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三島由紀夫「英霊の聲」

  戦前戦中にわたる国家体制、とりわけそのなかにおける天皇中心主義の領域における天皇と主に特定の軍人・兵士との人間関係の絆と呼ぶべきものを三島由紀夫は重要視し、復活させようとした。それどころか、さらにそれを現在的に深化させ、日本の文化的思想的にすえるべき中心的土台にしようとした。一般兵士や民間人の死は大きな背景としては当然ありながらも視線の中心から追いやられ捨象されて、あらかじめ死を決定づけられた特攻隊や2.26事件で刑死した青年将校が礼賛される。「復活」にとどまらず、フィクションも交えてのさらなる彼らの「霊」の天皇への果たしえなかった接近と彼らにやさしく応える天皇が描き出される。「英霊の聲」の発表は昭和41年(1966)で、戦争はすでに遠くなってしまって、高度成長がほぼ実現し、貧しさからの脱出が国民に多く実感された時代である。多くの国民にとって忌まわしかったであろう戦争の歴史のなかから、三島は旧天皇制を「美」として突き出した。戦争と死を忘れ去ったかに見える国民へのショック療法というにとどまらず、三島はぜんまいをぎりぎりいっぱいに巻くようにして、経済一辺倒にひたはしる戦後体制への批判の先頭に立とうとした。だから、これは小説の形式こそとるものの、彼の政治的文化的宣言であり、簡単には後戻りできない位置に自らを追い込み、立場を決定づけたとみていい。
  作家は一流になってその地位と実力を社会的に認められると、つとに社会に眼を向けて批判や忠告を多くする傾向があるが、例外はあるものの三島はとくにそうだった。それは別に批判すべきではないが、わたしにはこの三島の急激な天皇中心主義への傾斜には違和感が拭えない。2.26事件の刑死者は横に置くとして、特攻隊の死者は、またその他戦争における死者全般が、60年代以降の高度成長と繁栄を苦々しい想いで冥府からみているのだろうか、逆にこれでいいのだと思うのではないか。これは理屈や理論ではなくて、戦争期と現在とを比較してのわたし自身の素朴な実感であり、これを置き去りにすることはできない。わたしが戦争期に生きなかったから、そのなかに隠顕する美質を知らないとしてもだ。あの戦争は間違っていた。原爆2発を落とされ3百万人もの犠牲者を出したあげく敗北したのだから。当時の国民の大部分は正確な情報を知らされず、負けるとは露ほども疑わなかった。一身をなげうって戦った。それはわたしにとって実感からとおいにしても、理解できないことはない。だがそれは必ずしも天皇のためのみではなかったはずで、祖国や郷土、家族、友人、縁者のためという想いのほうが、寧ろ比重が大きかったのではないか。戦争に負けてろくなことはなく、当時の天皇は国家元首であり、天皇に領導されて戦ったという思いは国民共通のものであり、それが事実と異なることが少しずつ知られるようになっても、戦後は必ずしも「陛下」ではなく「天ちゃん」などと陰で呼ばれたこともあった。無力に見えざるをえない天皇への軽蔑がそこにはあった。
  語り手の「私」は「帰神(かむがかり)の会」に列席して、感銘を受ける。審神者(さには)と呼ばれる地位の人が秘蔵の石笛(いはぶえ)を吹いて、荘厳の気配を少しずつ創出していって霊媒たる神主にそれが行き渡り、神主の口から霊界に群れつどう死者たちの言葉が発せられる。神主は川崎重雄という23歳の盲目の青年である。何回かの休息を挿んでのその言は詩的で、緊迫感に満ちて断定的であり、戦後と現在の世情への批判に始まり、進行するにつれて昭和天皇へのかぎりないほどの怨嗟が高まっていく。世情批判は経済的利益、私利私欲に走り、人はなべて卑屈になり下がり、信義も友情もないがしろにされ、真実や道徳と呼ばれるものは偽りであるとする。ただし、記された言葉どおりではなくわたしの解釈である。だがこれはさわりに過ぎない。「などてすめろぎは人間(ひと)となりたまひし」が結句であり、その昭和天皇批判がさらに引き継がれ拡大される。やがて発言者が2.26事件の刑死者であることがわかる。
