大洋ボート

ブリジット・ジョーンズの日記(2001/アメリカ)

ブリジット・ジョーンズの日記 (ユニバーサル・ザ・ベスト第7弾)ブリジット・ジョーンズの日記 (ユニバーサル・ザ・ベスト第7弾)
(2007/08/09)
レニー・ゼルウィガー.コリン・ファース.ヒュー・グラント.ジム・ブロードベント.ジェマ・ジョーンズ

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 明るく軽い笑いと乗りで最後まで楽しめる。レニー・ゼルウィガーが題名の名前の主人公で、三十代前半の独身OL。両親から結婚をせっつかれ本人もそれを気にしている。独身のままで孤独裡に野垂れ死にしてしまうのではないかとの妄想にもときどき見舞われる。だが勝気で気ままでもある。ダイエットにはげむかと思えばヤケ食いやヤケ飲みにのめりこむこともある。寂しさや退屈をまぎらわすために何かやらずにはおれない。こういうキャラクターをレニー・ゼルウィガーは好演している。

 実は、彼女は職場の上司のヒュー・グラントにひそかに想いを寄せるのだが、その彼にスカート丈の短さを注意されると、今度はスカート丈は長くてもシースルーのファッションで出社して彼や周囲を唖然とさせる。こういうネジくれた行動がおもしろい。そんな彼女だが、ヒューに言い寄られてたちまち二人は結ばれる。だがヒューはプレイボーイで以前から深い仲のガールフレンドがいたのだ。それを発見したときのレニーの落ち込みようは、見ていてさすがにキュンとくる。シースルードレスの件と、もうひとつ、仮装パーティが中止になったのを知らずに一人だけバニーガールの扮装で出席した件、こういうドジもある楽しい出来事がつづいただけに、なおキュンとくるのだ。そんなときはレニーはやはりスポーツジムで汗を流したり、ヤケ食いヤケ飲み。ちょっと可哀想だ。

 後半は、辞表をたたきつけて会社を辞めたのにもかかわらずしつこく追いかけてくるヒュー・グラントと、同じく彼女を追いかけてくる弁護士のコリン・ファースという二人の男性に囲まれて、これまた、楽しくごちゃごちゃする。結果は書かないとして。

 この映画にかぎらないことだが思ったことを記しておく。レニーのバニーガールの扮装だが、あまりセクシーだとも感じなかった。別にけなすのではなくレニーが太り気味だからでもなく、唐突だが、欧米人はミロのヴィーナス以来の伝統か、肌を露出することにも見ることにもさほどの抵抗感がないからではないかと、思いついた次第である。これがアジア人だったら、おどけた雰囲気を作っても、多少なりとも隠微な雰囲気が出てくるのではないか。もうひとつはヒュー・グラントとコリン・ファースが、レニーを奪い合おうとして殴り合いの喧嘩をする場面。これが娯楽色たっぷりで楽しめる。アジア人はなかなかこれができない。殴り合いがどこかしら芝居くさくなってリラックスできる雰囲気にならない。武闘としての空手や少林寺はのぞくとして。
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カクテル(1988/アメリカ)

カクテルカクテル
(2006/04/19)
トム・クルーズ、ブライアン・ブラウン 他

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 一本の映画をつくるために俳優やスタッフが特別の努力をする。普段の修練や勉強とは別メニューで、その一本の映画が終われば以後にはあまり役立つとも思えない努力だ。俳優のほうが無論そういう努力は画面からはうかがいやすい。そしてそれが実を結んで画面に結実したときにはすくなくともその部分だけは成功したといえる。この映画ではそこがいちばん光っている。つまりバーテンダーのトム・クルーズとブライアン・ブラウンがコンビで大勢の客を前にして酒瓶やシェイカーを使って曲芸を見せる場面だ。瓶を回転させながら投げ上げたり、それを後ろ手で受けたりする。客を喜ばせるためだが、勿論客はやんやの大喝采で酒場は盛り上がり繁盛する。これがこの映画のいちばんのはなやかなところだ。

