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清岡卓行「サハロフ幻想」森川譲「ホロゴン」宮尾登美子「満州往来について」

  清岡卓行は一九二二年大連生まれ。巻末年表によると<一九四三年、徴兵検査と召集のため本籍地高知に赴くが即日帰郷となり休養。四四年、(東京)大学入学。>とある。つまり二十歳を超えるまで大連で過ごしたと思われ、その土地への追憶と執着は強いようだ。単に生地というにとどまらず、豊かで幸福な生活があったにちがいないと、読んで自然に納得させられた。その地を戦争によってやむなく去らねばならない悲しさ、やりきれなさを、日露戦争真っ只中の大連市長のサハロフに託して描かれる。それは清岡自身の核心の感情であることは疑いえないが、土地と建築物への愛惜に限定した形式で描かれるので、サハロフという人はもってこいだ。何故なら彼は、ロシアの租借地となった大連を自身の構想した都市計画にもとづいて建物やら道路やら、それにアカシア並木やらをつくりあげた指揮者、責任者であるからで、後に市長になった人であるからだ。ロシア風にドイツ風を加味した都市づくりであったという。そうした大連の街並みや風景を清岡もまた生まれて以来愛し、なじんだ。清岡はサハロフの詳しい人となりは知らないという。ただ大連という街への一方ならない愛惜を持っているであろうことを「幻想」すれば足りるというのだ。清岡にとってもサハロフにとっても人的交流の濃密さがあったであろうが、ここではそれは省略される。それがすっきりした印象をかえって与えるのだ。
  作者はサハロフに倣って大連を終始、ロシア語呼称「ダーリニ」と呼ぶ。一九〇四年五月、日本軍の攻勢によって占領間近となったダーリニのロシア人五〇〇名が終結して旅順までの四〇キロを徒歩で避難していく。その避難路を、戦後何回か訪れたであろう作者があらためて書き手としてたどっていく。サハロフが設計し工事を指揮した市役所や市庁舎がある。また工事途上の建物や道路、計画が確定したもののまだ着手されないそれらが細やかに語られる。近接する過去と未来にもふれられる。平明な語り口のなか、わたしには気持ちがいま一つ入っていけなくもなかったが、不意をつかれたというのか、感動に見舞われたのは、その年の二月、ロシア軍が敷設した水雷にロシア軍巡洋艦が触れて爆発し、八〇数名が死傷者となった事件である。痛ましさがなんとも自然にこみあげてくるのだ。日本とロシアの戦なら、通俗的なナショナリズムにしたがうならロシアのオウンゴールに日本人は快哉をあげても不思議ではないが、ここではまったくそんな気にはなれず、ロシア人に同情し、悲痛さに撃たれたのみだった。人が死ぬことの痛ましさに今さらのように気づかされた。初出「群像」一九八三年七月号。後に単行本『大連小景集』に収録される。
  森川譲は一九一〇年生まれで、同じく巻末年譜によると<一九三八年、蒙古政府の官吏となる>とある。そのときの見聞が反映されたのであろう、日本人教師の人道主義的な活動ぶりが、蒙古人生徒の眼差しをとおして描かれる。少数の人同士の濃密なつながり。それが中心となり、伝聞となって広がりをえて、さらに人が集まってくる。こういうことが納得でき、さわやかにさせられる。もっとも、戦争期だから、死に直面する危険はやはり描かれる。
  教師倉田の評判は蒙古の青少年のあいだでは上々であるものの、中国軍との戦いは継続しており、日本兵も地域に根を下ろしている。その支配下の蒙古人も日本側について戦わなければならない。だが日本兵は略奪や婦女暴行など悪行をくりかえし、彼等の不信と憎しみを買う存在になりさがってしまっている。侵略主義・帝国主義そのものだ。そんななか倉田は、負傷し捕虜となった中国兵を日本軍の反対を押し切って治療を受けさせることで、蒙古人のみならず、中国軍からの畏敬すべき人として知られることになる。おかげで倉田自身が捕虜となったときも、八路軍(共産党系)への入党を固辞したにもかかわらず釈放される。