  2.26事件についてはうろ覚えだが、青年将校のグループが「天皇親政」実現を目指して1千人以上の兵を率いて、首相はじめ数人の重臣を殺害したうえ、首相官邸はじめ政府中枢施設を占拠し、天皇の裁可を求めたというもの。背景には政治腐敗や農村の疲弊があったとされ、陸軍上層部にも当グループの行動に同情と理解を示す者も少なからず存在した。天皇は奸臣・佞臣にたぶらかされて政情の真実からとおざけられている。よって「君側の奸」を排撃すべしという主張だ。政府や軍首脳はこの「蹶起」に即座に政治判断がくだせず、空白の何日間かがあった。だが天皇は怒り心頭に達したようで、彼等を義軍ではなく賊軍と規定し、即時の鎮圧・捕縛を命じた。この天皇の命によって事件は一気に終息した。昭和11年(1937)のことである。
  刑死した青年は川崎君の口によると、天皇に裏切られたという思いで、まさに怨み骨髄である。だが天皇は神(現人神=あらひとがみ)であるからお咎めすることはできない存在だ。逆に死者としては理想の天皇像をかくあるべしとうちたてて後世に伝えなければならない。そのためにはまた天皇への想いを一層自分たちでかぎりなく高め、憤怒と見まがうほどに激烈にしなければならない。川崎君の言葉は激しい。『(前部略)恋して、恋して、恋して、恋狂ひに恋し奉ればよいのだ。どのような一方的な恋も、その至純、その熱度にいつはりがなければ、必ず陛下は御嘉納あらせられる。陛下はかくもおん憐み深く、かくも寛仁、かくもたおやにましますからだ。それこそはすめろぎの神にまします所以だ』
  そして理想の天皇が幻想として語られる。雪原に集う2.26の兵士の一軍。すでに「奸臣」を斬殺したのちで、彼らの血のかわかぬ刀を高ぶりと誇らしさを抱きながら提げている。そこへ丘から白馬に乗った天皇が近づいて来て「蹶起」を認め、ねぎらいの言葉をかける。幻想(「絵図面」)はもう一つ。同じく場所は雪原で、同じく天皇は」「蹶起」を歓び、褒めながらも『(前部略)心やすく死ね。その方たちはただちに死なねばならぬ』と命じると、「われら」兵士は鍛えあげられ用意された激情のままに、つぎつぎと割腹自決をするというものだ。このとき兵士は至福と歓喜の絶頂に達するという。雪原にうめき声や涙とともに血の赤がつぎつぎにほとばしるという映像が見えてきそうだが、わたしは後ずさりする。残酷で正視しようとする姿勢をとれない。
  平和主義者としての昭和天皇ではなく、武断を礼賛する人柄にそれは塗り替えられるのだ。霊媒たる川崎君から発せられた青年将校の言葉は、実在した彼らのそれよりももっと激しく、より拡張されたものかもしれない。天皇は神であることは至極当然で、それ以上に神にふさわしい人柄であってほしい、その願いは痛切で、恋情と祈りを籠めれば籠めるほど、必ずや天皇に届けられて天皇みずからの回心によって実現されるという。しかし、くどくなるが、蹶起を褒めちぎりながら同時に死(切腹)を命ずる天皇という像は、フィクションとはいえ驚く。嫌なものがまとわりつく感覚を覚える。
