアム・ニーソンをはじめとする登場人物の肉体の動きがわかりやすく把握できるのではない。劇的な瞬間だけをとりあげてつないでいくという方法だが、これがかえってスピード感をもたらしてくれる。中年のリーアム・ニーソンにそれほどの身体能力があるとも思えないが、この編集の効果で、とてつもない肉体ではないかと錯覚させてしまう。ただ、この部分は見ごたえがあっても、それ以上のものがこの映画にあるかといえば、ない。つまり、父の娘に対する並外れた愛情と執着が主題なのだが、それを解決するのは大部分が腕力、それもたったひとりで犯罪組織の連中をつぎつぎになぎ倒していくという途方もない腕力であり、あまりにも非現実的なのだ。もっとも、そういうしかつめらしさを捨てて、大活躍する中年の星、リーアム・ニーソンに肩入れすることは十分可能だ。

 はじめから4分の1くらいは人物関係の説明にあてられるが、この部分は比較的ゆったりとしている。ニーソンは退職したCIA職員で離婚歴があり、一人暮らし。愛娘は前妻とともに継父のもとにいる。だがニーソンは娘のことをいつも気にかけている。誕生日プレゼントにカラオケの機器を買って、わざわざ学校のパーティに持参するという入れ込みようだ。このあたりは暖かい。だが、娘が旅先のパリで人身売買組織に誘拐されるところから映画の趣はガラッと変わる。リーアム・ニーソンは娘を取り戻すべく、まるで鬼に変貌する。超人的な活躍を開始するのだが、残酷でもある。「おれは特殊能力をもっている」という彼だが、口を割らせるために捕縛した男に電気ショックをかけたり、同じくパリ警察の古い知り合いの男の口を割らせるために、関係のないその妻を銃撃で負傷させたりと、ためらいがない。娘思いの一途さがニーソンをそういう動きに駆り立てると充分納得できるのだが、もうひとつは、この映画は架空の話だ、どうせ嘘ならもっとやってくれと、視聴者が知らず知らずに喝采を贈っているからでもある。

 リーアム・ニーソンは「マイケル・コリンズ」や「シンドラーのリスト」の頃に比べると、当然のことながら年をとって顔に皺が刻まれた。だが岩のようないかめしさが陰を潜め、よりすっきりしたハンサム顔になった。

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グッドフェローズ(1990/アメリカ)

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(2009/09/09)
ロバート・デ・ニーロレイ・リオッタ

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 マフィアものだが、非情な世界のなかでの義理や友情を描くのではない。むしろそれはほんのわずかしか成立しないもので、自分ひとりの生き残りに汲々とするのが実態だと言う。「グッドフェローズ」とは「いい仲間」のことだそうで、皮肉だ。

 少年時代からマフィアの使い走りをしていたレイ・リオッタ(ヘンリー)は刑務所にも入るが、以後ずっとその道で生きる。ロバート・デニーロ(ジミー)やジョー・ペシ(トミー)と仲間になって犯罪に突っ走る。このテの映画だから格別に変わった物語はない。犯罪があり、殺人があり、のしあがって行って贅沢な生活をし、酒場で盛り上がるという具合だ。レイ・リオッタを中心にして親分から禁じられている麻薬密売に手を出すのも、ありがちなことだろう。それにマフィア上層部の掟もしっかりと描かれる。だが、目新しさがないことが退屈ではなく、逆に気楽なのだ。この気楽さを安定したものにするのが、随所にながされる五十年代から七十年代あたりまでのポピュラーソングのかずかずだ。大ヒット曲ではなく、いずれも中くらいのヒット曲が多く、私は映像とともに歌にも引き込まれた。(クリスタルズの「ゼン・ヒー・キッスド・ミー」なんていいなあ)マフィアという環境の暗さに、ほどよい調子よさを加味している。