  さらに倉田は冒険的な行動を、志を同じくする教師や医師とともに起こす。蒙古のさらに奥地に赴いて、教育はもとよりその地に根を下ろして村づくりの支援をしようとする。中国軍が頻繁に出没する場所で、日本軍も反対するものの上級将校のお墨付きをもらっているので主張を押し通すことができる。八路軍との私的協定も成立して、ここでも倉田らは村の民生向上に成功する。題名の「ホロゴン」は書き手のボインバトルフのあだ名で意は鼠。ホロゴンは最後まで、終戦により倉田が収容所に入れられるまで行動をともにする存在だ。八路兵を殺してしまった倉田の助命のためにみずからの死を覚悟してまで奔走する教え子でもある。倉田にとっては、また作者森川譲にとっても蒙古の(あるいは中国大陸全体の)日本軍はたいへん恥ずべき存在であり、逆に一日本人として誇るべき足跡を残したかったという思いがあったのであろう。ただ、わたしは戦争期における少数の日本人のこういう英雄的人物像にそろそろ飽きてきている。
  宮尾登美子の作品は、高知に住む娼婦斡旋・紹介を生業とする主人公の語りによる。一言でいうと、満州という地のおそろしさ、底知れなさを描き出そうとする。野望と智謀があればその地でのしあがることができる。日本本土にあっては、それは自然にもみえる相互監視のシステムがはたらいて、無意識に抑制されるものの、満州においてはそれがない。ひと旗揚げ金儲けに成功した人間が先に居ついていて、彼等のやりかたに学び、あるいはその空気に呑みこまれるならば、ハメを外すことや悪行に手を染めることに抵抗がなくなり、さらに意気揚々として続行しようとする。人間が変貌する地としての満州だ。
  公的売春制度があった時代だ。希望者の窓口となり、親の諒解をとりつけて前受け金を渡したり、管理業者間の女性の移動を引き受けたりするのが主人公の仕事。貧窮に苛まれた家庭にとっては娘さんを売ることで大金を手にできるのは救いといえるので、主人公はこの点では人助けだと自負する面もあり、またもぐりの業者が暗躍して女性を虐げるのを仄聞すると、いやな思いもさせられる。つまり商売を逸脱しないものの常識と良心は持ち合わせている。そして長く多くの人と接してきた経験上、人への観察眼がある。また彼は何回か渡満してかの地の日本人や「満人」の醸し出す空気にも接する。こうした主人公の目をとおして、怪しげな人間の行状が推理もまじえて描かれる。
  粂原という戦友がいる。日露戦争に同時期に従軍した男で本土に帰ってからも遊び仲間としてつきあいがあった。二人とも無類の博打好きで、二人とも警察にあげられたことがあるという始末。ガソリンを口から吹いて点火するという見世物芸人をひきつれての興行が本業だったが、うまく行かず。やがて姿を消したと思ったら、その九年後、満州・新京の有名な料亭玉乃尾楼(芸妓が多数いて売春も行われる)の主となっていることが知れる。さらにその粂原の店に、主人公が世話をした若い三姉妹が務めることになる、というのが主線の筋。長女が勤めになじめずにうつ病気味になりはてるのはさもありなんと思わせ、三姉妹は粂原の乱暴な扱いにも抵抗して、他店への移籍を手紙で主人公に訴えてくる。粂原と三姉妹に会うために新京に旅する主人公。(例えば、粂原は三人を同じ部屋で屏風二枚で仕切りを設けただけの状態で交合させることがあった)
  主人公の観察と推理によって粂原の悪行があぶり出されてくる。確たる証拠はないものの、彼は殺人に手を染めたかもしれないという疑いが浮上する。博打好きで一獲千金を画策するという、本土での従来の粂原の人となりに素地があったのかもしれないが、それにしても飛躍がある。満州という地の底知れなさが彼の背を押したのではないか。侵略的・暴力的だったのは軍隊だけではなく、民間人のある部分も与したのだ。また、やがて三姉妹の全員が身請けの男が見つかったり、借金を完済したりでその稼業から立ち退くことができるが、次女だけがふたたび主人公の長男・健太郎によって新京で目の当たりにされることになる。粂原が健太郎を誘った妓楼に次女はピーヤ(中国人娼婦)の服装をして現われるのだ。次女ははたして粂原に寄り添おうとするのか、逆に復讐を果たそうとするのか、謎のままで終わる。この大胆さのみで、次女の変貌ぶりは十分に伝わる。粂原と同じく、次女もまた満州という地にみずから溺れて行ったことが主人公によって窺われる。