  「兄神」につづく「弟神」たる神風特攻隊の霊が、さらに川崎君の口から発せられる。2.26事件の刑死者とは異なり、特攻隊の場合ははじめから死の運命を決せられていた。敗色濃厚な戦局にあって自爆攻撃をしたところで、それを好転させることができないことは彼等自身が知るところであるが、天皇の命令であるから身を投じる。神であるからどんな非合理をも受け入れるべきで、窮極の非合理たる死を択ぶことによって天皇との合一化が実現される。特攻兵士一人一人の死によって、神たる天皇の生と存在はますます輝きを増し、兵士もまた安らかに冥ることができる、そういうことだろう。ここでは「兄神」のように天皇の人柄を改変しようとするのではなく、また切々たる恋情をかさねることとも少しちがう。天皇の神としての地位が不動であってほしいとの願いだ。だからこその天皇の戦後の『人間宣言』への怨み、「などてすめろぎは人間となりたまひし」へとつながる。だが事実としては、先にふれたように、特攻隊の大部分が一番に大事にし、意識したのが天皇だとは思えない。祖国、家族、恋人のほうが多く意識されたのだとわたしは思いたい。三島自身もそれは知るところだろうが。
  川崎君から漏れる声は三島由紀夫自身の声であろう。これを書いたことで、三島は意識としては死の側へ突き抜けてしまった気がする。「真夏の死」は、事故死した子供の「生きたい」と願う霊を母が迎え入れようとする話だったが、「英霊の聲」では天皇との合一化が十全な生だと断定されて、即ち死を急追することに変換されたのではないか。 
  昭和天皇の『人間宣言』にもわたしは賛成である。一人の人間が「神」を引き受けるという重圧をわたしは想像できない。よほどのんびり構えないとその地位には耐えられないだろう。昭和天皇も肩の荷を下ろしたのではないか。だが平成天皇を見ると、現人神の残影を引きずっていると見えないこともない。老齢に達しても、南方の島を訪れて現地や日本の戦死者を追悼する役割を引き受けている。それもまた重圧ではないか。わたしたちが彼一人にそれを押し付けていると感じられなくもない。
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三島由紀夫「剣」

  各種のスポーツ界における一流選手の条件とは何だろうか。まずは身体面における素質だろう。それぞれの競技に見合った体格が必要だ。それに筋力や持久力などのパワー、判断力と瞬発力、柔軟性がもとめられる。それらを土台として、向上心を以てたゆまざる鍛錬を自己に課して、全体的な自己のレベルを上向けていく。鍛錬(練習)を怠ると、たちまちにしてその水準は下がってしまうので手を抜くことはできない。そして実際の競技において自分でも思わぬほどの力の向上を目の当たりにすることができるようになる。相手との直接対戦の競技であれば、それまで互角の戦績だったものを難なく倒してしまえるようになる。こうなれば自信がつく。自由の感覚を、もしかしたら勝利を決めた瞬間に神秘すら遠望することになるのかもしれない。そしてまた慢心をいましめて鍛錬の時間に帰る。スポーツ体験としては、わたしは少年野球の世界しか知らない。あとはテレビでのスポーツ観戦から、こういうことを類推して記してみたので、誰でも書けることだろう
  三島由紀夫は昭和34年から剣道を始め、やがて有段者になったという。「剣」の発表は38年だからその間の体験が十二分に生かされている。わたしが先に記したことは彼にとっては至極当然のことかもしれず、「剣」ではスポーツ選手の精神的での素質やらその方面での鍛錬、また剣道部の同僚との人間関係に力点を絞って描かれている。
  国分次郎は某大学の剣道部の主将で、主将にふさわしい力量と人格の高潔さを買われている。秋の他大学との対抗戦に向けて、部員全員が合同練習に汗を流す。次郎にとって剣道に打ち込むことは「強く」なることは無論、それが「正しさ」を希求することにも合一化され一つになっている。個人には様々な欲望が渦撒いているだろう。世にもさまざまな誘惑があって、個人を招き寄せる。特に「若さ」は好奇心旺盛で、そういうものに引っかかりやすい。だが次郎にあっては剣道にしか興味がない。まったく恬淡とするのでもないが、目前に迫った試合に勝利すること、そこにのみ目標を据えることが彼にとっては自然体に近いものになっている。