大洋ボート

縞模様のパジャマの少年

縞模様のパジャマの少年 [DVD]縞模様のパジャマの少年 [DVD]
(2012/02/08)
エイサ・バターフィールド、ジャック・スキャンロン 他

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  主人公の少年はナチスドイツの軍人を父に持つ。都会暮らしだが、やがて父の転属によって一家はユダヤ人収容所に近接する軍人宿舎に引っ越すことになる。
  友達と一緒に街路を走りまわって遊ぶ少年の姿が冒頭にある。両手を広げて飛行機のマネをするのだが、子供の自由な空気がよく表現されている。それが引っ越してからしだいに翳がさしてくる。父の表情は少年から見て変化はないものの同僚の軍人はいかめしいところがある。会議のためにドアを閉じるときに傍に居た少年を睨みつける眼付きは凄みを感じさせずにはいられない。薄汚れた身なりの老齢の給仕人がいる。実は収容所から連行されてきた男で、歩き方からして衰えの気配がある。また物置につかわれている地下室にはたくさんの人形がひとつの籠に捨てられたように無造作にまとめられて入れられてある。おそらくはユダヤ人の子供の持ち物であったのを没収したのであろう。少年の姉がソファに人形を大切そうに置いてくつろぐ場面がすでに映されたので無気味だ。このようにすべてではないが、見て接するもののなかには少年に異和感を抱かせる要素があって、少年の視線に寄り添ってよく表現されている。もっとも少年にとっては自分が見たものどもと戦争や収容所との深い関連性については理解の外にある。窓からとおくに見える収容所を「農場」だと誤解し、以前の都会生活をなつかしがり寂しがる。
  少年はやがて冒険をする。地下室のある物置の高窓に梯子を使ってよじ登ると森があり、そこを抜けると鉄条網で囲まれた収容所に達する。森に接する鉄条網近くに少年と同じくらいの年嵩の「縞模様のパジャマの少年」がいる。収容されている少年である。久しぶりに友達ができた気になった少年はそれ以来何回もその場所に足を運ぶことになる。食べ物を与えたり、鉄条網越しにボール遊びをしたりと。収容所の少年がはぐれたようにひとりぼっちなのは「いじめられっ子」であるからだろう。一方軍人の息子の少年にとっては降ってわいたような喜びで、見る者に解放感が清冽な水がしみいるように伝わってくる。素朴で、実にいいなあと思わずにいられない。少年はその出来事を父母や大人たちに秘密にして行動をつづける。やがて収容所の少年に請われて軍人の息子の少年は、大人では考えられないような無理解ゆえの大胆な行動をとる。しかし少年にとっては大胆でも何でもない友情の延長線上にある自然な行動だ。
  人と人は仲良くなれる。民族や人種のちがいなどそこでは何ほどのものでもない。それをストレートに表現した佳作。
  ★★★★

2008年イギリス・アメリカ制作
  
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レバノン(2009/イスラエルその他)

