大洋ボート

黒薔薇昇天(1975/日本)

黒薔薇昇天黒薔薇昇天
(2006/03/24)
谷ナオミ岸田森

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 「やきもち焼いてしもた」――岸田森が意外さと感動を込めて叫ぶ。これがこの映画の眼目だ。岸田はブルーフィルムの製作者で、今しも、恐喝をし肉体関係も持った人妻の谷ナオミを被写体にして撮影の最中。当然男と谷がからみあう姿を間近で見て、あれこれ指示を出す。その最中に岸田は谷を心底好きになってしまったことを自覚するのだ。撮影は岸田監督の指示で当然中止される。このとき別世界のような「ブルーフィルム製作現場」が岸田の「やきもち」によって急に視聴者に身近になる。それどころか、あたたかい明かりがぽっと点るようなうれしささえ喚起されるのだ。「やきもち」が誰でもが覚えのある人間的感情だからだ。

 それまでは神代辰巳監督独特の卑屈で隅っこ的な世界がえんえんとつづく。最初の撮影は「女優」の芹明香が妊娠したために中断。つぎの「女優」を探さなくてはならない。その間にも岸田はテープ製作という別の仕事にはげむ。犬や猫の鳴き声を録音したりと、それがエロスになりうるのかと失笑を誘う、いじましい、小さい世界。女性の苦痛の声を録ろうと歯科医にも盗聴器をしのばせるが、ここで大きな獲物をえる。谷ナオミと歯科医の浮気の最中を偶然にも録音してしまった。ここから自称芸術家の岸田は俄然小悪党に変身する。テープをネタにして谷をゆするのだ。

 和服で着飾った谷と岸田が話しあう場所が、なんとも似合わない遊園地の狭苦しいゴンドラのなか。それにときどき流れる奥村チヨの「終着駅」こういうなんともちぐはぐな感覚が神代辰巳がつむぎだす世界だ。「明るい倦怠感」とでも言えばいいのか。さらに先に記した経過をたどることになるが、岸田森も谷ナオミもおもしろがって芝居をやっていて、その気分がこちらに伝わってくる。芹明香もこの女優の持ち味であるだらーんとした雰囲気も健在だ。被写体になる夫についていって「いったらあかん」を連発して岸田の「やきもち」に火をつけることになる。無関係に響いていた、愛の喪失を嘆く「終着駅」もここでつながる。

 繰り返しになるが「やきもち」とそれ以前の映画の大部分を占める胡散臭い世界との断絶とつながり、これがあざやかに刻まれた佳作。それから細部。岸田と谷がセックスしたあとで、せまい廊下で、裸でローラースケートをして戯れる場面。仲良くなったしるしで、この部分も輝いている。
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あいつと私(1961/日本)

あいつと私あいつと私
(2005/07/08)
石原裕次郎宮口精二

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 石原裕次郎と芦川いづみは大学のクラスメイト。二人は惹かれあうが、つきあううちに石原の性に関する出来事を芦川は知る。さらに最終的には石原の出生の秘密も知ることになる……。というわけで二人の恋愛関係が中心の映画だが、クラスメイトは大勢いてにぎやかだ。中原早苗、笹森礼子、高田敏江、男性では小沢昭一、伊藤孝雄ら。時代はちょうど一九六〇年の安保反対闘争の真っ最中で、彼ら若い世代の安保へのエネルギッシュな関わりも背景として描かれる。「アンポハンタイ」が流行語にもなって反対運動が盛り上がりをみせた時期だった。それにまた石原の母の轟夕紀子の異常なキャリアウーマンぶりもこだわって描かれる。デザイナーとしてトップの地位をきわめるが、夫がありながら乱れた性関係をやめようともしない。夫の宮口精二はそのつど家出の構えをみせるのだが……。喜劇タッチの部分が多く、また話をつめこみすぎたきらいがあるがいが、若い世代への応援歌というところか。

