大洋ボート

『万葉集』巻八・1447、1475,1484,1498,1500

世の常に聞けば苦しき呼子鳥声なつかしき時にはなりぬ(1447)


  以前にもとりあげた大伴坂上郎女の歌であるが、後註に「右の一首、天平四年三月一日佐保の宅(いえ)にして作る」とある。天平四年は732年。佐保は現在の奈良市北部で、坂上郎女の住居の所在地。坂上郎女の生没年は未詳だそうだが、700前後~750以後とされている。仮に生年700年とすると天平四年には満32歳を迎えることになる。私の印象では意外に若い。また家系では前年の天平三年に異母兄の大伴旅人が他界しており(≒66歳)(665(天智天皇4年)~731)、大伴家の後継者と目された大伴家持は天平四年においては(718(養老2)~785)若干14歳である。旅人の妻の大伴郎女も旅人よりも先に亡くなっていたので、坂上郎女は大友家全体を取り仕切り面倒を見る刀自(とじ=主婦)としての役割を担わなければならなかったようだ。とりわけ家持の後見人として家持にたいしては心を砕いたと思われる。また二人の共通する歌作りの分野でも坂上郎女は家持の師匠格であった。二人の間には親密な交流があり、のちに坂上郎女は長女の大嬢(おほおとめ)を家持に嫁がせている。

なにしかもここだく恋ふるほととぎす鳴く声聞けば恋こそ増され(1475)
ほととぎすいたくな鳴きそひとり居て眠(い)の寝らえぬに聞けば苦しも(1484)


  1475は「なにしかもここだく恋ふる」で切れる。どうしてこんなにもひどく恋焦がれるのか、の意。それでもほととぎすの声を聞くと恋心が募ってきて冷静でいられない。鳥の鳴き声を恋心をそそのかしさらに増幅させる生理に直結するものとして象徴させている。鳥の声は恋の相手ではなく、自分のなかにある押さえ切れない恋心だ。1484も鳥の役割は同じだ。坂上郎女は明らかに恋のさなかにあって困惑に見舞われていることを告白している。「恋」という言葉の範囲はひろく、同性同士の親密さが高じたときにも用いられるが、ここではやはりせまい範囲での異性間の恋であり、しかも実現不可能であるがゆえに押しとどめなければならない、隠さねばならない恋だとみなしたい。
  それでは恋の相手は誰か、字面のうえではまったく不明だが家持の可能性も捨てられない。勿論、歌集中にまったく出てこない人物であることも考えられるが。坂上郎女と家持の年齢差は18歳で、また叔母と甥の近親者同士であるが、そんなことはいっこうに恋の妨げにはならない。現に坂上郎女は異母兄の大伴宿奈麻呂(すくなまろ)に嫁いだこともある。また男性であれば30,40歳ほどの年下の女性を娶ることも可能であったようだ。ただ女性においてはあまりに年下の異性を大っぴらに奪うことは文化習慣的に許されなかったのだろう。生理的欲求としては男女間に大きな差はない。また家持の意向も当然汲んで家持との結婚を断念せざるをえなかったのだろう。しかしながら家持をいつも自分の傍に置いておきたいという欲求が、長女を彼に嫁がせるという決定に赴かせたのだと思いたい。坂上郎女の家持への恋心、これは可能性としてあるという以上ではなくて私としては強弁するのではない。家持は紀郎女、笠郎女らの女性と関係したことが歌集にみえるが、坂上郎女はやきもきしたのかもしれない。いっぽう家持のほうは坂上郎女の恋心に気づいたのか、十代の青年だから露ほども頭に浮かばなかったのか、疎かったのか、気づいても気づかないふりをしつづけたのか。

暇(いとま)なみ来まさぬ君にほととぎす我かく恋ふと行きて告げこそ(1498)

 

  恋の相手はときどきは坂上邸を訪れたようだが、しばらく「暇なみ」(相手が忙しいので)その訪問が途絶えた。だから没交渉でありながら、とおくから憧れを持って眺めつづけたという類の相手ではない。この歌のほととぎすは伝令役であるが、それだけでもない。鳥が人の言葉を話すわけもなく、坂上郎女が恋心の象徴として日々聞くのと同じ位置づけで相手に聴いてもらいたい。しかしながら相手にはただたんに小うるさい鳥の声としか受け取られないかもしれない。そういう甲斐なさ、寂しさがふくまれているとみる。

