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大洋ボート

スラムドッグ$ミリオネア

 インドという国の勢いを感じさせてくれる映画。BRICsといわれる新興国の一翼を担うインドは今経済成長のさなかにある。経済成長とは古いものがどんどん壊されて新しいものにとってかわられることだ。この映画でも描かれるようにバラックが立ち並ぶ大都市のどまんなかに巨大なたけのこのように高層ビル群がどんどん出現する。都市名もボンベイからムンバイへと変わる。旧態依然とした宗教間抗争や人身売買の組織も残存するが、それらも前へ前へつきすすむ国全体の勢いにかすんでくる気になる。もっとも勢いだけで国がよくなるはずもなく、それらの組織が消滅するはずもないのだが、「勢い」にそれだけの幻想を自然に抱かせてくれるところは素晴らしいものだ。またこの映画の監督がインド人ではなくて、イギリス出身のダニー・ボイルという人であることもうなづける。つまり外側から見たこの国の勢いといったものを如実に感じさせてくれるからだ。成熟してしまった先進国の人が嘗ての自分たちの姿をそこに見る。それどころか、自分たち以上のエネルギーを見いだしてしまって、ちょっと末恐ろしい気にさせられる。わからないが、インド人の監督がこの映画を製作したならば少しちがった感覚がにじみでたのかもしれない。

 映画は青年が警察のなかで拷問を受けるところからはじまる。青年はテレビのクイズ番組に出て見事に全問正解を果した。高額な賞金も手に入れた。だが警察はこの結果を疑う。学校もろくに出ていない青年に難解な問題が解けるはずがない。きっと不正をはたらいているのだと。インドとはこういう荒っぽい国柄なのか、ほんとうのところは私にはわからないが。やがて場面はクイズ番組に切り替わるが、そこで何故青年にクイズの答えがわかったのかという謎が解けてくる。無学であっても過去において出会った事柄は、特に人生の節目の重要な出来事において出会った事柄は覚えているものだ。それからは青年の少年期から今日に至るまでの人生の流れが描かれる。クイズは人生の折々の題名みたいで、クイズから人生へ、人生からクイズへとつながれる。切実な過去とクイズ番組という現在とがこうして同時進行する。これはわかりやすい。たとえば青年が子供のころ、閉じ込められた野外のトイレから糞尿まみれになってアイドル歌手にサインをもらいに行った。身につけたその歌手の写真だけは濡らさないようにして。やがてサイン入りのその写真は高額で売れることになる。その歌手の問題が出るから容易に正解にたどりつけるというわけだ。

 青年はムンバイのスラム街で育ったが、宗教間抗争のあおりで母は惨殺される。ここから青年と兄の運命は狂いはじめる。ホームレスの生活を余儀なくされ、やがてボランティアを装った人身売買の悪辣な組織で同じように孤児になってしまった少年たちと共同生活をし、そこでひどい目にあわされた仲間を目の当たりにして脱出する。やがて青年は贋の観光案内やら窃盗やらで食いつなぎ、兄はヤクザ者になる。その間、短い間いっしょに生活した美しい少女を青年は忘れられない。少女に会いに行くが、出会えたと思ったらまた行方不明になってしまう。そこで誰もが見ているテレビ番組「クイズ・ミリオネア」に出演して少女に見てもらって再会を果そうと意図する。これがあらすじである。

 途中ものすごい難所がある。少女と兄と青年とで三角関係になってしまい、青年は裏切られた思いを募らせる、兄と少女は青年を除け者にしたのだ。だが青年は少女を好きなことは変わりないし、少女もそうだし、兄は二人に対して同情的なことがのちにわかる。ここだけでも長いストーリーになりそうだが、省略されている。しかしのちの展開を視聴者は自然に呑み込める。何故か、少女の列車を見上げる映像がはじめから何回か挿入されるからで、これによって青年の思いが伝わるからだ。青年は一貫して少女が好きだ。それにやはりここは「勢い」で押し通してしまえるところで、映画全体の空気が強くはたらくのだ。また、三人は肉親を喪ったから、家族というつながりへのあこがれが「愛」をよりせきたてさせるということもあるだろう。

 言い遅れたが、音楽が素晴らしい。インドの今日の流行だろうか。インドの伝統的な楽器の音色に世界的潮流であるロックのリズムを融合させて全編に響かせて「勢い」に一役も二役も買っている。ミュージカルをのぞけば、これほど音楽が映像を後押しした映画は稀ではないだろうか。それに映画がひとまず終わったあとの青年と少女を中心にした駅のプラットホームでのダンス。北野武監督の『座頭市』に刺激されたのかもしれないが、これまたインドの「勢い」をダメ押しさせる強さがある。楽しく陽気なこと。