「ホロゴン」の初出は一九四八年二月「夏目漱石賞当選作品集」宮尾登美子「満州往来について」は一九七六年七月「文芸展望」第一四号。「サハロフ幻想」もふくめて、いずれも戦後に書かれた。外国と日本人の関係ということで共通点がある。外国の地を郷土にしてしまった者の断絶感。そこには侵略者としての後ろめたさもつきまとう。「ホロゴン」は理想に燃える教師像で、通俗性はあるものの、本土では比較的楽であるかもしれない「良き日本人」であろうとしてのふるまいが当地では命がけになってしまう恐さがある。「満州往来」は逆に本土では感覚に上ってこないであろう魔性のともなう解放感が、不快感をともなって鼻に押し込まれるように提起される。


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長谷川四郎「張徳義」里見トン「みごとな醜聞」村上春樹「動物園襲撃」

   長谷川四郎「張徳義」は日本の満州国支配と日中戦争下における中国人下層労働者・苦力の存在に焦点をあて救い上げようとする。張徳義は勤勉な労働者でかつ楽天的で、稼いで家族に楽をさせたいと願う。人力車夫や材木伐採、炭鉱工夫などさまざまな職業を渡り歩くが、何をやっても薄給で、手元には自分の食い扶持しか残らない。日中の経営者が当たり前のように搾取するからで、最後に行き着いたのが、日本軍が管理するソ連国境近くの満州北西部の橋。その橋は軍事機密で通行禁止になっていたが、知らずに渡ろうとして拉致される。担当軍人は処刑も一考したが、「自給農場」設営に役立つとして張を生かし、その管理にあたらせる。捕虜の身分だが、一日の食事が「空き缶いっぱいの高粱とミガキニシン」という空腹を満たすにはほど遠い量だ。しかもねぐらと言えば馬小屋の隣の倉庫で、とても捕虜にふさわしい扱いではない。それでも張は働けば働くほどそれに見合う報酬をもらえるものと期待して懸命の活躍をする。開墾や草刈り、播種、冬になれば、仕掛けを作って凍った河で魚とりをしたりと。その地の少人数の日本軍にとっては、張はこのうえなく重宝な存在となる。だが彼の食事は以前のままである。釈放を要求するが、それもかなえられない。前々回紹介した八木義徳の「劉広福」では、会社の日本人管理者が苦力に人情豊かに報いたが、ここでは真逆にたいへん冷酷であり、日本軍人には何の後ろめたさもない。長谷川四郎は「劉広福」のような例は千に一つ、万に一つと言いたげだ。たまらなくなって張は脱走を試みるが……。
  戦後になって、日本人の作家や思想家は大陸における中国人支配の苛烈な実相を贖罪意識のもと、ようやくのように暴き出そうとしたのだろう。その問題意識の真面目さがたたみかけるような文体にも顕わになっている。初出は「近代文学」一九五二年八月号。
  里見トン(<弓享>で一字)「みごとな醜聞」は、満州からの敗走を余儀なくされる一組の日本人の男女が描かれる。人間関係がその過程で劇的に変化するさまがたいへん興味深い。
黒竜江省の牡丹江に赴任していた足立茂三郎軍曹は上官トップの浅野参謀長少将からじきじきに妻と娘を一足早く東京に連れて帰ってくれという密令を受ける。ソ連参戦の報に接した直後だからじつに慌ただしい。家族とはいえ、茂三郎にたいする階級差を意識して最初はお高くとまる二人の女性だが、目先のことが皆目わからずに足立にすがるしかなくなって階級差は消滅し、むしろ逆転する。携行してきた貴重品の品々も茂三郎の命によって売り飛ばされ、女性の外見を隠すために断髪もする。それらは大挙逃れてきた日本人の多くがわれ先に行ったことなので、二人の女は肯うしかない。途中娘が行方不明になるが、娘を探し回る暇はなく、自分たちが生きのびることの必死さに追われる毎日がつづく。多くの日本人にまじっての集団生活。年齢差のある「夫婦」と見られることの「ハタ目の悪さ」。物々交換やら弁当屋などの一時しのぎの仕事。さらに、夫人は40歳代なかばにもかかわらず浅野少将の子を妊娠中で、やむなく堕胎する事態も起こる。
  そうしたなか夫人は「男らしさ」を少しずつ身に着けていく。本名の「志保」をもじって茂三郎は夫人を「塩野」と呼び、夫人も「足立」とお互いに呼ぶようになる。翌年二人は本土に帰還できて、夫人は茂三郎の引率の下、親戚の家にたどり着く。