夏の野の繁みに咲ける姫百合の知らえぬ恋は苦しきものそ(1500)


  同じく坂上郎女の歌。いたいたしい。「姫百合」は小ぶりの百合で濃赤色の可憐な花だという。小さいから茂みのなかでは見分けにくいので、「姫百合の」までの三句を「知らえぬ」の序とした。知らないのは恋する相手である。もし相手が知ってしまったならなんらかの発展があるのかもしれないが、ほとんど期待できない。
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『万葉集』巻八・1454,1455,1466,1479

波の上ゆ見ゆる小島の雲隠(がく)りあないきづかし相別れなば(1454)
たまきわる命に向かひ恋ひむゆは君がみ船の梶柄(かぢから)にもが(1455)


  作者は笠金村(かさのかなむら)で、遣唐使に任じられた多治比広成(たぢひのひろなり)という人との別れを惜しんだ歌。笠金村は有名歌人で多治比広成は高級役人である。二人の関係の詳細はわからないが、歌を見るかぎりでは、笠金村は多治比広成にひとかたならぬ友情を寄せていたようだ。(身分がいちじるしく異なれば「友情」という言葉は不適切になるが)長歌にたいする反歌二首。ときに天平五年(733)四月、多治比は難波潟(大阪)を船出し、笠が見送った。大勢の人が見送りに集まったのであろう。長歌の大意は「忘れたこともなく私が命がけで思ってきたあなたが、天皇の命令によって難波から大船に乗って舵をいっぱいとおして、白波の立つ荒海を島伝いに遠ざかる。とどまる私は幣を手向けて神に祈り斎戒(物忌み)をしてあなたの無事を願いながら、あなたを見送ろう。はやくお帰りなさい」という。
  1454番では、多治比の乗った舟乃至は多治比その人を雲に隠れて見えなくなる小島に喩えている。そしてそう歌った第三句までが「あないきづかし」の序詞の役をも担うという。「あないきづかし」はため息が出るほどせつないの意で、この歌の中心の言葉。感情の揺れのなかに一気に落ち込むようだ。また港から見送る立ち居地を、反歌では遠ざかる小島を未練たっぷりに眺めつづける船上へと転換させた。この転換もあざやかで新鮮だ。
  1455番は女性的な外観の歌。あなたを命がけで恋するよりは舟の梶の柄になっていつまでも傍にいたい、という。「恋ひむゆは」のユは「~より」の意。「にもが」は「~でありたい」。この歌をとりあげたのは「恋ひむ」(恋ふ)という言葉が男性同士の間で使われていることに気を留めたからだ。迂闊なのか、私は「恋」という言葉にたいして男女間の性的願望や連想をともなう関係としてのみイメージすることが多い。無論「片思い」も含めてだ。しかし友情の深まりからせつなさに達することにも「恋」という言葉が、少なくとも上代においては大いに使われることを、この歌から知らされた。私自身が今後「恋」をそういう対象にまで広げて使用することは無いとは思うが。上代においては「恋」は性的願望の強さや可能性をともなっても使われるが、必ずしもそればかりでもない。性的関係が実現不可能であっても、また禁忌が意識されたとしても、ずっと離れずにいつも傍にいたいという感情の高まりによっても使われる。同性間でも異性間でもだ。

神奈備の磐瀬(いわせ)の杜のほととぎす毛無(けなし)の岡にいつか来鳴かむ(1466)


