絲山秋子『ラジ&ピース』
11/04/2009 (Wed)
![]() | ラジ&ピース (2008/07/31) 絲山 秋子 商品詳細を見る |
主人公の相馬野枝はフリーのラジオタレントで、仙台で担当していた番組が終了して、いくつかのラジオ局で面接を受けたのちに群馬県の高崎にあるFM局に入社することになる。そこで午後のワイド番組のメイン・キャスターを担当する。題名の「ラジ&ピース」はその番組名。
野枝は容貌とスタイルにコムプレックスを強く抱いている。そのために地味目の服装しかできない。いつも不機嫌で、やや妄想めくが、いつ他人から攻撃されるか恐れている。つまり自己嫌悪をはげしく抱く女性で、逆にそうだからこそ自己愛も強いのだと、自己分析をしてそれでまた嫌になる、ぞっとする、そういう女性であることが冒頭に記される。これは「内面」にあたるのだろう。それを他人にぶちまけてしまうことはできない。内面を押し隠しつつ、他人を警戒する、適度な距離を保つ。そして「内面」があれば逆に「外面」がある。ラジオ番組のキャスターともなれば、それにふさわしい人柄を装わなければならない。明るく、快活に、というところだろうか。またテキパキと時間にあわせて番組を進行させなければならない。私は、そういう内面と外面の関係がねじれあって、相互に影響しあって、この女性がどういう風に変化するのだろうかと、興味を持って読んだが、どうもはぐらかされた気がする。
番組は日々アクシデントなく放送されて順調に軌道に乗る。野枝は番組内の自分は演出された人格だと自己規定しているようで、たとえば、リスナーからの〈私は何々を食べた、相馬さんは夕食は何を召し上がられますか〉というメールを読んで、〈和風パスタ〉と答える。だが舌出しするように、〈そんなものは食べない〉と決めてしまうのだ。つまりは内面と外面の使い分けを意識してやっているように私にはみえた。だが多くのメールが寄せられ、彼女が人気者になってからは、これが少し変わってくる。窮屈さがとれて解放的になる。
不眠鳥が、恐妻センター前橋が、もとアスパラガスが、鬼石のへっぷばーんが、backto群馬町が、うつぼくんが、それからスラッシュが、トロイの種馬が、大間々のマーキーが、あとは、たっぷりくんが、邑楽(おうら)のみっちゃんが、数百,数千のラジオネームが野枝の目の前にあった。
停電が終わって突然夜景が目の前に広がったようだった。野枝の胸の中にきらきらと無数の灯りがともった。
野枝は生れて初めて人気者になった気がした。こういうことだったのだ。(p90)
奇怪な名前はすべてリスナーのメールにあるニックネームである。おそらくは、放送エリアの全域にわたってリスナーが健在なことに思い当たって、気をよくしたのだ。のみならず、ここで登場する「恐妻センター前橋」という五十代の男とは連絡を取っていっしょに温泉に行くまでの仲になる。特定のリスナーとの番組以外での交流はみずから禁じていたのに反してだ。それもうしろめたさはまったくなく、できた。こういうこともバネになって、ラジオタレントとして安定してきた、こつをつかんだという自信が野枝のなかに自然に湧いてくる。だが、この成功と感動が主人公野枝をどう変えるのかといえば、あまり変わらない。というか、書かれていない。ここが少々物足りなさを感じるところで、もっと野枝を変えてみせてくれるなり、変わらないなら変わらないということを追究してほしいのだが。絲山秋子は野枝を内面に「帰還」させることで、ほっとさせているように思える。これが唐突な印象を受ける。
野枝は笑わなかった。姪は単なる涎を垂らし奇声を発して徘徊する危なっかしい生き物だった。壊してしまいそうで、抱くことなどできなかった。みんながりらのために愚かしい言葉を使っているのを見て、彼女は激しいストレスを感じていた。あれこれと野枝に話しかけてきたのは妹の夫の清志だったが、気を遣われることを野枝は嫌った。(p125)
妹の真弓が最初の死産を乗り越えて、二度目にして授かった赤ん坊「りら」を抱いて夫妻で実家に帰ったときの描写で、連絡を受けて野枝も帰って同席した。妹とは子供のときから仲が悪く、その影響で、赤ちゃんといってもさっぱり可愛くない。子供のときの兄弟姉妹の不仲は大人になっても引きずってしまうもので、野枝の暗さの淵源のひとつがここにあると思わされる。「ストレス」を感じつつも、私には野枝の自己確認とそれによる奇妙な安心感を読みとれる気がした。小説のふりだしにもどされた気にもなった。
三十代前半で独身らしいから、番組スタップはじめ「恐妻センター」やら自然消滅しかかっているボーイフレンドやら、男性関係にはどこか意図的によそよそしくて冷たい、警戒する姿勢が表面とはうらはらに描かれるのは、そんなものかなと、納得させられる。異性に大して期待しないことが自然にそなわってしまったようにもみえる。小さな成功をかさねつつ「内面」も大事にしていく、これが主人公の理想にも思えるし、実人生がそんな風にういまくいくことはだれでもが願うところではあるだろう。しかしそれだけを言われても、小説=文学としては断片的範囲でしかないのではないか。駄作ではないと思うが、残念な印象がのこった。
