大洋ボート

森恒夫『銃撃戦と粛清』(2)

 人はとんでもないことを考えたり、行動に移したりするものだが、私はそういう一般論以上に何が言えるのだろうか。どんな小さな党派でもいったんそこに入って組織活動を一定期間やりおおせてしまえると、誰でもが達成感をもてる。またメンバー同士の親密感も自然に醸成されてくる。滔滔と政治理論を語る人もいるし、果敢に機動隊に立ち向かって行く人も見ることもできる。(ことにその最中を映したテレビ映像は刺激し、確信を高める)また錯覚かもしれないが自分個人が組織やそこにいる人たちに大事にされている、すくなくとも戦力として見なされているという実感もある。さらには自分が動けば自分の周囲も少しはそれにつれて動く、闘争にプラスになるという感覚も生まれてくる。今ではわかるようになったつもりだが、そういうもろもろが実質以上に過大評価されてたいへん貴重に映るものだ。学生時代にそういう空気を吸った者は、それを通じて自分が成長しつつある、発展しつつあると思わずにいられない。外部に対する拒否反応もある。たしかに外部は親などの反対者、政治的反対勢力、マスコミ的反対意見、警察権力として周囲のほとんどが全体として侵入してくる、場合によってはパクられることもある、内ゲバで負傷することもあるだろう。だが屈強な人はそれら外部を撥ねかえす。また同じことをやりつづけるのだから倦んだり、心身が疲労に蝕まれたりするが、それをも撥ねかえすのが屈強な人だと言っておこう。私個人は、ちょっとばかりの度胸と好奇心と正義感が支えであったが、決して屈強ではなかった。疲れが頂点に達したとき、たまらなく休息が欲しくなってそのまま逃げてしまった。党派の行動と思想にケツをまくったのではなかった。また当たり前だが、学生時代には生活というものへの無知もある。そこに基盤を据えて考えるという習慣は形成されようがない。私の場合、それが自然に身につくのに随分とながい時間を要したと思う。ただ、私は活動を辞めてからは以前ほどの「政治的関心」を保持しえなくなったものの、述べたような屈強者がふりまく人間像へのあこがれは、しぶとく生き残った。政治的活動への未練が消しがたかったからでもある。

書いたようなそういう屈強さまた真面目さは、反面、おおいに馬鹿でもあるのだ。革命などやれないのにやれると言う。いったんふりあげた拳は、かかげた看板はよほどのことがないかぎりは降ろさない。壮大なスローガンであればあるほどそうなる。政治的夢想によって引っぱられ引きあげられて、そこでしか躍動できなくなった肉体であり、やる気なのだ。この「やる気」は政治的自由が保障されるかぎりは、つまりは組織的微温や資金や時間があってゆるされるかぎりは容易には衰えない。逆に言うと、連合赤軍のような大失敗が起きて組織員が根こそぎ逮捕されるような状況にならないかぎり衰えることはない。また大失敗を当事者が自覚しないかぎりは、「やる気」はつづく。主観的意図に入れあげてしまって、逆の結果が出はしないかと同じ失敗をあえて繰り返すという愚挙に打って出ることにもなる。

  「プロレタリア革命」といっても、プロレタリアートが生活実感として、窮乏にあえぐなかから革命を欲求しないかぎりは政治運動として大きなうねりは生まれない。だが幸いなことに、あるいは革命家にとっては不幸なことに一九六〇年代は、プロレタリアートが窮乏から脱出しつつあった時代であった。高度成長期で、家庭では電化製品がそろい、給料も上昇していった。持ち家比率も上がり、預貯金も増え、ということで、労働力としての肉体以外には売るものがないという「プロレタリアート」と呼ばれる存在は、社会の中心部から次第に姿を消しつつあった。ただ一方では、世界的に学生層の抵抗運動が高揚した時期でもあった。ベトナム戦争が激化の一途をたどり、中国では毛沢東語録をたずさえた若い紅衛兵らによる文化大革命が最盛期だった。また私はよく知らないが、学問分野でもマルクス・レーニン主義は依然としてその権威を保ったままで、その系統の評論家や大学教授も多く存在したし、なかには資本主義はその「自己矛盾」によって没落を余儀なくされ、戦争に活路を見出そうと打って出ると説く人もいたという。それによって国情のちがう日本などの先進諸国とベトナム、中国などが情勢的にやがて合流するという主張だろう。そういう世界的な環境のもと、学生運動を支えた理念もやはり多くはマルクス・レーニン主義であり、プロレタリアートの窮乏化によってではなく、ベトナム戦争への日本のいっそうの加担、参戦を危惧する思いなどによって(大学内の学生管理問題もあった)六〇年代後半に学生運動は最盛期を迎えたのである。連合赤軍に参加した人たちもほとんど全員が、六〇年代のその高揚を身をもって通過してきたのだ。私の高校時代が、ちょうど六七年から六九年にあたり、正直なところわけがわからなかったが、テレビに映し出される学生の抵抗運動にはまぶしいものを感じた。