  作者は志貴皇子。作られた歌は数少ないが、繊細で少し感傷的で悲しみが滲み出してくるところに志貴皇子の歌の独特の味わいがあると思う。例示すれば「葦辺行く鴨の羽がひに霜降りて寒き夕へは大和し思ほゆ」(巻一・64)「石走(いはばし)る垂水の上のさわらびの萌え出づる春になりにけるかも」(巻八・1418)。後者も歓びの表現で、悲しみはないが繊細だ。そういう作者だと意識するとこの歌もまた繊細で、悲しみさえ伝わってきそうだ。「神奈備」「磐瀬」「毛無」と短歌にはめずらしく地名が三つもちりばめられている。(いずれも大和地方近辺ということ以上には所在が確定できないという)そして季節も十分に到来して、やってきてうるさく鳴いてもよさそうなほととぎすがまだ来ないという。ただそれだけの意味内容の歌だ。作者は「毛無」のごく近くに住んでいて、そこで鳥が鳴いたならわかる。また「神奈備の磐瀬の杜」も訪れたことがたぶんあって、そこで季節になるとほととぎすが渡来してきて盛んに鳴くことも承知している。
  悲しみが仄見えるのは、ほととぎすが地元の地へまだ来ないという志貴皇子にとっての自然の小さな異変が、それ以上のものとして意識されているように映るところにある。社会的な中心部から自分だけが除け者にされたような、それを覆すことができずに耐え忍ぶしかないような寂しさを読者に触れさせるのではないか。多くの人が指摘するように志貴は天智天皇の皇子であって、壬申の乱を経過した後には代々の天皇は天武系が独占し、志貴皇子にとっては不遇の時代だったと言え、この歌にもそれが反映しているとみることもあながち否定はできない。

隠(こも)りのみ居(を)ればいぶせみ慰むと出で立ち聞けば来鳴くひぐらし(1479)


  大伴家持の作。家にばかりいても心が晴れ晴れしないので気分転換のために外出をすると、蝉が来て鳴くのを聞いた、の意。それほどいい歌ではないだろう。最近は酷暑がつづくので涼を呼ぶような歌はないかと思ったが、これまでみてきた万葉集のなかにはそれにふさわしい歌は見当たらない。「納涼」はこの時代には歌作りの材にならなかったのか。
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『万葉集』巻八・1431,1435,1446,1447

百済野(くだらの)の萩の古枝(ふるえ)に春待つと居(を)りしうぐいす鳴きにけむかも(1431)


  山部赤人の作。赤人の歌は、眼前の風景や出来事に心を動かされてそれをそのまま率直に表現することが多い。その際のあざやかさが赤人の歌の生命だ。歌作りの時間が実際は後刻にずれたとしても、即応的に作られたかのような印象を読者にもたらす。しかし一転してこの歌の場合は、歌われているうぐいすが目の前には存在せずに赤人の想像のなかに存在するところが、赤人の歌のなかでは異例といえる。「百済野」も赤人は訪れたことがあるとみるが、歌の現在では赤人はそこには居ない。萩は落葉樹で「古枝」だから大きさがあって、早春にはまだ枯れたままで全体が白っぽいのだろう。そこに一羽のうぐいすがとまっているという構図。複数のうぐいすよりも一羽としたほうが絵になるように思える。うぐいすが可憐な鳴き声を発することは、うぐいすが春に目覚めて大げさに言えば自己解放することだ。作者にとってもそれを自分のことのように共感したい、また想像のなかの一羽のうぐいすにたいするやさしさでもある。
  うぐいすや梅や雪などは春の歌の定番であり、それらを題材に多く歌がつくられたが、うぐいすが春を告げるように目の前で鳴いて、人がその季節にはじめてその声を聴いて心を動かされたとしても、それをそのまま歌にしても感動にはつながらない。歌としては飽き飽きしているので、そこで歌作りとしては個性化、固有化するための創造的工夫が要求されるのだが、この赤人の歌は見事にそれに応えた。なお「百済野」は現在の奈良県北葛城郡広陵町ということである。「鳴きにけむかも」の「けむ」は過去推量の助動詞で、この歌の場合は目の前ではない場所で起きたことの推量。

かはづ鳴く神奈備川に影見えて今か咲くらむ山吹の花(1435)