 物語のほうも見ごたえがある。軍隊生活に別れを告げてニューヨークにくりだしたトムだが、学歴がないため一流企業には就職できない。落胆のさなか、街で見かけたのがブライアン・ブラウンがオーナーをつとめるバーの店員募集の貼り紙。トムはすぐにそこの店員となり、たちまちにして先に書いたような繁盛ぶりとなる。だがこつこつ仕事をするタイプのトムとは違い、ブライアンは一攫千金を夢見る男。客の女のことで喧嘩したこともあり、トムはバーテンダーとしての日当のいいジャマイカへ移住し、ブライアンはニューヨークにとどまる。そして若くて金持ちの女との結婚にまでこぎつける。トムもジャマイカで画家の卵の女性エリザベス・シューと恋愛をするが、失態をやらかし逃げられてしまう。

 以後は舞台が再度ニューヨークとなり、トムの女性遍歴と恋愛を映画は追う一方で、ブライアンのその後の生活ぶりも対比させる。ブライアン・ブラウンは贅沢三昧の生活ぶりだが、若い妻は彼にはおかまいなしに遊びまわって、ブライアンは空虚さをかくせない。少し違うのだが、アリとキリギリスのイソップ童話を思い出させる。私は気が小さいのでアリのタイプに決まっているが、トム・クルーズの女性を追いかける執念深さと真面目さには、ちょっとまねができないと思った。ブライアン・ブラウンの派手さもまねはできないが、彼は結局は破綻してしまい、哀れさの印象を、ある種あこがれとともに私に刻み込んだ。

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王妃の紋章

 『HERO』『LOVERS』につづくチャン・イーモウ監督の古代中国王朝もの。大がかりなアクションが売り物で、王家内部の愛憎劇がやがて内乱的な抗争に発展する。前二作に満足した人ならば、それ以上の満足度をえられるのかもしれないが、私はもっと以前の『初恋のきた道』や『あの子を探して』などの非アクション系のほうが好きだ。

 それはともかく、衣装やセットが金色を中心にした原色のキンキラキンで、絢爛豪華そのもの。たっぷりと予算が注ぎこまれていると想像される。宮廷内の廊下や壁、柱には単に色彩の眩さばかりではなく、手彫りの絵模様がこれでもかこれでもかというくらいに施されている。圧倒されるというよりも、画面全体がむせ返るようで、私などはかえって引いてしまうくらいだ。私は画面全体よりも画面の小さな部分の美を、たとえそれが画面全体であっても映画の時間の経過のなかでのわずかな時間であるほうがしっくり来るが、好みの範囲の問題だろうか。だが異彩をはなつところもあった。王妃のコン・リーはじめ、女官の衣装が全員そろって胸を大きく開いて乳房のふくらみを強調したもので、若い人ばかりなので、なんと言うのか胸のラインダンスである。五代十国の時代にこんな衣装が存在したのか、たぶん大胆にデフォルメされたのだろうが、おもしろい。

 クライマックスはちがう色の甲冑を着た軍団同士のいくさであるが、『HERO』以上のエキストラの大量動員で、ゆっくり前進するさまはまるで大河の流れのようで、うねりとどよめきが立ちのぼってくる。その一方では人間一人一人はまるでチェスの駒のようにちっぽけに見える。人間一人の力なんてほんとに小さいし、大軍団のなかに入れば頼もしいし、また運命をともにしなければならない……。俯瞰の位置からのカメラだから自然にそういう印象がもたらされるのだろう。見ものだが、新しさという点ではどうだろうか。ともあれ人件費の安価であろう中国映画ならではのこれも贅沢さだ。

 それよりも私の眼にあざやかだったのは、王のチョウ・ユンファと王子のジェイ・チョウが真剣でぶっつけの演習を行う場面だった。殺陣である。カメラワークもあるだろうが、両者の太刀さばきが熟達していてたいへん巧妙に見えた。それに太刀が甲冑をこするときに起こる火花、細部の創造でこれはうなった。日本の時代劇はかなり追い越された観がある。