 今ふりかえると、六〇年代後半の抵抗運動の高揚はマルクス・レーニン主義の最後の花火でもあったが、七〇年代の過激派残存勢力はそうはとらず、逆に高度成長こそが資本主義の徒花と決めつけた。またあの頃の高揚をもう一度と当然考えただろうし、高揚期をくぐりぬけた結果、過激派組織としてもそのなかの個人としても屈強なエネルギーが醸成された。社会全体を客観的かつ公平にとらえるというよりも、それを真になすことによる夢とエネルギーの消失と退化をおそれ、彼らは「革命」を強弁したのである。また、赤軍派という党派は諸派のなかでいちばんむこうみずであり、いわば派手好みであった。新聞記事になるような一歩先をゆく過激な方式をとった。東京戦争と称して火炎瓶で交番所を襲撃したり、また、七〇年には「国際根拠地作り」と称して日航機よど号をハイジャックし、北朝鮮に移住してしまった。新聞記事になりうる、警察権力を見かけ上右往左往させることが重要視されたからで、北朝鮮に行って政治活動などできるはずもないことくらいは中学生にでもわかりそうなものだが、彼らは思いついたらやらずにはいられなかったのである。階級闘争の「自然発生性」は全世界的に存在するという彼らの理論に馬鹿に忠実だからだったのか。たしかに中核派など大量動員を重視する派に対抗し注目を集めるには過激度をいたずらに増幅させるしかなかったという考え方は自然であるが。ところがやはり無謀だと悟ったのか、ハイジャックによる北朝鮮行きは二度と行われなかった。(仲間の釈放要求のためという別の目的によるハイジャックは、連合赤軍以後の日本赤軍によって行われたが)ハイジャックは重大な失策であり、そのことへの反省的批判があったようにも思うが、組織基盤を揺るがすほどのものではなく、あくまで彼らは次の闘争方針を立てて向かっていったのである。まだまだやれる、という意気込みだろう。前述したM作戦であり、爆弾闘争であり、連合赤軍結成による「銃による殲滅戦」だ。

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森恒夫『銃撃戦と粛清』(1)

銃撃戦と粛清―森恒夫自己批判書全文 (資料連合赤軍問題 1)銃撃戦と粛清―森恒夫自己批判書全文 (資料連合赤軍問題 1)
(1984/01)
森 恒夫

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 この本を本棚の奥からひっぱり出してきた。買った当時読んだのだが、読みきれなかった感覚が残ったので、いつか再読するつもりだった。それでも長い間放置していたのだが、映画『実録・連合赤軍』を見て刺激を与えられて読むことになった。

