人形を轢く
03/28/2007 (Wed)
切り裂くようなフラッシュが焚かれそちらに眼を向けると顔にカメラを貼り付けている男がいる。顔からカメラをとおざける男がいる。カメラを持たない手持ちぶさたの左手はやがて手を挙げて私に合図を送ろうとするのか。だがその気配もない。微笑をたたえるのか能面の無表情なのか咎め立てようとするのかもとおくてわからない。こちらへ一歩二歩と歩みだしそうな気配も感じとれなくはないがそのままで突っ立っている。男は私をカメラに撮った。私が轢いてしまったであろう人形とともに車体ナムバーとともに私をカメラに収めた。とおくてわからない。だがやはりにやにや笑っているのではないかとの疑いが生じてくる。男は優越的な気配に自己満足して得体の知れないこの今はじまったばかりの睨み合い?の事態をやたら長引かせようとするのか。そういう事態の推移に対しても男はあらかじめ体勢を整えており目的のひとつとしてすら据えておりゆがんだ酩酊を見いだそうとするのではないか。それも何度も繰り返し味わい堪能した酩酊であるのではなかろうか。だがもう一つの大きいその先のそれこそゆがんだ目的もちゃんと用意されてあるのであろう。ある種常識では理解しがたい恐喝のつもりかさらに奥に用意した別の手段を隠し持っての恐喝もしくは嗜虐的欲望の自分勝手な企みのたぐいかもしれぬと私は疑念をつのらせた。
少し前私は総毛だった。前方の視界に得体の知れないかたまりが岩とも人体とも判別できない物体がいきなり左側から侵入してきて私はわずかに「最後」を意識しながらブレーキも踏まずにそこを通過した。赤い色彩がわずかに視野に残った。一瞬後物体は視界から外れてそのときに私ははじめてのようにブレーキを踏んで減速し車を止めたのだがいざというときにまずは起こすべき身体反応を放棄して素通りしまう自分自身への後ろめたさに直面した。ブレーキを踏まなかったことその半無意識その一点にふりしぼっては私という人間の致命的欠陥とみなすべきものなのか。または私という個性を含みつつも越えた人間的普遍性の問題としてその行為=非行為はとらえかえされるべきなのか。問題意識はかすめたことはかすめたが当然ながらゆっくりと思いをめぐらす暇もなかった。それよりも前ただ感覚だけは回転して地面をこすりつけていくタイヤの表面に何故か願うように集中していた。ブレーキを踏まなかったにもかかわらず。だが感覚はタイヤの表面に一致させることは不可能なので車体全体にかかるであろう抵抗感それが座席にさらに私の腰部におよぼすであろう抵抗感をもっぱら頼るしかなかった。それら以外のすべての感覚の分野は頭蓋のなかの空想として無い物ねだりのように研ぎ澄まされるしかなかった。意外にも何の手ごたえもなくほぼ水平に通過したのでかえってまるで虚空へのぼりつめるようなフワッとした感覚が残ったのだが。ただ喫緊の課題として私はもしかしたらたいへん重大なことをしでかしてしまったのではなかろうかとの懸念に首を絞められかけそれを一刻もはやく払拭せねばならないという目的意識はしかとあってみずからを落ち着かせつつ眼の前の事態を咀嚼しようと心がけた。
私と男のちょうど中間にはその轢いてしまった人形がまさに人形が赤い血の平面を周囲にひろげて横たわっている。その赤い血はこれ見よがしに今も面積を少しずつ広げていくではないか。人形の毛髪は茶色の毛糸で白のブラウスと肩掛けのついた赤のスカートは綿か化繊かはわからぬがともかくこれらも布で顔の部分も肌色だが人間の皮膚の滑らかさではなくつまりは外観はすべて布製であるために人形だと判断した。私は冷静さを保ちつつ判断した。おそらくは「血」もまた顔料か何かなのだろう。それを水か油で薄めたのであろう。車体の重みでそれが外部へあふれる仕組みが人形製作者かそれを購入してのち細工をつけくわえた者によってなされたのであろう。とするならばカメラを持った男カメラで私を撮った男が直前までの人形所有者だと直観しても間違いないところなのではないか。男は私を人形轢断者と断定するための証拠としてカメラ撮影をしたのではないか。だが何のためにまさかそれが一般的に見て恐喝の種になりうるとでも思っているのだろうか。いやそう思ったからこそそういう人形を作りそしてまた私の走行中の車の前に人形をぽんと投げ出したであろうことまでやってのけたのだから。
