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大洋ボート

 本と映画の感想文。詩作も。

黒岩重吾『飛田ホテル』(2)

  黒岩重伍は若い頃、天王寺・釜ヶ崎地域に棲んだことがあるそうで、そこでの体験や見聞が作品に生かされている。下層の人々の生態が、こんなことが本当にあるのかという具合に読者をあきれさせ、同時に、そこで精一杯に生きて、脱出願望を実現させようとする特に若い女性の執念が、通俗性をまじえて描かれる。
  「隠花の露」は典型的な篇。子供は親を選べない。周囲の環境もふくめてそうだから親の影響を好かれ悪しかれ被る。成長するにつれて親への反発心が芽生えてくるものの、子供ならどうしても親の庇護を受けなければ生きていけない。そこがジレンマだ。縁子は、母・清美の愛人であるタクシー運転手の佐村が昼間アパートを訪ねてくると、隣室へ移動しなければならない。清美が肉体を売ることによって一家の生活がかろうじて成り立っていることを縁子は知っている。そこは安アパートの一室で、アパートの住民が清美のあからさまな声によって集まってくるので、縁子はトランジスタラジオのボリュームを上げさるをえず、廊下を見張ることもする。縁子には恵美子という姉がいて、中学を出ると男をつくって家を離れるが、男と別れたときには家に戻ってきて、男ができればまた出ていくという繰り返し。そんな姉妹と関わるのがアパートの大家の種村で、なんとコールガール組織の元締めをかねていて、姉妹に声をかけて客を紹介するのだ。こんなことが実際にあるのか、と疑いたくなるが、やくざ組織がしきる売春よりも比較的自由でいられるという。
  縁子は工場や喫茶店勤めもするが、家に金を入れなければならないので足りず、種村の誘いに乗ってしまう。売春に抵抗感がないことが姉妹の特徴のようだが、縁子は男やセックスが格別好きということもなく、どうやら結婚資金をためるための身近な手段でもあるらしい。恵美子のほうが先に堅気の工員との結婚を実現するのだが……。
  「虹の十字架」は前半が「隠花の露」と類似していて、ヒロイン浅香の継母の康江は「隠花」の清美とまったく同じく男狂いで、アパートに男を頻繁に引き摺りこむ。しかも夏の盛りには浅香に「五百匁(1875グラム)の氷」を買わせてきて、セックスの最中も部屋に居させ、ことが終わった後氷水にひたしたタオルで二人の身体をすみずみまで拭かせる。このときにかぎって康江は浅香に異常なまでに暴力的になって、浅香を従わせる。康江は浅香が二人から目を離すことをさせない。「何時か浅香は、汗が眼に入っても、まばたきをしないようになっていた。放心したような霞んだ眼を一点に据えている。」これも本当かいなと疑わせなくもないが、迫真性はある。浅香にたいしては直接の心理描写ではなく、こうした外側からの印象で描かれ、以後も黒岩は主にこの手法で浅香を追う。浅香は他人とのつながりをもとめることにかけては一途で、その分、成長するにつれて失意も味あわされる。浅香は浮浪児で継父の印刷工・弥吉に拾われた。弥吉は真面目で勤勉一辺倒で浅香を可愛がったが、その反面康江の行動を勘付いてはいたものの別れることはなく過ぎる。その理由はわからないが、康江が急死してから浅香の風景はがらり変わる。弥吉との関係は良好で、読者からみればツキがまわってきたとみえるが浅香にとっては虚ろさを引きずることに変わりは無かったようにもみえる。結婚にもまして、人からの愛情に飢えた女性の像が浮かびあがる。
  「女蛭」は唯一下層民の話ではない。女性の一人の男性に対する薄気味悪い執念が描かれる。百貨店部長の国本は同社会長の娘と結婚しており、順調にいけばさらに出世しそうな勢いだ。だが、愛人の君子が殺害されたことで身辺があわただしくなる。
  堂本しのぶという女性が怖ろしい。国本が独身時代に愛人であった同社の女で、彼の結婚を期にして別れることになった。しのぶは別れには同意したが、以後愛人をつくらないこととと、自身が会社に務めつづけることを国本に約束させた。十五年前のことで、いまだにしのぶは会社に居て、以後男関係は無く独身の身で国本を監視しつづける。社員数が多く、同じ部署ではないが情報収集くらいはできるだろう。わたしからすれば、そんな約束なんてどうでもよく、さっさと結婚するならして自らの幸せを掴むべきではないかと突っ込みを入れたくなる。だがこの女は国本を監視することが、「正しい道」を国本が歩むのを見届けることが生きがいとまで云うのだ。かなわないな、こういう人居るんだ。理解できない。いびつ化した愛情というべきか。読者の予想どおりに彼女は君子殺害の件に噛んでくる。




