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2007.05.26
青年と組織と行動(メモ)
青年が自己や世界の救済について理念的に興味を持つ、あこがれる。また同じような傾向をもつ青年がいて群れ集う。他方では、そういう青年たちを領導し、方向づけようとする指導者なり組織なりがある。いつの時代でもみられる風景だ。その昔のマルクス主義からオウムのような特異な宗派集団まで、規模の大小やら、社会体制への順応度のちがいなど、それこそ千差万別の組織が入り乱れて存在する。
そういう青年が組織に加入したとして、まず目指すのは第一には組織が喧伝する理念と論理の習得である。ここには現に生活する社会の通念や規範意識、あるいは常識とは相反する主張が、組織固有の教えとして含まれることが大いにありうる。そうすると、ここで青年において自己内確執がはじまっても当然である。思考の糸に忠実にしたがえば矛盾を解くことができず、組織からの離脱に至る場合もあるだろう。
組織に加入した青年が目指す第二は、組織が要請する行動への積極的な取り組みである。示威行動(デモ、集会、ストライキ等)や宗教的意味での修行と呼ばれるもので、自己の参加のみならず、多くの人々に呼びかけて参加を勧誘する。カンパ、お布施と呼ばれる資金集めも、行動に含まれる。組織を拡大したり維持したりするのには資金的支えが不可欠だ。ともかくも、そういうさまざまな行動形態に参加者はつき合わされる。
そうした行動のある部分において、強圧的だったり、暴力的色彩を帯びるならば、当然の如く社会の大部分は反発や非難を浴びせることになるだろう。またそれ以前から、組織のかかげる理念に批判的であった人々もいるので、これらの人々が、組織の理念とともにそのあり方に対してもさらに非難をかさねるだろう。(勿論、すべての政治や宗教的な組織が、私がここで書くような暴力的傾向にあるとはかぎらない。だが私は、私の念頭にあるモデルケースについてもう少し書いてみる)
すると、組織の側も参加者(構成員)をひるませないために、彼ら参加者に闘争心と確信を注入しようとする。思想はより単純化され、繊細さは捨てられる。洗脳である。また、敵対する組織の外の社会や別の組織に対してのみならず、参加者(構成員)に対しても暴力的強圧を加えることも少なくない。恐怖支配を作動させ、組織からの離脱の意思を封じ込める。この段階においては、もはや青年は純粋思考的に針路を選択することはできなくなっている。正しいかどうかではなく、当の組織にいつづけるかどうかの選択であり、「踏ん張れる」かどうか、なのだ。少し先の未来が見えてきてひるむこともあるだろう。極論すれば「俺はどうなってもいいんだ」という覚悟のみが、その場に青年をいさせられる。
外側からざっと眺めて、組織や青年がいかにも頽廃におちいっているように見える。だが組織や青年の内側から眺めた場合は「踏ん張る」ことは強靭さそのものとして受けとめられる。「強靭な精神」は組織が説き、かつ賞揚するものである。そして、そういう強靭さは外部的現実のなかの行動と結びつくことによってのみ実現され、はじめて「強靭」と呼ばれるものである。別角度から見れば心象のなかにある強靭さは、そういう現実的行動の照り返しである側面が大である。行動に身を呈することの連続性が強靭さを結果的に招来せしめるといえる。だから内部がいくらすり減っていようと、貧しかろうと、行動に結び付く状態がつづけられる限りは、外観的には強靭さは、かろうじて保たれることになる。
組織的行動の「正しさ」という側面はどうなるのか。行動に忙殺される青年には点検する余裕がないが、近い過去にそれを行った記憶があり、それに依存する。また個人以前に組織が「正しさ」を説く。青年はそれにも依存しゲタを預ける。当然であるが「正しさ」を頑迷に主張することも行動そのものである。
そういう青年が組織に加入したとして、まず目指すのは第一には組織が喧伝する理念と論理の習得である。ここには現に生活する社会の通念や規範意識、あるいは常識とは相反する主張が、組織固有の教えとして含まれることが大いにありうる。そうすると、ここで青年において自己内確執がはじまっても当然である。思考の糸に忠実にしたがえば矛盾を解くことができず、組織からの離脱に至る場合もあるだろう。
組織に加入した青年が目指す第二は、組織が要請する行動への積極的な取り組みである。示威行動(デモ、集会、ストライキ等)や宗教的意味での修行と呼ばれるもので、自己の参加のみならず、多くの人々に呼びかけて参加を勧誘する。カンパ、お布施と呼ばれる資金集めも、行動に含まれる。組織を拡大したり維持したりするのには資金的支えが不可欠だ。ともかくも、そういうさまざまな行動形態に参加者はつき合わされる。
そうした行動のある部分において、強圧的だったり、暴力的色彩を帯びるならば、当然の如く社会の大部分は反発や非難を浴びせることになるだろう。またそれ以前から、組織のかかげる理念に批判的であった人々もいるので、これらの人々が、組織の理念とともにそのあり方に対してもさらに非難をかさねるだろう。(勿論、すべての政治や宗教的な組織が、私がここで書くような暴力的傾向にあるとはかぎらない。だが私は、私の念頭にあるモデルケースについてもう少し書いてみる)