あらすじを記しただけではこの短編の巧みさを伝えられない。茂三郎は夫人を性愛の対象として見るのではない。そうしたい気持ちが出来心のように湧いて来はするが、失敗する。命令とはいえ女を道連れにするのは足手まといにちがいなく、また一方的に女に頼られることの鬱陶しさもある。自立というにはほど遠く、いっこうに成績が上がらない生徒をみる教師のような不満を女に抱いて、茂三郎は単独の逃避行を夢想することもあるが、それも断念する。命令に背くこわさがあるがそれだけでもない。一年足らずの間、寝食をともにしたことの縁はたしかにできた。しかし「縁」という言葉に封じ込めきれないかけがえのなさが、二人の間の親密さが、ふりかえると一種堅固にできあがっていた。同じ修羅場をくぐり抜けたことによってそれぞれが成長し逞しくなり下品になり、あるいは堕落した。茂三郎が命じ、夫人がおろおろしながら従うという関係がこの共時体験のなかで貫かれた。それがかけがえのないものとして本土に帰還したときに、あらためてふりかえられ、できれば持続させたいと二人に思わせたのだ。
  やがて二人は実質的に夫婦になる。この結末には驚かされたが、恋愛関係の延長と呼ぶには、そうにはちがいない要素もあるものの言葉としてためらわせるものがある奇妙さをもった、しかしこの社会に多くあっても不思議ではない男女関係といえる。わたしは自身の迂闊さを覚えた。「喜劇」(解説・川村湊)と呼ぶにふさわしいのか。
「みごとな醜聞」の初出は「改造」一九四七年一月号。満州の政治と軍事そのものを標的にするのではなく、書いたようにそれは人間関係の劇的変成の舞台装置としてある
  長谷川四郎は実際に兵としてソ満国境付近に配属されたと著者紹介にある。里見トンは旅行のみで大陸に居住したことはない。村上春樹にいたっては戦後生まれだから、旅行はともかくも、戦中における大陸に関する同時代情報に接したことはない。だからというのではないが、アジア・太平洋戦争の固有性へのこだわりは薄く、むしろ作者が感覚する現在という時代の不可解さを戦争のさなかにおける不可解さに置きかえることによって描き出そうとするのではないかと思えた。ただ、やはり両者の連続性がまったくないということでもない。
  一九四五年八月、ソ連軍がソ満国境を越えて大挙押し寄せてくる。敗色濃厚ななか、上海の動物園では虎、熊、象などの猛獣を殺処分することが日本軍によって命じられる。混乱を事前に回避するためで、最初は毒薬を使用する予定だったが動物園には在庫がわずかしかなく、やむをえず日本兵の一斉射撃の方針に切り換わった。上からの命令であるから遂行する以外にない。そのなかの一人の日本兵も同じ思いで、動物を射殺することになんら倫理的なうしろめたさを抱くこともなく、動物にたいする憐みも希薄だ。だが彼は射殺ののちに猛烈な不快感におそわれる。思わず地面に手をついて吐いてしまいたくなるほどの抗しがたい不快感だ。こんなことなら敵兵と射ち合い殺し合うほうがよほど楽だと断定できるほどに。それ以上の反応は彼自身からはうかがえないが、ただ彼は楡の木立の高みから「ねじまき鳥」という鳥の奇怪な鳴き声を耳にするのだ。これは、詩における隠喩にあたるものではないだろうか。世界にたった今印された拭いがたい汚点をかまびすしく知らしめる、しかし日本兵にとっては即座には理解しえない叫びとしての「ねじまき鳥」。無論、村上春樹はこの日本兵を責めるのではない。
  もう一人の動物園での重要人物の日本人獣医。普段は動物の健康に注意をはらい病気の治療をする役目だが、降ってわいたような殺処分命令に彼も混乱する。ただ彼は軍の命令は合理的と思っているようで、背く気配はない。彼は自身の感情を抑制することになかば成功する。銃殺が終わった後も「それほどの驚きも哀しみも怒りも感じなかった。実際のところ、彼はほとんどなにも感じてはいなかった。」彼のなかにあるのはただ「困惑」と「無感覚」だと作者は書く。獣医は理性的で、倫理的かもしれない。彼は愛情をそそいだ動物たちが虐殺されたことによって世界全体ががらりと変わってしまったことを正面から認識するものの、それほどの痛痒を感覚できなくなってしまった自身に困惑する。