 人間劇はどうだろうか。コン・リーは実は王の前妻の子リウ・イエと愛人関係にある。しかもリウ・イエには宮廷内に別の若い愛人がいる。さらには王の陰謀によって、コン・リーは毎日毒草トリカブトの混入した茶を飲まされているというどろどろの状態。忍者の姿をしたいわくある中年女性もくわわり、ということでごちゃごちゃしていて筋を追うのがせいいっぱいだが、最後にはチョウ・ユンファとコン・リーのベテランらしい渾身の涙で、かろうじてスペクタクルの部門と拮抗することができたと思う。

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太田光・中沢新一『憲法九条を世界遺産に』

憲法九条を世界遺産に (集英社新書)憲法九条を世界遺産に (集英社新書)
(2006/08/12)
太田 光、中沢 新一 他

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 私は現行憲法を守りつづけたいと考える者であり、その点ではこの書の二人の著者と同じ立場である。理想に偏して、国際政治の冷厳な現実に対応するには不都合な面が多い、そう考える人も多数いることはもとより知っている。しかしそれならば、憲法を変えるよりも現行憲法を残しつつ、乱暴な言い方だが「解釈改憲」をやってもらったほうがまだましなのではないか、と思う。現行憲法には、政治がそこから離れようとするとき、あるいは既に離れてしまった状態に対して、憲法の謳う理想に引き戻そうとする強烈な引きバネの役割が果たせると思うからである。

 その最たる項目のひとつは自衛隊の海外派兵である。昨年までだったか、陸上自衛隊がイラクのサマワというところに「復興支援」のために派遣されていた。水道設備の敷設などを行って地元民には歓迎されたようだが、イラクの反米勢力が日本の自衛隊を「アメリカの手先」とみなして、自衛隊の駐屯地に携帯ミサイルを撃ち込むことも考えられないことではなかった。幸いにもそういうことはなかったが、たいへん危険な状態に自衛隊の人々はおかれたものだと思う。自衛隊駐屯当時の小泉首相は「イラクにおいて安全な地域はどこか」という野党議員の質問に対して「自衛隊の行くところはすべて安全である」という意味の空恐ろしい答弁をした。イラク情勢に詳しくなかったのか、また言い切る自信がなかったのか、「サマワは安全である」とは直接的には言明しなかった。こういう首相を戴きながら、自衛隊員はイラクに行かされたのだ。

 大国になってしまった日本だから、貧国や戦乱で荒れた国への国際的支援の要請には背を向けることはできないだろう。しかし血を流してまで、戦闘行為に参加してまで「貢献」する必要はない。そこまで考える自衛隊員も日本国民もきわめて少数であろうし、そういう思想と空気を日本国憲法は戦後の長きにわたって培ってきた。歴史的に見ても、朝鮮戦争にもベトナム戦争にも参加せずにこれた。日本のときの首相が「国際社会」という名のアメリカのことあるごとの自衛隊派遣要請に対して、結論はともかく一旦は渋ることができるのは「憲法九条がありますから」という答えが用意できているからである。この状態をつづけるべきだ。ただ憲法を守ったから安全を保障できる、逆に変えたからそれができるというものでもない。それをできるかぎり可能ならしめるのは政治の担当者の均衡ある判断にのみによるのだろう。

中沢 日本が軍隊を持とうが持つまいが、いやおうなく戦争に巻き込まれていく状態はあると思います。平和憲法護持と言っていた人たちが、その現実をどう受けいれるのか。そのとき、多少どころか、かなりの犠牲が発生するかもしれない。普通では実現できないものを守ろうとしたり、考えたり、そのとおりに生きようとすると、必ず犠牲が伴います。僕はその犠牲を受けいれたいと思います。覚悟を持って、価値というものを守りたいと思う。(p146)



 前半は賛成だが、後半には違和感を覚える。私は国民の生命と安全が第一に守られるべきものであり、日本国憲法もそう謳っている。そのかぎりで現行憲法の継続に賛成だ。憲法という「思想価値」を守るために犠牲を覚悟するという言い方は本末転倒に聞こえるのだが……。私は現行憲法を若干ふれたように柔軟に考えようとする者だ。憲法の護持の仕方が硬直的であるがゆえに国民の生命・安全がおびやかされるのならば、その運用方法を改めればよいのではないか。私たち国民はそのほうを望むはずだ。無論、中沢新一が指摘するように政治担当者がどうあがこうとも、憲法の運用をどうかえようとも戦争に巻き込まれることはないとはいえない。