そんな細工をされて傍迷惑このうえないが「傍」はこの私なのだ。私は私自身の判断でこの事態を切り抜けねばならないのだが男のねっとりしたなかに痴呆性を切り裂くフラッシュのように貯蔵した視線でもって浴びせつづけられる私とは一体何なのだろうか。今対峙する男の心的傾向に沿ってではなく私の知らない私が今の私を見つめたとしたらどういう具合に見えるのだろうか何故だか私は無性に気になりだした。私の知らない私が今の私を見つめたのなら当然今の私の自己認識しえない部分もまた映るのであろう。つまり私は私という人間を十全に把握できてはいないのではないかという疑念が何故か立ちのぼってきた。だが何もそれは今にわかに生成してきた疑念ではなく私が従来からぼんやりと抱きつづけてきたものであったが切羽詰まったものではなくましてその昂進によって人生に重大な影響をもたらしうるものとも思えなかった。それが今このときになって限度を超えて昂進してきた。地面がたちまち崩れる砂に変貌するのではないかという一抹の不安につかまれた。男の視線は奇怪だが男に変わって正常な視線に置き換えたとするならば私はどんな具合に見えるのか。もしかすると私を糾弾すべき材料をこれでもかこれでもかとトラックいっぱいの書類とともにたずさえてきて隅から隅まで延々と指摘して弾劾するのではないか。倫理の塔が今さらのようにせりあがるのではないか。男の視線は結果的にはあるいはそういう「正常」さの代替装置として機能するのではないかと思えてしまった。私のそんな具合の不安を手に取るように眺めたうえ厖大な計算を済ませたうえで充分な成算をイメージして私の不安を衝いてくるならば男は想像を絶するほどのしたたかさを持ち合わせているのだがそこまで思いを馳せさせ膨らませる私もどうかしているにはちがいないが一旦はとらわれてしまった妄念であることは事実でこの事実は私にとっては忘れることのできない掻き消すことのできない重大な記憶として残った。
私の正常な対処にこのような妄想が入り混じってきたのは男がとおい距離に位置していたために表情が見極めがたかったことからも大いに来ている。それこそ重大な因子だ。私と男を取り囲む空気は無論私と男の間にもありその一粒一粒の極小のまるい頭の群が恣意によって急激に凶暴化してあたかも男の顔の輪郭に侵入して自然界の法則よろしく自在に暴れた結果であるように私の視界のなかで男の顔は半分くらいは溶解して見えた。視線だけがかたくなに溶け残ってその視線の意味をさらに男の固有性からはなれてまでも私に対する視線一般として私に自問自答を強いるように強迫的に押し寄せてきた。そしてまた逆説的に聞こえるかもしれないが男の視線自体が強力でないからこそそれを浴びる時間のある種の弛緩のなかで私の妄想は泳ぐ場所を得たということになろうか。念のため書き加えておくが今この場所で直接的には関係がなく無用な思念であったからこそ妄想だと私は言葉を選んだのであって思念の中味それじたいは妄想として片づけてはならない部分も多分に胚胎している。
見る乃至は凝視するということ。用意万端おこたりなく罠をととのえてその罠に見事に獲物をはめて獲物の様子をじっくりと観察しあとは心地よい手持ちぶたさの時間にひたりながらそれ以後の獲物の推移を余裕たっぷりに眺める。次の手段を行使する用意もぬかりなくととのえながら獲物の変化つまり衰弱や凶暴的変異を待ち望んでいるのではないか男は。現在の男のその行状を度の過ぎたいたずらと見なしながらもその心性をそんな風に想像して描きかけたが中途で放棄した。興味がつづかなかった。白状すればいたずらというものに対する嗜好を私はついこの間といってもいいほどまで長くもちつづけてきた。反抗や純粋という美辞麗句をつけてもつけなくてもだ。私の仕掛けによって他人が翻弄されることあるいは翻弄されたかにこちらが一方的に思いなすことに異様なほど執着をもちつづけあるいは意義づけてきた。彼の仕草一挙手一投足を細大漏らさず観察し凝視し記憶にたたきこむことつまり眼の前の彼の逐一の変化は私の仕掛けのどこそこに関係づけられるのだという牽強付会の自説に陶然となりながら快感を合着させつつ彼と一体になること。彼の崩壊に一部始終つき合うこと。そんな妄想に血道をあげたことがあったにはあった。そこでは世界と私との関係が彼と私との関係に縮小し縮小することでかえって濃密になりそこで勝利すれば世界にも勝利できるのではないかという思いこみに私は支配されたものだった。だが萎えた。興味の腰が折れた理由はわからぬが一旦興味をうしなった彼我の世界を興味を梃子にして語ることなど想像することなどできない相談だった。私は男を軽蔑した。寸断するように大して理解もせずに軽蔑した。私は男に勢いよく手をふって車に戻りその場を後にした。