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ブラックサイト(2008/アメリカ)

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(2008/09/24)
ダイアン・レインビリー・バーク

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 ネット上で殺人がつぎつぎに公開される。この設定だけでもかなりショッキングだ。犯罪を描く作家やらシナリオライターは色んなアイデアをひねりだすが、これは秀逸。将来、こういうことが起こっても不思議ではないという気持ちにさせられる。死刑直前の元イラク大統領の表情や、実際の銃撃戦の様子などをネットで見たことがあるが、録画だったものの殺伐とした印象を受けた。ネットでの映像公開は今後否が応でも行き着くところまで行ってしまいそうだ。

 犯人に拘束された被害者は、犯人の趣向を凝らした装置によっていたぶられてゆっくりと死に至らしめられる。しかもその装置の効き目がアクセス数の増加に比例して増大していくという残酷さ。出血を作用させる薬品が効いてきて最初は鼻血だけだった状態が全身から血が噴き出してくる……。こわいもの見たさでアクセス数は増加の一途である。ダイアン・レインをはじめとするFBI捜査官は発信場所を特定しようとするが、IPアドレスがめまぐるしく変わってコピーされてつかめない。まあ、犯人は、いやシナリオライターはよく考案するものだ。

 だが犯人にも油断があった。被害者は自分が映されていることを知っているので、瀕死の状態に耐えながらカメラに向かって言葉やら合図やらでメッセージを送ろうとする。捜査官らは細い糸のようなそのメッセージを手がかりに犯人に接近する。PCのむつかしい知識よりも、こういうシンプルさがいざというときには役立つということか。

 犯人の動機も今風だ。肉親が不幸に見舞われたとき、それをテレビやネットが興味本位で晒し者にした。これを逆恨みして関係者をつぎつぎに血祭りに上げていく。もっと残酷に晒し者にしてやろうというわけだ。PCの知識だけではこわくないが、それと犯罪やテロなどの専門知識、また人格的な歪みが結びつくとやはり恐いものだ。

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花の生涯 梅蘭芳(メイランファン)

 人には自由と呼べるほどのものはさほどない。つまり社会や他人から期待されている役割を担い、背負うことでしか大部分は生きられないのではないか。そういう意味では「自分」は純粋に自分ではなく、自分から見てもおおいに「他人」なのだ。そんな感想をこの映画からもらった気がするが、感動といえるほどではなくあまりにも淡々としすぎている。全体的に丁寧な作りにもかかわらず作品としては物足りなかった。

 主人公メイ・ランファン(青年時代はユィ・シャオチュン、壮年以後はレオン・ライ)は実在した京劇の女形の役者だそうである。彼が駆け出しの頃、中華民国が成立した。社会には自由の気風がにわかにみなぎりはじめたらしく、メイもそれにあこがれ、役人で京劇ファンのスン・ホンレイ(俳優名)の講演にも顔を出した。伝統のしがらみにとらわれない自由な表現をという彼の主張に賛同して、舞台の上でも実践し、第一人者の先輩の俳優を追い越すまでになる。ここまではメイにとっては、俳優業は自己実現をより多く盛りこむための器である。「自分」にきわめて近しい存在として俳優業はあるのだ。だがいったん成功を収めて京劇の女形役者として頂点にまで登りつめると、俳優の仕事が少しずつ「自分」からずれはじめる。知り合ってまもなくメイのプロデューサーとなり、義兄弟ともなったスン・ホンレイの意向が強くはたらきはじめる。また人気稼業であるだけに、やはり役者メイ・ランファンのあるべき姿をファンはファンなりの願いを持って固定的にとらえようとする。

 メイ・ランファンは結婚後、京劇の男形役者(女性)のチャン・ツィイーと仲良くなり恋に陥りかけるが、彼女を強引に引き離そうとするのがスン・ホンレイだ。メイの熱狂的ファンの男をそそのかして銃を持たせチャン・ツィイーを殺させようとする。途方もない暴力だ。スキャンダルを防ぎたい、また彼の持論である「役者は不幸でなければならない(つまりはよき表現の源泉は不幸にこそあるというある種固定観念)」という状態を維持するための実践であるともいえるが、それ以上に作用していると思われるのが、スン・ホンレイのメイに対する仕事仲間という以上の切実な同性愛的感情だ。スン・ホンレイという俳優のつきつめた表情はいいにしても、事件が未遂に終わるかたちで大勢の人の前で明らかになったとき、メイ・ランファンはそれだけのことを加えられたにしては、なんともあっさりし過ぎているのではないか。スン・ホンレイに対して激高するでもなく、彼を追放するでもない。また言い争う言葉があまりにも少ないのはどうしてか。ここは白熱すべき場面だけに肩透かしを食った気がする。