やがて結婚をして子供をつくり出世するという、誰もが夢見る「未来」は彼には眼中にない。つまり「幸福」と呼ばれる状態に興味なく、無視する。自分でも「強く正しい者になるか、自殺するか、二つに一つなのだ。」と極限するくらいだ。欲望が収斂されて禁欲に合流させているともいえるが、それを難なく身につけてしまえる精神的素質の持ち主として、次郎は描かれる。次郎はまた、そういう自分に課した厳しさが自然で当然なことだと思い、剣道部員にも同じ道を歩ませようとして疑わない。彼は清純ではあるが、寡黙でもある。つまり剣道部員相互の融和をより高めようとはあえてせず、厳しいが、自分に部員全員がついてきてくれるものと見做している。
  監督の木内はそんな次郎の正純性にもとづいた主将としての指揮に一抹の危惧を抱く。妥協性に欠けるようにみえるからだ。また1年生の壬生は次郎を尊敬してやまず、家族に毎日のように次郎の話を披瀝して、家族をあきれさせる。賀川はおそらく次郎とは同じくらいの年齢で、剣の使い手としては次郎に次ぐ2番手の位置を占める人だ。彼は彼なりに次郎に友情を抱くが、次郎は賀川から見ると壁をつくって深く交わろうとはせず、それが次郎という人の人となりと理解しえてもやはり不満である。嫉妬もあろう。彼等からの視線を多用して、次郎は描かれる。
  夏の合宿が伊豆半島の田子で行われる。禅寺を合宿所として近隣の中学校の体育館を稽古場として借りる。次郎は苛酷なスケジュールを部員に課す。竹刀を握るだけではない。朝食前の6時半からランニングや腕立て伏せではじまり、午後5時に実技が終わっても8時からは反省会があるという激しさである。きれいな海が目にちらつくが、次郎は遊泳禁止とした。「海が目に入るやうだったら、まだ練習に身が入っていない証拠なんだ。」と訓示する。
  事件が起こる。次郎が、監督の木内が視察に来るので港に迎えに行くために数人とともに留守にしたときである。賀川が部員に呼びかけ海水浴につれていく。監督が来ないうちならいいだろうと全員が応じた。ただ一人反対し、残ったのが壬生。憤怒にかられつづけて寺の本堂で正座をしつづける。「何か、強くて正しくて、晴朗なものが汚された。」だが反面「彼はずっとそれを予感していたやうな気もする。」どういうことだろうか。国分次郎という人に憧れ、金輪際ついていこうとする自分、その外面の体裁がしだいに偽善的に思えてくるのだ。次郎の傷つけられた誇りを自分の痛みのように感じるものの、折からの猛暑で汗まみれになる。耐えつづけること、その汗は、その源は無尽蔵なのか、そうではないのではないか。次郎についていこうとする人としての自分に代わって、本来的なありふれた人としての自分の姿がにわかに台頭してくるのだ。……わたしはイエスを裏切る弟子たちを連想せずにはいられなかった。
  賀川という人は剣の腕ではわずかに次郎に劣るものの、人間としては対等だという意識があり、自分なりの次郎への友情もあり、これは頑強であろう。
  禁を部員全員に破られた次郎の憔悴はいかばかりであろう。他人事ではなく、合宿の全行程を狂いなく終えることもまた次郎の自分に課した厳重な責務であり、それまで次郎は責務を放棄したり、他人によって破られることはなかった。信頼を寄せていたであろう壬生に裏切られたという事実も打撃だったろう。だが三島は、そういう次郎の内面を描かない。あっけないという言葉を使うしかなく、次郎は死を択ぶ。強いが脆い。これを美しいと呼ぶことには、わたしは躊躇いがあるが、感動に暫し立ち止まらざるをえない。秀作である。




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三島由紀夫『午後の曳航』