  厚見王(あつみのおほきみ)という人の作。「神奈備川」は明日香か竜田のいずれかの川だという。山吹は晩春に開花する落葉高木で、あざやかな黄色の五弁の花をひらく。「今か咲くらむ」は今ごろ咲いているだろうかの意。「らむ」は現在推量の助動詞で、この歌では直接に見ることができない事象を推量することでもちいられる。開花した山吹の花の姿が川面にも映っているという風景。これだけでは単調に感じられたのか、かはず(蛙)の鳴き声を添えた。かはずの姿は直接は歌からはみえないが、読者に想像をうながす作用もあるとみる。絵画的な歌だが、少し弱さもあるか。

春の野にあさる雉(きぎし)の妻恋(つまごひ)に己(おの)があたりを人に知れつつ(1446)


  大伴家持の作。餌をあさる雉が妻の雉をさがしもとめて鳴いて、目立ってしまって人に知られてしまう、という。恋愛中か結婚間もない時期の家持自身を雉になぞらえている。上古においては恋をしてデートの現場を見られてしまうとその男女は注目されることは勿論、激しい非難にも晒されることがあったといい、それを怖れることを歌にした例もある。この時代の結婚事情は詳しく知らないが、おそらくは親同士の合意で結婚させられることが多く、それを男女二人の力で打ち破ることは容易ではなかったのではないかと想像したくなる。身分の高い家持であっても、そういう社会的風潮には無縁でいられなかったのであろうか。
  複数の人にうるさく注目を浴びることは予想を超える緊張と混乱をその人にもたらす。恋の相手に注目されることこそが目的であっても余計な注目が纏わりついてくる。群れのなかに埋没することの平穏さを今さらのように噛みしめるのかもしれないが、よほどの時間がたたないとそれもかなわないのだ。この歌はただ「妻恋」の最中を人に知られてしまった、自分という人間が人々に意識されてしまったという事実だけを淡々と書いた以上の歌ではないが、作者が家持だけに引かれるものがある。読み過ぎを承知でもう少し書くと、家持は恋を意識することとは別に「注目」されることを冷静に意識しようとしたと思う。恋に関して注目されるのは長い時期ではないだろうが(相手を次々換えるようなことをしないかぎりは)歌人としての家持は注目されたがったにちがいない。恋における注目は屈辱の側面があっても、歌人としてよい歌を公表して賞賛を浴びることは当然ながら誇らしいことで、同じ「注目」を意識しながらも、注目されることから逃げずにむしろそれをエネルギーとして歌人として生きたのではないか、そんなことを思った。

世の常に聞けば苦しき呼子鳥声なつかしき時にはなりぬ(1447)


  大伴坂上郎女の作で、彼女は家持の叔母にあたる。「呼子鳥」はカッコウ、ゴイサギ、ホトトギス、ツツドリなど諸説あるそうで、この歌の場合も断定できないという。人に呼びかけるように鳴いてうるさく感じられるという。その鳥の鳴き声がなつかしくなった、好ましく聴かれるいい季節(春)になったというのである。春になって心身ともにいい状態になった、逆に心身の調子がよくなって春を迎えることができた、そのどちらかであるが私は後者かなと思う。恋愛に関することは記されないが、女性にとっては恋愛と心身は男性以上に密接に関係すると愚考する。体調が回復し、煩悶との対話にもほどほどにケリがついた。だから恋も遠望できる。そこまでは読み取れないが、前向きで素朴で、積極性の感じられる歌である。「世の常」は普段という意訳になるそうだが、少し大げさに感じられることもかえって印象深い。
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『万葉集』巻八・1418、1419、1424,1427

石走(いはばし)る垂水の上のさわらびの萌え出づる春になりにけるかも(1418)


  『万葉集』のなかでも特に有名な歌で、作者は志貴皇子。しかし私は長い間誤解していた。「上」は「ほとり」の意で、滝の頂点を指すのではないという。滝の水が落下したあたりの川原に春になって蕨が萌え出したという風景だ。「さ」は美称の接頭語。春という季節が人にもたらす清新の気が素直に心に伝わるいい歌で、言葉が初句から結句まで淀みなく一気に流れて覚えやすい。春を直接に表すのは無論蕨であるが、それだけではなく春の清新さが滝(垂水)の水にも反映して、結果表現されていて、小さな眺めの全体として春の季節が歌われている。新しく良いことがこれから始まりそうだという予感まで遠望させる。清新の気分とはそういうものではないか。なお、斎藤茂吉はこの滝は小さな滝であろうと推測するが、そのほうが据わりがよくて同感せざるをえない。