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黒岩重吾『飛田ホテル』(1)

  1958年から64年にかけて発表された短編6篇が収められている。黒岩重伍は何冊か読んだことがあるが、これは今回がはじめて。
  高度成長の時代で、貧乏から人々が脱出しようとして忙しい思いをしていたであろうわたしにとっても懐かしい頃だ。下層民、あるいは「どん底」とよばれる階層の人々が多く登場するが、その位置に諦め半分に停滞する人も居て個性的に描かれるものの、むしろ若い女性のはげしい脱出・上昇志向に焦点がしぼられて、一見その謎めいた行動が軸となって話が展開する。ミステリーだからいずれの篇も犯罪に行きつくが、一方では、中心にいる女性にたいしてその周辺にいる疎遠とはいえない人がからんでくる。その人固有の身近にいる人々への関心や興味や嫉妬、それが高じた抑えられない憎しみが因となって行動が惹起され、悲劇が起る。だれもが心当たりがあるであろう、特定の芸能人に対しての異常なまでの関心を示す人(女性に多い)がいるが、そういうタイプの人を思いだしてもらいたい。重要人物として不可欠な存在となっている。わたしにはその異常さは理解不能だが、だからこれは貧乏脱出にかぎったことではなく、犯罪にかぎったことでもなく、わたしたちの日常の周辺に嗅ぐことのできる要素が含まれている。女性の上昇志向はいにしえからつづく古典的心性というべきか。またその上昇志向には、鬼畜のような親と同居しなければならなかった子供時代のいびつな家庭環境への積もり積もった復讐の念が梃になる篇もある。
  「飛田ホテル」の舞台は大阪市天王寺付近の飛田というところに立つボロアパート。4畳半一間の部屋でおそらくトイレは共同で風呂などない。饐えた匂いがして入り口の履物入れには窃盗予防のため何も置いていないという按配。(こういうアパートは今でも探せばあるだろう、絶滅はしていない)堅気の人も居れば、娼婦、ポン引き、博打打などいかがわしい「どん底」の人も棲んでいる。家賃は安く、「飛田ホテル」は人々がつけた通称。そこへ傷害事件を起こして服役していた有池一が帰ってくる。だが彼を待っているはずの浪江がいない。数日前に失踪したことを有池と親しい人々から知らされる。やくざから足を洗って彼女と新生活をおくるつもりだった有池は落胆する暇も無く、独自で浪江の探索を開始する……。
  アパートには娼婦の仙子や律子がいる。仙子は有池にちんぴらから守ってもらったことがあり、律子は有池と肉体関係を持ったこともあって二人とも有池に好意を抱いており、できれば有池と浪江の仲をひき裂いて有池を奪いたいという野心がないでもない。またアルサロ勤めをしていた浪江にしつこくつきまとう香本という若い男がいる。一方的に現金を送り付けてついに浪江と関係をもち、さらにそのあとも浪江の尾行をつづけ、「飛田ホテル」をつきとめる。浪江は個人的にひそかに売春もやっていたのだ。香本が浪江を誘拐、あるいは殺害したのかという疑いをもって有池は香本と対面する。だが浪江の尾行をしていたのは香本一人ではないことがわかる。浪江のあらさがしを躍起になってしていた人物がいるのだ。
その人物の浪江の「不正」を憎む心は普通ではない。香本の浪江がいかに好きか、素晴らしい女かというあけすけで下品な告白、金で情報をあっさり売ってしまうポン引きの哀れさなども印象にのこる。
  「港町神戸に、唖の売春婦たちが集る、或る中華飯店があった。」これが「くちなしの女たち」の書き出しである。実際にそんな店が当時あったかどうかは、無論わたしにはわからない。密輸など国際犯罪が跋扈する、警察も容易に全容がつかめない地域のなかにその店があるといい、不良外国人や邦人のちんぴらや愚連隊(今や死語?)が多く出入りする。唖者の女は自由恋愛をたてまえとするため客の立場でカウンターに座って男性客と筆談!で交渉する。美人が多い。保険外交員の古多木がそこを訪ねる。長男で障害者(足が不自由)の良男がその店の横の路地で何者かに撲殺されたからである。警察によると、良男は何度かその店に行ったことが判明しており、進まない警察の捜査に業を煮やして古多木自らにわか探偵となって、実際に買春もして情報収集をこころみる。
  ここにも世の「落伍者」を自認せざるをえない唖者の女たちの上昇志向がある。唖だってちぢこまることはない、恋愛だってセックスだって奔放に実行して伸び伸び生きようというような。だが彼女たちも「もっと上」の幸福があることを知って、地団太を踏み、嫉妬の炎を燃やす。古多木の捜査は良男の下宿先を訪ねて遺されたノートを手に入れ、聾唖学校の教師へ、さらに良男と仲の良かった唖者の女性へとたどり着く。だがその女は例の店の「客」ではなかった。
  古多木と売春する女の性的描写がねちっこく、作者にとっては大事と見なされる通俗志向がいかんなく発揮されるが、今日ほどの露骨さはないというべきか。