 ジョー・ペシという俳優が光る。酒場で仲間を集めて冗談めかした自慢話を披露する。刑事に取り調べられたときに「おふくろとやってこいよ」と罵倒し、殴られて気絶した後も同じ言葉をつづけるのだ。その甲高い声が子供っぽくておもしろい。聞く仲間は大受けするが、一転してジョー・ペシは「何がおもしろいんだ!」と凄んでくる。人格を馬鹿にされたと誤解したのか。レイ・リオッタをはじめ周りの連中はいい加減にあしらおうとするが、ジョー・ペシはなお本気で食い下がってくる。視聴者も面食らい、少しひるまずにはいられない。だがそこでジョー・ペシは「こいつ怖気づきやがった」と得意になって矛をおさめるのだ。冗談と敵意と一緒くたになったようで、怖さを抱かされる。そしてこの男、カッとなると相手かまわずためらいなく殺してしまうという本当に怖ろしい男なのだ。瀕死の男の腹に早いテンポで何回もナイフを突き刺す場面がある。

 後半、麻薬をやりすぎて、上空を飛ぶヘリコプターが自分を追っているのではないかとの幻覚に駆られるレイ・リオッタ。これがロバート・デニーロへの疑心につながるのがおもしろい。リーダー役を引き受けて、大きな現金強奪を成功させたデニーロだが、口封じのために仲間をどんどん殺していく。リオッタはどうするか……。ロバート・デニーロだが、もっと若いときはともかくも、この時代にはすでに上品な紳士の風貌がそなわっていて、非情な殺人者は似合わない気がするが。

    23:57 | Trackback : 0 | Comment : 2 | Top

メメント(2000/アメリカ)

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(2006/06/23)
ガイ・ピアースキャリー=アン・モス

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 映画もまた、過去の類似の諸作品と同じ傾向ではつまらないということで、さまざまな試みがなされる。本作もそれにあたり、ややこしさがつきまとうもののカッコよさは受け取ることができる。

 冒頭、主人公のガイ・ピアースが中年男を射殺する場面が出てくる。はたしてこれが現在なのか、過去なのか、それともガイ・ピアーズの幻想なのかは、とりあえずはわからない。つづいて彼が警察を相手にながながと電話をする場面。モーテルのベッドで、モロクロの色調。さらに別の場面があって、ここは通常のカラーで、同じモーテルらしい場所で、そこの管理人とピアースがなにやら話しこんでいる。すると、冒頭の彼によって射殺された男があらわれて、ピアースに知り合いらしい気軽さで話しかけてくる。映画は、ここにあげた二番目と三番目の場面が交互にくりかえされて進行する。

 ピアースは暴漢によって自宅を襲撃されて妻を殺害?された上、自分も頭部を強打された。そのときから記憶形成能力がいちじるしく減退した。妻を襲った人物に復讐したい彼は、自分のこれまでの軌跡をたどりかえさねばならない。彼自身の過去における行動がなんらかのかたちで襲撃事件と密接にからみあっていると見るからだ。記憶が長つづきしないためにノートや写真はもとより、彼の体じゅうにペンやらタトゥやらのおびただしいメモが刻まれている。それらのメモを手がかりに過去の真相に一歩ずつ近づいていく。場所が特定できればそこへ行ってみてメモに刻まれた人物と再会して問いただす、という具合だ。

 まるで、ジグソーパズルのピースをつなぎ合わせていくような作業だ。小さなかたまりができればほっとする。そしてこのかたまりの最終場面が、次のかたまりの最初の場面でもあって、その同じ場面が二回出てくる。亀の歩みのもどかしさがあるが、こういう進行形式がカッコいいといえばいえる。冒頭の射殺された男は刑事で、ピアースの捜査に協力するらしいが、彼のメモには指名手配の凶悪犯とある。真相はどちらか。「凶悪犯」なる情報は知り合いの女性からもたらされた。その女性は麻薬取引にかかわっている。さすればどういう経緯でその女性と知り合ったのか。ガ・ピアースの捜査はもどかしくも着実に進んでいく。