すると、組織の側も参加者(構成員)をひるませないために、彼ら参加者に闘争心と確信を注入しようとする。思想はより単純化され、繊細さは捨てられる。洗脳である。また、敵対する組織の外の社会や別の組織に対してのみならず、参加者(構成員)に対しても暴力的強圧を加えることも少なくない。恐怖支配を作動させ、組織からの離脱の意思を封じ込める。この段階においては、もはや青年は純粋思考的に針路を選択することはできなくなっている。正しいかどうかではなく、当の組織にいつづけるかどうかの選択であり、「踏ん張れる」かどうか、なのだ。少し先の未来が見えてきてひるむこともあるだろう。極論すれば「俺はどうなってもいいんだ」という覚悟のみが、その場に青年をいさせられる。
外側からざっと眺めて、組織や青年がいかにも頽廃におちいっているように見える。だが組織や青年の内側から眺めた場合は「踏ん張る」ことは強靭さそのものとして受けとめられる。「強靭な精神」は組織が説き、かつ賞揚するものである。そして、そういう強靭さは外部的現実のなかの行動と結びつくことによってのみ実現され、はじめて「強靭」と呼ばれるものである。別角度から見れば心象のなかにある強靭さは、そういう現実的行動の照り返しである側面が大である。行動に身を呈することの連続性が強靭さを結果的に招来せしめるといえる。だから内部がいくらすり減っていようと、貧しかろうと、行動に結び付く状態がつづけられる限りは、外観的には強靭さは、かろうじて保たれることになる。
組織的行動の「正しさ」という側面はどうなるのか。行動に忙殺される青年には点検する余裕がないが、近い過去にそれを行った記憶があり、それに依存する。また個人以前に組織が「正しさ」を説く。青年はそれにも依存しゲタを預ける。当然であるが「正しさ」を頑迷に主張することも行動そのものである。
2007.01.16
葬儀
生前一度もお目にかかったことのない方のご葬儀に何回か参列したことがある。仕事の上でつき合いがある人の親族の方のご葬儀である。仕事の関係者に義理を欠くことをおそれてのことで、祀られるご本人よりもその方の方を強く意識する場合が多い。不謹慎なことだが、哀悼の意を表するというよりも、そこに参列しなければという気持ちがより多くを占めるものだ。ご親族一同がそろって参列するなか、私は後ろの方のたとえばパイプ椅子に神妙にして座る。そのときは私は、群のなかの一員だと既に思ってしまっている。その位置から御遺影をとおくに拝見する。だが、たとえば僧侶のお経が読まれるなか、焼香の段階になって、順番にしたがって線香台と祭壇の前に、御遺影の近くに赴くことになる。そのときに微妙な変化が私のなかで起こってしまう。
葬儀とはやはり一対一の対面の場がかならず設けられているもので、決して一人と「群のなかの一員」の関係がすべてを占めるのではない、むしろ前者こそが葬儀の本質に値する部分なのだ。そのことにあわてて気づかされる。そしてお相手がご逝去された方だという認識も徹底してもいない。御遺影は無論生前に撮られた写真だから、また堂々とした身構えに見えて「初めまして、よろしく」と声にこそ出さないが、そんな心構えになってしまう。「初対面 」だから「お前、何しに来たんだ」と御遺影から睨まれているような気がするものである。だがやはり、そういう挨拶ではふさわしくないと当然ながら思い直して、「やすらかにお眠りください」という祈念の気持ちに切り替えようとはするのだが、時間はすでに線香を少量ずつ何回に分けてたし終わり合掌の段階まで来てしまっている。切り替えたあとの気持ちがどっしりとしたものになる時間的余裕がないのだ。せめて、丁寧さと哀悼の意をこめてふかぶかとこうべを下げるのだが、ぎこちない感覚がどうしても残ってしまう。
葬儀とはやはり一対一の対面の場がかならず設けられているもので、決して一人と「群のなかの一員」の関係がすべてを占めるのではない、むしろ前者こそが葬儀の本質に値する部分なのだ。そのことにあわてて気づかされる。そしてお相手がご逝去された方だという認識も徹底してもいない。御遺影は無論生前に撮られた写真だから、また堂々とした身構えに見えて「初めまして、よろしく」と声にこそ出さないが、そんな心構えになってしまう。「初対面 」だから「お前、何しに来たんだ」と御遺影から睨まれているような気がするものである。だがやはり、そういう挨拶ではふさわしくないと当然ながら思い直して、「やすらかにお眠りください」という祈念の気持ちに切り替えようとはするのだが、時間はすでに線香を少量ずつ何回に分けてたし終わり合掌の段階まで来てしまっている。切り替えたあとの気持ちがどっしりとしたものになる時間的余裕がないのだ。せめて、丁寧さと哀悼の意をこめてふかぶかとこうべを下げるのだが、ぎこちない感覚がどうしても残ってしまう。
2007.01.14
にがい記憶