さらにこの世界は偶然によって成り立っていて、回転扉のどの位置に身を入れるかは個人では選択できない、その区分がどんな性質かは事後になってはじめてわかる、そんなものではないかという思いに突きあたるのだ。個人が世界を選択できないちっぽけな存在でしかないという思いはわかるが、それよりも重要とわたしが思うのは「無感覚」だ。無垢の生が一斉に殺され消滅してしまった。そういうことにかぎらなくてもいい、自分のなかで接する世界ががらりと変わってしまったにもかかわらず、その認識も感覚もあるにもかかわらず、感情が本格的に励起してこない、あるいは次なる行動への意欲が湧いてこないという不可解さだ。これは腹立たしい事態だが、容易には払拭できない心の世界として村上春樹は提示している。この部分だけをとりだせばニヒリズムにちがいない。
  「動物園襲撃」の初出は「新潮」一九九四年一二月号。後に長編『ねじまき鳥クロニクル』の一エピソードとして挿入された。
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水上勉「小ハイ」三木卓「われらアジアの子」

  成立しなかった友情というものがある。水上勉の「小ハイ」(「ハイ」は<子亥>で一文字。註によると、ショウハイは中国語で子供、息子、娘の総称でここでは小僧っ子を指す)は作者自身がモデルの主人公が、持病が悪化し斃れてしまって病院へ運ばれ、その場に居られなくなったのでせっかく育もうとした友情が頓挫してしまうという話だ。
  主人公は運送会社社員で、奉天駅で「苦力(クーリー)と呼ばれる中国人労働者を指図して貨物を取り扱う役割を負っている。「苦力監督見習い」という地位で、担当部署においては二人の日本人の先輩がいる。彼は十九歳で赴任まもないが、先輩社員の苦力の扱いがどなりちらしたり竹刀で乱暴に床をたたいたりして追い立てるやりかたに馴染めない。しかし反抗することもできずに、しだいに先輩の指導方法に少しずつ染まっていく。とはいうものの主人公にはためらいがあり、先輩に比べれば不徹底であり、自身でも憂鬱だ。そんななかリュウという事務所の雑役係の少年が目にとまる。年齢は十四,五歳で、主人公を「澄んだ眼ざし」で見つめることが強く印象に残る。リュウはおそらくは通常の日本人とはちがったやさしさを主人公に求めるのではないかと、主人公は推察する。声を掛けてみたいが彼は中国語ができず、リュウもまた日本語の勉強の途上であるもののやはり喋れないという両者の関係だ。もどかしいのだ。また主人公の青年が苦力にたいしてしだいに乱暴さを身に着けていくにつれて、リュウは青年に無関心になってき、青年のほうでもそれが推察されて無念さとともに感覚される。だが、二人がふたたび接近するときが訪れる。休日において町ですれちがったからだ。リュウは母親らしくみえる女性と二人連れだった。青年をみてリュウは照れなのか一人女性を残して逃げ出してしまう。後日、そのときのことを青年なりに漢文を紙に書いてリュウに手渡すのだが、リュウは喜びが仄見えるものの、やはり言葉を返さない……。
  厳しい職場環境のなかで、互いにおそるおそる近づいていく。リュウのほうも青年の好意に応えたいにちがいないと青年はうすうす実感できる段階にまで達する。たとえその関係が友情として固まらなかったとしても記憶は雲散するのではなく、かえって長い年月の中で刻み込まれる。これが青春の心の記念碑でなくて何だろう。うつくしい小編だ。<リュウが生きておれば、もう五十四,五の計算になる。ぼくの暦の根雪にうまって時々、顔をもたげる人のなかで、リュウも大事な人だと思う。>
  初出は「すばる」臨時増刊号一九七九年一月。ここで描かれる中国人労働者にたいする日本人の乱暴な指導ぶりは、戦中では書けなかったのかもしれない。

  三木卓の「われらアジアの子」も子供時代を満州ですごした作者自身がモデルになっている。初めのほうは満州の広大な原野とそこを貫く満鉄の線路、あるいは主人公の少年が鶏小屋に入って餌をやる場面など、みずみずしい印象がある。作者の郷愁でもあるのだろう。だがしだいに少年の心の影の部分が拡大されてくる。中国・朝鮮人にたいする差別・優越意識であり、ときには強く噴出する嫌悪と憎悪の感情であり、また彼等への怖れだ。