 原作は石坂洋二郎。石坂の本は読んだことがあるが、恋愛と性への好奇心をくすぐるものが多く、人気作家であったようだ。一九五〇年代あたりでは、若い人の多くが自由に恋愛をできたのではなかった。つまり見合い結婚が主流の時代だった。恋愛結婚が見合いを追い越して五割を超えるのは、七〇年代に入ってからだと記憶している。それだけ恋愛への憧れが強い時代に石坂文学はもてはやされ、やがて若い人たちが身を持って果敢にそれを実践して行くなかで、石坂文学はしだいに飽きられたのではないだろうか。この映画でも、恋愛は危険であるが、自由があり魅力があるという主張はよく届いている。何よりも石原裕次郎と芦川いづみというペアの外見の魅力によって十分に届いている。石原は当時二六歳だが、主演俳優としての明るさと貫禄は十分で、これだけ堂々とした二六歳は日本中さがしてもざらにはいないだろう。また芦川はショートカットが可憐。私がファンだからでもあるが。

 若い人への賛歌ということだが、あえて苦言を呈せば、このころから(数年先でもあるが)若い人はしだいに映画館へ足を運ばなくなった。テレビの影響は勿論、ロックやフォークなどの外国の音楽文化に魅了された部分が大きい。結果からいうと、若い世代に秋波を送るだけではなしに刺激を与えるものが映画界に欲しかったのだが、この映画もその点では不足という気がしないでもない。辛いか。五〇年代後半の映画全盛期の勢いは引きずっているが。

 蛇足。小沢昭一はここでもアドリブ(たぶん)をみせてくれた。結婚式の披露宴に学生服で出席し、ボーイを引き止めて白ワインか何かを立てつづけにおかわりするのだ。
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ダークナイト

 アクション全開の娯楽映画。CGとスタントを駆使したカー・アクションをはじめ元気一杯だ。予算がたっぷりついたのか、ハリウッドのこの部門の職人芸の今日的な粋がこめられていて最高の出来映えだ。敵役のジョーカーのヒース・レジャーもなかなかやる。いつも口に何か入れたようないやらしい喋りっぷりで「おれの欲しいものは金でも支配でもない、ただ破壊したいだけだ、人々を困らせたいだけだ、それが俺の生きがいだ。」大意こんなことをぜいぜい息を切らし、薄笑いをしながら言い放つ。実際、何故だかわからないが、ものすごく力があってマフィアもかなわないくらいで、大都市全体を混乱に陥れる。つまり彼もアクション同様、すごく元気がある。

 だがどうかなあ、私が単にひ弱だからかもしれないが、あまり元気がよすぎてついていけない。パンチが顔面に炸裂しただけで、何故あんな大音響になるんだろう。後部のスピーカーからも響いてきて、こっちの頭も痺れてしまう。それに私はジョーカーの「大活躍」に押されて、しだいに焦眉と衰弱に向かうかに見えるバットマンのクリチャン・ベールや検事のアーロン・エッカートの演技に興味を引きつけられたが、こちらもやはり元気一杯のアクションにかき消され気味に感じられた。それに二人への同時的な愛に困惑するマギー・ギレンホールの役の位置づけにも興味を持ったのだが。(正直言って、もう少しきれいな女優はいなかったのか)

 乗っていけなかった私が悪かったのか、混乱したまま、二時間半の上映時間がたいへん長く感じられた次第である。蛇足ながら気に入った点を記しておけば、バットマンがビルの窓から飛ぶ場面はいつもながら素敵だ。いきなり上昇せずに、随分長く落下してから翼をぱっと広げる。
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東野圭吾『容疑者Xの献身』

容疑者Xの献身容疑者Xの献身
(2005/08/25)
東野 圭吾

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 作者東野圭吾によって読者はたいへんあざやかな騙され方をする。それが心地よい。小説の進行にしたがって私もうすうすトリックに気がついたが、まさかここまでの展開が待っていようとは。

 警察が事件を知るのは三月十一日の早朝で、旧江戸川堤防沿いで青いビニールシートに掛けられた死体が散歩で通りがかった人によって発見された。死体は全裸で、顔はハンマーで砕かれて特徴を判別できなかった。また手も焼かれて指紋が消されていた。鑑識は首に紐の跡があったことから死因は絞殺によるものと断定した。さらに殺害現場付近からは盗難自転車と、一斗缶に入った燃え残った衣類が発見された。衣類は被害者のものと推測されて、警察は被害者の体格にその衣服を着せたイラストをつくって公開捜査した。まもなく被害者は判明した。レンタルルームの管理者が覚えていたためで、宿帳から富樫慎二なる人物が浮かびあがった。部屋の指紋と盗難自転車の指紋とが一致した。また死亡推定時刻は前日三月十日の午後六時以降とされた。

