大洋ボート

桐野夏生『抱く女』

  杉浦直子は大学生で、大学の近くであろう吉祥寺という街にときどき姿を見せる。麻雀に興じたりジャズ喫茶を愛好する仲間がいるからだ。人数的には男のほうが多く、飲食をともにすることもあって、泥酔のあげく男と性的関係をもつこともある。直子にとっては性の敷居は低い
  時代は1972年後半で、連合赤軍事件が明らかになった年だ。学生運動の退潮期で、直子は学生運動に親近感をなお残すもののセクトに入って活動することはなく、そうかといって授業をこまめに受講することもなく、クラブ活動にも参加しない。学生時代のかぎられた時間の自由さを満喫したい気分なのだろう。大した目的もなく、ただ遊んでみたい。だが麻雀なら強くなければ面白くなく、金も減る。ジャズならばうんちくを傾けるほどの知識豊富な輩がいる。大音量のジャズ喫茶に小難しい本をもちこんで文字を追う学生もいる。何歩も先を行っている人やらマネができない人がいる。つまりは遊びといってもそこには壁がたちはだかるらしい。遊びとは自己本位の快楽をもとめることであり、その志向を持った人が集まれば、そこにおのずから「仲間」が形成されるということになるが、直子はどうやらそういう自然な仲間意識がもてない。それを直子がどこまで自覚するのかはわからないが、仲間意識をもっと共有したいという気があってそこに参加しつづけるのではないかと、わたしは読んだ。
  1972年。学生が言葉を失った時代かもしれない。言葉が見つけられなければ、せめて行動やら気分やらで、ゆるやかでも仲間意識を共有したいという漠然としたままの希望が頭をもたげるのは、わかる気がする。
  直子の性がゆるいのは、性が男によって自分という女が認容される重要な契機と感覚的に見なされるからで、それが延いては仲間意識につながるであろうとの希望に基づいている。泉という女友達との会話では「何かさ、女って男に欲せられていること自体に酔うんだよね」「男が自分を欲していることで、自分という女が成り立っているような錯覚を起こすんだよね。アイデンティティの確認してるのかしら」また「ラブレス」のセックスともいう。だがそんな直子に打撃を与える言葉が耳に入ってくる。遊び仲間の男の誰かが直子を「公衆便所」との陰口を言って、それが男たちに共有されているらしいのだ。直子にとっては侮辱以外ではない。男によって直子は「性の捌け口」として安直このうえなく扱われたので、それによって仲間意識が形成されるどころではないことが衝撃的にわからせられる。
  小説は直子に寄り添って書かれるので、男の学生が直子をどう見なすのかは直接の言及がないが、おそらくは扱いかねたのだろう。麻雀も強くなく、ジャズに深入りする気配もなく、それでいて自分たちに近づいてくる。ちょっと理屈っぽいところもある。誘いをかければ比較的楽に応じてくれる、というようにそれ以上には理解しがたい女だったのだろう。遊びにのめりこむことが男たちの中心目的ならば、他人を理解しようとすることなど思いの範囲外だったのだろうか。客観描写よりも会話に比重を置いた小説であり、直子と女性とのそれにおいては、直面する問題を掘り下げようとする意欲が双方ともに露わになるが、遊び仲間の男性との間ではそれは少ない。男が上辺を取り繕うのか、遠慮するのか、言葉に迷うのか、直子としては男の饒舌を期待しながらみずからは多く語らないのか、判然としない。直子を男たちがもてあましたと推測するしかないのだ。
  このことをきっかけに直子は遊び仲間からとおざかる。だが別の男と意気投合して飲んで泥酔したり、大麻に手を出したりする。なかなか足を洗えない。泉のボーフレンドが学生運動の関連で自殺する。こういうことも、あの時代あった。
  やがて直子は恋人と真にいえる男とめぐりあえるが、一方では早稲田の革マルに属する次兄が内ゲバに巻き込まれるという事件に遭遇する。ここからが後半部分で、小説らしくストーリーを追う展開になるが、やや平凡な印象が拭えない。わたしには前半部分が秀でていると読めた。あの時代、わたしも麻雀やジャズ喫茶の文化に少し触れてみたが、間もなく後退した。ゲームや音楽になじめなかったことが一番の理由だが、言葉をうしなった自分を意識させられたことと、ともすれば、それをすぐ目の前に居る「仲間」に無意識裡にもとめてしまうことがわかって自己嫌悪に捉えられたからである。