  子供は大人の世界を映す鏡だろう。大人の姿勢や意見が一面的で少数者の姿が視野に入ってこなければ、子供もまた大人と同質の一面性に染められる。そして子供はそのことに無自覚だ。戦争完遂で大人が一致すれば、子供もまたそれを前提にして将来をぼんやりと覗き込むことになる。健は小学校高等科の一年生でおそらく十歳。年下の小学生をひきつれて遊んだり、「報国隊」と呼ばれる子供の自主的訓練組織のリーダーとして活動したりする。外見は子供らしい元気さがあるものの、本人は色覚異常で飛行機関連の軍への入隊を諦めなければならなかった。将来は百姓くらいしかすることがないのかと悲観したりし、それが健の影の一つだ。だが自分もまた戦争に貢献しなければならない身であり、そのために中国人と朝鮮人を指導し、まとめていかなければならないと子供なりに考えている。題名の「アジアの子」の由来がここにある。
  子供はしだいに大人の世界に近づいていく。五条という健よりも何歳か年上の少年がいる。少年航空兵をめざす浪人で、小説をよく読んでいて子供たちに話してくれて、そのほかの方面でも大人の世界に子供を橋渡ししてくれるかに見えて、子供の興味や知識欲を満たしてくれる存在だ。戦争ごっこのリーダーとして子供たちに君臨し差配するときには、いじめに類したこともやらかす。そういう子供にとっての憧れの五条ではあるが、健は彼に虚偽と見栄を見抜く。たとえばポスター公募に入選したと自慢するものの調べてみるとそうではないことを。健はこうしてしだいに冷静さを身に着ける。それでも、五条の言はまだまだ健を揺さぶるところがある。朝鮮人が同じどんぶりで排泄と食事をするという話。にわかに信じられない健であっても、その話の強烈な刺激に立ち止まらざるをえない。五条が田んぼの蛙にしてみせる残酷ないたずら。蛙の肛門に麦わらを挿入して息を吹き込み、ぱんぱんに膨らまして球状にして田んぼに放つのだ。五条という少年の異常さなのか。それもあるのだろうが、わたしはむしろ子供時代の数歳の年齢差が、子供にとって大人時代のそれよりもはるかに落差があって見えることを思い出させられた。わずかに年齢が上がることによって、後ずさりさせられるような異常な別世界が人によっては何の気おくれもなく耽溺できるということだ。それに直面した健だが、彼が五条とやがて同じような人になるという意味ではない。
  この短編で肝心なことは、健の女性への興味と欲望である。向かいの家に満州恵(ますえ)という健よりも数歳年上の女学校の生徒がいる。しとやかな身のこなしでうつくしく、頬のそばかすが印象的で、健はそんな満州恵が好きで、姿を目にすると冷静でいられなくなる。欲望を抑制し誤魔化すことも子供が自身に課さねばならない習慣だが、やがて満州恵が襲撃されたことが小さな町全体に知れわたることになる。健は震える。心がひと塊に凝集してくる……。朝鮮人の子供の女性に対する興味。健の姉が病床においてうわ言で、自分の父は朝鮮人ではないかと母に訪ねたこと、それに先に記した五条の蛙にたいするいたずら、こういうことが絡まり合って健の最後の行動に傾斜していく。大人の異民族にたいする憎しみが健のなかでさらに増幅され、満州恵への愛も増幅される。唐突だろうか、わたしは連合赤軍事件を連想してしまい、読後感はよくなかった。
  高い木にのぼって満月に照らされた満州の曠野を健が一人で一望する場面は印象に残った。遊びの舞台の自然、ときとしてうつくしかったり、厳しかったりする自然。だが自分が(人間が)居なくても自然はそこに存在するというのだ。自然は冷たく、人には結局は何も語らず、それは人間にとって寂しいことではないのか。いやだからこそ、自分一人の足で立って生きねばならないのが人間だ。強引な読み方かもしれないが、健はそういう決意に促される気がした。全体的に細部がよく書きこまれていることも記しておかなければならない。
  初出は「文学界」一九七三年六月号

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牛島春子「福寿草」野川隆「狗宝」八木義徳「劉広福」