 自衛隊について少し。これは当面は存続すべきだと思う。自衛隊は軍隊としての能力を保持しているので憲法九条違反の疑いは確かにある。だが憲法は「生存権」を明記しているし、自衛権については書かれていないが、憲法以前に本来的に国家や地域が有するものと見なす。外国の軍隊の日本国への侵略に対しては自衛隊の戦力を用いるべきであり、自衛隊以外にその役割を果たしうる組織は存在しない。だが逆に来るべき理想社会に向けて、やはり自衛隊に違憲の疑いありという看板は外すべきではない。自衛隊と憲法との私の考え方は、このように大雑把で未整理なものだ。だが強引に整理すべきではない。今のところ、私にとっては、こういう自衛隊と憲法とのあるべき関係の姿が一番すわりがよい。

 日本国民の平和への願いの唯一成文化されたもの、それが日本国憲法である。


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バニラ・スカイ(2001/アメリカ)

バニラ・スカイ スペシャル・コレクターズ・エディションバニラ・スカイ スペシャル・コレクターズ・エディション
(2006/04/21)
トム・クルーズ、ペネロペ・クルス 他

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 「最後まで目が離せない」。この映画もたしかにそうだが、ほめ言葉として使うべきではない。視聴者がいたずらに翻弄されて終わってしまう印象が強い。

 トム・クルーズは大手出版社の二代目社長。キャメロン・ディアスがガールフレンドだが、そろそろ飽きてきている。そんなときに彼はパーティでペネロペ・クルスを知り夢中になってしまう。近づいて仲良くしたいが、キャメロン・ディアスがつきまとってくる。クルスの家を訪ねて辞去するとディアスが外で待ちかまえている。気がすすまないままディアスの車に同乗させられるクルーズだったが……。

 それから警察で仮面をつけた青年がカート・ラッセルに尋問を受ける場面にかわる。カート・ラッセルは最初は刑事かと思ったが、そうではなく、青年の不安定な精神を鑑定する役割の医師らしい。青年はどうやらトム・クルーズのようだ。キャメロン・ディアスの車が事故を起こしてその際、顔に重症を負った、ディアスは死んでしまった? その次には警察と事故とのあいだの中間の過去に場面はもどり、ひどい顔のクルーズがペネロペ・クルスをふたたび訪ねる場面にかわる。さらにその次には、彼は冷凍人間になってしまって夢の世界に生きているのかもしれない、という説明に映画は移行する。

 えっ、何これ?と、視聴者はこんがらがる。ストーリーのおもしろさで見せようとしているが、私は最初は二人の女性に板ばさみになってしまったトム・クルーズの困惑を描くものだとばかり思った。そうではなく、結局はどこからが夢でどこまでが現実か、という興味を抱かせたいらしいのだ。もしかすると、全部が夢の世界の出来事かとの疑いも生じてくる。どうも視点を強引にずらされたというのか、途中で別の映画にさしかえられたような腑に落ちない印象だけが残ってしまった。俳優人は豪華で、芝居面でも手抜きがないだけに残念だ。
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デスペラード(1995/アメリカ)

デスペラード コレクターズ・エディションデスペラード コレクターズ・エディション
(2006/03/29)
アントニオ・バンデラス、サルマ・ハエック 他

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 娯楽アクション映画として第一級の出来。話は簡単至極で、恋人を殺されたアントニオ・バンデラスが、その犯人である地域の犯罪組織のボスに復讐を挑むというもの。見せどころは全編にわたる銃撃戦で、さまざまなアイデアと映像的工夫がちりばめられている。

 たとえば、アントニオ・バンデラスが組織の連中がたむろする酒場にギターケースを抱えてのっそりと入ってくる。ケースをあやしむ連中の一人が開けてみるがやはりギター。安心したのも束の間、次の瞬間にはなんとギターがぱっくりと二つに割れてマシンガンが露わになる。だがもうすでに銃撃戦が始まっている。懐からとりだした二丁拳銃で連中をばたばた倒してからケースのマシンガンを手にするバンデラス。この間の銃撃戦はほとんどがスローモーション。そんな早い動きができるわけないだろっ、というような突っ込みを入れる暇はない。子供心を刺激してくれて面白さに酔える。撃たれた男どもがまるで空中落下のように画面の手前から後方へとすっとんでいく。