高校2年のときである。私はその頃過激派の活動家だった。仲間は10人ほどいただろうか。何かきっかけがあれば「デモに行かないか」と人によく声をかけていた。大部分の人間は私の誘いには乗らなかったし、乗っても1回デモに参加したきりで、あとは相手にしないことが常だった。そんななかで私は1年後輩の知人を学内で発見した。同じ中学で私が2年のときに生徒会活動を一緒にした仲間だった。2年の後期のことだから、2学期のまんなかから3学期までの期間だったと思う。生徒会活動といってもクラブ活動のようには毎日はない。何かの行事や打ち合わせのたびに顔を合わせていた。記憶は曖昧だが、平均して週に一度くらいの顔合わせだっただろうか。3年になってからは私も彼も、生徒会とは無縁になったので、何か一緒になってする、ということはまったくなかった。
その彼が同じ高校へ進学してきたのである。仲間になってくれるかもしれない、と私は思い、彼を喫茶店に誘って機関誌に書いてあるようなことを一方的に語った。そしてもう一度会おう、ということで彼もしぶしぶうなずいた様子でその場は別れたのである。だが1週間くらいのちに彼は電車に飛びこんで自殺してしまったのである。知ったのは新聞記事からで、関係者の話として三派系の先輩高校生からの誘いを苦にしていたことが原因ではないかとの指摘があった。先輩とは私のことにちがいなかったが、まったく信じられない思いだった。まさにあっけにとられた。
そのときの私はどう考えたのか。原因をつくったのはたしかに私だったが、私には責任はない、という風に結論づけた。奇妙な言い方かもしれないが。私は彼の以前にも以後にも何十人という人(主に高校生)に声をかけてまわったのであるから、それを自殺に結びつけられて責任をとらされることには強い抵抗感があった。しかも彼と話し込んだのは一回きりだ。(記憶にまちがいがなければ)彼はあまりにも脆弱だったのだ。原因の根本はそこにあり、その見方は今も変わらない……。だがわりきれないものはずっと尾を引いている。ときどき彼のことを思い出すことがあるが、酒を飲んで感傷的になると「おれが殺してしまったのか?」との思いがつのることもある。だが素に戻るとやはり責任をとろうという気持ちには正直にはなれない。責任を背負おうとすることに私は私の内部に欺瞞を見てしまうのだ。客観的に見ても私には彼の自殺の責任はないとおもうのだが。
今、悔やまれることがあるとすれば、彼の葬儀に出席しなかったことである。彼の遺族から非難されることを当時はおそれたからだろう。(彼の同級生に事情を聴きに行くこともしなかった)また、それ以前に哀悼ということの大事さを、当時の私はまったくわかっていなかったからでもあるだろう。私は彼を意識からとおざけた。隆盛だった学生運動の流れに乗り遅れまいとして、前へ前へと進んでいった。エネルギーに満ちた頃であり、立ち止まることをおそれたからである。つまりは私は、彼の問題以前に、若さなどということが理由にはなりえない、がさつで未成熟な人間であった。それはやはり今もにがい。
その彼が同じ高校へ進学してきたのである。仲間になってくれるかもしれない、と私は思い、彼を喫茶店に誘って機関誌に書いてあるようなことを一方的に語った。そしてもう一度会おう、ということで彼もしぶしぶうなずいた様子でその場は別れたのである。だが1週間くらいのちに彼は電車に飛びこんで自殺してしまったのである。知ったのは新聞記事からで、関係者の話として三派系の先輩高校生からの誘いを苦にしていたことが原因ではないかとの指摘があった。先輩とは私のことにちがいなかったが、まったく信じられない思いだった。まさにあっけにとられた。
そのときの私はどう考えたのか。原因をつくったのはたしかに私だったが、私には責任はない、という風に結論づけた。奇妙な言い方かもしれないが。私は彼の以前にも以後にも何十人という人(主に高校生)に声をかけてまわったのであるから、それを自殺に結びつけられて責任をとらされることには強い抵抗感があった。しかも彼と話し込んだのは一回きりだ。(記憶にまちがいがなければ)彼はあまりにも脆弱だったのだ。原因の根本はそこにあり、その見方は今も変わらない……。だがわりきれないものはずっと尾を引いている。ときどき彼のことを思い出すことがあるが、酒を飲んで感傷的になると「おれが殺してしまったのか?」との思いがつのることもある。だが素に戻るとやはり責任をとろうという気持ちには正直にはなれない。責任を背負おうとすることに私は私の内部に欺瞞を見てしまうのだ。客観的に見ても私には彼の自殺の責任はないとおもうのだが。
今、悔やまれることがあるとすれば、彼の葬儀に出席しなかったことである。彼の遺族から非難されることを当時はおそれたからだろう。(彼の同級生に事情を聴きに行くこともしなかった)また、それ以前に哀悼ということの大事さを、当時の私はまったくわかっていなかったからでもあるだろう。私は彼を意識からとおざけた。隆盛だった学生運動の流れに乗り遅れまいとして、前へ前へと進んでいった。エネルギーに満ちた頃であり、立ち止まることをおそれたからである。つまりは私は、彼の問題以前に、若さなどということが理由にはなりえない、がさつで未成熟な人間であった。それはやはり今もにがい。
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