 あれから三六年もの歳月が経ってしまった。それより数年前の高校生時代に学生運動なるものにかなりの程度のめりこんだだけに、まさか仲間同士で殺しあう事態にまで発展するとは、最初はほんとうに信じられない思いだった。新聞記事によってつぎつぎに死者数が増大していく過程を、ちぢこまる思いで見守るしかなかった。新聞紙面の奥から死臭がただよってくる気がした。まだ骸は腐敗がすすまずに、誰のものとも知れないまま土にまみれて白い皮膚をにぶく輝かせている、そこに血と骨が無秩序に混じってかたまりになって悲鳴を上げ、訴えかけてきた。私はそこに、底なし沼に引きこまれるような空恐ろしさを本能的に嗅ぎ取ってしまい、蓋をしめるようにして遠ざかることしかできなかった。夢魔のようなその幻像にどう応えていいのか皆目見当がつかなかったし、私自身が死の世界に呑み込まれる気がしたからだ。また、恐ろしさであるとともにたまらなく不快な出来事であり、事実としてできることなら受けいれたくはなかった。それでもやはり事実は事実としてとうてい動かしがたかった。及び腰ながら、もし私が現場にいたらどうであったろうか、ということも考えさせられた。私よりも同い年か、何歳か年上の青年や女性全員が事態の忌まわしい進展を誰一人止められなかったという事実がこれまたのしかかってきた。死の予感の恐ろしさを食い破ることがはたして私にできたのか、森恒夫に正面から抵抗できたのか、自信ある想像はできなかった。死をおそれて加害者側にまわるか、精根尽き果てて弱音を吐いてしまって総括要求に引っぱりだされるか、隙をねらってチャンスがあれば逃亡するか、リアルに思い浮かべられるのはそんな映像しかなかった。いちはやく逃亡して警察に駆け込む者がいたら、もっと死者数は減ったかもしれないなどとも、横道にそれて空想もした。たぶん現場にいたメンバー全員が事態の進展を信じられず、たじろぐしかなかったのだろう、私もその思いだけは共有できるのだ。事件を知ったあのころも今も。情けなさもあって、簡単に認めたくはないのだが。

 死の理由がまた信じられなかった。新聞が第一報、第二報の記事を載せるころは、異なる二つの党派が合同して結成された党派だから、どうしても折り合いがつかず、理論上、政治方針上の対立が一挙に尖鋭化したのではないか、と私はごく自然に推測してしまったし、新聞記事にも同じ推測が書かれていた。だが事実はまったく推測に反していた。死の真相はそんな「立派」なものではなかったのである。やがて明らかになっていったのだが、それは総括要求と呼ばれる個人に対する集団リンチが大部分だった。(森の主導によって行われた十二名の殺人のうち総括要求による死が十名、残りの二名が「処刑」、さらに最後になって明らかになるが、永田洋子をリーダーとする革命左派においても連合赤軍合流以前に二名が「処刑」されていた)。典型的な例が遠山美枝子で、髪を長く伸ばしている、指輪をしている、女を武器にする(女としての魅力を意識し、つかって男性活動家に接するということだろう)というようなささいな事柄があげつらわれた。「革命戦士」としてふさわしくないということらしいが、まるで子供同士のいじめの世界で、とても嫌な気分になった。顔を顰めてしまった。それが暴行の主たる理由だった。そんなことどうでもいいから遠山に武器を持たせて戦わせればいいじゃないか、くらいのことを私は疑問とともに思ったのではないか、求めているのがそういう結果なら、さっさと結果を出させれば文句のつけようはないだろうに。身だしなみを重箱の隅をほじくるように言い立てるのもどうかしているが、ゆずってそれを是としても、暴行を加えずとも森ら指導者の「絶対命令」として服従させる道はあったのではないか、さらにゆずって暴行を加えたとしても死に突き落とすほどまでにやることはなかったのではないか。私の疑念はつのった。総括要求とは何なのか。指導者が個人の戦いの姿勢をただしたのなら、ただされた者は過去から現在にいたる活動内容を整理して話し、自己と来るべき戦いに向けての観点からそれを反省し評価する。落ち度があったのならそれも正直に話す。そんな対応が誰でもが浮かべるし、そうするだろう。だが連合赤軍においては最後まで総括をやらせてもらえない。そんなことではだめだと罵倒されて暴行を受けるしかないのだ。総括という言葉を受けとる際のごく普通の了解を、森恒夫はすぐさまひっくりかえしてしまう。たぶん山岳ベースと呼ばれる手製の山小屋の現場では、「総括」は既にちがう意味を帯びていたのだが、私が言葉として、それだけとりだしてみるとどうしても不可解さに陥ってしまう。