 バンデラスはたたかいの過程で満身創痍になるが、悲壮感はない。本屋を経営する美人のサルマ・ハェックがかくまってくれる。初対面にもかかわらず艶然とした笑みを執拗に投げかけてくる。そして本を紐解きながらバンデラスに縫合手術をほどこしてくれるのだ。そして傷がいえるとセックス。古い映画のヒーローやヒロインならもっとストイックだろうが、こういう場面もこの映画の特徴だ。適度にふざけた感覚が心地よい。バンデラスにとってもいい休養になったくらいのもの。

 バンデラスにもボスの勢力にも敵対するナイフ投げの名人も登場して、どういう来歴の持ち主かわからないが、この混乱ぶりもかえっておもしろい。弾帯ならぬナイフ帯を腰に巻きつけてつぎつぎに投げてくる。そしてバンデラスはへろへろになると電話一本で助っ人を呼びつけるのだ。はじめからそうすればいいのにとは合理的な解釈だが、その場しのぎができてしまうところもこの主人公の特徴で新鮮味がある。助っ人もギターケースを持ってくるが、その使い方はバンデラスとはちがう方法で、これまた痛快である。

 アントニオ・バンデラスはヒーローではなく、ヒーローの型にはまった遊び人風。それもまたこの映画の魅力だ。
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実録・連合赤軍

  三〇年以上もたっての連合赤軍である。私もあの出来事に衝撃を受けたひとりで、その後も関心を持ちつづけ、森恒夫、永田洋子、坂口弘の手記を読んできた。細かい部分は忘れているが、だいたいは事実どおりに描かれている。しかし十分な時の蓄積があったのだから、何かしらあたらしい視点を提出できなかったのだろうかという思いが残り、残念である。それに比べると瑣末なことだが、根気よく事実を追っているものの、映画の出来という観点からすると、最後のあさま山荘での銃撃戦で、大量動員された機動隊の映像がまったく登場しないことがやはり物足りない。(山荘に突入した若干名の機動隊だけが登場する)低予算だったからはしょらなければならなかったのだろうが、それならば導入部に多用されたニュース映像をもってきてもよかったのではないか。

 ヒロインに遠山美枝子をえらんだのは成功した。彼女を演じた酒井真紀という人を私は知らないが、自分の身に置き換えて精いっぱい演じていて好感がもてた。「指輪をしている」「髪を梳かしている」「女を武器にする」こういう些細な理由で遠山は批判された。他のメンバーへの制裁にも参加させられたあげくに彼女は自分で自分を殴打させられる。血を流しぐったりした彼女の元へ永田洋子が鏡を持ってくる。顔を見させるためだ。このうえなく残酷で攻撃的である。ごくあたりまえのことながら遠山は絶叫し泣く。その顔は醜く変形してしまって老婆か幽鬼のようである。この映像はさすがに衝撃力があって、遠山にとって理解を超えてしまって恐怖そのものだ。自分ではない自分を受けいれられない遠山。悲しみや絶望という感情が追いつかず、そういうものさえ崩壊する。ただ泣き続けるしかないのだ。そして「なんでわたしは死ななきゃならないの」という彼女の叫びが私に十分にとどいた気がする。これは遠山美枝子の叫びでもあり、女優坂井真紀の叫びでもあり、私たちがたいせつにしなければならないものだ。

 だが私は泣けなかった。三〇年以上という時の経過が、この事件ばかりではなく、あの時代が孕んでいたし私も染まったであろう「熱」をすっかり冷めさせてしまい「冷たいいかがわしさ」となって、この映画を支配しているからである。参加した全員がそうとは言わないが、六〇,七〇年代の左翼運動には暴力を祭りあげて、より暴力的になることが誠実であり、個人的にも運動的にも飛躍であり発展であるという空気が充満していた。私にもそういう部分は大いにあった。「革命」ならば暴力は引き寄せざるをえないが、あまりにもそこに執着しすぎた。考えることをあっさりと捨てることが、自暴自棄に近づくことが誇りでさえあった。当時私は無意識であったが「いかがわしさ」でなくてなんであろうか。そして「革命」と「熱」が退潮すると、いかがわしさだけが、しぶとく記憶にまつわりついてきた。そういうものの典型的な空気と私は、この映画を見る間向き合っていた。だから泣いたり酔ったりはできなかった。無論、革命でなくても暴力を行使してしまうことが人間には無いとは言えないだろう。だがそれは、時代的ないかがわしさとは切り離すべき問題なのだ。