 恋愛をすること、幸福を追求することは「自分」を実現すること、より拡大することであるならば、役者であることを理由にそれを封じ込められることは、メイ・ランファンにとっては役者が「他人」の顔を見せはじめるときである。にもかかわらず、役者への執着を捨てきれないのは、積み上げてきた自己実現の歴史を継続させたいがためだ。だからメイのように職業に自己実現をより多く見出すことが出来た人は幸福だ。当たり前かもしれないが。

 後半は日本軍占領期の日本軍とメイ・ランファンとの関係・確執がおもに描かれるが、この部分も平板な気がする。政治体制と芸術・芸能との関係で興味深い議論がメイとスン・ホンレイとの間で交わされかかるが、尻すぼみになってしまう。芸能・芸術は政治体制がいかなるものであろうとも影響を蒙ることなく独立して発展させていくべきではないかというスンの主張は汲み取るべきなのだ。だがそれも口実にしか聞こえない。要は、スン・ホンレイはメイを単に働かせたい、それで自分も稼ぎたい、そんな風にしか見えない。一方メイは度重なる日本軍の公演要請を蹴ってひきこもってしまうのだが、堂々としすぎている風に見えなくもない。意地悪な見方をすれば京劇ファンや中国人民の反日感情を見抜いてしまって、そこに安穏と胡坐をかいたのではないか。そうすることが人気の持続に繋がると計算したのではないか。そうだとすれば、その計算は見事に当たったことになる。舞台に立てない寂しさよりもそちらを優先した。またスン・ホンレイに対しても溜飲を下げることができたのだ。うがった見方だが、それを許す突っ込み不足がこの映画には目に付くのだ。

 悪口が勝ちすぎた。メイ・ランファンの青年から壮年期への移り変わりは見事。二役とは思えないくらいだ。それに劇中劇というべきか、京劇もなかなか見ごたえがある。男形のチャン・ツィイーが黒々とした顎鬚をつけて野太い声を出せば、女形のメイ・ランファン(レオン・ライ)は半分裏返ったような高い声をつづける。

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キングダム 見えざる敵(2007/アメリカ)

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(2008/12/04)
ジェイミー・フォックスジェニファー・ガーナー

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 アメリカはサウジアラビアに遠慮している、気を遣っている。それがよくわかる映画。

 サウジの外国人居住区で爆弾テロがあって、多数の死傷者が出た。警備に当たっていたFBI職員も犠牲になった。FBI長官は職員の派遣を当然ながら主張するが、他の政府高官は反対。だがそこは長官は主張を押し通してジェイミー・フォックス以下数名のチームを派遣するまでにこぎつける。ただし、捜査は五日間に限定されて、そのうえサウジの警察官の同行監視がなければならないというたいへん窮屈な条件がつけられる。おまけに在サウジのアメリカ大使館職員が現場にしゃしゃりでてきて、さっさと帰れと高圧的な態度をとる。

 FBIの警察官はいわゆる文民(非軍人)警察官にあたるのだろうか。爆弾テロの犠牲者が多数出れば、普通ならアメリカはただちに軍隊派遣を決定するような気がするが、サウジにかぎってはそうでもないのか。湾岸戦争のときの大量のアメリカ軍のサウジ駐留は例外的な事態だったのか。映画のような事件がなくても、サウジ王室の豊富な資金がアラブ過激派に結果として流れていることは知られているところである。それを軍事大国を自負するアメリカがどうも知らんふりをしているらしいのだ。

 映画の内容からは離れるが、サウジアラビアは一大産油国である。アメリカにとってもその供給を確保することは至上命題だし、また原油代金をドルでサウジに受け取ってもらうことが、世界通貨としてのドルの地位を安定的なものにしている。さらにイスラエル問題がある。アラブ諸国はイスラエルという国家の存在そのものに否定的な立場をとることが大勢だと思うが、仮にサウジがそうであったとしても、サウジがその立場を先鋭化した場合イスラエルは勿論、アメリカも大混乱に陥るのが眼に見えている。そういうことが、アメリカのサウジへの遠慮、気遣いの背景ではないかと、この映を見てあらためて思った次第だ。