  自分一人のために人生が輝かしいものとして用意されている。名誉であっても、死をも伴う栄光であってもかまわない。しかしそれがどんな具体像を示唆するのかはわからないが、とにかく挑戦してみる。その目的のためにふさわしい行動をとってみる。人生のその道程が長いか短いかはわからないが、その体験が、未知の世界が、それが何たるかを教えてくれるだろう。多くの人ではないかもしれないが、こんな夢想を抱いて人生に船出をする人が居るにちがいない。塚崎竜二もそんな男で、二等船員として三〇歳を過ぎるまで大部分を海の上で過ごした。だが壮麗な夕日や船が転覆しかねない凄まじい嵐に遭遇しても、そこに栄光を示唆されることはあっても、その核心を体感することはできなかった。船上の規則正しい生活を身に着けただけで、つまり仕事を覚えただけのことで、海への愛着は捨てきれないものの、すべてを知ってしまった、栄光を手にすることはできなかったという諦めの境地に達しかかっていた。そんなとき横浜港に上陸した竜二であったが、ブティック経営者で未亡人の房子と知り合い、恋仲になる。二人は結婚を真剣に考えることになる。竜二にとっては「夢想のなかでは、栄光と死と女は、つねに三位一体だった」だが前の二者は竜二によって放擲された。未練はあとを引くものの、房子の店の仕事に従事することによって、いわゆる「普通の生活」を末永く送ることを決めたのだ。
  房子には登という中学生の男の子がいる。海の男にたまらなく憧れを抱く一方で、世のありとあらゆる大人に不信と憎悪を抱く子供で、同じ思考と感性を共有する少年グループにも所属していて、その思いに確信をより強くする。すべての大人は無価値であるばかりではなく有害だと彼等は確信する。子供は親に生活の面倒を見てもらっているが、そのことには大部分無意識である。親の面々もかつては大志を抱懐したのかもしれないが、競争に敗れ、妥協を強いられて、ぺこぺこ頭を下げなければならない場面にも多く遭遇しただろう。他人にたいしては友情は稀で、怨みつらみが常である。その不平不満を家族に撒き散らす。ときには暴力をふるう家庭の小さな暴君。そのわりには自分の人生に自信がもてない。かくあるべしという人生を子供に提示できないのだ。無難で平均的な人生を送ってもらいたいのか、子供に『人生の目的』について質問されると『坊や、人生の目的というものは、人が与えてくれるもんじゃない。自分の力で作り出すんだよ』と答える。登ではなく、グループのリーダーの言だが、これを彼は「あらゆる独創性を警戒する目つき」と彼なりに見抜く。さらに「一番わるいことは、自分が人知れず真実を代表していると信じていることだ」とこき下ろす。わたしも残念ながら、子供には同じようなことを言ったかもしれない。あるいは何も言わなかったかもしれない。子供にたとえば特定の職業を強制することは、子供のなかには反発が生まれるかもしれない。だがリーダーは父の子からの逃避を、責任回避を「人生の目的」について見抜くようなのだ。戦争の時代なら「兵隊になれ!」と父は子に命じたのかもしれないが、戦後民主主義下にあっては「自由」が尊重されたので、そこへの迎合がこの父の言の底にはあるのかもしれない。
  竜二もまた、子供時代にはこれほどあからさまな大人への反発はなかったのかもしれないが「独創」的な人生を目指してのであり、結婚を期に「普通の生活」に足を伸ばそうとした。それに登は危機意識を抱いたのである。何年間かの母を独占できた時代がうばわれる寂しさが気配として読み取れなくはないが、それはグループと彼の「理論」によって封じ込まれる。言うまでもなく、登も栄光をめざして行動する大人のみを芯から承認し、あこがれているのだ。