 ラスト近くになって謎が一挙に解明されるが、これは難解。あまりにも謎の部分をひっぱりすぎたきらいがある。わからない、わからない、という場面の連続性に作者が惚れこんでしまったのではないか。DVDを何回も見れば納得できるのかもしれない。

    07:20 | Trackback : 0 | Comment : 0 | Top

角田光代『三面記事小説』(3)

三面記事小説三面記事小説
(2007/09)
角田 光代

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 「赤い筆箱」は、仲良しだった姉妹が、妹の中学受験失敗によって急に疎遠になってしまうという話だ。その中学は中校一貫の女子高で、偏差値も高く、姉の実智が先に入っていて、妹の奈緒もそのあとを目指したのだが,かなわなかった。その直後はしょげていた奈緒だが、やがて入学した中学で友達を多くつくって充実した日々を送るようになる。実智の視線をとおしてのみの記述なので奈緒の心理はわからないが、たぶん「受験失敗」という情報を頭から追い出して、身軽になりたいのだろう。そうすることで同時に姉という存在をも追い出してしまうことになる。

 子供の兄弟姉妹のすべてではないにせよ、こういうことはよく起こりうることなのだろう。その意味では深刻だ。実智にすれば、たがいに小学生だった時代には、下校時も妹を待たせて一緒に帰宅した仲で、自分の身体の延長線上に奈緒がいたと無意識に思っていたようだ。だが今になって実智はふりかえる。実智は「いじめられっ子」だった。たとえば祖母に買ってもらった「赤い筆箱」は、子供らしいイラストが描かれていない古いタイプのもので、「いじめ」の原因になりかねないしろものだったのを、それを心配してか、奈緒がイラストのついたピンク色のものをプレゼントしてくれたのだ。そればかりでなく、実智の身につけるさまざまなものを、母と買い物に行ったときに奈緒はアドバイスしてくれた。実智は自分のセンスに自信がなかった。学校でいじめられて帰宅して、その憂さ晴らしにペットのハムスターを殺してしまったときも、奈緒は実智を庇ってくれた。大げさに言えば、奈緒は実智にとっての介添え役だった。それが中学受験失敗という事態に直面して、奈緒は姉を急に負担に思いはじめた。「いじめられっ子」で暗い姉を助けるよりも、外の世界に自分をぶつけていき解放したくなった。

 父母もどちらかというと妹のほうが可愛いようで、実智は変わってしまった奈緒もふくめた三人が、自分に気づいてくれないという思いに締めつけられる。「透明人間」のように自分はそこにいないかのような感覚だ。一つ屋根の下で、こういう思いに責められるのは、つらいにちがいない。結末は、姉が妹を刺殺してしまうという惨劇だが、あまりにも唐突である。実智の幻想ととらえてもよいのではないか。もっとも、子供の犯罪自体が唐突であることが多いので、どちらとも受けとれる。


 「光の川」は、アルツハイマー病に罹った母を四十代の独身男性が介護し、苦闘する話。食事や排泄を手助けなしにはできなくなる。高額な商品をつづけて買ったり、生ゴミを新聞紙に包んで家のあちこちに隠したりと、奇行も絶えない。また息子を息子として認知できなくなる。長男の輝男は、当然のごとく世話をしなければならなくなるが、ここでもまた子供時代の家族間の不和が影を落としている。輝男には三歳年上の姉がいるが、母は何故かこの姉がきらいで、輝男のほうをえこ贔屓した。姉の修学旅行の積立金さえ出さないくらいで、姉にとっての必要最低限の品物、身につけるものなども徹頭徹尾金を出し渋った。たまらなくなって姉は早くに家を出て、自立を選んだ。みずから絶縁したのも同然だ。その姉は現在は専業主婦の立場にあって、余暇がありそうだが、以前からの怨みを抱いていて、母の介護をかたくなに拒否するのだ。こういうこともあって、長男・輝男は介護疲れがどんどんかさなっていく。デイケア・サービス、入院と金も時間もかさんでくる。ついに仕事も満足にできなくなって、辞めざるをえなくなる。