 ジェイミー・フォックスは「レイ」で頭角をあらわしてきた俳優。顔つきは上から押さえつけたような「くしゃっ」とした、引き締まった印象が私にはある。真面目で地味な感じもする。主演と助演、どちらにも適合できる俳優で、これからも活躍するだろう。映画の内容としては通常のサスペンスとアクションの範囲内か。
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リオブラボー(1959/アメリカ)

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(2008/12/10)
ジョン・ウェインディーン・マーチン

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 保安官とその少数の仲間がならず者一家に立ち向かう、さらに恋あり友情ありとなれば名作『荒野の決闘』など西部劇に多い構図だが、それにくわえて本作は歌もあり、娯楽色の濃いものとなっている。そしてたいへんバランスがよく成功している。

 この種の映画は身内の団結力が再構築される過程と、否応なく決闘に導かれる過程とが同時進行する。また前者のほうが見ごたえがあって、それが成功裡におさまれば、呼応するように決闘の勝利もすんなり手に入れられるように見えてしまう。この映画の場合はそうでもないが、見かけ上、決闘が緊張感あふれるぎりぎりの勝利であってもだ。味方が正常な状態に回復すればあとは問題ない、ということだろう。この映画つくられた時代は、そういう等式が成り立つくらい、アメリカは強く安定していた。その時代の空気が無理なく一本の映画にも反映されたと考えてもいいのではないか。そしてうってつけのジョン・ウェインだ。彼は強く強引なリーダーを繰り返し演じることで、そういう「強いアメリカ」の空気をよく体現した俳優だった。

 失恋して、すっかりアルコール依存症になってしまったかつての保安官ディーン・マーティンがむさくるしい姿で酒場にあらわれる。するとカウンターに腰掛けていた男がそれをみて、にやにやしながらコインをゴミ箱かなにかの金属製の壷に投げ入れる。コインがあたる音が響く。たぶん一杯くらいは飲める金だろう。ためらわずにそこに手を突っ込もうとしたマーティンだが、壷を蹴り飛ばした男がいる。男の足だけが映る。保安官でこないだまでマーティンの同僚だったジョン・ウェインで、落ちぶれかけた男を引き戻そうとする友情である。冒頭のこの場面がなかなかいい。特にコインの音が。そのコインを投げ入れた男はまもなくジョン・ウェインとのいざこざの最中に殺人をしてしまって逮捕・拘留されるが、この男はならず者一家の身内で、来るべき決闘の原因となる。

 ディーン・マーティンは保安官に復帰して、しだいにアルコールを抜いていく。ジョン・ウェインはゆったりしていて、指名手配中のギャンブラー、アンジー・ディッキンソンと仲良くなる。手配が前任保安官の誤解であったことがわかって恋仲に。女など鼻にもかけないというポーズをとおしてえらそうにする無骨ものの恋愛だ。後半部分で、アンジーが逗留していたホテルで接客をして働こうかということになり、下半身が露出した網タイツ姿をウェインにわざと見せつける。「あなたがいやならいやといって」これはプロポーズをしてくれと女のほうから暗に要請しているのだ。だがウェインは甘い言葉を口に出せず「おまえを逮捕する」といってしまうのだ。これには苦笑する。その直前にはマーティンとウォルター・ブレナンの会話。「あいつは今から女を檻に入れに行くんだ」「いや反対に入れられるんだろう」本人たちは爆笑しながらだが、私もつられて笑ってしまった。

 ガン・プレーの早業もある。詳述しないが、これは現在の映画のめまぐるしさと比較するとどうしても遅い。だがこの映画の全体のテンポのなかでは破格的に早いので、爽快だ。ウェインとアンジー、それに若い保安官のリッキー・ネルソンの三人がぴったり呼吸を合わせて見事なばかりだ。あれっ、今どうなったんだ、と誰でもが魅せられること受けあいだ。それに歌。ディーン・マーティンがアルコールによる手の震えがすっかりなくなって上機嫌になってリッキーと一緒に歌う「ライフルと愛馬」。甘い歌声。同じくハワード・ホークス監督の『赤い河』のテーマ曲に歌詞をつけたものだが、タイミングがいいこともあってうっとりする。

 ウォルター・ブレナンという初老の俳優もいい。ならず者一家に土地を奪われて保安官に加勢するのだが、ライフルを手にすることが嬉しくてたまらないという表情を満面に浮かべる。年寄りの冷や水と言ってしまいそうだがそうでもなく、その表情は引き込むものが十分にある。こういうタイプの俳優は日本ではいないのかもしれない。


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