レバノン [DVD]レバノン [DVD]
(2011/01/07)
ヨアフ・ドナ

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  反戦・厭戦的メッセージのこめられた映画だが、これがイスラエル製作になるということが頭からはなれない。この国は建国以来周辺国と常時戦争を行ってきた国であり、そのことごとくに勝利してきたいわば軍事大国であり、現在もその様態は変らない。面積は小さくともその領土保全と国内秩序は周辺国への軍事的優越性抜きにしては語ることができない。だがこの国にも言論や表現の自由があるからこそこういう映画が作られて、諸外国へのメッセージとして成立するのであろう。この国の半面の寛容さか。この映画一本が自国の政策に変更を加えることなど、わたしには絶望的に見えるが、どの国にも戦争を嫌い、なじめない人がいるという当たり前の事柄が、またそれを伝えようとした映画製作者の熱意は感じられた点ではよかったと思う。ただ、イスラエルという国の人々が、とくに国家指導者をふくめて。ここで描かれたような心優しい人ばかりではないだろうということは、記しておきたい。作品そのものからの感想ではないにせよ。
  舞台は大部分が戦車内部で、四人の兵士はそこで二晩を過ごすことになる。暗く、息苦しくもあり狭苦しくもある。外の状況と風景は戦車砲の照準レンズによって戦車内部にまた視聴者に伝えられる。レンズだから円形で外周部は暗部で、これまた狭苦しい。(砲身が動くたびに機械音がともなう)見たところ十人以上の歩兵がゆっくりと進行し、それを戦車一台が一緒に進むという構図だ。総指揮官が歩兵とともに外部に居て戦車に連絡を寄越し、ときどきは乗り込んでくる。戦車兵は新人か経験の浅そうな青年ばかりで、とくに砲撃担当者は発射ボタンを押すことを頑固なほど拒む。思想的にか感情的にかわからないが殺傷を嫌うからで、このことが結果的に歩兵や戦車そのものにも損害をこうむらせることにつながっていく。戦果の有無が戦況に直結するということになるが、外にいる歩兵の立場からすればなんとも頼りない戦車なのだ。ヘリコプターで搬送するまでの間、歩兵の死体を戦車に載せたり、制圧が完了したはずの街で「テロリスト」との交戦があって民間人が殺されたりと、戦争そのものの場面の連続でありながら、戦車内部での兵同士の会話が大事にされるという構図になっている。
 殺したくはないが自分も当然死にたくない。死にたくないなら相手を先に殺せばよい。また砲撃を繰り返しながら全速力で逃げればよい。大きい視点に立ったときの戦争の残酷さでありながら、兵ひとりひとりにとっては恐怖との戦いだ。それはよくわからせてくれる。ようやく戦火から逃れられたとき同乗していたシリア兵捕虜とのあいだで安堵の表情が交わされる。わたしも肩の荷を降ろした気分になった。
  ★★★

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リチャード・ニクソン暗殺を企てた男(2004/アメリカ)

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(2006/01/27)
ショーン・ペン、ナオミ・ワッツ 他

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  ショーン・ペンが社会的な適応性がなく仕事も家庭もうまく行かず、怨みつらみからしだいに力を鬱積させていく男を見事に演じている。カメラワークが正攻法で奇をてらったところがなく、過剰なセリフもなく見やすい映画だ。
  ペンは小さな家具販売店の従業員だが、青年ぽい正義感の持ち主で店主が「騙しのテクニック」で客に商品を買わせたことに怒りを覚える。詳しくいうと、客に値引きを執拗にたのまれたペンがやむなく承諾する。するとそれをみていた社長がペンを別室につれていく。客のほうは値引きを撤回されるのかと思って、目の前に置いてあった契約書にあわててサインする。これが社長の計算づくのテクニックというわけだ。値引きによって赤字が発生すると客に思いこませるのだ。だが、こういうやりかたにペンはなじめず、持ち前の正義感もあって嫌気がさす。その少し前の社長との食事のおりには「商品にたいする信頼を持つことが大事だ」と説教されたこともあって、ペンは自分もまた小馬鹿にされた感覚を持つ。だがそのとき同時に社長は「ニクソンこそ、最大のセールスマンだ。彼はベトナム戦争終結を公約にして、二度も当選した。そして二度ともそれをまだやらない」と得意顔でペンに語ったものだ。どんな手段をつかっても商品を販売しろと、暗に命じている。
  どんな男であれ、自分は偉大で、能力も愛情も十二分に持ち合わせているという妄想を抱きはしないだろうか。ところが社会は不親切で、自分にふさわしい居場所をあたえてくれないという被害感情も同時にもたざるをえない。それならば社会に妥協したり屈従したり一旦はしなければ生きていけない。収入を得て生活を成り立たせることが最初の必要事だが、この映画のペンにはその志向がない。手堅さがなく、新しい仕事の構想にしても、いきなり大きなことをはじめようとする。別居中の妻ナオミ・ワッツにたいしても修復可能だと信じこんでいる。ワッツのほうはどうもその気がなく、別居は離婚にこぎつけるための冷却期間だとみなすようだ。主観的な愛情とか誠意とかが、女性には通じない場合がある。自分を客観視すべきだとはよく言われることだが、人はなかなかそれができない。私のこの論が説教調にならなければいいと思う。青年期から中年期に足を踏みだす時期、多くの人がこの映画のショーン・ペンの不安定さに支配されるのではないだろうか。私もそうだったから、他人事とはおもえない。
  ★★★