  




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伊勢物語・二十三段

  平安期のことはよく知らないが、男女間の結びつきは今日よりも比較的自由だったのかもしれない。無論、両家が認めた正式の結婚はあったが、愛人をつくったり、重婚状態を維持することにも寛容だったのではないか。それを嫌忌する道徳性が、男女二人の感情はともかくも、世間的には薄かったのではないか。この段を読んでそんなことを感じた。
  幼いころから相思相愛の男女がいた。親は別の異性を勧めたこともあったが、二人の結びつきは固く、成人するに及んで結婚にこぎつけた。だが女性の親が死んで窮乏に陥るおそれがでてきたので、男は大和から河内に仕事に通わなければならなくなった。おそらくよい稼ぎがあったのだろう。だが同時にそれは、男にとっては当地に棲む別の女性との同居状態をも受け入れなければならない事態を意味した。詳しくは書かれていないがそう読める。たぶん日帰りをつづけられる余裕はなく、食事や住居等を他人に世話してもらわなければならない環境下だったのだろう。女性の方もそれを知っているものの、快活に見送るのだ。男は自分とのひと時の別離を、女は喜ぶのではないか、別の男ができたのではないかと疑うが、出立するふりをして植え込みに隠れて女の様子を眺めていると、そうではないことが判明する。

(前略)この女、いとようけさうじて(化粧をして)、うちながめて、
  風吹けば沖つしら浪たつた山
   よはには君がひとりこゆらむ(48)
とよみけるをききて、かぎりなくかなしと思ひて、河内へもいかずなりにけり。

 
 「うちながめて」が重要で、物思いにふけってぼんやり眺めるもという意味らしい。こういう表情を男は女に初めてのように見出したのではないか。感動を呼び込むのだろう。それに歌がダメ押しする。「かなし」もいとしいという意味。

  だが男は仕事の事情でか、ときには河内の高安(当地)に赴かなければならず、くだんの女とも同居しなければならない。男は女の振る舞いを見て嫌気がさす。「正妻」にぞっこんなので仕方ないのだろうが、女の下品さが男によって強く軽蔑されることに特徴がある

  まれまれかの高安に来てみれば、はじめこそ心にくくもつくりけれ(奥ゆかしく装っていたが)、いまはうちとけて、てづから(自分で)飯匙(いひがひ=しゃもじ)とりて、笥子(けこ=飯を盛る器)のうつはものにもりけるをみて、こころうがりていかず。なりにけり。