 森ら赤軍派は六十年代末期以降の当時の現代世界を「過渡期世界」ととらえた。世界全体が資本主義から社会主義の体制へ移行しつつあるというのだろう。それを推進するためには「世界同時革命」としての革命的行動が必要であることはいうまでもなく、くわえて連合赤軍結成の前後には、必須の闘争方針として「銃による殲滅戦」が選びとられた。そこから過去の闘争形式が批判される。六十年代後半からはじまった学生運動の過激化は、機動隊との角材や投石による対決が最初はもっぱらだったが、年月が経るにしたがって火炎瓶や手製爆弾が登場した。しかしそれらは権力との本格的対決をとおしての勝利には結びつかず、革命の萌芽形態を示すにとどまった。そこで、革命党は正規戦としての「銃による殲滅戦」を担わなければならず、また、それを組織員として実践しうる「革命戦士」の統一体でなければならない。雲隠れ的に爆弾を投擲して逃げるのではなく、正面を切って革命の党として登場して銃を使おう、権力と本格的に対決しようということだ。組織的には、軍事は党の軍事委員会等の下部組織ではなく、党の直轄組織でなければならず、それ以上に党そのものが軍でなければならない。軍もまた党内の最高機関でなければならない。これを森は「党の軍化・軍の党化」「建軍建党」などと呼んだ。さらにこれにくわえて組織員個々の「共産主義化」が急務として要請された。組織員相互の討論や批判をとおして理論的一致を勝ちとること、「死をも怖れぬ」どころか「死をも撥ねかえす」(後に触れる)に十分な革命的気概を個々において煮詰め、確固たるものにすること。それが「共産主義化」であり、森はその推進役であり、指導者、教育係としてみずからを認めていた。

 あの当時は、革命が可能などとは誰も思わなかったし、過激派の動員力も六九年が頂点であり、その後は各派とも思うようには人を集められなくなっていた。赤軍派は特にこの傾向が顕著で、議長の塩見孝也の逮捕はじめ、大菩薩峠事件での大量逮捕、よど号ハイジャック事件における実行犯の北朝鮮移動等によってかなりの数の指導者や組織員が娑婆から姿を消していた。それにもかかわらず赤軍派の残存メンバーは爆弾闘争をやったり、「M作戦」として資金獲得のため銀行強盗を繰りかえしたりしていたのである。そして銃砲店から銃と実弾を強奪した革命左派と結びついて連合赤軍結成となり「銃による殲滅戦」を目指した。つまりは自分の将来の生活のことなどいっこうにかまわず遮二無二に活動に没入する、ある意味屈強な人達がのこって携わったのだ。

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近況

 二週間あまりのリホームの工事もようやく終わり、ネット環境も通常にもどった。まだ荷物の整理ができていないので、ほっとする気分にはなれないが。それに私も家人も普段よりも大きい声を出してしまう。いらいらが知らず知らずに溜まっているのだろう。

 こんな片隅のブログだが、記事をアップしない日がつづいても覗いてくださる人がわずかばかりいてうれしいことだ。

 明日からは、前回「ノート」としてアップした森恒夫の本をさらに詳しくたどってみたい。すでに書き溜めた分があるが、なかなか出口が見えない。
Genre : 日記 日記
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森恒夫『銃撃戦と粛清』ノート

銃撃戦と粛清―森恒夫自己批判書全文 (資料連合赤軍問題 1)銃撃戦と粛清―森恒夫自己批判書全文 (資料連合赤軍問題 1)
(1984/01)
森 恒夫

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1、当時を「過渡期社会」として捉えた。資本主義から社会主義への移行期ということで、革命は近い、ないしは革命期ということだろう。赤軍派の主張で森も同派の有力メンバーとして当然同じ考えを持った。赤軍派ばかりでなく中核派も「戦後世界体制の根底的動揺」「革命の現実性」などと当時の世界を規定した。今からふりかえるとこれらの捉え方は明らかに虚偽である。私はといえば、本気でそういう言葉を信じていた面と、胡散臭さを感じた部分と半分ずつくらいが混在していた。革命運動にとっての景気づけであったろうし、あのころの運動を担ったほとんどの過激党派が革命近しという主張だった。参加した以上、私も動機を人に聞かれれば、党派的な主張を繰り返したのだから、胡散臭さの感覚は個人内のものにとどまっていた。