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リリィ・シュシュのすべて(2001/日本)

リリイ・シュシュのすべて 通常版 [DVD]リリイ・シュシュのすべて 通常版 [DVD]
(2002/06/28)
市原隼人、忍成修吾 他

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  冒頭から字幕がわりと長く流れる映画で、このタイプは苦手なのでどうなるのかと思ったが、そこを過ぎれば映画のなかに入っていけた。字幕は「リリィ・シュシュ」という女性ポピュラー歌手への複数の人からの賛辞と応援である。おそらくはネット掲示板で、投稿者はすべて匿名(ハンドルネーム)だ。字幕の場面が過ぎると、青々とした稲田のなかで携帯用音楽プレイヤーのイヤホンを耳にさして立つ少年市原隼人がいる。聴いているのはおそらくはリリィ・シュシュであるだろうと視聴者に想像させる。さらには、市原をふくめた少年3人組がショップからCDを大量に万引きして中古店に売りつける場面に転換する。
  主役の市原はおとなしい少年で、悪事に加担させられたりいじめられたりする。また蒼井優は援助交際をするが、そこでえた金を中学の同期生にカツアゲされる。あらかじめ命じられたことらしい。つまりは中学生同士の犯罪やいじめが描かれるのだが、それだけではなく、はじめに書いたリリィ・シュシュへの賛歌も並行する。その賛歌のなかに市原も混じっている。いじめを受ける市原や他の少年少女は我慢するしかない、反抗するともっとひどい仕返しをされるかもしれないという恐怖もあるだろう。それに学校という環境はかぎられた時間だから、そこを過ぎればいじめから逃れられるだろうことも視野にあるだろう。つまりは彼等はその環境では羽を伸ばして生きられないという諦めがある。そしてリリィ・シュシュへの賛歌と没頭だ。単に素敵な歌を歌う女性のファンであるという以上に、彼等は人というものへのあこがれを表現するのだ。人への好きという思い、尊敬、やすらぎ、仲間意識、そういう当たり前の感情を普段接する同級生に十分に表現できないからこそ、それをあえてリリィ・シュシュへぶつけるのだろう。そう思うと、ここに描かれた中学生は人間としての健全さと飢えをまだまだ失ってはいないと安心もするのだ。岩井俊二監督の狙いもそこにあるのだろう。いじめがエスカレートしてのさらなるいたましい出来事を描くことも忘れず、それはそれで重要ではあるが。
  雑然としたカメラアイを意識的に使用している、といえば語義矛盾になりかねないが、そういうことも感じられた。人の姿をなぜか急に下から見上げるような位置から撮ったりするが、脈絡も理由もない。またカメラがわずかに見苦しくない程度にたえず揺れている。典型的だったのは、溺れかかって岸にたどり着いた後呼吸停止状態になった中学生の撮り方だ。たいへんな出来事にちがいないが、カメラは中学生の顔を中心にした接写の位置から動かずズームも使用しない。複数の人がやってきて胸を押さえたり口に息を吹き込んだりの人工呼吸を試みるのだが、まるでカメラは無造作を装っている。たいへんだ、心配だという人間の感情を排除するような無機質な感覚を呼び起こす。対象をごろんと投げ出したというような。いじめや犯罪に近い出来事が溺死寸前状態と同じく、日常茶飯事としてたえず生起する世界としてこの映画は捉えていることをこれらのカメラアイは表現しているようだ。
  これらは私たちの日常の視線を喚起させるのに十分な撮り方だ。私たちは眼に入るものをたえず集中して見るのではなく、視野に飛び込んできたものを何気なく見るということのほうがむしろ多い、集中はそのあとから意識して行うのだ。逆に見たくなければ眼を逸らして見なければいいのだ。だが映画の場合はそうではない。カメラに映ったものは見せられる。退屈なもの、どうということもないもの、逆に重要時でもっといろんな角度から見たいもの、それらを等価にして下手な撮影者のように装って撮る。こういう撮り方はこの映画がはじめてではないにせよ、有力な一方法ではあるにちがいない。あらためて認識させられた。
     ★★★★
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