 だがこの短編を作者が書いた目的は、単に介護によって身の置きどころを奪われるほど心身を追いつめられる、そういう人間の境遇を描くことだけではなかった。悪くなる一方の人間関係、動物と人間のようなどんづまりの人間関係のなかから、まるで正反対の理想的な人間関係が、輝男の目に必然性をともなって浮かんでくる、これが角田光代が書きたかったことだ。これは感傷ではなく、宗教的感情といえるのではないか。理想には絶望的にたどりつけない、そこから遠ざかる一方だ、そういうときにこそ、理想の人間関係がくっきりと浮かびあがってくる。これが切羽詰った人間を支えないはずはない。このさきの長男と母の運命がどうなろうともだ。輝男が母を車椅子に乗せて江ノ島へ旅したときの思い。そこは輝男が、子供時代によく母に連れてこられた思い出の地だ。彼は帰りがけに濃密な既視感におおわれる。

「いっしょにこうしていたの、いつだったろう」
 輝男は思わず母に訊く。母はゆっくり輝男を見る。ぼんやりとしたその目を見て、母ではなかった、と思う。この人とたしかにこうして並んで座っていた、でもそのとき、この人は母ではなかった、母ではなくだれかだった、そして自分も息子ではなかった、息子ではなくだれかだった。ともに座っていたときの、母が女だったのか男だったのか、自分が男だったのか女だったのか、どうしても思い出せないのだけれど、男でもなく女でもなくただこうして寄り添うように座っていたことだけは、今や疑いようがなく輝男のなかではっきりしている。(p258)



 気まぐれにつくられた幻想ではなく、既視感というかたちで輝男のなかにまず幻想が立ちあらわれて、それを吸い込まれるように見つめる、養分を取りこむように注視する人間の姿がここにある。そしてさらに幻想は川を遡るように飛躍する。輝男にとって、母は母以外の「だれか」であったということ以上に、さらに母にとっても自分は自分以外の「だれか」、理想的な「だれか」であった、引用した輝男の幻想の中でというよりも、アルツハイマーに罹患したときの母の思いのなかで。こうした輝男の幻想の拡張は「必然的」なのかどうか、私にはわからない。ただ、悲痛で、母思いの息子でることは理解できる気がする。

 たつ子が輝男を自分の息子だと認知しなくなったとき、輝男は絶望的な気分になったが、けれどたつ子は輝男の向こうに、ちがうだれかの姿を見ていたのに違いない。記憶よりも鮮明で、もっと強いものを見ていたに違いない。この世界に生れてくる前に、もっとも近しかっただれかの姿。帰りたい、帰りたいとたつ子が言う場所は、この世界の外にある。だから待っていて。輝男は思う。すぐにいくから。自分もすぐにそこに帰るから。そこでふたたび出会えたら、もう一度しっかり手をつないで、この世界へとやってこよう。いっしょにここに戻ってこよう。(p258~259)


 母のたつ子が「帰りたい」という場所は「この世界の外」のあると、輝男は思う。直接的には理想郷を指すと思われるが、やがてはそれは、転がるように死の世界に直結してしまうのではないか、と私は危惧の念を持ってしまう。だが私は留保をつけたい。本編の冒頭に引用された新聞見出しは「介護疲れで母殺害容疑」だが、この幻想の白熱をそういう結末に安易に結びつけたくはない。悲惨な結末に引きずられる心の過程としてよりも、幻想の独立性として、また、もっとも高貴な人間関係をどんづまりのさなかで夢見ることができた人間、ということに刮目したい。甘いといわれるかもしれないが、それは悲痛さと背中合わせの「至福」であり、真面目な人だけが出会うことのできる「必然」だと思いたいからだ。必ずしも新聞見出しの結末が待ち受けているとは思いたくない。

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