 遠山美枝子のことにもどれば、彼女は赤軍派の幹部であった男と同居中、その男の逮捕に遭遇している。また友人であった重信房子がレバノンへ旅立った。それらふたつの別れをへながら、彼女は二人や他の仲間を大事に思い、みずからも同じ思いを共有しようとして連合赤軍へ参加した。その遠山を待っていたのが永田洋子だった。永田らの革命左派が移動の際水筒を全員持参しなかったことを森恒夫に批判された。それへの意趣返しでもないのだろうが、永田は遠山の態度を先に書いたことをあげて批判したのである。こういうかたちでの出会いはなんとも不幸で、厭なものだ。異なる党派同士の人間が二、三〇人も、せまい山岳ベースでいきなり共同生活をはじめるのだから、誰にとってもだがとくに指導部にとっては極度の緊張を強いられるのだろうか。ともかくこの永田の遠山批判を受けいれることで森は革命左派との融和を図ろうとしたのだろう。

 「死にたくない」「どうやって総括したらいいのかわからない」森や永田のいないところでメンバーが私語としてつぶやく場面がある。まったく当然のことだ。総括要求とは、戦いへの取り組みの不徹底やミスを洗いざらいにして反省することではないか、誰でもそう解釈する。だがそれをやった途端、森やメンバーから鉄拳がくわえられる。そして当事者が死んでしまうと森は「敗北死」だと断定する。「敗北死」とは最初に死者を発生させてしまった際、森がつくりあげた観念で、不可解だが革命的気概があれば肉体的危機をのりこえられる、それが創出できないが故の死、ということになろうか。森自身の責任回避のための詭弁であり、なんとしてでも権力を維持しようとする執念が覗かれる。森はまた、最初の死者以降「総括援助」と称して総括要求された者への暴力を全員に強制した。森の意思を全員の意思として同体化させるためだ。総括要求とは別に「処刑」を宣言して森が単独で殺してしまうこともあった。空恐ろしいことだが、そうした総括要求や総括援助、処刑をつづけることが森にとってのたたかいであり権力維持であったとみなすしかない。

 だが総括要求とは何だったのか。森の手記を読んでも過誤であったとは認めているが、くわしい言及はなかったと覚えている。私は最初から無き者にしようとした意図があったと思うが、その辺は森の亡霊を地下から引きずり出してでも聞いてみたいところだ。最初に書いた「あたらしい視点」とは、そのような森恒夫という人のやったことへの突っ込んだ解釈を指す。映画感想文からかなりずれてしまったが。

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『地図で読む世界情勢・第Ⅰ部』

地図で読む世界情勢 第1部 なぜ現在の世界はこうなったか地図で読む世界情勢 第1部 なぜ現在の世界はこうなったか
(2007/07/24)
ジャン-クリストフ ヴィクトル/ヴィルジニー レッソン/フランク テタール

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 この本を開かなくても抱くことのできる感想だが、日本ほど平和な国は地球上見渡してもわずかしか存在しないらしい。そして単一民族国家にかぎりなく近い。(外国人の定住者数は少しずつ増えていくであろうが)また宗教上の深刻な対立もない。言葉も単一で日本全国どこへ行っても通じる。これは私たちにとっては自明のことだが、こういう国は世界的規模で見るとめずらしい。ひとつの国のなかで異なる人種、民族、宗教、言語を抱えるほうが、むしろ国家の「常態」ともいえるのだ。そこに貧困が瀰漫すれば、少ない経済的利益をめぐっての内乱へとたちまち発展してしまう導火線的な素地がそこにはある。