少し前私は総毛だった。前方の視界に得体の知れないかたまりが岩とも人体とも判別できない物体がいきなり左側から侵入してきて私はわずかに「最後」を意識しながらブレーキも踏まずにそこを通過した。赤い色彩がわずかに視野に残った。一瞬後物体は視界から外れてそのときに私ははじめてのようにブレーキを踏んで減速し車を止めたのだがいざというときにまずは起こすべき身体反応を放棄して素通りしまう自分自身への後ろめたさに直面した。ブレーキを踏まなかったことその半無意識その一点にふりしぼっては私という人間の致命的欠陥とみなすべきものなのか。または私という個性を含みつつも越えた人間的普遍性の問題としてその行為=非行為はとらえかえされるべきなのか。問題意識はかすめたことはかすめたが当然ながらゆっくりと思いをめぐらす暇もなかった。それよりも前ただ感覚だけは回転して地面をこすりつけていくタイヤの表面に何故か願うように集中していた。ブレーキを踏まなかったにもかかわらず。だが感覚はタイヤの表面に一致させることは不可能なので車体全体にかかるであろう抵抗感それが座席にさらに私の腰部におよぼすであろう抵抗感をもっぱら頼るしかなかった。それら以外のすべての感覚の分野は頭蓋のなかの空想として無い物ねだりのように研ぎ澄まされるしかなかった。意外にも何の手ごたえもなくほぼ水平に通過したのでかえってまるで虚空へのぼりつめるようなフワッとした感覚が残ったのだが。ただ喫緊の課題として私はもしかしたらたいへん重大なことをしでかしてしまったのではなかろうかとの懸念に首を絞められかけそれを一刻もはやく払拭せねばならないという目的意識はしかとあってみずからを落ち着かせつつ眼の前の事態を咀嚼しようと心がけた。
私と男のちょうど中間にはその轢いてしまった人形がまさに人形が赤い血の平面を周囲にひろげて横たわっている。その赤い血はこれ見よがしに今も面積を少しずつ広げていくではないか。人形の毛髪は茶色の毛糸で白のブラウスと肩掛けのついた赤のスカートは綿か化繊かはわからぬがともかくこれらも布で顔の部分も肌色だが人間の皮膚の滑らかさではなくつまりは外観はすべて布製であるために人形だと判断した。私は冷静さを保ちつつ判断した。おそらくは「血」もまた顔料か何かなのだろう。それを水か油で薄めたのであろう。車体の重みでそれが外部へあふれる仕組みが人形製作者かそれを購入してのち細工をつけくわえた者によってなされたのであろう。とするならばカメラを持った男カメラで私を撮った男が直前までの人形所有者だと直観しても間違いないところなのではないか。男は私を人形轢断者と断定するための証拠としてカメラ撮影をしたのではないか。だが何のためにまさかそれが一般的に見て恐喝の種になりうるとでも思っているのだろうか。いやそう思ったからこそそういう人形を作りそしてまた私の走行中の車の前に人形をぽんと投げ出したであろうことまでやってのけたのだから。
そんな細工をされて傍迷惑このうえないが「傍」はこの私なのだ。私は私自身の判断でこの事態を切り抜けねばならないのだが男のねっとりしたなかに痴呆性を切り裂くフラッシュのように貯蔵した視線でもって浴びせつづけられる私とは一体何なのだろうか。今対峙する男の心的傾向に沿ってではなく私の知らない私が今の私を見つめたとしたらどういう具合に見えるのだろうか何故だか私は無性に気になりだした。私の知らない私が今の私を見つめたのなら当然今の私の自己認識しえない部分もまた映るのであろう。つまり私は私という人間を十全に把握できてはいないのではないかという疑念が何故か立ちのぼってきた。