 だが物語の順が前後するが、私たち読者は富樫慎二が殺害される場面をありありと読まされるのだ。富樫を殺した犯人は富樫の前妻の花岡靖子と靖子の連れ子の美里という中学生である。何回も靖子に金を無心しにくる富樫だったが、アパートに直接乗りこんできたのを、たまりかねた親子が炬燵のコードで絞殺してしまったのだ。途方にくれる母子だったが、そこに思わぬ助け舟があらわれる。となりの部屋の住人で数学教師の石神という男だ。物音を聞きつけて一部始終をあっという間に理解したうえで偽装工作を請け負うのだ。彼のその動機は靖子への一方的な恋心である。小さな弁当屋に勤める靖子のもとに、石神は毎日のように弁当を買いに来ていた。靖子も石神を知っているが、彼の秘めた思いにまでは気がつかない……。石神は富樫の死体を自分の部屋にあわただしく運びこんでから、靖子と美里の母子にあれこれ行動の指示をする。警察への対応策もそこには当然ある。ただ石神が死体を以後どう処置したかは、読者には隠される。 

 つまり読者は犯行と犯人と偽装工作の着手とその結果(すべての過程ではない)をあらかじめ知らされていて、あとから警察の操作網が靖子母子にしだいに絞りこまれていくさまをスリリングに読まされる。たとえば堤防で発見された死体の死亡推定時刻における母子のアリバイを探りにくる、というように。だが、単に倒叙形ミステリーとは呼べない。「偽装工作」の域にとどまらない凄い展開が待っている。またそれをも偽装工作と呼べないことはない。ネタばらしができないのでまだるっこしい言い方になってしまうが。

 好きとはいえデートを一度もしたことのない女のために、それも犯罪者のために手助けをし深入りする石神は常軌から大きく外れた人間だが、同情にも誘い込まれる。さらに事件のことを何も知らずに靖子に健全そのものの求愛をする工藤という男も登場させるが、これがたいへん対照的で、かえって石神の人格をきわだたせる。このへんのお手並みも東野圭吾は鮮やかだ。
    20:48 | Trackback : 0 | Comment : 0 | Top

ハートブルー(1990/アメリカ)

ハートブルー アドバンスト・コレクターズ・エディションハートブルー アドバンスト・コレクターズ・エディション
(2006/11/02)
キアヌ・リーブスパトリック・スウェイジ

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FBI捜査官キアヌ・リーブスの連続銀行強盗犯パトリック・スウェイジに対する奇妙な友情とあこがれを描く。

 レーガン、ニクソンら元大統領の面をつけて犯行におよぶのが彼等のグループの特徴で、監視カメラに裸の尻を向けた一人の男の映像から、彼らは日焼けしすぎていて、たぶんサーフィン好きだろうと、捜査官らは当たりをつける。そこでキアヌ・リーブスは身分をかくして、サーフィン上達をめざす若者として夏のカリフォルニアの海岸に連日出没する。誤認も途中あるが、ガールフレンドになった女性の人脈にも助けられて、ようやく真犯人のグループに行き当たる。

 サーフィンの映像が真夏にもかかわらず、全体的に暗めに撮られているのが特徴だろうか。開放的ではなく屈折感があって印象に残る。それに真夜中にも彼らはサーフィンに興じる。またラストでは嵐の海の高波が映る。「見えなくても波の動きと一体になればいい」と夜間のサーフィンでパトリック・スウェイジはうそぶく。自然には奥深さがあって、スポーツを通じてそこにたどり着こうとする。神秘と快感と怖れが混淆した一種宗教的追求をそこにみる思いがする、といえば大げさであろうか。ともあれ、キアヌ・リーブスはそんなパトリック・スウェイジにあっけにとられ、あこがれさえも抱くのだ。またリーダーのパトリック・スウェイジは自信家であり、やさしいところがある。キアヌの身分がグループに割れても殺そうとはせずに、スカイダイビングにまで連れていく。強盗犯であるにもかかわらず自分たちの探求と快感の人生をキアヌに吹き込もうとするのだ。キアヌは助けられたことには恩義を感じざるをえないだろう。