2、赤軍派は「銃による殲滅戦」を本格的に実行しようとしていた。角材や火炎瓶による機動隊との激突という形態から、それに飽き足らなく思う激しい党派的部分では爆弾が散発的に用いられ始めたが、赤軍派はさらにその上を志向した。そういう激しい戦いを遂行するためには組織員個々の質的向上・飛躍が必須条件としてなければならず、それは「党の軍化・軍の党化」という言葉で規定された。銃を持って権力と十二分に戦うにたる主体性の構築を人の「共産主義化」とも「革命戦士化」とも呼んだ。森恒夫は山岳ベースに呼び寄せたメンバー全員を革命戦士化しようとしていたらしい。そのために森は、森から見てメンバー個々の過去における失策や、好ましくない傾向を重箱の隅をほじくるようにあげつらっては叱責したのである。これが総括要求である。私からすれば革命戦士化するのはこれからであるから、過ぎ去ったことを執拗に責めるのは違うのではないかと思うが、森にとっての総括要求はとにかくもそういうものだった。

3、森は共産主義化をあまりにも短期的にもとめたことと暴力をもちいたことを悔いているが、後者はともかくも前者は既定方針だったのではないか。その場合、共産主義化が達成されなかったときにどうするのかという対応策があらかじめ用意されていなかった。ここが致命的である。そう見做されたメンバーは森によって放置された。まさか死ぬとは考えていなかったらしいが、厳寒のなか十分な手当てもせずに、単に侮蔑したのである。

4、死や恐怖をつきつければ覚醒するだろうと、森は被総括者にそれこそ渾身の力で迫った。自分たちがこれだけやっているのにわからないのか、ということだ。「総括援助」という暴行をくわえる者にとっても、それは戦いであるという自覚があるから力が入る。殴打に力が入っていないことも見咎められる。暴行を受けた者は痛みが大部分を占めるだけの世界だ。ただ弱弱しくなって相手の主張を受けいれるしかない、それが精一杯。だが森はその弱さが承知できないのだ。たんに口を割らせるためではない、自己批判書を書かせるためではない、それならば目的を達成すれば暴行はその時点で打ち切られる可能性がある。だが森は革命戦士としての誕生をその場で時間を置くことなく、その目で確かめたかったのである。そして革命的気概でもって死をも乗り越えられるという観念的妄信があった。死ねばそれがなかったと見做され「敗北死」とされたのだ。総括要求とは、結果的には死を突きつけることによって革命的気概のあるなしを確かめることであった。それをメンバー個々のなかに短期にではあっても育て創生させていこうとする姿勢はなかった。

5、どうやって総括すれば生き延びることができるのか、これが事件を知ったときの私の大いなる疑問であった。心のそこから『俺は革命戦士になるんだ』と絶叫すればよかったのか。しかし大部分痛みに支配されている心身においてそれが可能なのか、向上心をもつことさえできないのではないか、芝居をしたとしてもたちまち見抜かれてしまいそうだ。殴打を連続的に食らったことの絶望の大きさに支配される以外、それを受け止める以外に何ができたのか。だが森恒夫は、暴行を受けながらも革命戦士化が可能だと見なした。総括援助をしたメンバーも森のその見方に加担した。不可能を可能にするという夢の世界だったのか、その夢に森をはじめとするメンバーは溺れたのか。それは不可能な革命を可能にしようという「革命の夢」に無残にも見事に対応しているように見えてならない。