  三島由紀夫は昭和三三年(1958)に結婚している。自決の時までそれはつづいたのだから、当初は「普通の生活」をしようと決意した証だろう。竜二の陸の生活に腰を降ろしかけたときの「非現実」な足のおぼつかないふわふわした感覚は、三島の結婚当初の実感の反映のように読みとれた。また三島の生活の中心は少なくとも独身時代(それ以降もそうだとしても)は小説の執筆にあってときには激しい言葉を書きつらねたが、そうした彼(竜二)にとっての本音が咽喉まで出かかって、ふりかえって無難な言葉に置きかえるさまは、小説執筆以外の時間での他人とのつきあいに慣れ親しむことが容易で、気楽ささえ抱けるようになった以降の時代の反映ではないかも思った。
  竜二は船員時代をなつかしみ、未練を抱きながらも房子と登とともに生きようとする。一方登のグループは栄光の希求を捨てた人として竜二の毒殺を謀る。「英雄の死」は『仮面の告白』にあった「聖セバスチャンの肖像」の矢で射ぬかれた裸体像とかさなる。また空襲による消失を免れた金閣寺を「死」への裏切りとして、人生を妨害する「永遠の生」として怨み、放火に至る犯人像も直截ではないが、子供グループの犯行と通底するところがある。一見、相反はしても、竜二も登もそのグループもどれも三島の思想を代表していると思える。
  晩夏に竜二の乗った貨物船・洛陽丸が夕日のなかをタグボートに曳航されて、しだいに岸壁からはなれていく。年末には帰港する予定で、勿論房子と登は岸壁に立って見送り、竜二もまた船尾に立ち尽くして別れを惜しみ、互いの姿がみえなくなるまで見つめ合い、やがて「巨大な出帆の汽笛」を鳴り響かせて去っていく。三島由紀夫らしい緻密かつ抒情的な文体がもっとも優雅に発揮される場面だ。


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三島由紀夫『金閣寺』

  現在の金閣寺は再建されたもので、旧金閣は昭和25年当の寺の青年僧によって放火され焼失した。三島由紀夫がその事件に触発されて書いたのが『金閣寺』である。もっとも犯人の動機や心情を忠実になぞったのではなく、三島なりの世界観を以て換骨奪胎して、作品として完成させたものである。結末はともあれ、のちに犯罪者となる主人公の変質者的世界観と行動に三島の思想の大部分が投影されている。変質者になりおおせることで作家はかえって自由になり、おのれの思想を存分に羽搏かせて、自分のことのように主人公を行動に突き動かさせる。現実に起こった事件を土台にしながらも、その行動を支えうながす思想背景には、三島由紀夫という人のそれまでの作品にはない新たに発掘した深刻さと真実味が十二分に彫琢されていると見た。それとともに、三島の最期を思い浮かべるためか、行動への並々でないあこがれと執着が書かれているようにも思えた。 
  主人公は舞鶴郊外の寺の息子として生まれた。父は金閣寺の住職と同じ寺で同時期に修業した旧友であり、父のその縁故でやがて主人公は金閣寺の僧となる。中学校時代のことで戦争の時代だ。子供のころから父は主人公に金閣ほどこの世に美しいものはないと語り、まだそのころには目にしたこともない金閣を父の言葉どおり、いやそれ以上に主人公はその美しさにあこがれを頑ななほど抱きつづけた。また彼は吃りであり、仲間からからかわれることが多く、コンプレックスを抱いていた。しかし金閣寺で修業し、学業にも真面目に取り組めばやがて住職になることも夢ではなかった。つまりは彼の十代以降の人生コースは周囲によって決められていた。幸運と言えたのかもしれず、あとは主人公の実践の具合にかかわっていたということになるが、彼は優等生ではなかった。吃りのためか、世界への復讐を、悪をたえず心に空想する人だった。それをただちに具体的に実行するのではなく、なかばぼんやりと過ごしたのだった。地元の中学時代に有為子(ういこ)という片思いの女性が脱走兵によって無理心中させられて死んだことも彼に影を落とす。