  化粧しなくなった、自分でご飯をよそって食べる、これらのふるまいが下品だとはいえるのかもしれないが、わたし個人としては些事という気がするが、若年時にあっては大事なのだろう。こういう嫌悪がもとで異性への好感が消滅することもありうる。しかしそれだけで離別に至れるのならば、男にとっては身軽な時代背景だったのだ。また男が逆に好感を抱きつづければ重婚状態をながく維持できたとも考えられる。男にとっては「正妻」のもとに帰って行って、「正妻」にとっても日常の安定を取りもどせてめでたしめでたしで、ここで終わってもよさそうだが、作者は去られる高安の女の悲しみをさらにすくいとる。幸福よりも悲しみに執着するのが、日本文学の伝統なのか。

(先の引用からのつづき)、さりければ、かの女、大和のかたを見やりて、
  君があたりを見つつを居(を)らむ生駒山
    雲なかくしそ雨は降るとも
<あの人の住む大和の方を見ていよう。生駒山を雲よ隠してはならぬ、たとえ雨は降っても>(49)
といひて見いだすに、からうじて「大和人来む」といへり。よろこびて待つに、たびたび過ぎねれば、
  君こむといひし夜ごとに過ぎぬれば
    たのまぬものの恋ひつつぞふる
<あなたがいらっしゃると聞いたその夜ごとに、ただ空しく過ぎましたので、もうあなたを頼みとは思わぬものの、やはりお慕いつつ日を送っています>(50)
といひけれど、男、すまずなりにけり。


  男は内心とは裏腹に再訪を口約束したのだろうか。女はそれを信じ、かつ慕っていたので長く待ちつづけた。周囲の人もそれを知っていたので同情しで「大和人来む」と言ったのだ。切ない。
なお、渡辺実は、高安の女のように、相手の男にうちとけて油断することが「最もつつしむべきことであった」とする。普段から化粧することが「心の洗練の一つの姿」である。業平を中心として称揚される「みやび」なのだろうか。しかし、わたしにとっては高安の女の悲恋のほうに印象が傾く。


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伊勢物語・二十四段

あひ思はでかれぬる人をとどめかね
わが身はいまぞ消えはてぬめる(54)(出典明示無し)
<私の愛に応じてくれることなく離れてしまった人を呼びとめることができず、わが身は今や死んでいくらしい>「かる」は「離る」で去って行くこと。


  出典不明の歌で、この段の四首目にあたる。作者の創作かもしれない。失愛のどん底につき落とされて今にも死に果てようとする悲痛がにじみ出て、単独で十分鑑賞に耐えられる歌にもかかわらず、さらに追い打ちをかけるように作者は他の歌を借用し背景説明をくわえ物語にする。いっそう悲痛さが深まる。
  三年間、仕事のために遠隔地に赴いていた夫が妻のもとに帰って来た。こういうことは当時では珍しくなく、渡辺実によれば、妻に子のある場合は五年後、子のない場合は三年後、再婚することが公に許されていたという。その日はちょうど既に再婚が決まった相手との逢瀬の約束の日に当たっていた。なので戸をたたく元夫を家に入れずに歌を詠んでさしだす。

あらたまの三年(みとせ)を待ちわびて
ただこよひこそ新枕(にひまくら)すれ(51・続古今集)
<三年の間あなたを待ちわびて、ちょう今夜という今夜、他の男とはじめて枕を交すことになっているのです>


  後の展開を考慮すると、これはきっぱりした拒絶ではなく元夫がよりにもよってその日に帰宅してきたことへの狼狽と混乱を内包していると読むべきだろう。ただ夫は妻の心をそこまで汲みとれたかは心もとない。むしろ用意していたかもしれない遠慮や諦め(別離)の境地を追認したのか。

梓弓(あづさゆみ)ま弓つき弓年を経て
わがせしがごとうるわしみせよ(52・出典明示無し)
<夫は必ずどの男と決めねばならないものではないかもしれず、あなたは別の男とでも夫婦として幸福にやっていけるかもしれない。私が長年あなたにしたように、これからは新しい夫を大切にしていきなさいよ>