6、夢をふくらませること、夢を現実に少しでも実現させようとするならば、その方法と見做された行動を執るしかない。また夢の第一義性を頑固に信奉し抜くことだ。自分の存在そのものが夢に直結していると思うことだ。考えるという営為よりも行動における力の行使が夢を実現させつつあるという実感を与える。夢に距離があったり背反すると見える現実は排斥される。そして現実のなかには人がいる。森にとっては「人」なるものは、人の心の世界は、夢の素材に過ぎない。それがどんな風に形成されて推移するのか、どんな風に外の世界が映るのか、まったく想像しようとはしなかったのである。想像する、慮る、ということがまったく不得手な人間だった。想像するということは夢に腰を吸えた姿勢を一旦は解除して対象に乗り移ることだが、これは対象そのものを容認する、正しいものと受けいれる第一歩でもある。だがあくまで第一歩であって想像することが即時的に容認へ繋がることはないのだが、それすら森は怖れた、嫌忌した。想像することはまた行動的「力」の一旦の解除をも要請するが、それもまた森は怖れてしなかった。森は人を想像するよりも嫌悪したのだ。

7、森恒夫について考えることは、私の過去について、またそれを未だ未処理のままで引きずっていることから形成されている現在について考えることと重なる部分が多い。だが過去の問題であることはたしかで、過去における私のこの問題へのおそれと怠慢が作用するのか、本腰が入らない部分がある。事件を初めて知ったとき以来の数年の実感を忘れてしまっている。あの頃、実感なるものをもう少し掘り下げてみるべきだったと、今さらながら思う。

8.実感にはいろいろな思いが混じりあっている。(未完)

    18:36 | Trackback : 0 | Comment : 0 | Top

シャーロット・グレイ(2001/イギリス)

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(2008/03/13)
ケイト・ブランシェット. ビリー・クラダップ.マイケル・ガンボン.ルパート・ペンリー=ジョーンズ.アントン・レッサー

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 看護師のケイト・ブランシェットが要請されて、ナチス占領下のフランスへスパイとなって潜入する。国家への貢献の気持ちは勿論あるが、むしろ同国で消息を絶ったパイロットの恋人を捜し出すためだった。

 スパイといっても縦横無尽の活躍をするのではない。共産党員のレジスタンスと協力して列車爆破などをおこなうが、もっぱらの仕事は共産党員の父がかくまっているユダヤ人の男の子の二人の兄弟の面倒を見ることだった。だがやがてナチスの摘発をうけて、その二人の子供と父(ユダヤ系)は収容所送りとなってしまう。その他、ヴィシー政権下でのナチスのユダヤ人狩りに対するフランス人地元首長の露骨な協力ぶり、戦局が反転しはじめてからの共産党員へのフランス人の冷淡さなどが描かれる。だが、あれもこれもと総花的に並べすぎてメリハリがない。

 すでに疾走を始めようかという男兄弟と父の乗った列車にケイト・ブランシェットが子供たちの母を僭称した手紙を渡す場面はちょっと驚いた。(実の父母はすでにナチによって収容所送りになっているが、二人の子供lにはそれを知らせていない)せめて慰めたい、その痛ましい気持ちはわかるが、彼らの面倒を見る過程で、ケイト・ブランシェットにおいてそれほどの痛切な愛情は表現されなかった。また戦後、奇跡的に生還して彼女の元に姿を見せた恋人をふって、ケイトはフランスに飛んで共産党員とわざわざ再会するが、これも戦中それほどの深い思いは表現されていなかった。制作者サイドのケイト・ブランショットを使っての自己満足を見させられたようで、嫌だった。

 ただ緑にかこまれたフランスの小さな町のたたずまい、石造りの古い家や橋はたいへん美しかった。
  
    23:43 | Trackback : 0 | Comment : 0 | Top

ゼア・ウィル・ビー・ブラッド

 冒頭からのセリフ無しの数十分が気に入った。石油を掘り当てることで一攫千金を夢見る男ダニエル・デイ=ルイスが砂まみれ泥まみれになって竪穴を掘り進んでいく。たった一人でだ。つるはしで岩を砕き、ときにはダイナマイトを仕掛ける。粗末な櫓にとりつけたロープを伝って地上に這い上がるが、ドスーンと転落することもある。そんな彼だが、ひとにぎりの金鉱石を発見して売却し一息つく場面ではこちらもほっとする。目的をもって人が具体的に行動するさまを、カメラが腰を落として追う。いかにも映画らしい数十分だ。何年か前に見た「ククーシェンカ」を思い出した。フィンランド兵がロシア兵によって足を岩に鎖で繋がれるのだが、それを試行錯誤のうえ自力で爆破する場面だった。