ヴィヨンの妻〜桜桃とタンポポ
10/31/2009 (Sat)
原作が太宰治であり、太宰をモデルにした小説家役の浅野忠信もでてくるが、太宰を掘り下げるというよりも、浅野の妻の松たか子に焦点を当てている、つまりは松が主演の映画である。浅野が数年にわたって馴染んできた居酒屋から金を盗み出した。怒り心頭の居酒屋の夫婦の伊武雅刀と室井滋が家まで乗りこんでくるが、松は気丈に応対して、二人の居酒屋で自分が働いて金を少しずつ返済することで伊武と室井に納得してもらう。
働きはじめると、松の人気で店はおもわぬ繁盛振りをみせる。ここからが物語のはじまりである。小説家の浅野のファンである妻夫木聡と知り合ったり、かつての恋人の堤真一と偶然再会したりする。子供を抱える松だったが、ここで春がふたたび訪れる気配に直面するのだ。人生はひとつの選択しかできないが、放蕩癖があり女性関係にもだらしない浅野と結婚したことがよかったのか、松は迷う。それまで考えてもみなかった「自分探し」を、もたらされた偶然によって、忙しいなかで秘かにやってみる。だが、ついには恋にいまさら突き進むことができない自分を発見するというのが結末で、「自分探し」はそれまでの自分に戻る、それまでの自分をつづけることで幕が下りる。
松のなかに動かないものがある。動こうとしたものは、はたしてあさはかな欲求だったのか、古い時代だから女性は貞操堅固だったのか、夫への義理か、小説家の夫への尊敬の念がはたらくのか、そういうもろもろが作用したのかもしれない。また夫との関係がまだまだ端緒についたばかりだという思いもあるだろう。だが映画は、松が動かない理由をはっきりはさせない。少なくともわかりやすい説明はない。これは根岸吉太郎監督の意思だろう。結婚して短いながらも家庭生活を松たか子は体験して、そこで何か言葉にはできない肯定的なものをつかんだのだ。書いたような家庭生活にはとても向かない浅野忠信の人物像だから、あたたかい愛情を素直に交わすことなど難しいにちがいなく、松たか子は耐えることも覚えずにはいられなかっただろう。だが忍耐というだけでは「肯定的なもの」は説明できない。また「肯定的」と書くものの、反面たいへんかぼそいものでもあるのだ。だがかぼそくても引っぱられる、大事にしたい。動かないものとはそんなことではないのか。視聴者としてはわからないようでわかる、そこはかとしながらも芯は松たか子のなかに見える、私はそんな自分勝手ともいえる解釈に促されつつ、松たか子を見守った。
映像としては、浅野と広末涼子が心中をしようとする場面が印象的だった。森のなかの川の急流を見下ろす場所だが、なかでも浅野が睡眠薬を大量に飲んで木に首を紐でくくりつけて仰向けになったときだ。カメラは地から天への浅野の視線を代行する。杉の木立がまっすぐに伸びたその先に青空が、なんともあっけらかんとして映る。私はぞくっとした。冷たいといえば冷たい感触で、心中という地獄的な思いでさえ、なにかしらあたたかく映ってしまう。これは空という存在が人間的な思いになんのかかわりもなしに、それ以前にあるからだ。浅野がその風景を飲みこむようにする様子が、私は見た気がする。
出演者のなかでは伊武雅刀と室井滋がいい。脇をかためるという言い方があるが、この二人は出番が多いだけにそれ以上に土台を形成している感がある。出しゃばらないという意味でもあり、清楚さを自然にかもしだすが少し危なっかしい松たか子を支えるのに十二分に貢献している。浅野忠信、妻夫木聡、堤真一にも好感が持てた。最後に松が浅野に言うセリフは「生きていさえすればいいのよ」。これは原作では主人公(太宰)に悪魔的に響いたが、映画ではそうでもなく、肩透かしを食らった気がしたが、これも私が太宰治に思わずこだわるからかもしれない。
★★★
働きはじめると、松の人気で店はおもわぬ繁盛振りをみせる。ここからが物語のはじまりである。小説家の浅野のファンである妻夫木聡と知り合ったり、かつての恋人の堤真一と偶然再会したりする。子供を抱える松だったが、ここで春がふたたび訪れる気配に直面するのだ。人生はひとつの選択しかできないが、放蕩癖があり女性関係にもだらしない浅野と結婚したことがよかったのか、松は迷う。それまで考えてもみなかった「自分探し」を、もたらされた偶然によって、忙しいなかで秘かにやってみる。だが、ついには恋にいまさら突き進むことができない自分を発見するというのが結末で、「自分探し」はそれまでの自分に戻る、それまでの自分をつづけることで幕が下りる。