  「梓弓(あづさゆみ)ま弓つき弓」はどんな弓でも大差はなく、同じように夫たるべきは私でなければならないということではないのだ、と解釈すべきか。ともかくも内心の寂しさを表に出すことなく、祝福の辞を妻に男は贈ったのである。礼儀だろうか、やさしさだろうか、処世だろうか。そうして去っていく男にたいして、ここにきて初めて女が真情をぶつけるように吐露する

梓弓ひけどひかねど昔より
心は君によりにしものを(53・万葉集その他に類似の歌)
<あなたが私の心を引こうが引くまいが、私の心は昔からあなたひとりを頼りにしてきましたのに>
といひけれど、男、かへりけり。


  男に女の叫びが聴こえなかったはずもないが、決断を動かすまいとしたのか。正式に決まった女の再婚を、以後の幸福を破壊することを怖れたのか。女は自身の真情にぶちあたるまで時間を、それもわずかな時間を要した。恋愛における言葉のやむをない行きちがい、意識しようとするまいと、結婚制度という大きい壁が立ちはだかる。以後は残酷である。

女、いとかなしくて、後(しり)にたちて追ひゆけど、え追ひつかで、清水のあるところにふしにけり。そこなりける岩に、および(指)の血して、書きつける。


  そして、最初に掲げた歌となり、女はそこで死んでしまう。歌では女が自死を推量する形になっているが、説明文では即死として断定される。男はその結末を当然知らない。悲痛の感情の高まりが短時間でここまで人を落としこむのか、ありうる気がしてわたしは少し震えた。急転直下、なんとも壮絶な顛末である。




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伊勢物語・二十一段

  伊勢物語は万葉集以降の歌集に掲載された和歌に簡素な背景的説明がくわえられて再掲載されたものである。主要筆者は在原業平といわれ、初めは業平が自己の歌を中心に据えて編んで成立したものでありながらおそらくは複数の他者の筆写の段階で筆写者によって新たな段が創作されてつけくわえられたという。また短い後註もすでに成立した段にあらたに加えられたようだ。印刷技術のない時代だからこその成立事情といえよう。各段は、今日の本になった状態で長い段でも三、四頁、二首以上の歌が採られた段もあれば、最短なら一行の註と一首の歌で成り立っている段もある。また各段は、まったく独立したものとして読めたり、特に業平関連ではつながりが認められるものもあったりと多彩だ。業平の「悲恋」やそこに込められる恋愛観、皇族や宮中また異国の人々との交流関係が分量的にも多くかつ主要部分であり、伊勢物語を語るならばそこを外すことができないが、今のところわたしの興味はそれ以外の別の作者が書いたであろうと推測される(わたしが勝手に)段に惹かれる。もっともそれらの段も、恋愛中や夫婦の一対の男女関係について描かれた段が大半だから業平関連とまったく相貌を異にするのでもない。以下、渡辺実の校註を参考にしながら感想を記したい。

  女が突然家出をした。男にとっては身に覚えがない。浮気などせず愛しつづけていた、睦み合っていたという以外の記憶がふりかえってみても浮かばない。家出の原因を男はつかめないのだが女の意思は固そうで、次の歌を残して去った。

いでていなば心かるしといひやせむ
世のありさまを人は知らねば(35)
<わたしが家を出て行ったら、世間の人は軽薄だと言うだろうか。私達夫婦のことは他人にはわからないのだから>(渡辺実口語訳。以下同)


  まず、奇異な印象を受ける。家出の原因を自分の主張を盛り込まず、世間体は悪いにはちがいないが世間の人には夫婦関係の奥底はわかるはずもない、わたしは決して悪くない、わたしなりの家出しなければならない重大な事由があるというのだ。(渡辺実によれば「人」は世間の人とともに夫も含まれるという)歌の前文に「いささかなることにつけて」とありながら、その「いささか」を妻は語らないのだから夫の男の昏迷は深まるばかりだ。妻であった女をさがそうとはするが、そのあてもなく、心情を歌う。

思ふかひなき世なりけりとし月を
あだにちぎりて我やすまひし(36)
<愛していた甲斐のない、あの女との間柄であったなあ。長の年月をよい加減な心で契って私は暮らしてきたろうか>いやけっしてそんなことはない、私は真心から妻を愛してきたのに。