   満州国建国の1932年においてその人口は約3000万人。1940年の調査では約4100万人で、国別では中国人3888,5万人、日本人212,8万人とある。日本人の人口には朝鮮人130,9万人の朝鮮人がふくまれているので、移住した本土日本人は約82万人ということになる(ウィキペデア)。人口比だけを見ても日本人がいかに少なかったかがわかる。つまりは満州国を維持していくには日本国の強権的な軍事・警察機構の支配が不可欠であったことが容易に想像される。無論それだけではなく、中国人や朝鮮人との融和や保護、農業指導が必要であったことも記さなければならないが。 
   そんな環境のなかで開拓してまもない地や山岳地帯近くでは「匪賊」と呼ばれる中国人による襲撃に悩まされなければならなかった。牛島春子の「福寿草」は、主人公の警察官島田浩太郎が赴任した北満の小さな町が、「共産匪」によって絶望的な防戦に晒されるという話だ。共産匪とはソヴィエト式の軍事訓練を受けた一団のことで、土匪、兵匪と呼ばれる、おそらくは元々の犯罪集団や軍隊崩れであった者たちよりも屈強で洗練された戦いをし、土匪、兵匪をも糾合する組織でもあったらしい。町を包囲した彼等は絶え間ない銃撃によって接近してくる。島田は人々を県公署に集結させ、男たちを叱咤激励しまた銃で恫喝し応戦させる。女と子供は一部屋に集める。だが戦いは劣勢で、救援をたのむ電話も通じない。家屋はつぎつぎ放火される……。わたしが興味をひかれたのは、島田の満人(中国人)にたいする疑心が頭をもたげる個所だ。接近した匪賊と応戦する中国人が互いに中国語で罵り合うのを聞きながら、彼等が味方として最後までとどまって戦ってくれるのかという疑心だ。満州における中国人と日本人の絆はそれほど強くはないのではないかというのは、おそらくはほとんどの日本人の実感ではなかったか。平穏な時期であればこういう疑いは隠れるのであろうが、危機に直面すると人は率直に露骨になる存在だろう。敗北すれば、日本人は皆殺しにあうが、中国人は同国人であるから生け捕りに扱われることもありうる。島田はそんな想像に支配され、また同じ想像をしているのかもしれない、助命に望みをかけるかもしれない味方の中国人を疑い、同じ戦いのさなかで「その一種云いようのない孤立感」に墜ちこむ。日本人の仲間も同じ疑いを中国人に抱くようだ。
  島田は女たちに覚悟を言い聞かせる。殺されたり拉致されたりする前に集団自決することを。そのさいは島田が銃で彼女らを絶命させる手筈だ。にわかには感覚が入っていけないが、戦争中はその覚悟は日本人の日常に根を降ろしていたものだろう。たたかいは深夜から夜明けまでつづく。援軍の飛行機の目印つくりのため、白い敷布をひろげたなかに女性の赤い襦袢を丸い形にして敷いて日の丸にするというのも面白い。だが読者は笑っても登場者たちは哀れさを抱くようだ。必勝を信じて女性たちが朝御飯を炊くというのも、疎いわたしはそういうものかと思った。
  夜が明けて救援の騎馬隊がやってきて匪賊は退却して、ようやくたたかいは終わる。騎馬隊への連絡役として若い中国人が活躍する。助かった、生きることができたという実感が人々の胸に溢れかえる。危機を直前に潜ってきたからこそ以前にもまして生のありがたさ、素晴らしさ、偉大さがこみあげてくるのだろう。
  

人々は、今度こそ先を争って外に走り出た。久しく仰がなかったように人々は冷たい無限の蒼穹に輝いている太陽を仰ぎ深く深く息を吸い込み、抱き合い、泪を流した。
  (中略)
  命が、もう自分のものであって自分のものでなかった。一つ一つが民族の高い命に帰一され、民族の命と命がはじめてこの瞬間に手を握り合ったように思われた。百の理論を飛び越えて日本人と満州人とが本当に運命共同体であった。


  横溢する生の実感があり、中国人が共に最後まで戦ってくれたという固い「実績」がある。小さな町という集合体が一体となって戦い抜いたことでさらに凝集し、熱いひとかたまり「運命共同体」になった。だから「命が、もう自分のものであって自分のもので」なくなったのだ。個々の孤立は退き、個が集団に帰一する。興奮さめやらないさなかでの実感であっても、この実感は長く記憶に刻み込まれるであろう。唐突ではあるが、また規模は小さいが、反戦デモに参加したとき、類似した実感をえたことをわたしは覚えている。
