鉄腕稲尾

 稲尾和久さんが亡くなられた。元西鉄ライオンズのエースで鉄腕、神様仏様稲尾様、と称された人だった。その敬愛的ニックネームにまさにふさわしい、ものすごい活躍をした方だった。1958年の対巨人との日本シリーズでは7戦のうち6戦に登板で4勝2敗。西鉄は0勝3敗から4連勝して逆転優勝を勝ち取ったのだが、その大功労者である。なにしろ、3戦から7戦まで5連投をしてしまったのだから。また1961年には年間最多タイ勝利の42勝をあげている。

 私も少年時代は稲尾ファンのはしくれだった。この人の現役時代を知る人もだんだんと少なくなるが、私もデビュー時から知っているのではなく、1960年あたりがファンとしてのはじまりだった。当時は巨人の長島茂雄が圧倒的に人気があったが、稲尾ファンも結構多かった。

 並外れた力を持った投手だったが、私がそれにも増してあこがれたのは、たいへん優美な投球フォームだった。ぎくしゃくしたところがなく、流れるようだった。少年にはふさわしい表現ではないが「惚れ惚れ」してしまった。そして人間的タイプの面であるが、見た目、稲尾さんは闘志をむき出しにしたり、驕った態度をとることと無縁に見えた。ちょっと神秘的でさえあり、その面でもファンとして十分に引き込まれた。そんなこんな稲尾さんだったが、私が釘付けになっているテレビのなかで、まさに優美に、どんどん勝利を手中にしていった。

 さみしかったのは稲尾さんの全盛時代の最後の年にあたる1963年の日本シリーズ。そのときの相手も巨人。第1戦と第6戦が日曜日にあたり、たっぷりとテレビで見せてもらった。その2試合はいずれも稲尾さんが登板し、完投勝利を飾った。つづく第7戦も予想どおり稲尾さんの先発だった。58年の伝説を知っていたので、きっと勝つだろうと私はたかをくくった。だが月曜日は子供は学校がある。(当時のシリーズはデーゲーム)帰宅して結果を家族に聞いて驚いた。18対5? という大量スコアで巨人がシリーズを制したのだった。稲尾さんはKOされたらしい。信じられない思いだった。

 人間の体力には限界がある、超人なんていない。どうやら、そのことを私ははじめて知ったらしいのだ。叩きつけられるようで寂しかったし、つまらなかった。私は無意識に稲尾さんを「超人」視していたのだ。金田の通算勝利記録に追いつき追い越すのは稲尾さんしかいないと、少年なりにかたくなに信じていた。

 それ以来、私はプロ野球にあまり心惹かれなくなった。復活し、先発ローテーションの一角で投げていた稲尾さんを見たことがあるような気がする。だが「昔」の稲尾さんではなかった。体重が増加してフォームに軽さがなかった。体がだるそうに見えて、悪い意味で力が抜けていた、球の威力もなかった。全盛時の稲尾さんをたっぷりと見てきた「贅沢」な眼には残骸でしかないように思えたのだ。これは稲尾ではない――今ふりかえると少年というものは残酷な意識をもちうる。

 それはともかく、ろくな少年ではなかった私にとっては、稲尾さんはさわやかな思い出である。また単に過去にまつわる存在でもなく、これからも、あの全盛時代の優美な投球フォームをときどき思い描くことがあるだろう。今年は、同じ時代のもう一人のあこがれであった植木等さんも亡くなられた。合掌。

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