 ダニエル・デイ=ルイスはやがて石油を掘り当てる。雇用人も一人二人と増えていく。さらに彼は広大な土地買収に乗り出してそこでも石油を掘り当てる。そして事業が成功裡に進展するにつれて、彼の押しかくしていた欠損意識があらわになる。血縁者への飢えと情、さらにはその裏返しとしての非血縁者への凶暴なまでの憎しみと冷酷さである。焦眉の課題がアメリカンドリームの実現、経済的成功であったものが、それができてしまうと別の負の意識がもたげてくる。これはよくあることだが、無論、物語の展開が彼に危機を到来させるからで(たとえば油井のガス爆発事故や放火)負の意識によるそれらの決断は刹那的であくまで事業優先で、とても理性的とはいえないものだ。だがそれが彼の生き方である。彼はやがてみずからの決断を表立って悔いるときがくるが、これもやはり事業がらみである。土地買収をめぐって、その土地の所有者が地元の若い神父の前にひれ伏してくれるように頼む。デイ=ルイスはその神父の口利きで一帯の土地を手に入れたのだが、事情あって疎遠になっていた。だがデイ=ルイスは土地所有者の頼みを受けいれる。神父の仮借ない悪魔祓いの儀式につき合わされ、人々がすでに知っている悪行を告白させられ、地元参加者の面前で屈辱と涙を味わされる。そうしてようやく土地を手に入れる。

 だが神父もまた信仰よりも経済を優先させる男であることをデイ=ルイスは知ることになる。時代を経てのラスとシーンだが、神父は居直り、自己破壊ととれる発言をあけすけにやらかす。このときのデイ=ルイスの怒りと喪失は深い。デイ=ルイスは行き着くところは信仰しかないとひそかに確信するようになっていた。そうした心境変化がうかがわれるからだ。

 ダニエル・デイ=ルイスはいかにもたたきあげの実業家といった人間像を力強く演じている。喋りにくそうでありながら言葉をはっきりと意識して前に押し出す。人に聞かせようという意思が聞き手によく伝わる。こういう喋り方、一昔前の日本の国会議員によく見かけられた。

 もうひとつ。子供時代の息子が放火する場面がたいへん不可解だった。爆発事故ですでに聴力を失っていたのだが、デイ=ルイスの腹違いの弟を自称する人物の鞄をあけて覗いたとき、そこにはたしかに弟自身の古い日記帳があった。それによって「弟」が贋者であることを見抜いたつもりだったのか、それとも本人であることを確信したことによってか、つまり息子のみずからの血への疑いを土台にした「兄弟」への激しい嫉妬だったのか。この謎もかえって魅力的だ。

    07:22 | Trackback : 0 | Comment : 0 | Top

愛のコリーダ(1976/日本)

愛のコリーダ 完全ノーカット版愛のコリーダ 完全ノーカット版
(2003/08/20)
松田英子、藤竜也 他

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 有名な阿部定事件がモデルになっている。松田映子(定)が女中として働く料亭の主人の藤竜也(吉蔵)にひと目惚れし、まもなく愛人関係となる。そうしてついには藤を絞殺したあげく局部を切り取るというショッキングな結末の話だ。定の吉蔵への燃えたぎる想い、独占欲がそうさせることにはちがいないが、監督の大島渚が主張したかったのは、それを土台としつつももっと深いもの、女性のセックスの奥底から突きあげてくる内発性といったものが定に犯行をうながしたということではないか。