  妻は暮らしが成り立っていたとしても、夫との生活に解放感がなく息苦しさを感じていたのかもしれない。あるいは単に虫が好かない感情が高じたのかもしれないと、わたしの想像は広がる。やがて男は女の居所をつきとめたらしく、歌を贈る。

人はいさ思ひやすらむ玉かづら
面影にのみいとど見えつつ(37)
<あなたは、さあどうだか、私を思っているのだろうか。幻にばかりいよいよ頻りにあなたの姿が見えはするのだが>「玉かづら」は「面影」の枕詞。


  次の文に「いとひさしくありて」とあるから、元夫としたほうがいいのかもしれないが、なお男は女の愛情の有無を確かめようとする。男の愛情が強いのか、くどいというべきか。それにたいする女の答えは擦れている。

今はとて忘るる草のたねをだに
人の心にまかせずもがな(38)
<今は終わりだと思って私を忘れる草の種を、あなたの心に播かせたくないものです>


  男にとって聞きたいことは、今も私にたいする愛情はあるのか、依りを戻す気はあるのかということで、女はそれをわかるはずでありながら正面から答えようとはせずに、逆に男の愛情如何を問うている。どうもなまくらで、食えない女ではないか。まさか追いかけてきた男の愛情を疑うのではあるまいに。男は「忘るる草」を受け継いで歌う。

忘れ草植うとだに聞くものならば
思ひけりとは知りもしなまし(39)
<あなたが私を忘れるための忘れ草を植えている、とだけでも聞くのなら、それでは私を思っていたのだ、と知りもしようが>


  男はなお女の愛情をもとめて迫り、苛立つのか、そうして女の愛情がついえたことをしだいに知って引きさがろうとするのか。さらに

忘るらむと思ふ心のうたがいに
ありしよりけにものぞかなしき(40)
<もう今は私をすっかり忘れているだろうと思う疑いの心から、別れた当時よりも一層もの悲しいことだ>


  女に元の鞘に収まる気がないのなら、それ以上つべこべ追及しなくてもよい。女の家出の原因が何か、知らないままでもよい。ただ一途な愛情をかけて長く一緒にくらした女だからこそ、その離反が決定的になったことは疑念にまみれた時よりもいっそう悲しく、落ち込むのだろう。生に暗雲が立ち込める局面だ。もう一首、女の歌があるが省略。
  巻末付録によれば、35は古今六帖・なりひら、36は出典明示無し、37は新勅撰集、38は新勅撰集、39は続後撰集、40は新古今集からそれぞれ採られている。それぞれが独立して鑑賞に耐えうる歌でありながら、作者はこういう形で歌をつないで註釈を書きくわえ、逃げる女と追う男の物語をあらたに創造したというべきだろう。女性への怨念や軽蔑、不可解さが滲ませられており、作者にとっては一時の切実な問題であったと想像したい。



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手荷物

両手で手持つのは
乾いた椰子の実ではない
あなた
強いて云えばあなただ
わたしはあなたの履歴を知らない
ただ死んだということだけを知っていて

あなたは死の海から彷徨い出て近づき
ミミズの赤い光を放ち
わたしの臓腑に定着した
あなたはかぎりない疑念を
わたしたちに提示するが
その由来をわたしは知らない
ただ暴力的であるという以上に
知らないままにあなたにわたしたちは
不可抗力的に接近させられる
あなたの魂とやらを鎮める術を
わたしが知るわけもない
ましてそんなことを着手しようなんて
天地が引っくり返っても想わないだろう
今までもこれからも
あなたに触れることが
ただただ怖ろしいだけだ
わたしはあなたの表面しか見ないのか
どれほどの遠い距離を隔てているのか
大いなる錯覚かとも想い
何もしないままできないまま
あなたに近づく
あなたは死んだのではなく
わたしたちの傍で生きつづける
あなたは死者を僭称するのではないか
生者に陰謀を吹きこまれた密使ではないのか
わたしにはわからない
わたしたちを磁石のように引きつけ
かっ攫おうとするあなた
わたしを殺して寄り添わせようとするあなた


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