 だが、警察官と犯人との溝はやはり越えられない。最後の犯行でメンバーを死なせ、負傷させた彼らはちりぢりになって逃亡するしかなく、キアヌ・リーブスは無論パトリック・スウェイジを追っていく。

 アクション・シーンは公開当時としてもあまり新鮮味はなかっただろう。秀作とはいえないにしても、人との出会いの奇妙さ、心地よさは刻まれている。記憶の片隅に残りそうだ。
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クライマーズ・ハイ

 見ている最中はかなりのめりこんだ。未曾有の航空機事故であった一九八五年の日航機墜落を追跡する地方新聞社の目一杯の活動がいきいきと描かれている。同じ大きな出来事であっても、同じ新聞社内であっても、人それぞれに役割が立場が、また思いがちがう。これがたいへんあざやかにすくいとられている。

 全権デスクを命じられた堤真一は持ち前のタフネスと清廉潔癖ぶりを発揮して、寝る間も惜しんで熱中し、指揮をとる。だが競争相手は他の新聞社ばかりではない。彼よりも一足早く重役になった男たちは、全権デスクに指名されなかったためか、堤の活躍を何故か快く思わない。嫉妬であるが、そればかりではなく具体的に意地悪もする。また堤が広告のスペースをつぶして記事を掲載すると、当然営業担当がどなりこんでくる。若手記者の苦労もある。徒歩で汗まみれ埃まみれになって現場まで駆けつけるが、携帯電話が普及していない時代なので、通信手段がない。夜中に民家の電話を借りねばならない。また社長の山崎努は記事にあれこれと注文をつけてくる。……。という具合に堤真一の仕事は必ずしも順調には行かない。同じ大きな出来事のもとでの人それぞれの思いと行動ということでは、私は群像劇として見た。『ヒトラー 最後の七日間』という近年の作品を思い出した。国家の中枢部と一新聞社とを比べるとスケールはちがうが、こちらのほうがきめ細かさの点では勝るのではないかとも思った。堤真一も熱演であるし、まわりの俳優陣も負けてはいない。

 若手記者の「現場雑感」が一面に連載され、好評を博することが伝えられると「やった」と思った。ほろっとした。記事の紹介はわずかであるし、また大惨事の現場は直接映像としては映らない。だがブンヤ魂が取材対象の中心にそのときついに届いた気がしたし、同時に事故現場の地獄も彷彿とさせられた。なんだか私もその新聞社の一社員になった気がして、気勢をあげた。

 だがこの映画、突然のように終わってしまう。スクープ記事をあと一押しの確証がとれないことで見送ったことを社長になじられて、堤は辞表を出してしまう。ここで大半は終わってしまうのだ。原田眞人監督はどうやら清廉潔癖な堤真一個人の物語としてつくりたかったようで、だから私が推奨する群像劇は追求不足になったのではないか。堤や新聞社の同僚は本格的な登山活動が趣味のようで、急峻な山の姿に、堤の心情につうずる清新さを語らせたかったようにも見えるが、しっくりと受けいれられない。苦労した撮影であったことを窺わせるが、心を動かされるものがとぼしい気がする。

 それと飛行機事故の全体像であるが、これはこの映画独自の視点でなくても今日的に明らかにされている概要だけでも伝えてもらいたかった。堤真一デスク以下の新聞記者が肉薄した像の本来的な姿がそこに見えるであろうから。また、犠牲者や遺族の皆さんへの供養ともなるであろうから。
    23:41 | Trackback : 0 | Comment : 0 | Top

蚊帳

 かつては夏の就寝時には必需品であったが、今はすっかり廃れてしまった。日本家屋の密閉性が向上したからであろうし、化学物質の蔓延によって蚊が少なくなったこともあるだろう。蚊ばかりではなく、蠅もめっきり減った。それに蝶やトンボの類も。ちょうど六〇年代にはじまる高度成長と、それらの変化が期を同じくしているようだ。

 私にはとくに蚊帳に関する思い出はない。強いていえばクーラーが我が家にはまだなかった時期と重なることくらいか。今では考えられないが、暑い寝苦しい夜を連日過ごしたものだ。