 戦国時代など歴史上の内乱はあったが、総体的に見れば日本は比較的平和であった。上にあげた条件が自然にそういうように作用させたのではないかと思うが、もうひとつの条件として、隣の大国中国が歴史的にほとんど膨張主義的な対外運営をしなかったことがあげられるのではないか。(唯一の例外として元帝国の時代があり、日本もその時代はあやうく占領されかけた)別に中国をほめたいのではない。そういう選択をしたのは中国が宥和的だからではなく、やはり政治経済上の思惑によるのであろうから。しかしこれはちょっと不思議ではある。アレキサンダー大王やローマ帝国のような古い帝国から、歴史上の「若い帝国」であるロシア、アメリカなどの例を見ても、ほとんどの帝国は自国の領土拡張にエネルギーを精力的に注いだように見えるからだ。はやい話が、万里の長城のような大土木事業などしなくとも北方民族の侵入に悩むならば、いっそその根拠地に大軍を遠征させて占領したほうが、ずっとすっきりしたのではないか、と考えてしまうのだ。現在はチベットなど異民族を支配・属国化しているだけに。ヨーロッパ列強が全地球に進出していった十五世紀以降も中国は近くの太平洋にも進出しなかった。このことが、結果的にわが日本の平和におおきく寄与した。

 この本にはカラー刷りの地図がおおくあって便利だ。字を追いながら地図を頭に思い浮かべる手間がはぶける。無知な私が知らなかったことは数多いが、地図上の問題で興味をひかれたことをいくつかあげておこう。

1888年に引かれたガンビアの国境は、ポルトガル領からイギリス領になったガンビアと、フランス領だったセネガルの、それぞれの宗主国の思惑に応えたものだろう。


 アフリカ大陸最西端にセネガルという国がある。ダカール(パリ・ガカールラリーで有名)が首都であるが、たいへんめずらしい国境の形をしている。地図上の左に位置する大西洋に向かって口を小さくあけたような格好をしていて、その口の部分に当たるのがガンビアという小国である。(ダカールはちょうど鼻さながら突きでている)ガンビアを中心に見ても国境のかたちはめずらしい。わずかに面した海以外に国境を接するのはセネガル一国のみだからである。世界的に同じような国境線を持つ国はあるのか、思いつかない。国境の線引きの背景は引用した文に書いてある。ヨーロッパ列強の手打ちのようで、悪印象しかもてない。ガンビアの南の部分は民族、宗教が北部とは異なり、また国家首脳が北部の稲作を強引に押し付けて落花生の森を伐採したために、案の定、激しい紛争が起こったそうだ。本来なら別々の国であってしかるべきだろう。

 カリーニングラード。これは知らなかった。ポーランドとリトアニアにはさまれたロシアの飛び地だ。旧ソ連時代は軍事都市として秘密のベールにおおわれていたという。人口百万人で、うち七八%がロシア人、経済的にはリトアニア、ポーランドよりも貧しい水準だという。リトアニア、ベラルーシが独立したために飛び地になってしまった。バルト海沿岸部の豊富な石油資源、世界の埋蔵量の九十%を誇る琥珀といい、この地域の招来には明るさがある。しかしロシアが自治権の拡大に難色を示すそうだ。「国益」を手放したがらないのだろう。

 国家を持たない最大の民族が、約三千万人の人口をもつクルド人。現在は六つの国に分かれて居住しているが、この国には独立が期待された時期があった。第一次世界大戦中にトルコ人指導者クスタファ・ケマルという人が約束したそうで、いくつかの条約にも独立が明記されていた。ところがトルコがクルド人地域の北部を占有し、南部は石油資源が豊富なことから「イギリスが委任統治していたイラクに統合されてしま」った。

 国境が不確定な地域もある。国の中心から離れたところで、その地域に根付いた住民がおそらくは国境などにわずらわされずに生活していた。国家首脳もことさら国境線にはこだわらなかった。いわば国境の過疎地とでもいうのか。だが一旦国家同士の対立が抜き差しならなくなると国境線のあいまいさがさらに紛争の火種になってしまう。地域住民にとってはまったく迷惑このうえないことだ。パキスタン、インド、中国が領有権を主張するカシミール地方がその「好例」だ。

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