  だがこの実感をことさら強調するのは短兵急な気もする。満州国の安定的持続のためには「運命共同体」としての実質を早急に獲得しなければならないという義務意識が働いたからではないか。「運命共同体」といい異民族同士の融和といい、それまで先行世代が獲得しえなかったからこそ慌ててかかる実感にとびついたのではないか。無論、そういう時代ではあった。「福寿草」の発表は1942年「中央公論」9月号で、戦意高揚のまっただなかだ。牛島春子は1913年(大正2年)生まれで、この年29歳。
  異民族同士の団結や融和は容易ではないことを、まして「運命共同体」はさらに困難なことをわたしたちは今の時代において知っている。まずはそれぞれの民族の自立がせめてものその第一歩になりうる。だが傀儡国家満州国は日本人の中国人支配の持続が大前提であり、また戦いに勝ちつづけなければ仮にも「運命共同体」は維持できなかった。
  野川隆の「狗宝(ゴウボウ)」と八木義徳の「劉広福(リュウカンフー)」は、日本の満州統治がようやく安定したかにみえ、したがって移住日本人も中国人とのつきあいに慣れ、その地での生活を満喫する幸福な境地が描かれる。だが好んで描かれる中国人は日本人に融和的であり、人一倍勤勉な人にかぎられる。彼等がいかにうすぎたない身なりで無教養であったとしても、日本人はそういう人を選別しもちあげる。日本人もまたイデオロギーにもとづいた説教を垂れるのではなく、仕事の実質を教え、中国人にありがたがられるという存在だ。
  「狗宝」とは中国人に万能の霊薬として崇められる高価な品で、「合作社」という農民の保護と指導に当たる日本人職員の主人公が、これに興味を持つことがはじまりだ。じつはこれがとんでもない代物で、牛蒡や朝鮮人参の類いではなく、内臓疾患に罹った犬が口から吐き出した小さな球状のもので、吐き出すと同時に犬は回復し、それを人が煎じて飲むと体調が回復すると信じられている。ほんとうに効くかは疑わしいが、体調不良で休職中の一人の勤勉な中国人に是非これを飲ませたいと主人公は思い、手に入れる……。ラストでは、主人公が荒野を移動中のトラックから狸をみつけて降り、鉄砲をかついで追いかける場面がある。満州の生活もまんざらではないといいたげだ。
  「劉広福」も信じられないような話。強度の吃音でしかも文盲で、巨大な体躯で童顔という特徴の劉をアセチレンガス製造の工場に採用するのが主人公の日本人。はたして満足に仕事してくれるのか危惧して最下級の雑役夫として雇ったのだが、劉はたちまち頭角をあらわしてきて、中国人と日本人双方の尊敬を集めることになる。工場が火事に見舞われたときも、危険をかえりみずに単身消火に当たるというスーパーマン的な活躍をする。
  野川隆も八木義徳も満州移住経験があるようだ。これら二編が体験に基づくのか取材からえたのかはわからないが、単身日本人の視線から描かれた日本にとっての好ましい中国人像であるにちがいない。個と個の日本人と中国人が信頼関係をつくりあげて、そこに周囲の両国人が蝟集してくるという構図だ。事実に近いとおもわせる手堅さはあるものの、また日本人の人情深さがゆったりと描かれているものの、個人の実感と実績を大事にしすぎるというのか、「小ささ」を感じてしまう。満州国全体を俯瞰してみせようとする意図はみられない。異民族融和という目標にすこしでも近づこうとして、まさに実感としてえられたことの歓びであろうか。だが、いかに情報不足であろうとも、満州国の存続を危惧する意識も多くの日本人に抱かれていたのではないだろうか。(徳永直「先遣隊」では満州移住による農業に確信がもてない中年農民についての記述がある)中国人が日本国と日本人を心底はどう思っているのか。思考をそこに転じると、ぞっとしないではいられないはずだが、戦争の時代だからそういう視点は封じてしまったのか。
   野川隆「狗宝」の初出は「作文」第五〇シュウ 1941年7月。八木義徳「劉広福」の初出は「日本文学者」1944年4月号。


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