 日本の四季にまつわる風物を愛する田中冬二は蚊帳のことも詩に書いている。蚊帳の質感が甦る思いにさせられる。ただしこれは夏の詩ではなく、秋になって蚊帳をかたづけるときに、それを惜しむ心情をきざんだものである。「蚊帳」と題された詩の前半部分。

秋になった
いつとなしに秋になった
朝夕はもうしろい障子の親しまれる頃となった
そして蚊帳をつらないでもよい頃となった
二三日の中にそれはしまわれるであろう
あの青いすこし暗いような色
それから赤い布のへり
たたむ時つり手の金具の触れ合うすずしい音
草臥(くたび)れてねる白い床の上を
流れる 青いこまかい影の快さ
山の斜面(スロープ)のような快さ
真夜中に目ざめると
髭を剃りたての月が
青い波の上を静かにわたっている

女の心のような星が
蚊帳にくっついて
心臓をくすぐるような夜もある
それはなんでも 蒸(む)すような
醸(かも)すような夜ではなかったか


 思い出したが、蚊帳のへりは細い帯のような少し厚めの布だった。金具もあった。それに蚊帳の半透明の布地の独特のかわいた手触り……。母の実家の山奥の家でも蚊帳を吊って寝たこともあった。しかし都会では家が密集しているから勿論、田舎でも、夜空を眺めながら蚊帳のなかで横になったことはない。そういうことをやっておけばよかったかな、という気にさせられる。ガラス窓でなければ、蚊がどんどん侵入してしまうが。

 「髭を剃りたての月」がこのなかでは抜きんでた表現だろう。蚊帳越しに眺めているはずの月が、あまりに煌々としてなまめかしいので、蚊帳越しではなく直に眺めるような気になる。つづいては星を女性にかさねた部分。寝苦しい夜は、なやましいあれこれの幻想を引き寄せてしまうものだ。
Genre : 日記 日記
    23:54 | Trackback : 0 | Comment : 0 | Top

思い出したくなった詩

 子供のころ、父が飲みおわったビールのラベルを爪で剥がすのが好きで、よく遊んだ。当時のラベルは紙製で、冷えたビール瓶の付近の水蒸気が冷やされて水滴となって瓶の表面に溜まる。するとラベルの紙も水を吸い込んで重くなり、場合によっては自然にずり落ちてくることもある。そうでなくても紙と瓶の接着があまくなって剥がしやすくなるのだ。他愛ないが、こんなことを今の季節になると思い出す。

 父が死んでからは、私が飲むときは中瓶タイプに変えた。これは紙のラベルではなく瓶にプリントがされていた。さらにその後は缶ビールになった。大瓶タイプにはまだ紙ラベルが使われているのか、何故か見かけることがないので知らない。

 田中冬二にこのことが書かれた詩があったはずだ。ただし映像でしか覚えていないし、ほかの部分はすっかり忘れてしまった。ほかの詩人の詩と併録された詩集を本棚から出してきた。「虹」という題名の詩だった。

夜半 雨を聞いた朝

裏二階の窗(まど)をあけると
山の傾斜地の林檎園の上に
うつきしき虹

投げ入れへ夏蕎麦の花と芒(すすき)と

台所の冷蔵庫の中 麦酒壜のレッテルは濡れておちている


 
 都会のたとえば団地の室内を私は勝手に思い浮かべたりしたが、ちがっていた。リンゴ園のみえる緑豊かな地方の風景、ならびにその地の室内である。屁理屈をいうと、冷蔵庫のなかへ入れただけではビール瓶のレッテル(ラベル)は剥れないと思うが……。冷えた瓶を高温の外気にさらして、はじめて濡れてくるのではないか。それとも、もしかすると電気冷蔵庫が普及する以前の、大きい氷を入れておく冷蔵庫かもしれない。冷気は氷が解けるまでの寿命であり、そののちはしだいに庫内の温度があがるから、理屈は合う。

 そんなことよりも、田中冬二はレッテルの剥がれかかった(あるいはほとんど剥がれてしまった)「麦酒壜」にこの詩では随一の詩的興趣を見出したのだろう。短いが、最終行をもって詩はひき締まっている。

Genre : 日記 日記
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