 女性のセックスについては私はよくわからない。私が男性だからであるが、多くの女性にとってもこの映画の定はそれほどわかる人はいない気がする。そこで私は外側から推察するしかないのだが、まず、定は直情径行型の人だということだ。奉公先の女将に「女郎あがり」といわれると包丁をもって向かっていく。吉蔵と宿泊する旅館の女中が「変体」となじると、これまた食って掛かる。喧嘩っ早いのだ。それから勿論、いったん関係ができると吉蔵をテコでも放そうとしない。吉蔵は妻ある身だから、たまには帰宅しなければならないのだが、そのときのはげしい嫉妬(ここでは松田映子はうまくない)、ときには家までついていく。愛人や妾では嫌だという。あくまで独占してしまいたいのだ。

 定は元娼婦である。それもあって定にとっては性なくして愛はない。反対に愛がなくても性はある。だが勿論定は吉蔵とセックスをかさね、繰り返すことで愛を深めようとする。定にとってはそれは、性と愛の未知の領域へどんどんはまっていくことだ。

 セックスの快感の奥には苦痛があり、苦痛をも快感として繰り込んでいくことが描かれる。それを身体に刻み込んだ定にとっては、逆に苦痛を導入部としてセックスの世界に入りこみ時間を過ごすことができるまでになる。それが端的にあらわれるのは「校長先生」(説明が省略されているが、定にとってのほんとうの校長であるとともに金づるでもあるのだろう)とのセックスの場面だ。二人は裸になってベッドに横たわるが、発情しない校長に「ぶって、ぶって」とせがむ。うながされて校長は定の頬を平手で打ち、定はセックスの意識のなかになだれ込む。性とは日常性と隣り合わせでありながら、日常性そのものではない。このように、たとえば「ぶたれる」ことによって身体に変異が生じ、それをスイッチにして身体ともども意識がセックスの中心にたどりつける。さあ、それからは定は吉蔵にもっぱらこの苦痛を伝授することになる。

 好きな相手と同じことをする。ともに快感を求めるのならばともに苦痛をも求める。同じ困難に挑戦し、同じ体感をえられれば二人の距離はもっと縮まる。もっと愛が深まるであろうあらたな境地が手に入る。だがはたして、それができるかどうかはわからない。苦痛はたんに苦痛で終わるかもしれない。遊びの世界ともいえなくはないがたいへんスリリングである。吉蔵は遊び人で、一見して投げやりでありながら実はたいへん挑戦的なものを秘めている。たたかれたり首を絞めたりされて、吉蔵においても苦痛がしだいに法悦となっていく。ただ吉蔵にとって、そうして苦痛を積極的に受けいれることが、はたして自身の欲望の内発性からくるものなのか、それとも定に多分に引っぱられた結果なのかは判然とはしない。定が好きなこと、セックスが好きなこと、その感情が苦痛を授けられることによってますます固定化されていくことは確かなようだ。同時に、これら一連の所作は死の予行演習でもあることに吉蔵も、そして視聴者も気づく。定ははじめからそれが標的としてある……。このあたりでは映画はテンポをたいへん遅くして、濃密で息苦しい時間を形成している。

 「殺して欲しいか」「殺して欲しいなら、殺してくださいといえ、吉蔵」。吉蔵を顔をつけるように間近で見つめおろしながら、帯で首を絞める手をしだいに強めていく定のセリフだ。吉蔵が完全に自分のものになりつつあるという自信と安寧と幸福。さらに性の奥深くから突きあげてきて定をうながすものがある。その姿は定という個人を越えて、性の全体性を特異な方法で獲得した女性の象徴的存在というまでに見えてくる。定はゆるぎなく沸騰する。

 一九七六年の公開当時に見たときには、この映画はよくわからなかった。死んだり殺したりは勿体ないなあ、とうくらいの平凡な感想しかなかった。それに腹立たしいほどボカシが大きかった。今見ていちばんの印象はすべての場面においてではなくところどころで松田映子がたいへん可愛く見えることだ。不美人であるにもかかわらず。この想いは吉蔵役の藤竜也も共有するのだろう。性と愛の絶頂点で、好きな女に絞められて死ぬことの幸福。好きな男を絞め殺すことの幸福。私には実感が最後まではとても追いつかないが、そのあとの部分は哲学(攻撃的観念)が存分にこめられていて、二人がたいへん神秘的に見えた。
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