  父に伴われて金閣をおとずれて、主人公はそれまで写真や図版でしか知らなかった金閣をはじめて目にすることになる。それは「古い黒ずんだ小っぽけな三階建にすぎなかった」と彼を落胆させる。だが空想によって育まれ肥大化した金閣へのそれまでの思いは霧散することはなく、やがて現実の金閣を毎日のように目にし接し、精細に観察することで現実の建築そのものの金閣の美しさにふたたびうたれる。それ以上に彼の思いは金閣=美とは何か、という問題意識に没頭することになる。それは世界のあらゆるものを凌駕し、君臨するものらしい。またその頂点といえるものに如何に自分は接近し、あわよくば一体となり所有さえすることができるかと、哲学めいた空想に耽る。とりとめはない。ことあるごとに金閣の美麗を主人公は語るのだが、唯一幸福を体感できた時期があった。戦争末期のことで、多くの人々と同じように彼も死を予感し、それを怖れなかった。金閣もまた空襲によって灰塵に帰すと思われた。つまり彼と金閣は心中するのであり、その幸福を彼は疑うことを知らなかった。死という運命が彼と金閣とを同格、同心一体としたのである。
  だが敗戦により主人公は生きのこった。金閣も消失をまぬかれた。まるで一塊の建築物が永遠の生を取り戻したかのようで、両者の関係は以前のように疎遠に復した。敗戦とは「断じて解放ではなかった」と彼に言わしめるのだ。
やがて彼は仏教系の大学・大谷大学に進学し、そこで柏木という内飜足という障害を持った青年と友人になる。彼が語る哲学的独白は難解だが、要は自分と世界とは敵対していて和解は訪れない。俺は世界を愛さないし、世界も(他人も)俺を愛することは絶対にありえない。何故なら俺は内飜足であり、それがおれの存在理由であるから内飜足を他人が愛することはありえないからだ。世界と自分との対立関係は永遠に解消されない。だからといって諦めるたり引きこもったりするのではなく、世界の打倒をめざして内飜足を中心に据えて争闘を持続させなければならない。「かくて不具は不治なのだ」と。具体的には偽善的行動を得意に主人公に見せびらかす柏木である。内飜足を拝み倒すと極楽往生ができるといって老婆をたぶらかすのだ。美しい女性の同情を買うすべも知っている。この柏木の非妥協的な哲学が主人公にも伝播するようだが、むしろ主人公のなかに眠っていたものが目覚めさせられたのではないか。
  ダブルデートの場面がある。柏木と彼が知り合いになった裕福な家の令嬢とその女中の二人と主人公。やがて京都嵐山付近の亀山公園で主人公と女中は二人きりになり女中は初対面にもかかわらず彼に身をまかせる。花影に腰をおろして「永い接吻」をして彼の欲望は高じてくる。性や恋愛は人生の「関門」というべきもので誰にとってもくぐりぬけなければならないという思いを持たせるのであろう、彼もそう思う。だがその瞬間に金閣の映像(<立体>と呼んでもいい)が出現して彼を包み込んでしまうのだ。生き物のように、また自在な亡霊のように金閣が立ち現われてくる。一種彼にとっては感動そのものであり、金閣ともっとも近づいた、というよりも一体感をまったく自然にえた瞬間である。と同時に人生の「関門」は当然とおのく。幸福なのか不幸なのか。気後れしたように見える彼を娘は当然蔑む。この作品の白眉の一場面であろう。「美の永遠的な存在が、真にわれわれの人生を阻み、生を毒するのはまさにこのときである」この前後の一連の文体は、三島が「変質者」という仮面を被ることによってかえってそこに自在感を見出して、感動と冷静過ぎるほどの分析を合金ように同在化させた秀逸さがあらわれている。同質の場面がもういちどある。奇跡のように再会できた女性が感動のあまり乳房をあらわに主人公の前にさらすが、またもや金閣が顕現する。
  次に主人公が宿直の役を申し出て受け入れられ、究竟頂(くきょうちょう)と呼ばれる金閣の三階に居続ける場面。金閣を一夜なりとも独占できて喜ぶ主人公だが、摩訶不思議というか不可解というか。


