サン・ジャックへの道

 中年の男二人、女一人の三兄妹の母が死んだ。遺産相続の話になるが、遺言状管理者によるとキリスト教の聖地であるスペインのサンティアゴへの巡礼が条件だと言う。つまりフランスの某都市からその地まで歩きっぱなしの旅をしなければならないのだ。遺産なんていらない、体調がすぐれない、など三人はしぶるが遺言とあっては無下に断るわけにもいかず、しぶしぶながら巡礼に参加することになる。ガイドのもとには他の参加者も加わり計九人の旅がはじまる。アラブ系の青年二人、若い女性二人、中年女性一人である。

 この映画を救っているのは行く先々での風景である。うつくしい風景ばかりではない。砂漠に近い地もあれば、収穫が終わって枯れ枝ばかりで無惨に見える畑もある。だが羊の群れがのんびりと草を食んでいたりすると、ほっとする。また豊かな水量を誇る小川が両岸の濃い緑の並木とともに出現すると見惚れてしまう。私が巡礼に参加しているわけでもないのに巡礼はいいなあと、感嘆してしまう。風景はやはり豊かな水と緑がなければいいとはいえないのだろう。

 旅の期間中、当然知り合った者同士の交流ができる。若い人の間で恋が芽生えたり、女教師はフランス語を知らないアラブ人青年に教えてやったりと。飲んべえでだらしがないくせに不思議ともてる男がいたりする。だが全員に共通するのは、疲労困憊しながらも歩くことにしだいに充実感を覚えて自信を持つにいたることだろう。それによって団結も自然に生まれてくる。さらに人間関係も深まるという好循環ができあがる。風景とともにもうひとついい場面は、彼等が心地よい疲れのもと、睡眠のなかで夢を見るところだろう。動物のかぶり物をした人々が出現したり、黒ずくめでベールをした憂鬱そうな婦人(アラブ青年の母だろう)が馬に変身して優雅に駆けていったりと、ファンタスティックだ。いい意味で身体からスーッと力が抜ける。いい旅だからいい夢も見るのだろうなあ、と納得できる。反面、やはり人間は変わりえないものでもある。先ほど書いた酒好きで女好きの男は、その性分は相変わらずだし、男をすんなり受け入れる女も以前からそうなのだろうなあ、と推測させる。彼等自身がそういう面では、あえて変わらなくてもよいとたかをくくるからだろう。巡礼による健康志向、よき思い出作りもおのずから限界がある、ということだろうか。また、映画としての難を言えば、前半の人間劇の部分がセリフが多く、煩雑なところだろうか。

 宿が満員のときは教会の門をたたく。牧師は粗末な部屋しか空いていなくても受け入れなければならないらしい。また巡礼者はそれをアテにする。そうやって旅はつづけられるのだなあ、と知った。宗教上の理由でメムバーのある部分を排除しようとした神父?もいたが。

00:07 | 映画館で見た映画 | comments (5) | trackbacks (9) | edit | page top↑