松のなかに動かないものがある。動こうとしたものは、はたしてあさはかな欲求だったのか、古い時代だから女性は貞操堅固だったのか、夫への義理か、小説家の夫への尊敬の念がはたらくのか、そういうもろもろが作用したのかもしれない。また夫との関係がまだまだ端緒についたばかりだという思いもあるだろう。だが映画は、松が動かない理由をはっきりはさせない。少なくともわかりやすい説明はない。これは根岸吉太郎監督の意思だろう。結婚して短いながらも家庭生活を松たか子は体験して、そこで何か言葉にはできない肯定的なものをつかんだのだ。書いたような家庭生活にはとても向かない浅野忠信の人物像だから、あたたかい愛情を素直に交わすことなど難しいにちがいなく、松たか子は耐えることも覚えずにはいられなかっただろう。だが忍耐というだけでは「肯定的なもの」は説明できない。また「肯定的」と書くものの、反面たいへんかぼそいものでもあるのだ。だがかぼそくても引っぱられる、大事にしたい。動かないものとはそんなことではないのか。視聴者としてはわからないようでわかる、そこはかとしながらも芯は松たか子のなかに見える、私はそんな自分勝手ともいえる解釈に促されつつ、松たか子を見守った。
映像としては、浅野と広末涼子が心中をしようとする場面が印象的だった。森のなかの川の急流を見下ろす場所だが、なかでも浅野が睡眠薬を大量に飲んで木に首を紐でくくりつけて仰向けになったときだ。カメラは地から天への浅野の視線を代行する。杉の木立がまっすぐに伸びたその先に青空が、なんともあっけらかんとして映る。私はぞくっとした。冷たいといえば冷たい感触で、心中という地獄的な思いでさえ、なにかしらあたたかく映ってしまう。これは空という存在が人間的な思いになんのかかわりもなしに、それ以前にあるからだ。浅野がその風景を飲みこむようにする様子が、私は見た気がする。
出演者のなかでは伊武雅刀と室井滋がいい。脇をかためるという言い方があるが、この二人は出番が多いだけにそれ以上に土台を形成している感がある。出しゃばらないという意味でもあり、清楚さを自然にかもしだすが少し危なっかしい松たか子を支えるのに十二分に貢献している。浅野忠信、妻夫木聡、堤真一にも好感が持てた。最後に松が浅野に言うセリフは「生きていさえすればいいのよ」。これは原作では主人公(太宰)に悪魔的に響いたが、映画ではそうでもなく、肩透かしを食らった気がしたが、これも私が太宰治に思わずこだわるからかもしれない。
★★★
陸軍中野学校(1966/日本)
10/28/2009 (Wed)
![]() | 陸軍中野学校 [DVD] (2007/12/21) 市川雷蔵小川真由美 商品詳細を見る |
市川雷蔵が冷酷非情のスパイを演じる。シナリオの内容からしても冷酷であり陰惨であるが、市川は視聴者にかすかだが確実な親近感を抱かせる。市川雷蔵は屈折した表現力をもった俳優だった。最終的には、市川は婚約者の小川真由美を敵のスパイとして殺す命令を受けて実行するのだが、それでも市川雷蔵のもつ表現力がはたらいて、無念さと悲哀を抑制したなかでにじませる。市川は行動的には、軍の命令にまったく反抗的ではなく従順そのもので、その意味で「優秀」で冷酷非情でけっして正義の士ではないが、なぜかそんな風に映ってしまうほどだ。出現しがたい不思議な魅力を有した俳優だったといえる。
題名の「中野学校」は実在したスパイ機関であるらしい。その創設者の加東大介が、大学を卒業して陸軍に入隊した青年を中野学校にスカウトする。青年らは家族・友人・知人に何ひとつ告げることなく行方をくらます「不在者」の形をとる。市川もその一人だったが、どうしても納得できないのが市川の婚約者の小川真由美だった。タイピストの腕がある小川は陸軍に職をえて、市川の情報をとろうとする。だがそこは連合軍の無電文の暗号解読を使命とする部署だった。小川は以前にイギリス人の経営する会社に勤務していて、そこの社長にスパイになるようにそそのかされ、戦争に反対する気持ちもあって、従う。だから、市川ら中野学校のメンバーが苦労して、せっかくイギリス領事館から暗号のマスター・ノートを盗み出しても、小川の通報でたちまちにして暗号を変更されてしまう。
中野学校の訓練の過程も描かれる。訓練の内容はやや貧弱にしか描かれないが、二人の自殺者が出ることが痛ましい。寂しさに耐えられなかったり、不祥事を起こしたりで、後者の場合は「自殺」ではなく、機密保持と学校の「見栄」のための極刑であり「自殺」の形をとらされたに等しい。同僚が剣を突きだしたところへ突進させられるという残酷さで、市川雷蔵は制止することなく黙って見守るのみだ。
市川が小川を殺すのは、加東大介の「温情」の命令による。スパイの汚名を着せられて(名前を公表されて?)官憲によって処刑されるよりも密かに葬るのが、小川にとってせめてもの名誉だからと言う。二人しての逃亡もありうるところだが、この映画ではそうはならない。また、東宝の社長シリーズではさっぱりおもしろくない加東大介が、この映画ではきりりとして作品を引き締める役割を果していた。
★★★





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