だが何もそれは今にわかに生成してきた疑念ではなく私が従来からぼんやりと抱きつづけてきたものであったが切羽詰まったものではなくましてその昂進によって人生に重大な影響をもたらしうるものとも思えなかった。それが今このときになって限度を超えて昂進してきた。地面がたちまち崩れる砂に変貌するのではないかという一抹の不安につかまれた。男の視線は奇怪だが男に変わって正常な視線に置き換えたとするならば私はどんな具合に見えるのか。もしかすると私を糾弾すべき材料をこれでもかこれでもかとトラックいっぱいの書類とともにたずさえてきて隅から隅まで延々と指摘して弾劾するのではないか。倫理の塔が今さらのようにせりあがるのではないか。男の視線は結果的にはあるいはそういう「正常」さの代替装置として機能するのではないかと思えてしまった。私のそんな具合の不安を手に取るように眺めたうえ厖大な計算を済ませたうえで充分な成算をイメージして私の不安を衝いてくるならば男は想像を絶するほどのしたたかさを持ち合わせているのだがそこまで思いを馳せさせ膨らませる私もどうかしているにはちがいないが一旦はとらわれてしまった妄念であることは事実でこの事実は私にとっては忘れることのできない掻き消すことのできない重大な記憶として残った。
私の正常な対処にこのような妄想が入り混じってきたのは男がとおい距離に位置していたために表情が見極めがたかったことからも大いに来ている。それこそ重大な因子だ。私と男を取り囲む空気は無論私と男の間にもありその一粒一粒の極小のまるい頭の群が恣意によって急激に凶暴化してあたかも男の顔の輪郭に侵入して自然界の法則よろしく自在に暴れた結果であるように私の視界のなかで男の顔は半分くらいは溶解して見えた。視線だけがかたくなに溶け残ってその視線の意味をさらに男の固有性からはなれてまでも私に対する視線一般として私に自問自答を強いるように強迫的に押し寄せてきた。そしてまた逆説的に聞こえるかもしれないが男の視線自体が強力でないからこそそれを浴びる時間のある種の弛緩のなかで私の妄想は泳ぐ場所を得たということになろうか。念のため書き加えておくが今この場所で直接的には関係がなく無用な思念であったからこそ妄想だと私は言葉を選んだのであって思念の中味それじたいは妄想として片づけてはならない部分も多分に胚胎している。
見る乃至は凝視するということ。用意万端おこたりなく罠をととのえてその罠に見事に獲物をはめて獲物の様子をじっくりと観察しあとは心地よい手持ちぶたさの時間にひたりながらそれ以後の獲物の推移を余裕たっぷりに眺める。次の手段を行使する用意もぬかりなくととのえながら獲物の変化つまり衰弱や凶暴的変異を待ち望んでいるのではないか男は。現在の男のその行状を度の過ぎたいたずらと見なしながらもその心性をそんな風に想像して描きかけたが中途で放棄した。興味がつづかなかった。白状すればいたずらというものに対する嗜好を私はついこの間といってもいいほどまで長くもちつづけてきた。反抗や純粋という美辞麗句をつけてもつけなくてもだ。私の仕掛けによって他人が翻弄されることあるいは翻弄されたかにこちらが一方的に思いなすことに異様なほど執着をもちつづけあるいは意義づけてきた。彼の仕草一挙手一投足を細大漏らさず観察し凝視し記憶にたたきこむことつまり眼の前の彼の逐一の変化は私の仕掛けのどこそこに関係づけられるのだという牽強付会の自説に陶然となりながら快感を合着させつつ彼と一体になること。彼の崩壊に一部始終つき合うこと。そんな妄想に血道をあげたことがあったにはあった。そこでは世界と私との関係が彼と私との関係に縮小し縮小することでかえって濃密になりそこで勝利すれば世界にも勝利できるのではないかという思いこみに私は支配されたものだった。だが萎えた。興味の腰が折れた理由はわからぬが一旦興味をうしなった彼我の世界を興味を梃子にして語ることなど想像することなどできない相談だった。私は男を軽蔑した。寸断するように大して理解もせずに軽蔑した。私は男に勢いよく手をふって車に戻りその場を後にした。
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