  寺が寝静まる。私は金閣に一人になる。月のさし入らぬところにいると、金閣の重い豪奢な闇が私を包んでいるという思いに恍惚となった。この現実の感覚は徐々に深く私を涵し、それがそのまま幻覚のようになった。気がついたとき、亀山公園で人生から私を隔てたあの幻影の裡に、今私は如実にいるのを知った。
   私はただ孤りおり、絶対的な金閣は私を包んでいた。私が金閣を所有しているのだと云おうか、所有されているのだと云おうか。それとも稀な均衡がそこに生じて、私が金閣であり、金閣が私であるような状態が、可能になろうとしているのであろうか。


  彼は幸福と呼べる状態なのだろう。滅多に実現されない金閣との一体感の描写、まさに「稀な均衡」だからだ。冷静さを保持したままの酩酊感とでも云い換えようか。しかし一方、彼の認識にとってはそれは不幸の根源でもある。大多数の人が営むであろう人生を妨害し、隔てさせるのが金閣でありその幻影であるからだ。後には金閣は無力と虚無の根源であると主人公はさらに強く断定するにいたる。柏木に関連づければ金閣は主人公の「存在理由」とはなりえないのだ。しかしまた、彼が金閣に吸い取られてしまうような衰弱感はここにはない。「認識」がそれを予感するにせよ、認識は片隅に追いやられている。
  以前にもこの小説を読んだことがあるが、このあたりまでが山場で、最後の凶行におよぶまでの主人公の行動の描写はやや平板で退屈な印象がなくもなかった。しかし今読むと、そうともかぎらない。彼はいきなり金閣に火を着けるのではない。少しずつ彼が身を踏み外していく過程が丁寧に書かれている。学校も怠けがちになる。町で芸妓をつれた住職を発見して、その女の写真を手に入れて住職の部屋に新聞にしのばせて入れる。凶行の前の演習とでもいうか、小さな悪の試みである。また貧しさから柏木に金を借りて寺を出奔する。日本海に接する由良川の河口の風景をみるためだ。この世の果てをそこに連想するのか、自殺者が直前にえらぶ行動にも見える。わたしはこれらの一連の彼の行動から、何気ない日常から凶行にいたるまでの実際的行動や心理を三島は重要事として書き落とすまいとしたのではないかと推し測った。また彼は遊郭を訪れ、ようやくのように童貞を捨てることになるが、つまりは「関門」を通過できるが、「適応」できたという以上の満足感はえられない。じつにあっさりしたもので、主人公の、というよりも三島という人の凡俗にたいする関心の薄さを見るような気もした。
  最後の場面も締めくくりとして読ませる。侵入口をあらかじめ見つけておき、燃えやすいものを持ち運んでいざ点火しようとするときにためらいが生じる。認識の「正しさ」や決意と実行との間には深い懸隔があるということだ。ここまで準備したのだから引き返してもいいのではないかという自分を褒めてみたくもなる自省。凶行はもはや自分から離れた「剰余物」ではないか。「何故私は敢えて私でなくなろうとするのか」このあたりも実際心理であろう。
  主人公にとって金閣は、実人生を阻み阻害する「美」にちがいなかった。美が美であるがゆえに、彼はそれと一体感を得ようとして深みに嵌りこんでしまった。だが三島由紀夫自身にとって金閣寺という固有の建築物がたとえ美であるにしても、そこまでの影響を及ぼしたとは思えない。主人公における金閣は三島にとっての何らかの暗喩であるにちがいないが、それは何かは、わたしには今のところ不明だ。「美」と定義されたものがすべからく人間的感情をこばみ、跳ね返すものなのか、冷たさをもつものなのか、そうとはいえないだろう。ただ、美とは無関係にないにしろ、そういう存在がこの世に有るということだけは三島は言いたげだ。

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