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桐野夏生『夜の谷を行く』

  西田啓子は元連合赤軍のメンバーの女性で、六〇歳代。何年間かの刑務所生活を経たのち、学習塾をひらいて生計を立てていたが、現在は無職。独身で一人のアパート暮らしで、スポーツジムに通ったり、図書館で本を借りたりが楽しみのひっそりした生活をしている。だが法的制裁の期間を終えたとはいうものの、その痕跡はいまだに周囲に影を落とす。両親が早死にしたことや、妹夫婦が離婚に至ったことも啓子の経歴が原因であるらしいし、妹の娘・佳絵が結婚にさいして啓子からはじめてそのことを打ち明けられて、佳絵からまたしても非難される。啓子が結婚式に出席すべきかどうか、妹や娘と啓子とのあいだで確執が起る。時は二〇一一年。東日本大震災の年であり、また啓子にとっては関わりがあった連合赤軍最高幹部の永田洋子が獄中で病死した報も舞い込んできた年でもある。
  重大犯罪に関わったことを特に身内はいくら歳月を経ようとも忘れてくれない。憔悴を引き摺ったり、思い出したように怨嗟を投げかけてきていつまでたっても和解できない。世にはこういう例は多いのだろう。本人は寧ろ、自分の生を支えようとするのだから、後悔や自己卑下ばかりしていられない。事件の深部をくりかえし見据えつつ、疚しさばかりではなく、わずかばかりであってもそこに真水のような清純さを見出そうとするのではないか。厳しい批判に正面切って反論するということではなく、批判を甘受しつつも、全面的に否定の底に沈められたくはないという思いだ。死刑囚にだって生きたいという思いはあるだろう。生への欲求が、過去に向って一滴の真水をもとめる。理解してもらいたいのではなく、無理解の広がりのなかで、ひっそりとした孤独の生活において根気よく、それを追求していくしかない。逆に「言語化できない」という啓子のセリフがあるように、過去を安直に語ることも勿論、慎まなければならず容易な営為ではないのだが。桐野夏生は啓子を、そういう志を持った人(女性)として描いたと読め、わたしは好感をもった。
  居所を隠していたつもりだったが、熊谷という昔の仲間から電話連絡が入る。フリーライターの古市なる人物も啓子に接触をこころみてくる。「永田洋子を偲んで送る会」なる催しへの参加を熊谷から懇請されるが、啓子は断る。啓子は森恒夫や永田やらまた他のメンバーを、一部の人を除いて、ことごとく不信感があって嫌っているようだ。自分の思いを容易に「言語化できない」という思いがあるのだろうし、昔の仲間とはいえ、他人の意見を押し付けられるのも、共同行動への参加を要請されるのも拒絶するようだ。山岳アジトには参加しなかったものの事実婚相手だった久間とも再会する。啓子は左翼もふくめた一般的な批判に迎合する手紙を刑務所に送ってきた久間を許す気はなく、冷酷だ。妹が啓子を許さないのに対応するかのように。だが下半身に障害を負った久間にたいしては同情的で、一時のデートをし、しだいに心がほぐれていくかのようで、この部分も共感できた。
  古市によって昔の仲間の消息が知らされる。多くの人が名前を変えてひっそり暮らしている。なかには自殺した人もいる。啓子はやがて意を決して、いっしょに脱走した君塚佐紀子に会いに行く。彼女もまた名を変えている。結婚しているが、家族は君塚の素性を知らないままだ。君塚をはじめ、啓子は自分が「永田の右腕」のような存在として永く誤解されていたことに気づかされる。とはいえ、君塚は忌憚なく話し合うことができ、そのなかで誤解も解ける。連合赤軍のメンバー全員にとって、森や永田は恐怖の存在で、いつ何時総括にかけられるかもしれない不安に苛まれつづけたのだ。言葉と行動の端々に用心しなければならず、ときには迎合することもあった。誰もが他のメンバーを誤解し、自分が誤解される種を撒かざるをえなかった。そうしてしか生きのびることができなかったのだ。
  啓子が山行きに参加したのは、子供を「革命戦士」として山で育てるという理想に共感できたからだという。彼女は妊娠三カ月だった。啓子だけではなく、多くの「女性兵士」もまたその目的に賛同したという。(事実として、総括死された金子みちよも妊娠中だったし、生後数か月の赤ちゃんを連れてきた女性もいた)その出発点には曇りがないとの啓子の思いだ。終わり近くにきて、ようやく啓子のこの内心の思いにたどり着き、ほっとした気になれた。わたしも以前、連合赤軍関連の本を何冊か読んだが、こういう視点を持った女性や、その参加の動機と直接つながる言説を見出すことはできなかったが、桐野夏生の女性的関心ならではの視点が、おそらくはかかるフィクションに向かわせたのだろう。連合赤軍に限定することもない、桐野夏生の七〇年代女性解放運動への関心と執着がこの長編を書かせたのか。それはまた現在という時代にたいする問題提起でもあるだろう。 


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