神奈備(かむなび)の磐瀬(いはせ)の杜(もり)の呼子鳥(よぶこどり)いたくな鳴きそ我(あ)が恋増さる(1419)

  作者は鏡王女(かがみのおほきみ)で、この人は系統不明となっている。額田王の姉とも舒明天皇の皇女ともいわれる。「神奈備」も「磐瀬」も所在地を断定することはできないという。都のあった現在の奈良県か隣接する大阪府のあたりと思われる。「呼子鳥」もかっこうとも推測されるも他の鳥の可能性もあって、断定できないという。耳にうるさいほどに鳴く鳥であることだけは確かだ。短歌にとどまらず詩全般には風景のなかのモノや動植物に作者や他者を置き換えて表現することはごく一般的で、ここでも鏡王女はみずからの恋心を鳥の鳴き声に置き換えている。しかし作歌するにあたってにわかにそれを思いついたのではないと推察したい。作者は呼子鳥の鳴く季節の日々を同じ場所で暮らしてその声を聞いていて親しんでおり、普段から抱いていたであろうみずからの恋心とごく自然に重ねた。そう思うとまったく無理なく読める。「そんなに鳴くな、私の恋心が一方的につのるではないか」という。恋心はどろどろしたものかもしれないが、鳥の声に置き換えられると騒々しくても何かしら単純化され、すっきりとした印象をもたらしてくれる気がする。

春の野にすみれ摘みにと来(こ)し我そ野をなつかしみ一夜寝にける(1424)


  山部赤人の歌。すみれの花は当時食用に供されていたらしく、赤人もそのために野原に収穫に来た。しかしすみれが野原一面に咲いて埋め尽くす風景がなんともうつくしかったので、予定を変えて野宿してしまったという意。感動を素直に歌うばかりでなく、さらにそれを「一夜寝にける」という行動に移して駄目押しをするところが赤人らしいといえるか。風景に即応的に感動し、それを素直に歌にするのが赤人の特徴だが、歌作りが同時的であったかどうかはわからない。自分の歌のスタイルや傾向を赤人という人はよく自覚して、それに沿って歌作りをしたと思う。

明日よりは春菜摘むと漂(し)めし野に昨日も今日(けふ)も雪は降りつつ(1427)

  同じく山部赤人作。この時代に土地の所有権がどの程度確定されていたのか私にはわからないが、赤人は菜を摘むためにある野原に目印をつけておいた。それで採集の権利をえることができたのだろうか。
「漂む」(シム)は「自分の所有であることを示すために目印をすること」とテキストにある。動詞で、シメシだから昨日のことでそのときも雪が降っていた、今日も同じで、残念がる作者赤人である。それほど印象にのこらない歌とおもうが「雪は降りつつ」について書きたくなった。雪は北国の人にとってはそれほど歓迎すべきものではないのかもしれないが、南国の人にとってはめずらしくうつくしいといえるのかもしれない。またそれがこの歌のように春菜を摘むことを不可能にした原因で作者を不快がらせたとしても、読者にとっては「雪は降りつつ」は言葉として格別に不快ではない。後にこの言葉が頻繁に短歌に使われることになったことを思うと、歌の内部と歌以外の外部とにある言葉の受け取り方のちがいに思い至らざるをえない。歌(詩)の外部では言葉はモノや事象や人に直結し、それらが人に与える影響や損得までも喚起するが、歌の内部ではなにかしらそういうことがややぼんやりしてくる。そのうえで、映像は勿論のこと、気分までも呼び起こすのだ。歌のなかの言葉としての美の固有の世界と、歌の外部の言葉が持つ騒々しくもせわしない世界は明らかにちがいがある。もっとも「雪はふりつつ」という言葉の歌のなかでの「定番」もまったく雪の人にたいする害を排除するのではなく、その意が少しぼんやりするということだ。
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